第5話 波乱の予感
夕食時になると、大広間には多くの料理が並ぶ。
テーブルには色とりどりの豪華絢爛な食べ物が置かれ、使用人たちが次々と運んでいく。
給仕たちがワイングラスに飲み物を注いで回った。
「本日はお越しくださりありがとうございます。さあどうぞ、遠慮なさらず召し上がってください」
アルスラン伯爵が満面の笑みを浮かべて挨拶をする。
「ありがとうございます。実は他国で食事をするのは初めてで、とっても楽しみにしていたんです。特にこちらは美味しそうですね」
ルーファスは笑顔で返すと、目の前のスープを口に運ぶ。
アメリアはモルガン夫人の指示通り、オリヴィアの横に控えていた。
いざというときにオリヴィアを助けるのがアメリアの役目。
そのオリヴィアはルーファスの前でボロを出さないように必死。
ほとんど食事に口をつけていなかった。
アメリアはその様子を見て、いつもこの感じなら苦労しないんだけどな……と思った。
食卓は時間が進むにつれて、和やかな雰囲気になった。
アルスラン伯爵はルーファスの様子を見て、娘の縁談を切り出す。
「オリヴィアはどうですか? 我が娘ながら美人でしょう? それに性格も良くできた子で、きっと陛下もお気に召されるはずです」
オリヴィアは頬を染めながら微笑む。
その姿は恋する乙女のようだった。
「私もそうだと思います。でもオリヴィア嬢のことはよく知らなくて……。よかったら、あなたのことをいろいろと教えてくれませんか?」
するとモルガン夫人の顔色が一瞬にして変わって、ルーファスに捲し立てた。
「ええ、もちろん構いませんわ! ええと、どこから話せばよいかしら? オリヴィ―ちゃんは努力家で勉強家なの。それに礼儀作法も完璧で、誰にでも優しく接することができて、まさに淑女の鑑のような子だわ! 陛下もきっと気に入ってもらえると思うわ!」
「あら、お母様ったら褒めすぎよ! 恥ずかしいわ」
オリヴィアは困ったように笑う。
ルーファスは笑顔のままで話を聞いていた。
アメリアは内心ではハラハラとしながら事の推移を見守る。
夫人の言葉は事実とはまったくの逆。
オリヴィアほど淑女として欠陥がある令嬢は他にいないように思える。
教育係のオズワルドの授業も、何かと理由を付けて逃げ出すことばかり。
「――今はどんな勉強をされているのですか? 差し支えなければ教えていただきたいな……」
ルーファスの質問に一瞬だけ考えた様子を見せたあと、オリヴィアは答える。
「今は経済学を学んでいますわ! 将来、商業をしているお父様の役に立ちたくて」
「立派な考えをお持ちなんですね。素晴らしいです」
「ふふ、お世辞がお上手なのですね」
オリヴィアは上品な笑みを崩さずに答える。
モルガン夫人はその様子を見て、勝ち誇ったような顔をした。
「いやいや本当だよ。じゃあ明日、経済学を教えてもらおうかな。それでお近づきになれたらと思ってね」
「……それは良い考えだ! オリヴィア、是非お願いしてもらったらどうかな?」
アルスラン伯爵は興奮した様子で勧める――伯爵はオリヴィアの勉強事情をまるで知らなかった。
その予想外の言葉に、モルガン夫人とオリヴィアの顔は凍り付く。
(え……? それってまずいんじゃ……?)
アメリアは思わず声を出しそうになるが、なんとか堪えることができた。
オリヴィアはすぐに満面の笑みを作り答える。
「ええ、喜んで! 明日の午後からご一緒させて頂きますね!」
こうして二人の縁談話は急速に進んでいくのだった。
◆
夜。
仕事で疲れ果てたアメリアは自分の部屋へと戻り、ベッドに倒れ込んだ。
十分ほどそのまま休んだ後、身を起こして机に向かう。
この屋敷にきて、作ったノートはもうニ十冊を超えている――政治・経済・数学・地理・科学など様々な分野にわたって書かれていた。
アメリアは今まで学んだことをまとめながら、自分の知識を深めていく作業に没頭する。
すると扉の向こう側から、ノックの音が聞こえた。
「アメリア、今日の勉強も順調かね? 少し休憩しようではないか」
その声の主はすぐにわかった。
教育係のオズワルドで、いつも勉強を教えてくれる。
手には紅茶と焼き菓子が載ったトレーを持っていて、甘い匂いが部屋中に広がる。
「今日も頑張られているようだな。感心感心」
オズワルドは満足そうに呟くと、慣れた動作で紅茶を注ぐ。
そして焼き菓子を小皿に分けて並べた。
「ありがとうございます。でもまだまだ足りないんです。もっと学ばないと……」
アメリアは礼を言うと、お菓子に手を伸ばす。
オズワルドはその様子を見ながら静かに笑みを浮かべると、おもむろに口を開いた。
「君の勤勉さには驚かされるよ……。そろそろ私が教えなくても済むかもしれないね」
「そんなことないですよ! 私はまだ全然ダメなので……。これからもよろしくお願いします!」
アメリアは慌てて否定する。
オズワルドは一番信頼できる先生であり、ずっと教わっていたい。
それにアメリアは、モルガン親子の奴隷のような生活から抜け出したかった。
きっと頑張っていればいつか報われる――この母の言葉は間違いなかったのだと証明するためにも。
オズワルドは優しく微笑むと、アメリアの頭を撫でる。
「君は素直ないい子だ。きっと君なら大丈夫だろう」
いつものように旅先での出来事やら、勉強の話になかなか切り替わらない。
そんなオズワルドの様子に、アメリアは違和感を覚える。
「あの、何かあったんですか……?」
「――ああ、実は持病が悪化の一途を辿っていてね……。田舎で静養することにしたんだよ」
アメリアはショックを受けて呆然とする。
この屋敷で父親のように優しくしてくれた唯一の人。
まだ何も恩返しできていないのに……。
「……私も一緒に行ってはいけませんか?」
アメリアは恐る恐る尋ねる。
オズワルドがいなくなってしまえば、この屋敷で一人ぼっちになってしまう。
それだけは嫌だった。
「――君には輝かしい未来がある。老人の面倒で人生を消費してはいけないよ。今は苦しくても必ず前を向いて歩いていれば、きっと良いことがあるはずだから」
「…………」
「その代わりに、手紙を書いてくれないか? 君の元気そうな様子がわかれば、私も安心できるからね」
「はい……」
アメリアは必死に涙を堪えながら、力強く答える。
「はい! 必ず送ります。絶対に忘れません。ありがとうございます」
「それに努力が報われる日も近いかもね。諦めずに頑張りなさい。期待しているよ」
オズワルドは優しい口調で言ったあと、アメリアに向かってウィンクをした。
アメリアがその言葉の意味を理解するのは、もう少し先のことだった。