女王編:54 帰還
「――陛下ァッ!
ご無事ですか!!」
――しかし。
新手の騎馬三千が蹴散らしたのは、女王軍ではなく――反乱軍の兵の方だった。
「えっ……」
どうして。ロゼー侯傘下の軍勢じゃなかったのか。
血と泥で汚れた顔を上げる。そして――俺は息を呑んだ。
「ヴェロン子爵……!」
先頭の騎馬に乗るのは、リェミー城主ヴェロン子爵だった。
その横にはなんと、グレンロイまでいる。軍勢は、あの時攻城戦を共にした兵たちか。
俺は呆然としてヴェロン子爵を見た。
「どうして……あなたはロゼー侯の傘下でしょう……」
「リェミーを救ってくださった借りを返しに参りました。さすがに領内貴族の意見も割れましたので、馳せ参じるのが遅れてしまいました。お許しを」
御身がご無事で何よりでした、と無骨なリェミー城主が笑う。
……自分の主君を裏切ってまで、ここに来てくれたのか。
呆然として硬直する俺を宥めるように、ヴェロン子爵が穏やかな声で言う。
「あの時、必死にリェミーを守ろうとしてくださったあなた様のお姿は、我々兵の目に焼き付けられておりました。ですので城の文官はともかく武官は増援に誰も反対しなかった……民は、意外と見ているものなのですよ」
「……子爵……ありがとう」
「とはいえ最後の一歩を踏み出せたのは、グレンロイが共に行くと申したからなのですよ」
えっ、と思ってグレンロイを見る。……リェミーに身を寄せていたから無理やり連れてこられたのではなかったのか。
「あなた様に命を救われて、いろいろ考えが変わったようです」
「……父は、リェミーに私がいるというのに、あの襲撃をわざと見逃しました。反乱軍にいたということは、ノヴァ=ゼムリヤと繋がっていた可能性が高いというのに、です。……息子を見捨て、さらには王を裏切る人間にロゼー侯爵の名は相応しくありません。それにそもそもリェミーの民は王国の民。つまり我々はロゼー侯の前に、女王の臣下です」
「だそうです」
「……っ」
そうか。
無駄じゃなかったんだな。
あの東の都市で踏ん張ったことも、危険を押してこの男を助けたことも。
全部繋がってたんだ。
「お泣きになるのはまだ早いですぞ陛下。女王軍とリェミー軍で反乱軍を挟撃する形になったとはいえ、まだ数では負けている」
「……あ。あなたは、たしかリェミー城にいた……」
家宰のおじいさんじゃないか。
この人も来てくれていたのか。ずいぶんトシなのに。
すると意外そうに、子爵が目を瞬かせた。
「おや、陛下は先代ロゼー侯爵と既に面識がおありで?」
(エッ!? 先代ロゼー侯!?)
マジか!
確かにあの時子爵の家宰とは一言も言ってなかったし、子爵も先代侯爵が祭に来てるとか言ってたけど!
あの場で言えよ〜〜〜〜!!
「現ロゼー侯の伯父君です。兵を手早くまとめてくださったのすよ」
「甥が馬鹿をしていると聞きましてな。城主と姪孫の尻を蹴って馳せ参じました」
「そうだったのね……あなた方のご助力に感謝します」
万感の思いを込めてそう言い、ぐいと目元を拭った。
……大丈夫だ。
まだ戦える。
魔力はもうない。だから拡声の魔術は使えない。――それでも、声を張り上げた。
「正念場です、女王軍よ!
さあ、今こそ奮起せよ!」
努力を見ていてくれる人がいるなら、女王はやはり、俯いている訳にはいかないのだから。
*
挟み撃ちというのは想像以上に効を奏した。
敵軍の背後を撃ったのはたった三千だったが、まだ三万近く残っていた敵を、女王軍と両側から挟んで攻撃すればすぐに反乱軍の統率は崩壊していった。
乱戦からなんとか抜け出した俺はまた後方に戻り、戦局が有利に展開している隙を狙って、シャルロットと共に、軍医に魔力と体力を回復してもらった。シャルロットはそう魔力量が多すぎて大した回復にならなかったようだが、反乱軍に立ち向かう女王軍を援護するには十分だった。シャルロットという大きな戦力を得て、女王軍はさらに奮起した。
「ダンネベルク公、戦死!」
そして、挟撃が始まって六時間後。
日が沈む間際、両軍ともに疲れ切ったところに、その報せが届き――、
のちに『シェルトの戦い』と呼ばれる内戦は、五日目で終結したのだった。
「――ただいま戻りました、キャロルナ公」
そして。
シャルロットと二人――将軍・騎士団長・ブロシエル伯も城に帰還したが、負傷していたためすぐに城の医師の手術を受けに行ったのだ――怪我はないもののぼろぼろになってシェルト城に戻ると、高座に座ったキャロルナ公が迎えてくれた。
いや、迎えてくれたというよりは、待ち構えていたという方が正しいかもしれない。
「全体の指揮をありがとうございます。援軍があったとはいえ、アルベルティ侯が帰還していないにも関わらずまさか戦いを勝利で終わらせられるとは……これはひとえに、あなたの指揮が的確だったからで――」
俺の口上に全く反応を示さず、彼は城主の座る椅子から下りると、無言でこちらに近づいてきた。彼らしくなく、ずかずかとオノマトペがつきそうな大股で俺の目の前に立つと、おもむろに右手を少し上げた。
なんだと思う間もなく、耳のすぐ横でパン、という音が鳴った。
驚くと同時に頬に軽い痛みが走り、ああ、頬を張られたのだと理解する。
「……二度とするな、この愚か者が」
「……、……そう、務めます」
「即答しろ」
舌打ちでもしそうな顔だったが、キャロルナ公はそのまま、右手をもう少し上に持ち上げた。そして、頭にぽんと手が載せられる。
「――よく戻った。ディアナ」
温かい、手だった。
よく頭を撫でてくれた兄の体温を思い出す。意図せず、視界がぼやけた。
「……お前に疑いを持たせて、すまなかったな。きちんとお前を支えると、この口でお前に伝えるべきだったと――心から思う。こんな宰相でも、まだあなたにお仕えしてもよろしいか」
じわりと目に涙が滲む。
そんなもの、答えははじめから決まっている。
「はい……もちろんです。叔父上様」
ここは王城ではないけれど。
ようやく、帰ってきたのだと思った。