腹の中
「……ねえ、さっきの猿みたいな生き物はどうなったの?」
ユキの質問が耳に入らなかったのか、ヒサギは何も答えずに屋内の様子を探っている。
右手に嵌められた腕輪を見つめながら、ユキは思った。
『この腕輪をしていれば妖魔のふりを出来る』とシグレは言っていたけれど、身につけていても化け物に襲われてしまった。本当に効果があるのだろうか。
「効果はある」
いつの間にか、ヒサギがこちらを向いていた。
「さっきの半妖は、我々を見て『妖魔が街中にいるなんて珍しいな』と言っていただろう? だから、ユキのことも妖魔に見えていたはずだ。人間だと思って襲いかかってきたわけじゃない」
ヒサギの額にある第三の目に見据えられて、ユキは居心地の悪い気持ちになる。
口には出していなかったはずなのに、どうして考えていることが分かったんだろう……。
ユキは、心の奥に芽生えた疑念を確かめずにはいられなくなった。
「もしかして……ヒサギは人の心が読めるの?」
「今さら何を言う。……そうか、まだ僅かしか記憶を取り戻せていないんだったな。それにしても、昨日からのやり取りで分かりそうなものだが……」
「だって、まさかそんなことが出来るとは思わないじゃない!」
声を荒げながら、ユキはあることに気が付いて背筋が寒くなった。
心を読まれているということは、ユキがシグレを騙して逃げ出すつもりでいることを、ヒサギは知っているということになる。
不安な面持ちでヒサギを見ると
「安心しろ。シグレには何も言っていないし、この先も言うつもりはない」
というヒサギの声が、頭に流れ込んでくる。
「どうして……」
ユキの問いかけにヒサギが答えるよりも先に、シグレが血相を変えて戻ってきた。
「悲鳴が聞こえたけど、大丈夫か?!」
シグレはユキに駆け寄って両肩を掴むと、無事を確認するように上から下まで視線を走らせた。
「心配ない。打ちつけた手足は術で癒した」
ヒサギの言葉に、シグレの表情が険しくなる。
「治せばいいってもんじゃないんだよ。ユキに痛い思いをさせないでくれ」
「留意しておく」
と言ってから、ヒサギは話題を変えた。
「表通りの様子は?」
「静まり返っていて、何の気配もしない。いくつか家屋の中も見たけど、もぬけの殻だった」
「そうか……ハヤテはどうした?」
「街の外れの方を探索させてる。そんなことより、僕のいない間に何があったのか教えろよ」
シグレが苛立ち混じりの声でヒサギに説明を求める。
「狒々に似た半妖が襲いかかってきた」
「ヒヒ? 確か、猿みたいな奴だっけ……。で、そいつはどこにいるんだ?」
「腹の中だ。今から吐き出す」
そう言うと、ヒサギは三つある目を全て閉じ、口を大きく開けて下を向いた。
「慣れないうちは気分が悪くなるから、見ない方がいいよ」
シグレが手を伸ばして、ユキの両目を手のひらで塞ぐ。
低い呻き声と共にドサリという鈍い音がして、ユキの視界を遮っていたシグレの手がどかされる。
目の前にはベトベトの粘液にまみれた物体が仰向けに倒れていた。
姿形は、先程ユキ達を襲った化け物と似ている。
だが、梅干しみたいにシワシワだった顔はトマトのようにツルツルになっており、体つきもずいぶん小さくなっていた。
「これ……さっきの……?」
「そうだ」
「でも、見かけがちょっと違うような……」
「噛み砕いて妖力をもらった後、吐き出しやすいように腹の中で小さく再生したからな。おい、起きろ」
ヒサギの呼びかけに、ヒヒがパチリと目を開いた。
思わず悲鳴を上げるユキの手を、シグレが強く握る。
「大丈夫だよ、もう襲いかかってくることはないから。ヒサギに喰われて再生された者は、絶対服従を誓う僕になるしかないんだ」
シグレの言葉どおり、起き上がったヒヒはヒサギの前まで行くと平伏した。
「我が主人よ、永遠の忠誠を誓います。どうか名付けを」
「では、ロウゲツと名付けよう。ロウゲツ、何故この街にはお前しかいないのか、順を追って話せ」
ヒサギが厳かに告げると、ロウゲツは顔を上げ、これまでに起きた出来事について語り始めた。




