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猛毒の湖

 猛毒の湖は、いちごミルクのような色をしていた。


 コポコポと泡立つ水面は、かき氷の赤いシロップにミルクを混ぜたかのような毒々しい色をしており、何とも不気味(ぶきみ)な景観を生み出している。


「この湖に落ちたら、骨まで残らず溶けちまうって話だ。絶対に近付くなよ」


 ロウゲツが(かす)れた声でユキに忠告する。


 氷の果樹園でも、ロウゲツはユキに危険を知らせてくれた。

 身勝手な奴だと嫌悪感を(いだ)いていたけれど、そこまで嫌な奴ではないのかもしれない。


 そう思ったユキは

「ありがとう」

 と口にしたが、ロウゲツは

「なんだ急に? 気持ち悪いな」

 と言って顔をしかめた。


 お礼を伝えたのにそんな反応をされるなんて心外(しんがい)だ。

 ユキは

『やっぱりこいつ、嫌な奴だ!』

 と思い直して横を向いた。



「蝶の銀粉を湖に撒いてくる」


 翼を広げて空へ舞い上がったシグレは、湖の上空を飛び回りながら壺の中に入った銀粉を撒き散らしていく。


 すると、みるみるうちに毒々しい桃色の湖は干上(ひあ)がり、湖底に沈んでいた樹木が姿を(あらわ)した。


 その樹木は、不思議な形をしていた。

 遠目に見るとシイタケのような形をしており、大きなカサの部分には真紅(しんく)の葉が茂っている。


「行くぞ」


 先頭に立って進むハヤテの後に、ユキとロウゲツを背に乗せたヒサギが続く。

 シグレは湖の上空に(とど)まり、周囲を警戒するように見渡している。


 木の根本(ねもと)に辿り着いたハヤテは、腰に縛りつけた袋から瓶と小刀を取り出して木の幹に傷をつけた。

 樹木から血のような赤い樹液が(したた)り落ちる。

 あふれ出る樹液を瓶に詰めているハヤテの頭上で、真紅の葉が(ざわ)めいた。


 見上げたハヤテの顔色が変わり、上空からシグレの鬼気迫(ききせま)る声が降ってきた。


「ヒサギ! ユキを隠せ!」


 何事かと顔を上げたユキの目に、頭上から降り注ぐ真紅の(やいば)が映る。

 息を飲んで固まるユキを、ロウゲツが乱暴に背後から引きずり下ろし、その上にヒサギが覆い(かぶ)さる。


 ギャァギャァという鳥みたいな鳴き声や、バサバサと翼のはためく音が響き渡り、しばらくしてから静寂が訪れた。


 ヒサギが体を起こし

「急いで背に乗れ。火の沼のように、湖の水が元に戻るかもしれない」

 とユキを()かす。


 先にヒサギの背に飛び乗ったロウゲツが、ユキに手を伸ばして引っ張り上げてくれる。


 (おそ)(おそ)る辺りを見回すと、ナイフのように鋭く尖った真紅の葉が周囲一面に散らばっていた。よく見るとクチバシがあり、鳥に似た姿をしている。葉ではなく、妖魔だったのだ。


 何気(なにげ)なく背後に視線を移したユキの目に、血だらけになって倒れているハヤテとシグレの姿が映る。

 喉の奥で声にならない悲鳴をあげ、ユキは震える手でヒサギの背に生えた毛を握りしめた。


「大丈夫だ。まだ息はある」


 そう言って、ヒサギはシグレとハヤテに癒しの術をかけた。

 淡い光に包まれた後、お互いを支え合うようにして立ち上がるハヤテとシグレの姿を見て、ユキの目に安堵(あんど)の涙が浮かぶ。


「良かった……」


 呟くユキの耳に、どこからともなくゴポゴポという(かす)かな物音が届き、干からびていた湖底が湿り気を帯びていく。


「水が湧き出してる!」

 大声で知らせるユキに、ヒサギは

「しっかりつかまってろ!」

 と叫ぶや(いな)や、全速力で陸地に向かって走り出した。


 駆け抜けるヒサギの足元から、シュウシュウという耳慣れない音がする。


 まさか……まさか……。

 どうか……どうか……。


 ユキは、目を閉じて祈ることしかできなかった。


 ヒサギは倒れ込むようにして陸地に体を投げ出し、その反動でユキとロウゲツも地面に叩きつけられた。


「すまん」


 ヒサギは体を横たえたまま、ユキとロウゲツに癒しの術をかける。


 急いで駆け寄ると、ヒサギの足は四本とも先端が溶けかけていた。


 (こら)えきれずに嘔吐(おうと)するユキの背中を、温かな手がさする。


 振り返ると、シグレの顔があった。その後ろには、ハヤテも立っている。

 上空を飛んで、先に陸地まで戻ってきていたようだ。


「ヒサギの足なら、癒しの術で治せるから大丈夫だよ」


「……だから、そういう問題じゃないんだってば……」


 言いながら、ユキの目からは涙があふれ出す。


「誰にも、痛い思いや辛い思いをして欲しくないんだよ……」



 こんなの綺麗事だと、自分でも分かっている。


 もしも「お前が身代わりに痛みを引き受けるか」と聞かれたら、たぶん私は全力で拒否をするだろう。


 だけどやっぱり、大切な存在には傷ついて欲しくない。



 ユキは、自分の無力さが心底(くや)しかった。

 守られてばかりで何もできない自分が、嫌で嫌でたまらなかった。


 そして、生まれて初めて『強くなりたい』と願った。

 自分の身を守るだけでなく、大事なものを守るために。


 言葉にならない想いを抱えて涙を流し続けるユキの頭の中に、ヒサギの声が響く。


「やっぱりユキは、シグレの父親に似ているな」


 その声はシグレにも聞こえていたようで、嫌悪感を()き出しにした顔でヒサギを(にら)む。


「おい、ふざけるなよ。あんな奴とユキを一緒にするな!」


 ヒサギは黙り込んで三つの目を閉じ、(みずか)らの足に癒しの術をかけた。

 溶けかけていた部分が、みるみるうちに再生していく。


「少し休んでから、次の目的地へ向かおう」


 ハヤテの提案に他の者達も賛成し、ユキ達は湖のほとりで休息を取ることにした。

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