吾輩は狐に化かされる
ソファーの背もたれと座面の隙間に背中を添わせてひっくり返って伸びている黒猫。
こんなに長くても吾輩である
春がもうすぐ終わるらしい。
資料室でこの辺りの季節について調べたのだが、日本と違って季節は三つ。春、夏、冬だけらしい。
春で始まり、夏は短く、冬が長い、そして長い冬が明けたら春が始まる。春の終わりである今の時期、少しばかり暑くなってきた。
今いるのはギルドマスターの部屋である。
外でゴロゴロするには少々暑い。そのため、冷房の効いているギルドマスターの部屋に来ているのだ。一応一階の受付と酒場にも冷房設備は完備されているのだがまだ点けていない。
そんな中、ギルドマスターの部屋は冷房が点いているのでこうして吾輩はソファーで寛いでいるわけだ。
ゴロゴロする吾輩の横にはミリエールが座っており、吾輩のお腹を撫でながら紅茶を楽しんでいた。
「はぁ……。二匹揃って涼みに来るとはな」
執務机で書類の処理を行っているギルドマスターことスキンヘッドが似合うグラソン。
今まで名前を知らなかったが、たまに酒場に飲みに来るグラソン。そんな彼に絡む冒険者達が彼の名前を言っていたのを飯を貰いながら聞いていた。
このグラソン、こんなに怖い顔をしているのに吾輩やミリエールにはとても甘々なのである。
今みたいに額に手をやって呆れたりするのだが、執務室の扉にはいつの間にか猫用のドアが設置されており、吾輩の出入りが自由になっている。それにミリエール休憩がてらここに来ると必ず紅茶を出しているのだ。
身体の熱も冷め始めた頃。ミリエールは休憩が終わるため執務室を後にした。
出ていく彼女の気配を感じつつ、吾輩はうにょーんと全身を伸ばしたあと身体を起こしてソファーにお座りする。
今気づいたが、ミリエールが使っていたティーカップの横には器が置いてあり、その中にはミルクが注がれていた。
吾輩はソファーからテーブルの上に飛び移る。ちらりとグラソンの方を見ると書類に目を向けていたグラソンが吾輩の方に一瞬を目を向けて、また書類に戻した。
このミルクもまたグラソンが用意した物か。
ツンデレか? このおっさん。
おっさんのツンデレに需要はないぞ。
入っていたミルクを飲み切ったあと、顔を洗ってテーブルから降りて扉の方に向かう。
「行くのか」
そんな吾輩にグラソンが声をかけてくる。
「にゃ」
「そうか」
グラソンの返事を聞いた後、吾輩は扉から出ていく。
別に一日あそこでゴロゴロしていてもよかったのだが、街に妙な気配が入って来たのを感じたので気になったのだ。
ギルドを後にした吾輩は奇妙な気配の方へと歩いていく。
やはり外は少々暑い。
日陰は涼しいが、直射日光を浴びるには厳しく鳴って来たなぁ。
そんなことを思いながら、吾輩は歩みを進める。
そして、たどり着いたのは商店街。
様々な店が並んでいて、この迷宮都市の中でもダンジョン周り以外で一番賑わっている所だ。
人々が行きかい、都市民はもちろん冒険者や休暇中の衛兵たちが買い物に来ていたりする。行商人もこの商店街に荷下ろしや、広場の方で露店を開いている。
吾輩は商店街を抜けて行商人たちが露店を開いている広場の方に向かった。
広場では各地を移動して品を揃えてきた行商人たちが露店を開き、商店街なんかよりもこちらの方が賑わっているように見える。
見る感じ多いのは冒険者や各職人が多いようだ。
まあ、この街に居ても手に入るのは周辺の素材位だものな。
ダンジョンからはあの魔力のこもった石や宝箱から出るものくらいだし。
各地の珍しい品々に彼らも楽しいそうだ。
そんな楽しそうな彼らを横目に吾輩は一つの露店の前で止まる。その露店は魔道具を売っている店のようで、結構な人だかりが出来ていた。
吾輩は人の足の間をするすると抜けて露店の前へと出た。
店番をしていたのは金色に輝く長い髪に前世の吾輩には馴染み深い和装。美しい白い肌に微笑みを浮かべる唇。釣り目がちな目の色は翡翠のように美しい色だった。
彼女は吾輩に気が付くと微笑みを浮かべたまま小さく手を振ってきた。
そして、もう一人の売り子に声をかけて露店の後ろにある建物の陰へと入って行く。吾輩はその女性の後を追って建物の陰に入った。
広場の賑わいが遠く感じ始めたあたりで馬車が停まっている一本の道に出た。
女性は馬車の荷台にもたれ掛かるように立っていた。
「にゃ」
「来てくれたのですね。九尾の猫ちゃん」
うむ、やはり吾輩の正体に気が付いていたようだ。
ギルドで感じた妙な気配は彼女から出ていて、その気配は吾輩やクルムさんに似たもの。
「前の九尾の猫ちゃんには挨拶したことありましたけど、貴方は初めましてですね」
シュトルムにも会ってるのか。
「まずは自己紹介と行きましょう。私はフラムと申します。今は人に化けておりますが、貴方と同じ九尾の類でございます」
そう言って彼女はポンっと煙を出す。
煙により姿が見えなくなったが、すぐに煙は晴れてそこにいたのは美しい金色の毛色をした大きな狐。その尻尾は本人が言っていた通りの九尾。
『吾輩はクロである。九尾の狐殿に会えて光栄だ』
吾輩がそう返すと、彼女は再び人の姿となった。
「こちらこそ、新たな九尾の猫ちゃんに会えて光栄です」
『ところで、フラムさんが使ってるその人になる方法教えてもらえないか?』
人になれるのであれば人を助けるときに吾輩だとバレにくくなる。
それにせっかくこんな世界なのだから冒険者となって小金稼ぎもしてみたいしな。
「変身魔法ですね。もちろん構いません。シュトルムちゃんとは違って暴れなさそうですしね」
他の九尾もシュトルムの件は目に余っていたらしい。
暴れすぎだろう。
「それで変身魔法ですが、とても簡単ですよ。なりたい物を思い浮かべて"変身"と唱えるだけです。慣れれば私のように唱えずとも変身することが出来ますよ」
『確かに簡単だ』
吾輩は人の姿をイメージする。
最初にイメージ出来たのは前世の吾輩であるが、正直顔に自身がないため全身鎧の姿を思い浮かべた。
「にゃ!」
変身!
練った魔力を解き放って魔法を行使する。
すると、吾輩の身体が光り出して視線が高くなっていく。
「ふむ」
「さすがですね。一回で成功してしまうとは」
微笑みながら彼女は吾輩を見上げる。
そう、吾輩の身長は彼女を越しているのである。
しっかりと二本足で地面を踏みしめ、視界に手を持っていきグーパーと開閉する。
その手はしっかりと黒い鎧で覆われており、身体中を見回してみるとイメージ通りの全身黒鎧となっている。顔に手をやると、顔もしっかりフルフェイスだ。
フルフェイスだと視界が狭まると思ったが、どういう原理かわからないが視界もしっかりと確保されていた。
「声は聞き取れるだろうか」
「ええ、しっかりと人の言葉になっていますよ」
「それはよかった。これで色々と動きやすい」
「暴れちゃダメですからね」
「吾輩はどこぞの馬鹿とは違う」
「ふふ。さて、私は店に戻りますね。今日のように行商人としてこの街に来ることがありますので、何かありましたら今日と同じ場所に店を構えてますので、いらしてくださいな」
「ああ。九尾の縁だしな。入り用があれば寄らせてもらう」
「はい。では」
「ああ」
フラムさんは吾輩に一礼して露店の方に歩いて行った。
さて、吾輩はどうしようか。
せっかく人の姿に化けることが出来るようになったのだから冒険者登録でもしようかな。
吾輩は変身したままギルドの方へと歩いていく。
ガシャガシャと鎧がうるさいな。あとで軽めの装備に変えよう。
狐