封印の代償
ユキが目覚めた時には、全てが終わっていた。
ヒサギがユキの喉に噛みついた後、ハヤテはそのまま暗黒の淵へと向かったが、シグレは半狂乱になってヒサギを亡き者にしようとしたらしい。
だが、腕輪を身に付けていない状態のシグレではヒサギに太刀打ち出来ず、押さえつけられてしまったのだとか。
ヒサギから事情を聞かされたヒカリは、シグレの代わりにユキの腕輪を外し、冥府の王にも使いを送った。
ユキの思惑通り、トコヤミはユキの母親の体を離れてユキのところへと呼び寄せられたが、館に充満するリュウゼンコウの香りを忌避して暗黒の淵へと逃げ出したそうだ。
ひと足先に暗黒の淵へ辿りついていたハヤテが、空飛ぶ種の翼でトコヤミに呑み込まれた者達を救い出した後、トコヤミが暗黒の淵になだれ込むのと入れ替わりに、邪悪な妖魔の討伐に出向いていた妖魔の長達も撤退した。
これまでは、いつか共存できる日が来るのではないかという一縷の望みをかけて、邪悪な妖魔達を完全に封じることはなかったらしいのだが、トコヤミが人間界にまで侵食した事態を重く見た冥府の王は、邪悪な妖魔どもを殲滅して暗黒の淵を塞いだ。
これらの全てをユキに語って聞かせてくれたのは、シグレの父親だった。
彼はハルトと名乗り、シグレにそっくりな顔で、干し草の上に横たわるユキに微笑みかけた。
「頑張ったね、お母さんは生きているよ。トコヤミが妖魔の国へ戻る時にお母さんの力も奪っていったみたいで、今は元の人間に戻ってる」
ハルトの言葉に、ユキは安堵の涙を流した。
それから自分のしでかしたことを思い出し、ヒサギに噛みつかれた喉に触れてみたが、傷跡ひとつない。
どうやら、ヒサギが癒しの術で治してくれたようだ。
起き上がって周囲を見回すユキに、ハヤテが木の椀に入れた水を持ってきてくれる。
「ここは、妖魔の国へ行く前に立ち寄った島の洞窟の中だ。落ち着いたら、今後のことについて話し合おう」
そう言うと、ハヤテは洞窟の外へ出ていき、シグレを連れて戻ってきた。
しかし、シグレは怒ったような顔でユキの顔を見るばかりで、何も言ってくれない。
きっと、無茶なことをしたユキに腹を立てているのだろう。
「ごめんね」
ユキが謝ると、シグレは表情を歪めて涙をこぼした。
「もう二度と……あんなことはしないでくれ」
「分かった。約束する」
二人のやりとりを見守っていたハルトが
「君も妖魔になって、シグレと一緒にこの島で暮らせば? 俺も昔、人間から妖魔になったんだけど、姿形は人間の時のままでいられるし、妖力があると色んなことが出来るようになるから便利だよ」
と屈託のない笑顔をユキに向ける。
シグレと妖魔の国を巡る間に、ユキの気持ちは大きく変化していた。
人間でも半妖でも妖魔でも、互いにどうしても分かり合えない相手というのは、存在するのだと思う。
けれども同時に、どれだけ見た目や能力が異なっていても、寄り添って助け合い、強い絆を結ぶことの出来る相手だって、確かに存在するはずだ。
だから、妖魔になることも、この島でシグレと暮らすことも、すぐに決められるようなことではないけれど、真剣に考えて答えを出したいと思っている。
だが今のユキには、その前にやるべきことがあった。
「私、母の死を看取りたいんです」
口にしてから、ヒサギならば母の病を癒せるのだろうか、という考えがよぎる。
すると
「傷ならば癒せるが、病は癒せない」
というヒサギの声が頭の中に響いた。
「ヒサギ……どこにいるの?」
ユキがその姿を探していると、洞窟の奥からヒサギが現れた。
「嫌な役目を押し付けてごめんね。願いを叶えてくれてありがとう。約束は必ず果たすから」
ユキの言葉に、ヒサギは素知らぬ顔をする。
だが、シグレは訝しむように
「何の話だ?」
とヒサギに詰め寄った。
「シグレ」
ユキは、意を決して呼びかける。
「私、必ず帰ってくる。だから、お母さんが最期を迎える日まで、人間の世界で暮らしたい」
「その言葉を……信じろって言うの?」
シグレの真っ直ぐな視線が、ユキをとらえる。
「信じて。私は必ず戻ってくる。嘘だと思うなら、ヒサギに確かめて」
ユキは本気だった。
妖魔になることも、この島でシグレと一緒に暮らすことも、今はまだ何も決められないけれど、いつか必ずシグレに会うために帰ってくる。
これは嘘じゃない。本心だ。
ユキは、ありったけの想いを込めてシグレの目を見つめた。
想いが通じたのだろうか。
シグレはふっと肩の力を抜くと
「分かった。信じる」
と答えた。
それから杖で空間を切り裂き、ユキの方へと手を差し出す。
シグレの手を取って切れ目をくぐり抜けると、そこは薄暗い森の中だった。
「妖の森に戻ってきたよ。ユキの力をここに封じた後、母親のところへ帰してあげる。封印の代償は、記憶か寿命だ。僕達のことを忘れるか、寿命を縮めるか。どっちが良い?」
シグレの問いに、ユキは迷わず答える。
「寿命を縮めて。シグレ達のことは、忘れたくない」
するとシグレは、ユキに向かって弾けるような笑顔を見せた。
「やっぱりユキは、あの頃と何も変わってないね。昔ユキの力を封印した時にも、同じことを言ってた」
「え……? でも、ハヤテは封印の代償に記憶を奪ったって言ってた気が……」
「そうだよ。あの時もユキは迷わず『寿命』って言ってくれたから、それだけでもう十分だなって思って、僕は寿命じゃなくて記憶をもらったんだ。ユキ、君が僕を忘れても、僕はずっと覚えているし、いつかきっと戻って来てくれるって信じてる」
シグレは涙声になりながら、ユキに杖の先端を向けた。
「またね」
杖から光が迸る。
あまりの眩しさに、ユキは思わず目を閉じた。




