仮面の門番
「でもさ、ヒサギとハヤテだけじゃ手に負えないんじゃない? あれを見てよ」
そう言ってシグレが杖で指し示す方向には、長い坂道があった。
杖の先端から放たれる光を頼りに、ユキは目を凝らす。
すると、先程と同じ泥人形のような妖魔達がぞろぞろと坂道を上がって来るのが見えた。
ユキの背中を冷や汗が伝う。
怖い。どうしよう。
ユキは、早くもここへ来たことを後悔していた。
「いちいち相手にしていたら、きりがない。全員背中に乗れ。ハヤテが先頭になって、あいつらが近付いて来たら旋風で吹き飛ばせ」
ヒサギの指示に従い、ハヤテを先頭にユキとシグレもヒサギの背に乗る。
ハヤテのすぐ後ろにユキが座り、シグレは背後からの襲撃に備えるために、ユキと背中合わせに座った。
「一気に駆け下りるぞ。振り落とされないように、しっかり掴まっておけ」
そう言うや否や、ヒサギは猛スピードで走り出した。
周りを見る余裕なんて、まるでない。
ユキは目をつぶり、振り落とされないようハヤテの背中に顔を押し付けて、必死にしがみつく。
背中合わせに座っているシグレの体が時折離れ、その度に落ちてしまったのではないかとヒヤリとする。
永遠にも感じるほどの長い間、ヒサギは走り続けた。
極度の緊張状態が続き、強張った体が悲鳴を上げそうになる頃、ようやくヒサギは足を止めた。
「降りるぞ」
ハヤテの声に恐る恐る目を開けると、ユキ達の前には巨大な石の扉があり、奇妙な仮面をつけた何者かが、扉の横で仁王立ちしている。
「何をしにきた。お前達は人間の世界でやるべきことがあるだろう。戻れ」
仮面の下から、くぐもった声が響く。
ユキはハヤテの背に隠れながらそっと相手の様子を窺った。
姿形は人間の男性のように見えるが、こんな場所に人間がいるとは思えない。
一体、何者なのだろう。
シグレがヒサギの背から飛び降り、仮面の男に近付いていく。
ハヤテは、ユキの体を抱えてヒサギの背中から降ろすと、ユキの隣に立ち、漆黒の翼を大きく広げた。
「トコヤミに呑み込まれたユキの母親を探しに来たんだ。妖魔の国へ行けば、何か分かるんじゃないかと思って。用が済んだらすぐに地上へもどるから、入り口を開けてくれない?」
シグレは、昔からの知り合いと話すかのような気安さで仮面の男に話しかけたが、反応は冷たかった。
「やめておけ。妖魔の国へ行けば、お前はその娘を失うことになるぞ」
「守ってみせる」
「……だからこそ失うのだ。守り抜いた先にあるのは、身を引き裂くような別れだ。その娘を手元に置いておきたければ、戻れ」
シグレが振り向いてユキの目を見る。
ユキは迷い始めていた。
泥人形のような妖魔達に襲われた恐怖がよみがえり、身震いする。
妖魔の国へ行けば、命を落とすかもしれない。
あの島で、シグレのそばにいれば生き延びられる。
だけど。
私は、自分の引き起こした出来事の責任を、きちんと取りたい。
私のせいでトコヤミに呑み込まれてしまった、お母さんと村の人達を助け出したい。
だから、お願い。
「妖魔の国へ連れて行って」
ユキの力強い声に、シグレが頷く。
「ユキの願いを叶えたい。門を開けて」
シグレが言うと、仮面の男は沈黙した。
そして、しばらくしてから大きく息を吸い込み、長い長い呪文のようなものを唱えだす。
シグレは、身につけていた衣服の上半身をはだけると全身に力をこめ、背中から真っ白な翼を生やした。そして杖をヒサギに向かって放り投げ、ユキの方へと駆け寄る。
シグレの投げた杖を、ヒサギが口に咥えて拾い上げる。
近付いてきたシグレに背後から羽交い締めされて、ユキは短い悲鳴を上げた。
ハヤテはヒサギの背に乗り、大きな胴体にしがみつくような体勢をとる。
仮面の男が呪文を唱え終わった途端、地響きと共に足元の地面が割れた。
落ちる!
そう思った瞬間、ユキの体が宙に浮く。
シグレの翼がはためいている音が、耳に届いた。
ヒサギの咥えている杖から放たれた光が、周囲を淡く照らし出す。
横を見ると、ヒサギを抱えたハヤテも黒い翼を動かして飛びながら、暗い穴の中を降下している。。
頭上で大きな音がして、見上げると亀裂が閉じていくところだった。
「閉じ込められちゃう!」
パニックに陥ったユキは、手足をばたつかせて叫んだ。
ユキを支える腕に力を込めながら、シグレが説明する。
「大丈夫だから暴れないで。入り口の門が閉じられただけだよ。帰る時にまた開けてもらえばいい」
「さっき見た石の扉が入り口だったんじゃないの?」
「違うよ、あれは冥府へ繋がる扉だ」
「メイフ?」
「魂が裁かれる場所だよ」
ユキ達が話しているところへ、ヒサギを抱えたハヤテが羽ばたきながら近付いてくる。
「シグレ、妖魔の国へ降り立つ前に、お前の腕輪をユキに渡しておけ」
ハヤテに言われて、シグレはユキを抱えた手を少し動かすと器用に腕輪を外し、ユキの手首にはめた。
「何これ?」
「母さんから貰ったお守りだよ。僕は人間の血が入っているから、これが無いと島の妖魔達を完全には統率出来ないんだ。この腕輪には妖力が込められているから、身に付けている間は妖魔のふりが出来る」
「そんな大事なもの、借りられないよ! それに、腕輪を外しちゃったら、シグレが危ないじゃない!」
「妖魔の国でユキを守るには、こうするしかないんだ。それに、僕は妖魔の血も入っているから大丈夫。島で支配者として振る舞う時には腕輪が無いと困るけど、妖魔の国には人間と妖魔の間に生まれた半妖もいるからね。心配いらないよ」
「でも……」
「いいから、言う通りにして」
シグレに強い口調で言われて、ユキは仕方なく引き下がる。
どうか、無事に地上へ戻れますように。
指先で腕輪に触れながら、ユキは心の中で祈りを捧げた。