外伝:叔父と甥(上)
アーダルベルトお兄様十二歳と叔父様の話です。
月の女神の祝福篤いルネ=クロシュ王国。
その王座は長い間空だ。――否、空も同然である。
王が病に倒れ、ほとんどの執務を宰相エクラドゥール公爵と王弟キャロルナ公爵が請け負うようになってから、王族は王族として機能していない。
貴族による貴族のための政治が、何年も行われている。
*
今年で十二歳になる第一王子アーダルベルトは、幼い頃から神童と呼ばれた少年だった。
魔術の素養、頭脳、人望の厚さ、どれをとっても完璧で、十二歳ながらに大人顔負けの度量を見せる素晴らしい王子だと。
――といってもアーダルベルト本人としては、そんな評価はアーダルベルトにそうあって欲しい大人たちが、都合よく作り上げたものだと思っていたのだが。
「あの、それでは殿下、これで失礼いたします。楽しい時間でしたわ」
「そうだね、エウラリア。短い時間しか君と話せないのは残念だけれど……」
「ぜひまたお茶をいたしましょう。わたくし、とっても楽しみにしております」
完璧な淑女の礼を見せ、庭園の東屋を去っていく婚約者に手を振り、アーダルベルトはふうと細く息を吐き出した。
美しく、聡明な婚約者。同じ年の少女とは思えない完璧な所作にはいつも惚れ惚れさせられる。
しかし彼女の振る舞いは決して大人すぎることもなく――いっそ恐ろしいほどに、エウラリア・エクラドゥールは高位貴族の十二歳の令嬢として完璧な存在だった。
(……ディアナも少しはエウラリアと仲良くしてくれればいいのだが)
頭の回転は速いが、人付き合いも勉強もあまり得意ではない妹は、エウラリアとの折り合いも悪い。
――あまり敵対しないでほしい、と思う。理屈では説明できないが、エクラドゥールの父娘と対立することは怖いことだと、アーダルベルトは常より肌で感じていた。
(エクラドゥール公爵は有能だ。キャロルナ公爵も。
……父上は――)
どうだったのだろう。
アーダルベルトは父の治世についてよく知らなかった。父が健常であった頃、アーダルベルトは今よりも更に幼く、さすがに国政の動きはわかっていなかった。
ただ、病に倒れる前ですら父は執務の大半をエクラドゥール公爵に頼っていたという。王に取り入ろうとする貴族は多かったらしいが、エクラドゥール公以外の有能な――筆頭貴族であるエドゥアルト叔父のような――貴族には倦厭されていたことを思うと、やはりあまり優れた王ではなかったのかもしれない。
(僕は……)
どんな王になるべきなのか。
きちんと王としての責務を果たせるのか。
――今の国王業務は実質エクラドゥール公爵が担っている。
だからこそこのままエウラリアを妃に迎えれば、即位したところでどこまで自分の思うような政治ができるかはわからない。
エクラドゥール公爵はとびきり政治家として有能で人望も厚いが、その実冷徹な男だ。――たとえば、平民の不満を散らすべく最底辺の象徴である王都西区をあえて放置している。見下す対象があれば、人はある程度不平不満を言わなくなるからだ。
自分も東屋から出て、薔薇園をゆっくりと見て回る。
まだ蕾ばかりのアーチを見上げたところで、ふとほど近くから足音が聞こえた。アーダルベルトは視線を音の方向へ投げる。
すると。
「叔父上?」
「……アーダルベルト殿下」
薔薇園からすぐそばの渡り廊下だった。
庭園を一望できる、内廷から外廷に渡す白い外廊下に、叔父――キャロルナ公爵が立っていたのだった。
薔薇園を見つめていたのだろうか。
アーダルベルトがいることに気づいていたのかいなかったのか――それはわからないが、こちらが呼び掛けると、彼は軽く頭を下げた。
「どうか、殿下はおやめください叔父上。ここは公的な場ではありませんし……」
「……そうか、わかった。それで、アーダルベルト、お前はどうしてここにいた?」
「僕はエウラリアと東屋でお茶をしておりまして。叔父上こそ、どうして薔薇園に? もしかして、花がお好きだったのですか」
父王との仲が悪いと知られる王弟キャロルナ公だったが、アーダルベルトは厳格だが知性溢れるこの叔父が好きだった。
叔父も、恐らくはアーダルベルトのことを嫌ってはいなかった。特に冷淡にされることもなく、話しかければ応じてもらえたからだ。
「失礼とは思いますが、意外でした。花を愛でる趣味をお持ちとは」
「私は薔薇を愛でるには顔が厳ついか」
「いえそんな、叔父上の顔貌はとても整っておられますし……しかし、ふふ。ますます意外ですね。叔父上が冗談を仰るなど」
「私とて冗談くらい言う。もっとも、うまいとは到底言えないようだが」
確かに、とアーダルベルトは笑いを噛み締めた。
叔父は冗談を言う時も表情が変わらない。機嫌を損ねたかと焦る者もいるかもしれない。
「お前はよく冗談だとわかったな」
「……人の気持ちや考えていることを読むのが上手いと、エクラドゥール公に褒めていただきました。ですので、自然と」
「観察眼が優れているらしいな。それも、よい王の資質だ。王太子には相応しい」
静かな声で言われて、どきりとする。
――王の資質。
「……どうした、アーダルベルト」
「いえ……。僕に王たる資格が本当にあるのかと、近頃不安になることが多いのです」
続きます。