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水焔の衝動  作者: 三斤 樽彦
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第六話

「詩桜吏くん。その話、上座の氏子たち全員に確認は取ったのか?」


「いえ、それはまだ。ですが座長の意見は座全体の意見と捉えていただいて結構です」


「『お前さんの』じゃなくてか?」


「っ、それは……」


 食い気味に重ねた彼はこう質問しているのだ。

今日この場にいる調詩桜吏の要望は、座長としてのモノなのか。それとも一個人としての願いなのか、と。

 そしてその答えに対し、中野さんは大方答えを得ているのだろう。


「俺も白川能全体のために、助力したい気持ちは山々だ。

 だが今年、なぜか下座の加担を一定して拒んできたのは、そちら側の意思によるものだったと俺は記憶している。

 ……そんなの関係なしに関わっていた奴も、どうやらウチには一人程いたらしいがな」


 七瀬の隣で息を潜めていた佐治さんは、バレていたのかと、目線を中野さんから逸らしている。


「始めの動機がなんにせよ、排他的な態度が座全体で統一されていたのは事実。正直なところ、うちの座の若いもんたちの中には、今日の上座を良く思ってない奴らもいる。

そして俺は、そんな下座を率いる立場としてこの要請に簡単に乗るわけには行かない」


 中野さんの発言を聞いて、調がなぜ先ほどからこわばった表情を取っていたのかについての納得がいった。

 僕はてっきり、下座の介入を拒んでいたのは調の祖父である座長だけなのだと思っていたのだ。でもそれは違っていて、きっと上座全体も同様に、下座を一切頼らず今年の演能を執り行うという座長の意見に同調していたのだろう。

 そして調はそれを理解していながら、その現実から目をそらしてきていたのだ。


「うちの祖父が下座の皆さんに失礼な態度を取ってしまっていたことについては私からも謝ります。ですが一方で、上座の皆は長の意見に引っ張られてしまっていただけとも……」


 全体を見通す立場にあった調が、その意見を口にしてしまうのはまずい。それは調の祖父に対する責任の転嫁に過ぎないし、自分の管理能力の低さを露呈してしまうことになる。ぐっとこらえ、ただただ謝り倒すべきだ。


「そもそも詩桜吏くんは何故、それほどまでに今回の野外演能にこだわるんだ。

言ってしまえば、たった一年、演能が中止になったからと言って白川能の伝統が一切無くなってしまうわけでも無いだろう」


「それは、その……」


 食い下がろうとする彼女の語調には覇気がない。何かを言おうとしていることだけは分かるが、紡ぐ言葉はたどたどしい。

 張り詰めた重苦しい空気が部屋を包む。縁側に取り付けられた涼し気な風鈴の音も、この場においては只のノイズでしかない。

 ふと、調の横顔を通して、悩まし気な表情の惣一郎と目が合う。

 何事もなくこの場が丸く収まればそれが一番良かったのだけど、どうやらそういう訳にもいかないらしい。それに、このままでは僕らは本当にお飾りでついてきただけの人間になってしまう。力不足でも援護射撃ぐらいは出来る筈、だと思う。


「あ、あの。ではどうしたら下座の人たちを納得させることが出来ますかね」


 予想外の人物の発言に面食らったのか、縁側の方を向いて崩れなかった中野さんの姿勢が少し茶の間の方へと傾く。物言わぬ置物だと思っていた人物が突然口を開いたら、どんな人間でも流石に軽い動揺はするものだ。


「君は……詩桜吏君のお友達かな」


「同級生の和田辺といいます。正直なところ、僕らは白川の皆さんの事情には詳しくありません。ですが、調さんが悩みながらも事態の解決のために奔走しているということは、友人として理解しているつもりです。

 落としどころ一つ見つからず、このまま帰るという訳にはいかないというか……」


 喋り出した時点でさえ意気揚々というほどでなかった右肩下がりの語気を、出来るだけ落とさないように注力する。

 幼い頃の経験から少し慣れているとはいっても、張り詰めた場における自分の胆力の無さにはホトホト呆れが出る。きっとこういう性は、歳を重ねて改善していくようなものでもないのだろう。

 見知らぬ少年の横槍を真剣に聞いてくれるだけでも、この男性の器の広さというものは伺い知れる。だがそれも、つい最近状況を聞きかじっただけの部外者の言葉だ。大した重みは無いだろう。でもとりあえずはそれでいい。


「中野さん。実は先日から、白川下座の知り合いに声をかけさせてもらっていました。上座に対する悪印象は想像の通りでしたが、野外演舞である水焔の能を中止する事態は避けたいという人の数は、決して少なくなかったように思えました」


 昨日の一件から昨日の夜中、惣一郎は知り合いの下座の人間に話を持ち掛け、反応を伺っていたらしいことは、この場所に来るまでの道中でも聞いていた。どうにか交渉のカードにならないかと惣一郎は言っていたが、これがどう出るか。


「お、おれからも頼みますっ。白川能は小さい頃父さんに連れられて一度見ただけだけど、それでも幼心に素晴らしい芸能だって記憶に残ってます。

 そんな経験の機会を逃してしまう人間がいるのは、きっと悲しいことだと思うんす」


少し食い気味な様子で、七瀬も自分なりの心中を語る。

 七瀬が小さい頃に白川の水焔能を見たことがあるというのは聞いていなかった。

僕はこの街に転校してきた外様だから、中学生以前の七瀬や惣一郎について、よく知らない部分が多い。

多分、彼なりに思うところがあって調に協力をしていた部分もあるのだろう。

 そんな七瀬の心からのお願いに対して振り返った中野さんの表情は、想像していたものとはすこし違っていた。

 瞳孔を少しだけ開き、立派に伸びた髭の生えた顎の下に手をやると、目を細め七瀬の方を見つめる。


「……お前さん、もしかして銅本先生のところの倅か?」


 的を射ない中野さんの切り返しに面食らう七瀬は、一呼吸置いて文脈のたどれない質問をかみ砕く。


「銅本って苗字がこの街にどれだけいるかは分からないですけど。もし銅本病院の銅本満を言っているのであれば、それは自分の父親です」


「そうか、やっぱりかっ。どこか見覚えがある顔つきだと思ってたんだ。俺のこと覚えてないか?」


 息を荒くした中野さんの問いかけに対して、七瀬は首を横にをふる。


「あの頃は七瀬くんも俺の腰ぐらいには小さかったからな。覚えてないのも無理はない。でもそうか……、うん、男前に育ったな」


 全く状況を把握できていないのは僕以外も同じなようで、当該本人である七瀬も、この場で一番大きな目をぱちくりとさせている。


「ええと、失礼ですが。七瀬君とはどういったご関係なんですか。昔馴染みの様な話しぶりですけど」


 調がそういうやいなや、なぜか中野さんは茶の間から勢いよく飛び出ていった。そして数秒も立たないうちに力強い足音と共に、片手に何かを抱えた中野さんが部屋へと戻ってくる。そして彼は、僕らが取り囲んでいる座卓の真ん中に、その抱えていた物を載せた。

 写真立てだった。飾られている写真はかなり年季が入っている。

写っているのはどこか見覚えのある男性と……もう一人は多分当時の中野さんだ。彼の腕の中では、まだ幼い女の子が首に手をかけ抱きついている。


「これ、若い頃の父さんだ」


 七瀬は見た事実をそのままこぼす。だから見覚えが有ったのか。多忙な七瀬のお父さんとは数回程度しか会ったことがなく、その昔の姿を補完できる程には交流がない。きっと今のように言われなければ気付くことも出来なかっただろう。

 ということは、この中野さんの腕にくるまっている女の子、もとい男の子は――。


「もう十年以上前の事だ。銅本先生はこの辺りで格別に腕がいい。それで昔から大変良くして貰っててな。これは当時の水焔の能に客分として招待したときの写真だ。

あの頃はおいちゃんおいちゃん、って女の子みたいにかわいかったのに。今はこんな野郎になってるとは、俺も驚いたよ」


 口を大きく開け、豪快に笑い声を飛ばす。七瀬の背中をバシバシと力強く叩く中野さんの表情には、先ほどまでの張り詰めた空気は全く感じられない。


「こ、これが銅本くん……。会った時から思っていたけど、貴方、女形の才能があるわよ」


「七瀬のことは小学校から知っているが、もっと幼い頃はこんなに人畜無害な表情をしていたのか」


 どこか調のツボに入ったのだろうか。彼女は口を押さえ下を向き、どう考えても笑いを我慢しているようにしか見えない体勢で体を震わせている。それ程までに、この写真に写る幼い七瀬は純粋無垢なあどけなさを隠しきれていない。


「だれがするか、女役なんてよ。……それにしても、申し訳なかったっす。一度会ったことのある人の顔を忘れるとは、銅本家の名折れっす」


「ああいいさ。……というか勲よぉ。お前も当時のあの場所にいただろうが。七瀬くんのこと、分かってて黙ってただろう」


 飄々とした態度を崩さない佐治さんは、どこまで行っても笑顔を崩さない。態度から見るに、きっとその通り分かっててあえて話を通さなかったのだろう。


「サプライズの方が面白いかなと思ったんですよ。ていうか、すぐに気づかなかった耕三さんの方にも非が無くもないでしょうに」


 これだけ大事そうに補完していたところを見れば、まあ確かに佐治さんの言い分も理解できる。

そして、もしかしたら佐治さんはこうなる事を見越して、僕らを一緒に招待していたのかもしれない。


「はあ……これは困ったな。正直なところ昨日の夜に佐治から話を聞いた段階では、座内での面倒ごとを避けるためにも協力は断るつもりだったんだが。

 銅本先生の倅の頼みとあっちゃなあ……」


 きっともう中野さんとしては、個人的な感情を含めて協力をする立場につきたいのだろう。

しかし快諾は出来ない、なぜか。それは下座の座長という立場があるからだ。

 調の祖父が演ずるはずだったシテの代役を務めるだけなら中野耕三個人でも可能だが、それだけでは今回の事件の本質的な問題を解決することは出来ない。上座が下座に対して排他的な姿勢を取り続けている現状が変わらない以上、同じようなトラブルが起きたときにはもう崩壊を辿るだけ。ということは、だ。


「もしも、上座がこのような態度を取っている理由、ひいては調のお爺さんの意見が変わってこれまでについての謝罪があったならば。下座としては協力の立場を取っていただけるでしょうか」


 中野さんの口から自然と漏れ出た低い唸り声は、そのあたりが落としどころであるという意思を物言わずとも表していた。

 絶対に協力する、とまでは彼の立場ではきっと言えないだろう。だがこれまでに、両座で協力してきた歴史は確かにあるのだ。あとはこちら側がどれだけ誠意を見せることが出来るかにかかっているという部分にある。



 玄関まで見送りをしてくれた佐治さんに対し、調は再三と頭を下げていた。この場を設けてくれたことに対してでもあるし、友好的な態度を取ってくれる大人が一枚間に挟まってくれただけで、調の心因的なストレスも軽減されたはずだ。感謝してもしきれない。

 外に出るとまだ日は高く、アスファルトからの反射熱で体が焼けそうだ。先ほどまで室内にいたが、冷房が入っていない以上、外と中でここまで過ごしやすさに違いがあるとは思わなかった。

建物は夏を目安に造る、とはどこかで聞いた話だが、冷房器具が無かった頃に生まれた、先人たちの知恵と工夫には驚くべきものがある。

 調はというと、今から早速家に帰って、祖父にここまでとってきた下座への態度の意味を問いただすと意気込んでいた。俺達も着いていった方が良いか、と惣一郎は言っていたが、『今まで見て見ぬふりをして放置した自分の責任だから』と調は言う。自らを鼓舞している様にも聞こえたし、これ以上僕らに迷惑をかけたくないという気持ちもあったのだろう。

 正直なところ、僕も暑さと緊張にやられてスタミナが切れそうだし、遠慮させてもらえるのであればそれが良いと思っていた。解決できるのであれば、最少人数で攻略するのが今どきスマートスタイルってもんだろう。

 それに、先ほどはは補助輪程度にはなれたかもしれないが、ここからは本当に身内同士の話だ。部外者が口を挟むにも限度があると言える。

 調も現状をそこまで重く感じていないようで、約束さえ取り付けてしまえばこっちのものだとも言っていた。済ませるべき課題は明確だし、あとは下座の人々に対して一言ごめんなさいといえばいいだけの話だ。決して難しくないだろう。

 家に帰って冷たいシャワーを浴び、部屋に戻って昨日買った参考書を開く。でもどうやら今日の一幕は自分が思うよりも神経をすり減らしていたようで、文字の列が中々頭に入ってこない。

しかもこういった無意識下というのは、目が滑っていることを自認するまでにも時間が掛かるものだ。無為だったとは言わないまでも、結局僕は昼下がりの過ごしやすい時間帯を、セリフを空で言えるぐらいには読み返した漫画に費やした。

 食卓に並べられた料理は、夏場でも喉に通りやすいようにと、サッパリとした味付けのものが並べられる。

 僕の夏場のお気に入りは『だし』と呼ばれる夏野菜と香味野菜の和え物をご飯にかけて食べることだ。

当たり前のように婆ちゃんが食卓に並べていたから最近まで気づかなかったけど、どうやらこの土地の郷土料理らしい。混ぜる食材を変えることで、バリエーションも豊かに飽きることもない。『だし』に出会えただけでも、都会から引っ越しをしてきて良かったと思えるほどだ。

 食事もそこそこに、バラエティが写っている茶の間から自分の部屋に戻る。期末テストは二週間後だ。そろそろ手を付け始めないと、僕の能力では平均点を取ることも難しい。

 眠気眼をこすりながら必死に変形させた方程式が、巡り巡ってなぜか元の形に変化した時点で、僕の細い集中力が切れた音が明瞭に聞こえてきた。


「これが世界の選択ってことか」


ふと漏れ出た心の声は、処理落ちしてしまった頭の悲鳴にも近い。

 頭の後ろの方向にあるアナログ時計の短針は、十一と十二のどちらに偏っているか分からない曖昧な位置でとどまっている。

と、端に寄せておいたスマートフォンが突然バイブレーションを始める。手にして画面を開くと、見覚えのない電話番号からだった。僕の電話番号を知っている人間は、家族と七瀬、惣一郎だけの筈だ。

 正直、電話を取るという行為自体が苦手だし緊張もする。文字だけの簡素なやり取りの方が、肉声を通したリアルタイムのやり取りよりもずっと性に合っている。

間違い電話だろうと割り切って放置していると、案の定着信が途切れた。しかし、一呼吸置いたのも束の間、同じ電話番号から再び電話がかかってきた。


「……流石に間違い電話じゃないよね」


 悪いことをしている訳ではないのに、応答を示す電話機のマークをスワイプする指先に力が入る。


「夜分遅くに申し訳ありません。こちら和田辺くんのお電話でお間違いないでしょうか」


 機械越しに聞こえてきたのは、ここ最近でやっと聞き馴染みが出てきた女性の、少し緊張したような声だった。


「え、ええと、そうですけど」


「ああ、良かった。同じ番号にかけたはずなんだけれど、さっきは何度コールしても誰も出なかったから。番号を打ち間違っていたのかもしれないわね」


 電波越しにも聞こえる、ほっとしたような調のため息を聞いた時には、これからは知らない番号から電話が掛かってきてもとりあえず居留守は止めておこうという気になる。


「調さんに僕の電話番号教えたことあったっけ?」


「さっき古閑くんに聞いたの。今日のお礼を直接言いたいからって言ったら、すぐに教えてくれたわ」


「惣一郎……、そういうのは本人に確認を取ってから教えるものじゃないのかな」


 別に悪用するような人でもないから、本質的な問題ではないんだけど。そんな、小さく漏れ出た僕の嘆き声が聞こえたのか、電話越しには彼女の小さな笑い声が聞こえる。


「ごめんなさい、でも今日は貴方のお陰で助かったところが大きいから。お礼って言うのは鮮度があるうちが良いと言うじゃない」


「僕のおかげ?中野さんとの話がうまくまとまったのは、場を作ってくれた佐治さんと情報収集した惣一郎、ちょうどハマり役の七瀬、それに調さんの熱意が伝わったからだよ。僕だけがあの場所で何の役にも立たなかったわけで」


「そんなことは無いわよ。……中野さんから、今回の協力要請は上座ではなくて私一人の意見ではないかと言われたとき、正直返答に困ったわ。

 そして、あの場で和田辺くんが場を動かしてくれなければ、あの場の誰も何も言わずに場がお開きになる可能性だってあった。佐治さんは親切な方だけど、多分積極的に中野さんと敵対する気は無かったと思うから。

 だから今日の成果は和田辺くんのおかげだと私は思う。本当に助かったわ」


 ミシリ。と、どこかで何かが軋む音がする。

 この音は前にも聞いた覚えがある。それがいつだったか、記憶は無いけれど。

嬉しいのか悲しいのか、はたまた別のナニカなのか。

 もしかしたら、自覚のない部分を女子に褒められたことによる恥ずかしさなのかもしれないけど。


「……和田辺くん、どうかした?」


「い、いや、何でもないよ。そういえば話は変わるけど、調さんのお爺さんの返答はどうだったかな。身内のナイーブな話だから、言いたくなかったら別にいいんだけど」


「ああ、それを最初に言うべきだったわね。

 結論から言わせてもらうわ。下座の座長からの条件を伝えたら、お爺ちゃん、今回の演能での下座との協力を承諾してくれたわ」


 彼女の口調からは、喜びの感情が溢れ出てきている。

 何にせよこれで一安心だ。本番までの期間は一ヶ月弱しかないけれど、去年までは当たり前のように協力して催事を行ってきたんだ。関係性さえ良好になれば、運営の連携に支障はないだろう。


「まだ口約束ではあるんだけどね。私もお爺ちゃんも、下座や上座の皆に謝らなければいけないけれど、周りを振り回してしまった背負うべき責任だから」


 彼女の言葉に込められた意志は固い。白川の座があるべき方向へと戻っていくことにたいする達成感を覚えているのだろう。


「じゃあこれで晴れて一件落着だね。月並みだけど、成功を心から祈ってるよ。本番は三人で見に行くからさ」


「ええ、絶対成功させてみせるわ。……ためにも」


 言葉尻だけかろうじて聞こえた彼女の言葉は文脈からたどることは出来ない。きっとこちらに向けられた言葉でもないのだろう。

 一方で、ふと漏れ出てしまった僕の間の抜けた欠伸は、しっかりと彼女の耳に届いてしまっていたようだ。いつもはもう少し長く起きているのだけど、今日ばっかりは疲れがたまって仕方がない。


「それじゃ、夜分遅くにありがとう。また学校でね」


「うん、おやすみなさい」


 八分三十二秒。通話履歴に残った長くも短くもない時間。名前の紐づけられていない電話番号を登録しようかとも思ったが、どうせもう使うこともないだろうと、そのまま通話アプリをタスクキルする。

過度でない丁度良いストレスというものは人生の質を向上させるという言説に則れば、今日は程よくいい塩梅だっただろう。よく眠れそうだ。

 しかし、ベッドに入って布団に包まっても、中々眠りにつくことは出来なかった。

人工的な風が良くないのではとクーラーを止め、網戸の向きを確認して窓を開く。虫の鳴き声一つ聞こえない、いやに静かな夜だ。

 良い予感と言うの当たった試しがないけれど、こういった悪い虫の知らせというものは得てして的中するものだったりする。


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