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水焔の衝動  作者: 三斤 樽彦
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最終話

 川のせせらぎが橋上の僕にも聞こえる。しかしそれも、遠くから聞こえてくるお祭り騒ぎの人々の喧騒に比べれば微々たるものだ。

 水焔の能の本番まではあと十五分となった。辺りは暗く、完全に落ち切った暗がりでは、数メートル先の人間の表情を判別することが出来ない程だ。背後に佇む山々は、その巨大な輪郭だけ残して、闇と一体化している。

 少し離れたところに見える広場には、観光客と思われる人々や、地元新聞記者、テレビ局のカメラまで入っている。出店周りの高校生集団は、七瀬が声をかけて来てくれた同級生達だ。

 そんな、演者側としては最終調整に当たる時間の中で、僕は一人、こうして舞台を見下ろせる場所である人を待っている。

 駐輪場のある岸の方から、スーツのジャケットを片腕に抱えた男性が、駆け足でこちらへ駆け寄って来るのが見えた。


「悪いね、深裄くん。お偉いさんとの話し合いが長引いちゃってさ。少し待たせたかな」


「こちらこそすみません、佐治さん。こんな忙しいときに呼び出しなんかしてしまって」


 佐治さんはワイシャツの胸ポケットにいれたハンカチーフを取り出して額の汗を拭う。


「それにしても君たち三人が居てくれて助かったよ。設営もそうだし、来てくれている高校生の皆も、制服を見る限り君たちの紹介だったりするんだろう。広報担当の僕としては、白川能がこれだけ人々に注目されるのは嬉しい限りでね」


 佐治さんは、興奮したような、それでいてどことなく俯瞰的に現況を捉えている。

 市の数ある村の中でも、特に高齢化が進む白川の土地。市井の注目が集まり活気が出れば、白川能という文化は途絶えることなく、より一層発展していくだろう。

 でもそれは、この土地に住む人々が考える理屈だ。先細りしていく村の未来を変えることは簡単なものではない。そしてそこに必要なのは、もしかしたら質よりも世俗的な何かであるかもしれないと。


「ここまでの興行として漕ぎつけるまでには、とても大変な労力が必要だったんだ。白川能がどれだけ良い芸能だったとしても、大衆の目に付かなければ何の意味もない。村の人々はその事実について少し理解が浅かったように思う。実際、去年の人入りは今年の比じゃない程に少なかったんだ。

 実は僕は数年前まで、都内でイベント営業の仕事をしていてね。久方ぶりに地元に帰ってきて驚いたよ。ここまで、芸能のクオリティと興行の釣り合いが取れていないのか、とね。

そこで僕は、役所やマスコミ、そして座の人々と協力して、白川能が注目されるタイミングを作り上げた。今日がその最大のチャンスなんだよ。

そして僕たちはこの盛り上がりを、一瞬で風化させてはいけないんだ。だから……」


「――だから清兵衛さんと協力して調をシテ役に仕立て上げた。そうですよね」


 僕は佐治さんの言葉を奪い取るように、食い気味に持論をかぶせる。

遠くの広場から届く光をもってしても、今の佐治さんの表情を図ることは出来ない。それ程までに、この時間の闇は深く暗い。


「その結論に辿り着いた根拠を聞かせてもらえるかな」


 抑揚のない佐治さんの声は、夜の田園に良く響く。


「始めは小さな違和感でした。なぜこんなにも調に、白川能にとって不都合な事が立て続けに起こるのだろうって。間が悪いというか、運が悪いというか。でもそれ自体はどこにでもあるありふれた事象に過ぎなかった。清兵衛さんが下座とのコンタクトを取りたがらない理由も、見つけようとすればいくらでも考えられたんです。

 でも清兵衛さんが自らの意思で行方をくらました際、流石に理由を考えずにはいられませんでした。もしかしたらこの一連の騒動は、誰かの意思のもとに動いていたんじゃないのか、って。

 誰かとは言ってもその人物はいたって明確です。あのとき、事態を巻き起こせる立場にいた人間は一人しかいない。調清兵衛、上座の長であるその人だ。

 そんな清兵衛さんが、今回の演能を中止にしたい理由はなんなのか。それを推し量ることは、とても難しいと思いました。自らの体調が良くないからだとか、下座に頼るぐらいなら、伝統が……。どれも本人に聞いてみなければ、予想の範疇を出ることはない。

 だけど、その中からどんな予想を選んでも、常にある一つの矛盾をはらんでいることに気付いたんです」


「矛盾?」


 目に掛かった前髪を振り払い、佐治さんは問いかけてくる。


「それは、騒動を引き起こしている人物の中で、中止する意思と決行する意思、相反する二つの考えが常に混在していることでした。自らに強く責任が降りかかると分かっていながらも、演能を中止にしようとしていたはずの清兵衛さんは、調が中野さんと交渉しにいった翌日、なぜか体調不良を取り下げて本番への出演を表明した。

 そのとき僕は考えました。誰かが清兵衛さんに一つ吹き込んだんじゃないかって。例えば、ここで下座に実権を奪われたら、上座の立場はおろか演能を中止するか否かの判断まで貴方の手から離れてしまう、とかはどうでしょうか。

 もちろん吹き込んだ側としてもこれは都合が良い流れだった。なぜなら、本来計画していた演能のシテ役は、清兵衛さんでも、中野さんでも無かったのだから。

 そして清兵衛さんは、本番ギリギリになって姿を眩ませることで、責任を一手に背負いつつもシテ役不在という強引な手段で水焔の能を中止にしようとした。それが、唯一の理解者だと思っていた人物の策略通りであるとも知らずに。

 佐治さん。貴方は最初から、清兵衛さんが抜ける予定の穴にはめ込むことの出来る、より強烈なピースの算段をつけていたんですよね。

――祖父譲りの類まれなる舞踊の才能と、白川能における唯一の女演者という話題性を併せ持つ、調詩桜吏というピースを」 


 細く繋がった糸を辿った先にあったのは、なんてことのないただ一つの結論。

 佐治さんは、本来であればシテ役不在で中止になるはずだった水焔の能の運命を逆手に取り、調という特異な存在を代わりに置くことで広告塔として活用しようとした。

 そしてその計画において、最大の障壁となりえる清兵衛さんを懐柔し、演能の場から排除した。


「清兵衛さんは、僕が住んでいるアパートの中でずっと身を潜めているよ。村の主線から外れた場所にあるからね。人目につかないように隠れるにはもってこいさ。

 きっと今頃は、予定通り僕が演能を中止にもちこんでいると思いながら、この夜を過ごしてるだろう。

 ……今さら取り繕う気はない。報いは、受けるよ」


 欄干にもたれかかるようにして、佐治さんは小さく息をこぼす。彼は、外向き用にワックスで整えられた髪を力なくかき乱す。


「なあ深裄くん。君はこの白川の村をどう思う?」


「……正直、この件に関わるまでは、その存在すら知りませんでした。僕が街の外から越して来た人間であることを差し引いても、知名度はかなり低いと思います。

 それでも、穏やかで、とても美しい土地です」


「うん、僕もそう思うよ」


 小さく乾いて、それでいてどこか悲し気な声だった。


「白川は典型的な村社会だ。古くからのしきたりと伝統があり、それらに基づいた秩序ある統一された社会。それを良しとする考えもあるし、僕も決して否定はしない。

 でもね、その道の行きつく先は痩せた砂漠だ。どこまでも続く豊かな緑じゃない。

 白川能はね、その閉鎖的な社会の最たる象徴だよ。対外的に執り行うのは年にわずか一度だけ。若者の流出した集落での再生産。そしてなにより、演能に関われるのはその中でも限られた男衆だけ。どんなに憧れていても、女性の詩桜吏ちゃんでは、ちょうどよく空いた隙間に押し込められるのが関の山だ。

 この土地は美しい。透き通る水も森も、広がる田園も、どんな宝石にしても代えがたい。でもそれは決して不変のものじゃない。この村は、今日変わらなければならないんだ」


 昨日、調と喋っていたとき、僅かに脳裏にちらついた。彼女が現在の白川能の在り方に違和感を覚えたのは、彼女がこの村の出身ではなくて、言ってしまえば外来的な物の見方を持っていたからに尽きる。

 では、もしもこの村に生まれた人間が、現在の白川能の在り方に疑問を抱くとしたら。ひいては、慣習のままに水焔の能を執り行うことを、良しとしない考えを持つとしたら。

 それはきっと、この閉じた土地から街に出て、自ら新たな価値観を生み出した人物に違いないと。そして僕が惣一郎に調べてもらった中では、そのような人物は白川の中に佐治さんしか該当しなかった。

 そして、佐治さんの考えに一理あることは確かだ。何百年という長い月日にわたって凝り固まった組織の考えを変えるには、それこそ、卓袱台をひっくり返すような手段が必要だということも。


「詩桜吏ちゃんがシテとして出演して、それが大衆の目にとまる。その技術の高さと話題性には、誰しもが話題に上げるほどの衝撃がある。そうしたら、村の人々の中にも考えを改める人が出てくるはずなんだ。この排他的な環境に対して、もしやと疑問を抱く人たちがね」


「でもこんな手段を取らなくても、村の皆と話しあう道も取れたんじゃないですか?」


「それには何年かかる?それとも何十年?

 もう後が無いと皆が気付く頃には、きっと手遅れだろう。そしてもしかしたら、もう既に分水嶺はそこまで来ているのかもしれない」


 衰退というのは、目に見えるよりもずっと早く静かに忍び寄ってくる。視認出来る頃には、なんてざらにある話だ。佐治さんはその事態を恐れ、ここまで強引な手を取った。

 美しい白川の村への愛ゆえにだ。歪な形かもしれない。しかしそれを悪だと否定する権利も思考も、僕は持ち合わせていなかった。


「今の深裄くんなら、清兵衛さんが中止に追いやった理由も見当がついているんじゃないかな」


「……清兵衛さんは、この村に依存している調を解放したかったんじゃなかったでしょうか。

 二年前に独り、彼女は、身を寄せた先の清兵衛さんと白川能に救われた。そしてその日彼女に生まれたのは、盲目的なまでの信仰なのかもしれません。肉親である清兵衛さんに対しても遠巻きに接する彼女の姿勢は多分そこから来ているんでしょう。

 そして一番近くで過ごしていた清兵衛さんは、本人以上にその感情を理解していた。

愛する孫が持つ無自覚な依存心を引きはがすために清兵衛さんが思いついた手段。それは、水焔の能が破綻することによって生まれる失望で、調清兵衛と白川の村が過度な幻想の存在だと気付かせること」


「……本当に驚かされるよ。この村の人間が皆、君みたいに思慮深い人間だったら良かったんだけどね」


「ただの視点の違いですよ。程度の問題じゃない」


 そうかな、と小さく漏らした佐治さんは、もたれかかった欄干から背中を離した。そうしてそのまま、僕の方へ顔を向ける。


「さて、すべてを知った君はこれからどうする?

 今から会場に向かって、これが一人の人間の策謀によるものだと上座の氏子全員に暴露するかな。でもそれは、詩桜吏ちゃんの望みを断ち切ることになる。君の判断次第ではもう一生、彼女が白川の舞台に立つことは無いだろう」


「止めるつもりなんてありませんよ。正直、僕には佐治さんを糾弾する理由なんてないですから。それに子供はどこまでいっても子供。大人とでは知識も出来ることも差があり過ぎますから」


 そんな僕の発言を、佐治さんは大方予想がついていたのだろう。背筋を伸ばし、嬉しそうに僕の両肩に手をのせる。


「そう言ってくれると思ったよ。実は初めて会った時から、君にはシンパシーを感じていたんだ。大人には大人のやり方が合って、子供はそれに倣うように……」


「それはすみません、ちょっと違います」


 肩に置かれる佐治さんの手を、僕は丁寧に払い落とす。目の前には鳩が豆鉄砲を食らったような。


「糾弾するつもりも、非難するつもりもない。……でも、自意識まみれの僕たちは、大人の言いなりになるつもりだってこれっぽっちも持ち合わせてはないんです」


 目の前でひとり立つ子供が放った言葉の意味を上手く汲み取れなかった様子の佐治さんは、目を細めて頭を捻る。

 僕は右手に付けた腕時計に目線を移す。佐治さんが来るずっと前から設定していたタイマーはもうとっくにゼロを示していた。スマホの待機画面には、十分前に受信していた惣一郎からのメールが確認できた。

 橋から見下ろす広場は、いつの間にかその喧騒を止めていた。並べられたパイプ椅子に座る人々と立ち見の観客たちの視線は、ただひとつの浮島のみに向けられている。

 そのとき、何かに気付いた様子の佐治さんは、口元に手を当てて呟く。


「……ちょっと待ってくれ。詩桜吏ちゃんが清兵衛さんに成り代わって舞台にあがるのは分かる。詩桜吏ちゃんと清兵衛さんは体格が似ているから、装束と能面さえ身につければ外見でばれることはまずない。きっとあの控え袖にいる誰も、その事実に気付いていないだろう。そのために根回しだってした。

でも、それではおかしい。数が合わない。なんで、君がここに居るんだ。


 ――詩桜吏ちゃんが演じる筈だった役は、一体だれが担っているんだ?」


 佐治さんが疑問を口にした直後、笛の音が鳴り、ワキとワキツレによる謡が聞こえ始める。静かな、それでいて物語の始まりを感じさせる低く響く声。


「知ってますか、佐治さん。調は集中すると周りが見えなくなるんですよ。それこそ、近くにいる人物が入れ替わっているかどうかなんて、全く気にも留めない程に」


 汚れなど関係ないと、都会で仕立てたのであろうスーツのまま、佐治さんはアスファルトに腰を下ろす。


「でも、これから先を決めるのは彼女だ。貴方でも清兵衛さんでも、ましてや僕でもない。


 ――彼女が自らの意志で選択するんです」


 現世の一切と隔絶したような浮島の上に、幽玄と佇む一人の童子。闇の中に揺らめく篝火に照らされて、その身は水面に映し出される。

 その面から現れ出る謡は、高く軽やかな鈴の音か、はたまた地の底まで響く慟哭か。

 彼女が選んだ先が何処までも続く暗い靄であったとしても。自らの手で選ぶことが大事なのだ。


 それだけが唯一、美しい光に繋がると信じて止まず――。


拙著を最後までお読みくださり、大変ありがとうございます。

お手隙がございましたら、いずれかの評価をしてくださると次回作のモチベーションに繋がります。

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