聖女の祈り─月の輝く夜の帳に─は乙女ゲーム。13
「ねぇ…レオン…サイモンの事は、もういいの…?…私、貴方にあんな態度を…」
ベッドの上、目を伏せたディアーナが、か細く消え入りそうな声でレオンハルトに尋ねる。
「もう…忘れるから大丈夫だ…。親父の言った通り、サイモンの中に居る、俺を想ってくれたのだと思えば…。」
「…だと思えば……そうなのね…。」
背後から優しく包み込む様に抱き締めるレオンハルトに頭を預ける。
「わたくしの、思い込みなのね…そう…それでレオンも、そう思う事にしたと………そう……って、納得いくかぁあ!!」
振り向きざまにレオンハルトを突き飛ばす。
驚いた顔をしているレオンハルトの前に立つディアーナは拳を握りしめている。
まさか俺を殴る気じゃないだろうな?レオンハルトが、そんな不安げな顔をする。
「レオンが、無理矢理なぁんか飲み込んだ顔をしているし、気持ち悪いのよね!師匠、私に何かしたでしょ!レオンもそれで無理矢理納得した気にさせられてるわよね!スッキリしてないよね!」
「お、親父が何かしたと言うよりは…むしろ、何かしてしまったのを取り消したとゆーか…」
「勝手に私の記憶を付けたり消したりするんじゃないわよ!」
「記憶と言うよりは、思い込みだから!無かった過去を、あったと思い込んでいただけで!」
は?実際に経験したか、してないかの差って事?
どちらにしろ記憶を改竄されとるやないか!
知らんがな!めんどくせぇ!
ディアーナは考えるのを放棄した。
「黙ってろ!うぜぇ!師匠もな!例え神でも私を好き勝手するのは許さんわ!」
ディアーナはベッドから下りると着替えを始める。
「サイモンとこ行く!サイモンの中に居る私に蹴りを入れたい!」
「自分の方から、あいつに会いに行くってのか!?ディアーナがあいつに何も感じてなくても、あいつにとってディアーナは…!」
着替えを済ませたディアーナは笑って言う。
「昔、片想いをしていた従姉妹よ。そして実らなかった恋の相手で、今はもう人妻だわ。人妻ですって。あらやだ、何かやらしい響きね!ウフフ…」
ディアーナは部屋を出ると、宿の階下に続く手摺りに横向きに座り、そのまま滑るように下へと降りて行く。
遊びを始めてしまったテンションの高い妻の姿にレオンハルトは額に手を当て空を仰ぐ。
「あー……親父、せっかく来てくれたのにな、うやむやにして誤魔化せなかったみたいな…」
レオンハルトも着替えを始め、ディアーナの後を追う事にした。
一時間後、ディアーナはヒールナー伯爵邸前に仁王立ちで立っていた。
「サイモンお兄様!あっそびーましょー!!」
前世、香月の記憶から、遊びに来た時はこう言う!的な言い方をしてみたディアーナだったが、少し考える。
「……いや、ある意味ケリをつけに来たワケで…それは戦いを挑みに来たと言っても過言ではない…そうか、ならばこうね!?サイモンお兄様!!たのもー!!!むぐ…」
「やめときなさい、ディア…道場破りじゃないんだから。」
ディアーナに追い付いたレオンハルトが後ろから左手で腰を抱き、右手でディアーナの口を塞ぐ。
「ディア!!」
邸の前が騒がしいと、駆け付けたサイモンがディアーナと、ディアーナを背後から抱き締めるように口を塞ぐレオンハルトの姿を目にした。
「…ディアを離せ…!お前は、何者なんだ!なぜ…なぜ俺のディアーナを……!」
ディアーナはレオンハルトと顔を見合わせた。
サイモンはレオンハルトの姿を見ても、自身の中のレオンハルトと同じとは認識していない。
サイモンの中のレオンハルト像は、どのような人物なのだろう?まさか、神の御子ではあるまい。
「…えーと、サイモンお兄様…申し上げますが、わたくし、お兄様のモノになった事、一度もありません。俺の、は訂正して戴きたい。」
ディアーナは挙手し、サイモンに意見する。
「ディアは…覚えてないかも知れないが…俺達は前世で結ばれる約束をした…今、再び巡り合い、俺達は回りの目から隠れながら二人の時間を紡いでいった……ディアーナとレオンハルトとして…」
ディアーナが少し考える素振りを見せる。
首を傾げたり、空を仰いだり、眉間にシワを寄せこみかみを指先で叩き。
「………あ、マジで?……でも、すんません!私、お兄様を一人の男性として見た事、一度もない!お兄様の思い出の中の私は、お兄様を想うステキな女性かも知れないけど、それ私じゃないから!お兄様の中のレオンハルトも私の知らない人です。」
「ディア…?」
「うん、お兄様の言うディアーナは、ディングレイ侯爵令嬢のディアーナよね?お兄様を慕いながら、スティーヴン王子の婚約者やっていた。………って、ひでー女だな!ディアーナ!なんで、惚れたかな!そんなのに!」
自身をけなすディアーナに、サイモンは理解が及ばないのか、立ち尽くしたまま言葉を発せずにいる。
「私は、ここに居るレオンハルトの妻で、もうディングレイの名は無いの。そして私の前世の名は香月。その前も、もっと前でも、サイモンお兄様の言うレオンハルトさんと愛を誓った前世は無いの!」
深く傷付け、心を抉る。
レオンハルトはジャンセンの言った、サイモンを恨まないでやって…の言葉を正しく理解した。
サイモンは、創造主に間違えて造られたのではなく…。
「あんたは…本当に…頑張りすぎて空振りとか…。残酷だろ。」
レオンハルトが父に対して呟く。
レオンハルトは、サイモンがもう一人のレオンハルトとして造られたのだと理解した。
もし、この世界にディアーナとレオンハルトが来ても
また二人が結ばれる道を違えば、もう限界まで劣化の進んだレオンハルトの身体は完全に砕け散っていただろう。
完全に砕け散って霧散してしまえば、もうレオンハルトの身体を戻す事は出来ない。
肉体の無い魂だけが残る。
せめて、人てして短い間だけでもディアーナの側に居させてあげれないかと造られた器。
だが、二人が結ばれた為に用無しとなった器。
「だから、ごめんなさいお兄様。わたくし、お兄様のディアーナではありません。…それでもお兄様が、わたくしを諦められないと…そうおっしゃるのであれば……わたくし、お兄様を叩き潰しますわよ。物理的に。」
「…ディア……」
膝から崩れ落ちたサイモンに背を向け、ディアーナは歩き出す。
黙って事の成り行きを見ていたレオンハルトには、ディアーナのその姿が何だか男前過ぎて、地面に膝をついて項垂れたサイモンが、さめざめと泣き崩れる女性に見えてしまう。
気の毒には思うが、失恋なんてそんなもんだろう。
愛しい人の死を何度も見て来た自分と比べたら、どれだけ救いのある事か。
今のレオンハルトには、サイモンに対する憎しみも怒りも同情も無い。
「お取り込み中、すまんが…ディアーナ、兄夫婦はどうしている?」
颯爽と門から出ようとしたディアーナとレオンハルトの前に、ヒールナー伯爵が立っていた。
「は?チチハハ?そんなもん知らんがな!!」
勢い余って、叔父の前で素が出てしまった。




