女王編:57 日嗣の神子
「っお義姉様! お下がりください!」
金切り声で叫ぶシャルロットの声が遠くに聞こえる。
(この男が、魔王……)
アインハードの父親。
漆黒の髪に赤い瞳をしている。その容貌は妖しく、怪しく、恐ろしく、畏ろしく――美しい。
アインハードがそのまま年を取り、深く闇と悪に沈めばこういう顔になるだろうと、まさしくそういう面差しをした男だった。
「なら、反乱軍はやはり魔国と繋がって……」
「ええ。……ああ、一応、賛同しているのは東の領土のみですけれど。
ルネ=クロシュに内乱を起こして国を荒らし、弱ったところを二国で組んで王国に攻め入ろうという盟を結んだのですよ。反乱軍を起こさせるのは我々でやるので、リェミー襲撃で女王を東部に引き付けるという役目は、ノヴァ=ゼムリヤが担ってくださいと、そういう分担をしたのです」
手違いがあって諸国から責められないように、正規軍は出さずに国境警備隊に攻撃させ、万一の時は国境警備隊が勘違いして勝手にやったことだと言えるようにしたようですよ、と彼女は言う。なかなか賢いですわよね、と――。
(やはり……ノヴァ=ゼムリヤは魔国と繋がっていた)
だから漁夫の利を警戒せずに攻め込んできたのだ。
「ですので、もう少ししたら、侵攻いたします。女王陛下、宣戦布告を受け取る御準備をしていらしてくださいませね」
「……っ」
信じられない。
まるで、目の前で起こっている全てが悪夢のようだと思った。
だが、聞かなければならない。
――何故、
「エウラリア・エクラドゥール。何故あなたが……魔王と繋がっている……?」
「簡単なことです。修道院で慎ましく暮らすわたくしの下に、魔王様がいらっしゃったのですよ。ずっと、お探しだったのですって」
「探す? 何を……」
「――エステルの生まれ変わりをだ。日嗣の神子よ」
魔王が初めて、口を開いた。
聴くもの全てを魅了するような、畏れさせるような、おぞましくも美しい声だった。
恐怖に埋め尽くされそうな思考を何とか働かせ、記憶を探る。
(エステル……? 建国神話で、太陽神ヘリオスを裏切って闇の神シュヴェルについた、叡智の神エステルのことか)
エステルの裏切りによって太陽の神が闇の神に殺され、夜に沈んでしまった世界で、月の女神ディアテミスと闇の神シュヴェルは戦った。
そして二人は相討ち、それぞれ今のオプスターニス、ルネ=クロシュに戻り、そこで神性を帯びた魂ごと天に還った。
エステルは闇の神が還ったのち、どこかに姿を消した、と神話にはある。
その叡智の神エステルの生まれ変わりが――エウラリアだというのか。
「……そんなこと、ありえるの? 到底信じがたいわ」
「真だ。事実、我には記憶がある。それも、神代の記憶だ。ヘリオスを殺し、ディアテミスと相討った戦いの記憶が」
「神代の、記憶が……そんな、馬鹿な……」
「だが、実感はない。神の魂が我にないからだ。シュヴェルの魂は太子が持っている。故に我は太子を殺し、完全なる闇の化身として成る」
「なんですって?」
シュヴェルの魂を、アインハードが持っている?
だからアインハードを殺してそれを奪うと?
「しかし、月の神子が生まれるこの国と組まれては厄介」
「だからこそ――本格的に盟を組まれる前に、この国を亡ぼす。そういうことなのですよ。叡智の神にそっくりなわたくしを拾ったのも、そのための軍師を探していたからだそうですわ」
「あ、あり得ない……。やっぱり信じられない。神の生まれ変わりなどと、そんなことがあるはずがないわ!」
「何を言う」
魔王が俺を指差した。
……正確には、俺の首筋を。
そこにあるのは、赤く丸い、あの痣――。
「お前こそ、ヘリオスの魂の持ち主であり、化身。目覚めた太陽の子。――日嗣の神子であろうに」
目を瞠った。
「ま、さか……そんな」
俺が、太陽の男神の化身?
ならこの太陽の形の痣は――本当に聖痕だったのか?
「……国を荒らすまでは上手くいった。だが窮地で覚醒するとは。お前の目覚めのみが、我々の目論見の中で、唯一の誤算だった」
「それに関しましては申し訳ございません。わたくしの過ちですわ。さすがに日嗣の神子が、今まさにこの世に生まれているだなんて思ってもみませんでしたので……」
「よい、エステル。誰もわからなかったことだ。月の神子は何度も何度も生まれ変わる。しかし日嗣は」
――神話以来、初めて目を覚ましたのだから。
魔王の赤い目が、鈍く光る。
……確かに俺が本当にその日嗣の神子だったとして、納得できることもある。魔力を溜める器が異常なまでに大きいことも、何故か攻撃魔術を吸収できることも、それで説明がつく。
(けど、なんでだ? 俺は月の女神の血族のはず。それなのになぜ太陽の化身になるんだ?)
それに、闇の神シュヴェルの記憶が魔王に引き継がれ、魂がアインハードに引き継がれているのなら、俺とシャルロットに神代の記憶がないのは何故だ?
「訳が分からない、というお顔をなさっていますね。何故、月の女神の血族とされているはずの自分が、太陽の化身なのかと」
「……」
「簡単なことですわ。太陽の男神と月の女神は夫婦神。月の女神の子孫ということは、太陽の神の子孫でもあるということ」
ほら、と笑ってエウラリアが俺の顔を指差す。
「あなたの目も、アーダルベルト様の目も……太陽を溶かしたような黄金色。太陽神ヘリオスの持っていた色ですわ」
「アーダルベルト……お兄様……」
そうだ。
アーダルベルトは。
……彼女はアーダルベルトの婚約者だった。そして彼を父親に殺され、それを嘆いていたはずだ。彼の死を悼んでいたはずだ。
父親の罪を知り、父親を恐れて逃げたはずだ。――だというのに。
「あれもこれも全て、嘘だったと言うの……? それほどの奸智があるのなら、お兄様を好いていたのも、父公爵を恐れて逃げたというあの言葉も、全て……」