悲劇の舞台が始まりつつある。
王族の為に用意された席にて、国王と王妃、王子であるランドルが立ち、ホールに集まる全ての者が頭を下げる。
「今年の建国記念祭も、この舞踏会をもって終幕となる。皆も、思う存分楽しんで行ってくれ。」
王の言葉に、きらびやかな衣装に身を包んだ者達で埋め尽くされた会場がワッとわく。
王族の席に国王が腰を下ろすと、楽団が、ダンスの為の音楽を奏でようと楽器を構える。
指揮者が指揮棒をスッと上げると、それを待つかの様に会場がシン…と静かになった。
「お待ち下さい!」
静寂に包まれた広いホールの高い天井に声が反響し、若い男の声が響く。
皆が一斉に声のした、ホールの大扉の方を振り向く。
ランドルもロザリンドも声の方を向き、声の主の姿を目にする。
二人は最期の舞台が整い幕が上がったと知り、これから起こる事を受け止める覚悟をした。
そこには、白地に金の刺繍の施された王太子の衣装に身を包んだハワードが立っていた。
「ハワード、なぜ城に出向かなかった。建国記念日最終日の舞踏会には、王族は城より王家の馬車に乗って学園に来るのが旧くからのしきたりだろう。」
国王が王族の席から、王族の席に向かって歩いて来るハワードに声を掛ける。
広いホールではあるが国王の声は反響して良く通り、遠く離れたハワードにも、会場の隅に居る者にもハッキリと聞こえた。
「申し訳ありません、陛下…ですが、私の話を聞いて下さい!私の憂いが無くならなければ、私は今日、この日を楽しむ事は出来ません!!」
ホールの中央に来たハワードを中心にスポットライトが当てられた様に、ハワードから距離を取って人集りが出来る。
壁際にいたジージョが、ハラハラとした表情でロザリンドとランドルの様子を確認する。
ロザリンドはハワードの方を見詰めながら、緊張しているのか手にした扇を強く握り締めている。
一方ランドルはハワードには一切目もくれず、その背後に居る白いヴェールで顔を隠したパートナーに目が釘付けになっていた。
ジージョの立つ壁際、遠目にでも分かる。
白いヴェールに淡いピンク色のドレスの女性は間違い無くフローラだと。
「……ロザリンド様、ランドル様……。」
二人の心配をするジージョだが、もう何も出来ない。
事が全て終わるまで、声を掛ける事も出来ない。
見守るしか出来ない。
「ハワード、お前はなぜ婚約者であるテイラー公爵家令嬢をエスコートもせず、見知らぬ女性を連れて現れた。これは、どういう事だ。」
国王が高い位置からハワードに声を掛ける。
これは、国王の口から素で出た問い掛けなのか…
ジージョには、誰かに用意された台詞の様にも聞こえた。
それに応える様に、ハワードも胸に右手を当て左手は下方に開き、そこが舞台の上であるかの様に国王に
いや、国王だけではなく、その場に大勢いるエキストラにも向け訴える。
「父上、私はそのテイラー公爵家令嬢ロザリンド嬢との婚約を解消したいのです!!彼女は、王族の者となるに相応しくない!」
この国の民であれば誰もが、王族に嫁ぐ者が必ずテイラー公爵家の所縁の者でないとならないと知っている。
そのテイラー公爵家令嬢と婚約を破棄したいと訴える王太子に、ホールに集まる貴族達からザワザワと声が上がる。
「ロザリンド嬢は、自身が公爵家の令嬢である事に驕り高ぶり、自身より身分の低い者を罵った上、侮辱し、あろう事か暴力まで振るい、何の罪も無い一人の少女を深く傷付けました!」
ホールに居た者達の視線がロザリンドに集中する。
「まさか公爵令嬢が」「王太子殿下が嘘をつく筈がない」「そう言えば目にした事がある」
舞踏会に参加した貴族、学園の在校生、その在校生の家族、あらゆる者の視線がロザリンドに突き刺さる。
誰一人、味方になる者の居ない中でロザリンドは渇を入れる様に一度強く唇を噛み、ゆっくりと口角を上げて微笑んだ。
「ほほほほ!!嫌ですわ殿下!
この、わたくしがその様な愚かな事をする筈が御座いませんでしょう?殿下は騙されているのですわ、その女に!!」
ロザリンドは声高らかに笑い、震える口元を扇で隠しながら顎を上げ、上から見下す様な視線をヴェールを被ったフローラに向けて、あからさまに高慢な態度を見せた。
ロザリンドに指をさされたヴェールのフローラは、何も反応を見せない。
ロザリンドとランドルの表情が曇った。
三人はこの茶番劇のシナリオを作った時に、ロザリンドをより悪役と印象付けるべく、今まで静かに耐えていたフローラが、初めてここ最終舞台で
「これは真実です!私はロザリンド様に酷い嫌がらせを受けてました!」
と、告白をする台詞を考えていた。
それを口にしないフローラは、最早自分たちの知るフローラでは無いのかも知れない…。
「証拠もあるし、証人もたくさん居る!言い逃れは出来ない!
私は君の様な心の狭い女性を妻にする気は無い!!
いや君は最早、民の模範となるべき公爵令嬢としても相応しくない!!婚約は破棄する!そして君から貴族籍を剥奪、王族の私をも謀り、侮辱した不敬罪により、国外追放とする!!」
ハワードのロザリンドを断罪する声に、ホール内が大きくどよめく。
ロザリンドに集まる視線は刺すように鋭く冷たくなった。
「ハワード!お前は、何を勝手に言い出し……!!」
一瞬、カッとなった様に声を荒げそうになった国王の袖を王妃が制止するように引いた。そして小声で国王に囁く。
静観する事を約束したのでしょうと。
でないと何だかよく知らないけれど、チョークスリーパーをお見舞いすると言われましたでしょう?と。
「……王太子である貴方が決めた事、決して軽い気持ちではないのでしょう?認めましょう。
……テイラー公爵令嬢……いえ、ロザリンド嬢。
貴女は本日24時をもって、平民となります。舞踏会が終わるまでは此処に居なさい。
明日1日猶予を与えます。明日の24時までには国を出なさい。」
国王に代わり王妃が椅子から立ち上がり、ハワードとロザリンドに声を掛けた。
ロザリンドは扇で口元を隠し、睨む様にハワードを見詰めている。
回りの者達は、それがロザリンドの高慢さゆえに、侮辱された悔しさからワナワナと震えてハワードを睨んでいるのだと、自業自得だと嘲笑した。
ロザリンドの本心は、フローラと二人で始めた芝居が成功を納め、やりきった安堵感と、だがそれをフローラと分かち合えない悔しさとで、フローラを奪ったハワードを憎々しく睨むしか出来なかった。
「……分かった、私も認めよう。だがハワード、ロザリンド嬢が居なくなれば、お前の婚約者はどうする?しきたりにより、王室に嫁ぐ者はテイラー公爵家、所縁の者でなければならないのだぞ?」
「ええ、父上。私はフローラを…ロザリンド嬢に虐げられていた彼女を、妻に迎えたいのです。」
テオドール国王が王妃の隣に立ち、ハワードに尋ねた。
ハワードは、聞かれるのを待っていたとばかりに、フローラのヴェールを捲り、下に落とした。
金色の美しい髪を結い上げた翡翠色の瞳の美少女は、ハワードの隣に立つと国王に向けカーテシーをした。
「ロジャー男爵家令嬢フローラ。彼女は、テイラー公爵家の縁者です。彼女を私の婚約者に…未来の妻としたいのです。」
ランドルが無言のまま、ハワードの隣から国王の前に進み出たフローラを見詰める。
目元に涙が浮かぶのが自分でも分かる。
こんなにも見詰めているのに、愛しているのに、とランドルがフローラに対して身体を掻きむしる程の激しい想いを募らせても、それを伝える術も無く。
フローラはランドルの方を一切見ようとはしなかった。
「……フローラと申します。ふつつか者では御座いますが、王太子妃殿下となれますよう、努力致しますので…何卒よろしくお願い致します。」
ハワードの隣で、王太子の妻になると言ってカーテシーをするフローラを見詰めて、ランドルが涙を溢した。
泣いている事に自身も気付いていない。
愛しい女を奪われる辛さを知り、ランドルの中で初めて長兄のデュランの感じた悲しみや絶望を理解した気がした。
「……フローラ………」
ランドルが届かない声で名前を呟く。
「ふむ……そうか……では、ロジャー男爵家令嬢フローラを、王太子妃とするべく、婚約者として認め……」
「お待ちになって!!」
ホールの大扉が開き、一人の少女が手を上げている。
皆の視線を一気に集めた少女は、淡いピンク色のドレスを身に着け、フローラと全く同じ姿をした美しい少女だった。
「フローラはわたくしです!!なぜ、貴女はわたくしの名を語り、殿下の隣に立っているのです!!貴女は誰なの!?」
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国王、王妃、ランドル、ハワードも含め、ホールに居た全ての人が、目の前の状況が理解出来ない。
声も出せず、完全に石化状態になっていた。
ロザリンドとジージョも、同じく固まってしまっていた。
「……え?……フローラ?ど、どちらが?」
ロザリンドがボソッと呟く。
恐らく片方はオフィーリアで間違いないのだが、それがどちらか分からない。
最初からハワードの隣に立っていた方がオフィーリアならば、先ほどロザリンドが断罪された時に台詞を言わなかったのも納得出来るのだが……。
ロザリンドはランドルの方を見た。
ランドルにも分かって無いらしい。
愛する女なら、本物が分かる筈でしょうと言いたい所ではあるが、ハワードの魅了にかかってしまっていれば、それはもう本来のフローラではないし、離れた場所に居る状態では分かりはしないだろう。
それに……
真横にフローラが居るハワードでさえ、混乱している。
「……どうしましょう……お嬢様……私……
楽しくなってまいりました。」
壁際に立つジージョが目を輝かせて呟いた。
━━━━この悲劇の舞台をぶっ壊せ!!!!━━━━




