地の底へ
日が昇る頃、ハヤテがユキを起こしにきた。
「準備は万端だ。食事をしたら出発しよう」
ユキは、ハヤテが用意してくれていた果実や木の実を手に取って口へ運ぶ。
ふと顔を上げると、食べているのはユキだけで、シグレ達は何も口にしていないことに気付いた。
「あなた達は食べないの?」
ユキがシグレに尋ねると
「僕達は自然界のエネルギーを吸収して生きているから大丈夫」
という答えが返ってくる。
人間と同じような見た目をしていても、シグレはやはり妖魔なのだ。だが、昨夜の話を聞いて印象が変わったせいか、今のユキはシグレを怖いとは思わなかった。
食事を終えて身支度を整えると、ユキは神妙な顔つきでシグレの隣に立った。
両手を固く握りしめ、覚悟を決める。
「妖魔の国へ入るには、特別な門をくぐる必要があるんだ。まずは、その門のところまで行こう」
そう言ってシグレは杖で空間を切り裂き、ユキの手首をそっと掴むと、切れ目の中へと足を踏み入れた。
暗い。
右も左も、墨で塗りつぶされたように真っ暗だ。
ユキは必死に目を凝らしたが、何も見えない。
けれども、トコヤミと相対した時のような底知れぬ恐ろしさは感じなかった。
それは、シグレに掴まれた手首から伝わる、温もりのおかげかもしれない。
「シグレ、明かりを灯せ」
暗闇にハヤテの声が響く。
「格下のくせに、僕に命令しないでくれ」
不愉快そうに答えたシグレは、何やら呪文のようなものを口の中で唱えた。
すると杖の先端が光り、辺りが明るく照らし出された。
まず最初にユキの目に映ったのは、土壁に嵌め込まれるように置かれた巨大な岩だった。
よく見ると僅かな隙間があり、どうやら土壁に空いた穴を塞ぐために置かれているようだ。
周囲を見渡すと、床も壁も天井も全てが土に覆われていて、草木は一本も生えていない。
その辺に転がっている大小さまざまな岩は、どれも奇妙な色と形をしており、何とも言えない不思議な景観が生み出されている。
「来るぞ」
ヒサギが第三の目をギラつかせて警告を発した。
まるでそれが合図だったかのように、地面に転がっている岩がグニャリと歪み、形を変え始める。
吐き気を催す異臭が漂い、岩だったものは次々とドロドロに溶けた後、泥人形のようなものへと姿を変えて突進してきた。
あまりの恐怖に、ユキは叫ぶことさえ出来ずに立ちすくむ。
シグレはユキから手を離し、杖を横一文字にして両手で構えた。
泥人形達を間近まで引き付けたところで、杖から眩い光が放射状に広がる。
思わず目を閉じたユキの耳に、断末魔の叫びが聞こえた。
ユキは足が震えて立っていられなくなり、耳を塞いでしゃがみ込む。
何? 何なの? 何が起きているの?
確かめたかったが、恐ろしくて目が開けられない。
小さく縮こまっていたユキは、背中をポンと叩かれて悲鳴を上げた。
「終わったよ。もう何もいないから大丈夫」
目の前にあるのは、シグレの幼い顔だった。
「何もあそこまで粉々にすることは無かったんじゃないか? あれでは復活できるかどうかも怪しい」
ヒサギの言葉に、ユキは周囲を見回す。
先程まで土に覆われていた地面には、サラサラした砂が積もっていた。
「この砂、もしかして……」
ユキが言い終わらない内に、ハヤテが続きを引き取る。
「さっきの妖魔達だ。シグレは力のコントロールが上手く出来ないんだ。間抜けな父親に似たせいでな」
「何だと? あんな大馬鹿野郎に似ているわけないだろ!? 取り消せよ!」
シグレは、父親の悪口を言われたことではなく、似ていると言われたことに怒り出した。
「そっくりだよ! 見た目も中身も瓜二つだ!」
「うり……? 何だよそれ! 意味わかんないぞ!」
「ほら、やっぱり馬鹿で何も知らないところなんか、そっくりじゃないか」
くだらない言い争いを始めたシグレとハヤテの間に、ヒサギが体をねじ込む。
「いい加減にしろ。いいか、シグレ。人間界との境目を守る妖魔を粉々にしてしまったら、外部からの侵入者を防ぐことも内部からの脱走者を阻むことも出来なくなるんだぞ。お前はもう何もするな。ただ、ユキの盾となることにだけ専念しろ」
そうシグレに言い聞かせると、ヒサギはハヤテの方に顔を向けた。
「ハヤテも、いちいちシグレに突っかかるな。シグレがその気になれば、お前のことなど一瞬で砂粒に出来るんだぞ。もう少し冷静になれ」
三つの目玉をギョロつかせながら語るヒサギは、不気味な見た目からは想像できないほど、まともな感覚を持ち合わせているらしい。
ユキは密かに感心しながら、金色の毛に包まれたヒサギの横顔を見つめていた。