第6話 オリヴィアの常識
翌日。
掃除をしているアメリアのところに、オリヴィアが現れた。
オリヴィアは不機嫌そうな顔を隠しもせずに言う。
「昨日の件だけど……」
「はい」
何を言いに来たのか察していたが、一応聞いてみる。
「あんたがルーファス様に経済学を教えるサポートをしなさい。……いいわよね?」
やはりその話題であった。
予想していたとはいえ、頭が痛くなる。
オリヴィアはアメリアを睨みつける。
「私だって教られるものなら自分でしたいけど……。お断りするわけにはいかないでしょう!?」
確かに昨日の約束を反故にしたら、ルーファスに失礼になる。
だからといって、簡単に引き受けるわけにもいかない。
アメリアも仕事をしているのだ。
ただでさえ忙しいのに、これ以上仕事を増やすなんて考えられない。
「申し訳ありませんが、私は忙しい身でして……。代わりに他の方をお探しいたします」
「ダメよ!」
「……どうしてでしょうか?」
「あなたは私の側近じゃない! 私が命令しているのだからやりなさい!」
理不尽すぎる。
それにオリヴィアの側近になどなった覚えはないのに。
いつもの仕事に加えてこの性格破綻者のお守りをするとなると……正直面倒くさいと思った。
しかしそれを口に出すことはできない。
仕方なくアメリアは頭を下げて頼み込む。
「お力になりたいとは思いますが、私は使用人の身。経済学などわかりかねます」
オリヴィアは再びアメリアを睨みつけた。
「……嘘つき! あなたは教育係のオズワルドから教えを受けているんでしょう? 知ってるわよ! それに昨日、ルーファス様に絵画を説明をできたことがいい証拠よ!」
(うっ……。バレている)
そういえばそうだ。
オズワルドとの仲を勘繰られている以上、アメリアが経済学を知っていると疑われることは必然だった。
それに絵画について、詳しく説明をしてしまったことも事実。
アメリアは諦めて溜め息をつく。
「確かに仰るとおりです。本来はあなたが学習なさるべき内容ではありますが、私の知っている範囲のことであればお教えしましょう」
「最初から素直に従いなさいよ!」
オリヴィアはふんっと鼻を鳴らした。
「でも、その前にオリヴィア様がどの程度の知識をお持ちか確かめなければなりませんね」
アメリアの提案を受けてオリヴィアの顔が曇った。
「はぁ……!? 何言ってんの?」
嫌そうな態度をとるオリヴィアだったが、反論はしなかった。
知識のない自覚はあるようだ。
アメリアはそれを了承と受け取り、オリヴィアの部屋へと向かった。
◆
オリヴィアの勉強部屋に案内されたアメリアはすぐに本棚を確認する。
本棚を見ると、様々なジャンルの本がびっちりと詰まっていた。
経済に関する書籍以外にも、歴史・政治・文学など多岐に渡っている。
どれもこれも高級な装丁を施されていたが、読まれた形跡は殆どない。
(やっぱり何もしていないんだろうなぁ……。というよりそもそも読んですらいないような気がする)
アメリアは心の中で苦笑した。
こんなにも勉強する機会に恵まれているにもかかわらず、何も学ばないなんて勿体無い。
この環境が心底羨ましくて、皮肉の一つも言いたくなる。
「さすが伯爵家のご令嬢ですね。こんなにもたくさんの本を読了されていらっしゃるとは感服いたしました」
アメリアが適当な褒め言葉を口にすると、オリヴィアは満足げに笑う。
「ふん。これくらい当然よ! 私はいずれ高い地位にある人と結婚するんだから、教養を身に着けておく必要があるのよ」
(えっ!? 読まれた形跡がないのに……?)
その発言を聞き、アメリアは耳を疑った。
オリヴィアの発言の真意を読み取ろうとしたが、すぐに理解できない。
聞き間違いだと思い、念のためにもう一度聞いてみる。
「失礼ですが……本棚にある本をお読みになったことはありますよね?」
「あるわけないでしょ! そんな暇があればお茶会に出ているっての!」
「……まさか一度も?」
「当たり前でしょ!」
(信じられない! 本を持っているだけで知識を得られるわけじゃないのに……)
アメリアは心の中で絶句してしまった。
そういえば教育係のオズワルドも昔はオリヴィアの愚痴をよくこぼしていた。
最近は何も言わなくなった理由がやっとわかった。
この態度にずっと付き合わされていたのかと思うと……頭が痛くなってくる。
――しかし、今さらオリヴィアの性格を変えることなど無理だろう。
アメリアは深呼吸をして心を落ち着かせる。
そして気を取り直して口を開く。
「まずは基礎の基礎として、現在の貨幣価値を説明します」
「ふ~ん……」
アメリアの話を聞くことなく、オリヴィアはつまらなそうな顔をしている。
どうやら本当に興味が無いらしい。
(うわぁ……。こりゃひどすぎる……)
「まず、この国では金貨は銀貨十枚の価値があります」
「はあっ!? ちょっと待ちなさい! なんで十倍も違うの!?」
これから教えようとしている内容を、全く分かっていないことが容易にわかった。
金貨と銀貨の価値の違いを知らなかったことに、またもや驚かされる。
オリヴィアの世間知らずっぷりに唖然とするしかない。
アメリアは少し間を置いて、オリヴィアの問いに対して丁寧に答えていく。
「例えば……この国の通貨である金貨の原材料は金100%。それに対して、普通の銀貨の材料は金10%の割合で作られた合金です」
「……」
オリヴィアは全く理解できていない様子だった。
アメリアは続ける。
「つまり今の通貨制度は、金貨の質により変動します。例えば一割でも金の含有率が高ければ、銀貨の価値は大幅に上がり、逆に金の含有がなければ価値は下がります。なので国によって銀貨の価値が違います。このように現在の価値基準を常に把握することは大事なことなんですよ」
オリヴィアは一応聞いてはいるが、やはり興味がなさそうだった。
すると突然、オリヴィアは立ち上がって叫ぶ。
「――結局、金貨をたくさん持っていればいいんでしょ? ならいいじゃない!」
そのオリヴィアの自信満々の表情に、アメリアは頭を抱えたくなった。
(……ああ、もう駄目かも。これ以上教えるのは私には無理だよ……)
あまりにも突拍子もない発言。
仮にも商業ギルドの名家の令嬢とは到底思えないような態度に、アメリアの思考回路は完全に停止してしまう。
(この人は……一体どうやって今まで生きてきたんだろう?)
アメリアの疑問などつゆ知らず、オリヴィアは自分の考えを口にしていく。
「お父さまとお母さまが全部払ってくれるから、私が細かいことを覚える必要はきっとないわよ! それに私の結婚相手もお金を持っている人に決まっているからね!」
その発言を聞いて、アメリアは目眩を覚えてしまう。
もはや言葉は出てこなかった。