変わる名前
卒業などの環境の変化とともに、友達だった人のアカウントだけがつながっている状態がほとんどになる。
お互い会う回数が少なくなり、いつの間にかお互いの存在が曖昧になる。
インスタにしろ相手が投稿しない限り、生きているかもわからない。
SNSのアカウントだけがその人の情報を得るための切り札であり、最終手段となる。
ただアカウントのプロフィールだけは無条件に閲覧が可能である。
暇を持て余しているとき、友達だった人のアカウントに訪問する機会がある。
そこで気が付くことがある。
名前が変わっているのだ。
前まではニックネームとか名前だけだったのが、漢字でフルネームになっているのだ。
これがこのエピソードで言いたいことである。
なんか悲しくない?
社会に浸食されてしまったというか、丸くなったなというか、周りに合わせないとだめになったみたいな。
別に名前のままでもいいじゃん。
確かにバイトでラインをする際にフルネームじゃないと「こいつ誰や」となる。
でも名前を変えることなくない?と思ってしまう。
ラインのアイコンを変えるのはたまにあるだろう。
ただラインの名前を変えることはめったにない。
環境の変化は我々の名前さえ変えてしまう「脅威」みたいなものを感じる。
これは周りからの同調圧力的なものなのか、はたまた誰も通る当たり前の出来事なのかわからない。
しかし僕はそれらに抗っていこうと思っている。