聖女の祈り─月の輝く夜の帳に─は乙女ゲーム。15
長いアプローチを歩いて邸に向かう。
かつては歩き慣れた、生家の敷地。
だが、今のディアーナにはそれを懐かしむ事も無い。
「どうだい、懐かしいだろう?久しぶりの実家は!」
ディアーナの隣を歩いていたリジィンが明るい顔をして言うので、ディアーナは返事をせずにニコリと微笑む。
口を開いたら『ぶぇええつにぃい?』と悪態をついてしまいそうな自分を抑える為に無口なまま微笑んだ。
『つか、テメェが偉そうに言うんじゃねぇ!』と、喉の奥まで出掛かるのを我慢した。
玄関の前に着くと、邸に勤める者達が並んでリジィンとディアーナを迎える。
「「お帰りなさいませ。お嬢様。」」
見知った顔が多いが、見知らぬ顔もチラホラ。
見るからに、胡散臭い顔もチラホラ。
どう見ても、あんた、なんでここに居るの?な顔も…。
師匠…どうしたんです?執事のコスプレですか?
師匠にお帰りなさいませ、お嬢様とか言われた私は、今朝の事を思い出しても文句のひとつも言わずに、他人のふりをして全てスルーしろと。
そう言いやがるんですね!ムカつく!
クソかっこいいな!
執事の衣装を着た師匠、超萌える!!!
ディアーナの膝から、カクンと力が抜ける。
「どうしたんだい!ディアーナ!大丈夫か!?」
慌てて隣のリジィンがディアーナの身体を支え、自分の身体にディアーナの身体を寄せる。
「お兄様…何でもございませんわ…少し、疲れただけですの…だから、お離しになって…。」
師匠の執事スタイルが素敵過ぎてよろけただけだから、私に触るんじゃないわよオーラをリジィンに向け飛ばしまくる。
だがリジィンは尚もディアーナの身体を抱き寄せ、そのまま邸の中に入った。
「俺が支えていてやるよ。兄に任せておけ!」
任せておけ?何を?お前香水つけ過ぎて臭いわ。
「……うふふ…頼もしい、お兄様ですこと。」
ディアーナは貯金をする事にした。
苛立ちは、全て貯める。ムカつくのも、全て貯める。
後からパァッと使う為にね!後から覚えてろよ…。
応接間に通されたディアーナは、ソファーに座らされた。
なぜか隣にベッタリくっついてリジィンが座っている。
抱き寄せるように肩に乗ったリジィンの手付きが何だかやらしくて気持ち悪い。
「俺に、こんなキレイな妹がいたなんて知らなかったよ。父さんと母さんも、もっとディアーナの事をちゃんと教えてくれていれば、国外追放になっていても俺が帰れるようにしてやれたのに。」
「うふふ…頼もしいお兄様ですこと。でも、わたくしに国外退去を告げたのは王太子殿下ですのよ?いくら、お兄様でもそんな権限など…」
「スティーヴン王子を憎らしく思わないか?あの男が居なくなれば、ディアーナの国外追放も無かった事になる…」
ディアーナは肩に置かれたリジィンの手の甲に自分の手をそっと重ねる。
リジィンを熱のこもった眼差しで見つめてから、さりげなく親指で弾くようにリジィンの小指を持ち上げた。
「いっ!いてっいてて!ディアーナ、小指が折れる!」
「まぁお兄様、そんな大きな声をお出しになって…小指の一本や二本、折れた所で死にゃしませんわよ、うふふ…痛いだけですわ。」
本気で痛がるリジィンに思わず笑いが込み上げて来てしまうディアーナは、リジィンの指を解放し、慌てて淑女の顔を取り繕った。
「ごめんなさい、お兄様…わたくしの国外退去が無くなるかもなんて、夢の様な事をおっしゃるものですから…つい…。」
伏し目がちに潤んだ目を見せて、消え入りそうな声を出す。
「そうだわ、お兄様わたくし、お父様とお母様のお顔を見に参りましたのよ?また、旅に出てしまえば次はいつ、お会い出来るか分かりませんもの!」
痛む指を握って、痛みを堪えるリジィンは「うぅ…」と小さく呻いた後、ディアーナの身体を強引に引き寄せた。
「逢わせる事は出来ないな!もう、ディアーナは旅に出る必要も無い!ずっと俺とここで暮らすんだよ!…ぐふっ!!」
「ウフフ…なぁんでですの?お兄様。急に抱き寄せたりなんかするから、みぞおちにグーパン叩き込んでしまったじゃありませんか。」
腹部を庇うように前屈みになって、ソファーからずり落ちたリジィンが、ディアーナを睨みながら無理矢理口元に笑みを浮かべる。
「気の強い女は好きだぜ?屈服しがいがあるからな!」
『気が合うわね!私もお前みたいな奴を屈服させるのが好きよ!』
と、言いたいのを我慢して、ディアーナはソファーの前で前屈みになっているリジィンの隣に行き、リジィンの腕にそっと触れる。
「気が強いだなんて…わたくし、普通の女ですわよ?それよりお兄様、お父様達に逢わせて下さいな…。」
「そんなに会いたけりゃ会わせてやるさ!ジャンセン来い!」
みぞおちを押さえたリジィンがジャンセンを呼び、執事姿のジャンセンが部屋に現れるとディアーナはヘナヘナと力が抜け、ジャンセンに身を預けるように倒れた。
「くっ!力が抜ける…!おのれ、どんな魔法を…!」
ジャンセンに寄りかかると、そのまましがみつき、ディアーナは悔しげに言ってみたりする。
「……おい、部屋に来た早々、何か魔法使ったのか?」
リジィンが不思議そうに尋ねれば、ジャンセンはため息をついて呟く。
「萌え魔法…?そういう事にしときましょうか。」
リジィンにディアーナを閉じ込めておくよう命令された執事のジャンセンは、ディアーナを片腕で抱いた状態で邸の中を歩いて行く。
「……自分で歩いてくれませんかね、お嬢様…。」
「無理だわ、こんな怪しい魔法を使われて監禁されるなんて…令嬢のわたくしには、恐ろしくて足がすくみ立ってられませんの!」
「魔法なんて使ってないでしょ…なら小さい声で師匠、執事、師匠、執事を繰り返し呟きながらスーハースーハーするの、やめてくんない?…レオンが知ったら俺が恨まれるんだから…。あ、そうだ…サイモンの事、助かったよ。」
「…サイモン?私、何かした?思い切りフッてやっただけだけど?」
「うん、それ。彼がこの先、一人の人間として彼の人生を生きて行くのに必要だったんだよ。」
意味が分からないディアーナは、首を傾げてとりあえず笑う。
やがて、邸の中の一画に、見慣れない扉が現れた。
ディアーナが生まれ育った邸には無かった扉。
その扉の向こう側には部屋があるとは思えない。
ただ、壁に飾りのように付けられた扉は、おそらくジャンセンが造ったのであろう。
扉の向こう側に空間も用意して。
「……ここ、入ればいいの?」
「そ、入って。……レオンハルトがサイモンに嫉妬したように、俺も嫉妬しているのかも知れない。」
「師匠が嫉妬?誰に?」
ジャンセンは答えないまま、ディアーナの背を押して部屋に入れた。
「久しぶりのご両親との対面、楽しんでおいで。」
別に楽しむような事じゃあ…と思いながらディアーナは部屋に入る。
豪華で広い部屋。そんな中でくつろぐ見慣れた中年の男女が居た。
「ディアーナ!!」
先に気付いて声を上げたのは女の方で、その声に男の方もディアーナに気付いてこちらを向く。
「お父様、お母様、お久しぶりですわ……どうして、こんな場所に監禁されてますの…? 」
ディアーナは自分でも驚く程、久しぶりに会う両親に感情が動かなかった。
懐かしむ事すら無かった。
改めて、自分はこの二人の娘だったディアーナとは別人なんだなと思った。
「ディアーナ!どうやって入って来た!?出る方法を知らんのか!」
食い気味に尋ねる父親に、ディアーナは何となく納得した。
「元々、家族って言える程の関係じゃなかったわね…」




