外伝:叔父と甥(下)
「……なるほど。お前が庭園で一人黄昏ていたのはそれが理由か」
「はい。……このままいけば僕は叔父上の仰るように立太子されるでしょう。ですが不安が募る。今の貴族たちはエクラドゥール公をはじめとして非常に力が強い。祖父の代と比べると、異常と言えます」
賢王と呼ばれた祖父の治世についてはアーダルベルトもよく知っている。国を富ませ、王都を美しく保ち、交易でも他国に隙を見せなかった。
当時を知る老年の貴族たちは未だに祖父の治世を称える。父王のことは上手く操ろうとするのに、貴族が権力をあまり持てなかった時代について、同じ口で「先代様の時代はよかった」と囁くのだ。
彼らは先代国王を信奉している。
だから才覚の薄い父王には仕える価値がないと、いいように操ろうとするのだ。
――父が投げやりな政治をしていたのも、祖父と比べられ続けてきたからなのではと、アーダルベルトは思う。
「僕はそのような中、王太子として、王として上手くやれるのか。……心配になるのです」
「心配になろうがなるまいが、お前は第一王子で、王位継承者の第一位だ。兄王の様子では数年も立てば立太子され、成人すれば譲位され王となるだろう。俯いている暇があったら心構えを整えておくことだ」
「……ですが」
「弱音を吐きたいか」
「はい」
あなたになら許される気がした、とアーダルベルトは言いかけてやめた。
将来義父となる予定のエクラドゥール公爵の派閥に支えられるアーダルベルトは、そのうち彼とは実質的な政敵になる。
自分が真に心を開くことができるのはエクラドゥール公ではなくキャロルナ公だ、とは誰も聞いていなくとも言ってはいけないことだと思った。
「……叔父上。失礼ついでに、一つだけ」
「なんだ」
「どうして叔父上は王座を望まないのですか」
キャロルナ公爵、叔父は、にわかに目を見張った。
しかし予想外の質問が来たという表情ではなかった。言うなれば、出るかもしれない質問の中で、もっとも可能性が低い質問が来たという顔だった。
「なぜ、そんなことを聞く」
「……あなたと父はそう年が離れていないはず。父が倒れた時、あなたが本気で望めばすぐに立太子され、王座にもつけたはず。そうなれば、今の、淀んだ政治形態にはならなかったはずでしょう。
いや、そもそも、父が即位した時も、貴族の評判も民の評判も、あなたの方が高かったと聞きました。その気になれば――」
「王位を奪えたのでは、と?」叔父は鼻で笑った。「この国は長子相続が伝統だ。それに、兄弟間で王権争いも馬鹿馬鹿しい。私は王位には相応しくないし興味もない」
王を支えられればそれでよかった、と叔父は言う。
アーダルベルトは眉を顰めた。
「ですがあなたは父を……王を見放している。王を支えられればそれでいいなら、どうして――」
「――言っただろう、長子相続だと。私が支えたかったのは兄ではない」
国王を直接指さないためにアレと暈した叔父の声はひどく冷たい。
ふとアーダルベルトは思い出した。内廷の肖像画の間の端に掛けられた小さな肖像画があった。
柔らかな美貌の妹よりも、どちらかと言えば自分に似た面差しの、十二・三歳の少女の絵――。
「セレーナ伯母上、ですか。十三歳で魔族に攫われて亡くなったとされている」
「そうだ。愛妾の娘だったので私と兄とは母親が違うが、法律ではれっきとした王の長子。――私は姉こそが王位に相応しかったのだと、今でも思っている。独り言だがな」
「伯母上が……」
つまり、叔父にとって支えたかった王は、伯母セレーナだったのか。
伯母セレーナに関する話は王宮ではほとんど聞かない。魔族にさらわれ生死不明とされ、法律的に死亡してから父が王太子となったらしいが、アーダルベルトも彼女についてはそれくらいしか知らなかった。
――魔族に攫われたとされているために、彼女の噂を口にするのも不吉だということなのかもしれない。
「不思議なことに、この国では王の長子こそが王に相応しい資質を持って生まれる。……これは一部古い貴族の間に流れる噂なので真偽は不明だが、私はそれは粗方正しいと考えている。
事実、心優しく聡明な姉は、私や兄などよりも余程らしかった」
「叔父上……」
「そして私だがな。――喪ったものに囚われ、現国王と反目し合って国上層部を淀ませている私には、そもそも王の資格はない」
先程の自分の発言を逆手にとった言葉に、アーダルベルトは慌てて顔を上げたが、意外にも叔父の表情は穏やかだった。
寂しげにも見えるその顔に呆然としていると、叔父はアーダルベルトの頭に手を置いた。
大きく、温かな手だった。――久しく、大人に頭を撫でられていなかったことを思い出す。
「……あの兄はどうしようもないが、義姉上は素晴らしい人だったからな。お前は母親似で、そしてどこか伯母にも似ている。お前らしく在れば、この先も歩いていけるだろう」
「――叔父上は、僕に期待してくださいますか。セレーナ伯母上にしていたように……」
「それはあなた次第だ。第一王子殿下」
「……そうですか」
アーダルベルトはぐ、と拳を握り込む。
自分次第。
――であれば完璧であり続けよう。
今なら誰にも――弟にさえも望まれずに王位に着いた父の虚しさがわかる気がする。
賢王に、失われた伯母に、囚われていたのはきっと父も叔父も同じだ。
誰もが認める完璧な王太子として、民と国のために努力し続ける。
――そうすればきっと、淀みも晴れるはずだ。
「ただ、力みすぎるなよアーダルベルト」
「え?」
「お前が優秀なことは誰もが認めることだ。完全無欠だと持ち上げられることにもなろう。だがな」
「はい、」
「――お前が完璧ではなく、時には弱音を吐きたくなる普通の少年であることを、私だけは知っておく。
だからいっそう努力するにしても、肩の力を抜いて、突っ走りすぎることのないように」
淀みを晴らしてくれるのだろう、と言われ。
アーダルベルトは息を呑み――それから、普通の少年らしく笑った。
「――はい、叔父上。必ず」
*
――結局、王どころか王太子にもなることはなかった少年が納められた棺。それが、ゆっくりと担ぎ上げられる。
葬列を見送りながら、エドゥアルト・キャロルナはひっそりと呟いた。
「肩の力を抜けと言っただろうに。この、馬鹿者が」
作中でひたすら持ち上げられる彼も、案外普通の男の子だったのです。