キャメルクラッチ、それはラクダの背に跨がる砂漠の民になる。ディアーナが。
衣装合わせも終わり、建国記念日祭の最終日である舞踏会に向け、ハワードは国の中央から離れた別荘地にてフローラに最後の確認をしていた。
「フローラ、僕は君を花嫁として…次期国王である僕の王妃として迎えたいと思っている。いいかな。」
椅子に腰掛けたままのフローラは首を傾けて微笑み、目の前に立つハワードの手を両手で握る。
「はい、次期国王陛下の妻として迎えられる事、嬉しく存じます。」
微睡んだ様な瞳は潤み、どこか扇情的で艶っぽく見えてハワードは堪らずにフローラに口付けようとする。
「殿下…それは駄目です…私が我慢出来なくなりますから…。」
ハワードの唇に指先を当て口付けを制止したフローラは、椅子から立ち上がり湖側にせり出したバルコニーに出た。
「フローラ、我慢出来なくなるって…。」
「今、口付けなんてなさったら、わたくし…もっと殿下を求めてしまいそう。純潔を失う結果になってでも……そうとなれば、私は殿下の婚約者とはなれません。そんな辛い思いはしたくありませんわ。」
フローラはチラリとバルコニーの下、湖に目を向ける。
その行動がハワードには、辛い思いをする位ならば身を投げますと言っている様に見え、ハワードが少しばかり焦った。
「すまない、フローラ…僕も我慢するよ…。君を妻に迎える日まで…。明日は馬車を用意して朝から学園に向けて出発するから、今日は1日ゆっくり休んでいて?」
「学園……わたくし、ロザリンド様にお会いするの……少し怖い気がしますわ。」
「怖い?僕を欺く為に他人の芝居をしていた、はとこに会うのが?」
ニィと笑って尋ねるハワードに、フローラがクスリと笑う。
「まぁ、気付いておりましたの。」
「気付いていたよ。でも、僕にとってロザリンドはもう必要無かったし、だったらそのまま君たちのお芝居に乗ってしまおうと思って。」
「うふふ…嫌なお方…。」
バルコニーの手すりに手を掛けたフローラは時折カクンと膝が折れ、意識が途切れそうになる。
部屋に焚かれた香の効力も手伝い、数日間ハワードの側に居続けたフローラはもう完全に魅了状態に陥っている。
そこまでになれば、本人はしっかり自我を持っているつもりで、本人も自覚無いままに意思の奥底をハワードに縛り付けられてしまっている。
「嫌だわ…時々こうやって眩暈を起こしますの…お見苦しい所をお見せして、申し訳ございません…。」
「いいんだよ…大事なはとこから貴族籍を剥奪するんだ…気が重くて心労が絶えないんだろう。でも、それが彼女の望みだから…ね?それより危ないよ、もう部屋に入ろう?」
フローラの手を取りバルコニーから部屋に移動する。
足元がふらつくフローラの身体を支える様に抱き締めながら、ハワードの口角が上がった。
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「捕らえて来ましたわ。」
テオドール王国の沖合いに停泊中の船の中。
テーブルを囲んで昼食を食べていたデュランと側近三人の前にいきなり現れた白いドレス姿のディアーナに、四人が口に物を含んだまま動きが止まる。
四人はその美しい少女が誰だか一瞬分からなかった。
ディアーナは肩に担いだ大きな荷物をゴロリと床に寝かせた。
「リッちんちんです。」
四人が一斉に口にした物を噴き出す。
「リッチンチン……!いや、リッチンソンだと!?」
側近のツーが汚れた口元を拭いながらガタッと椅子から立ち上がる。
ワンも椅子から立ち上がり、白目を向いて倒れている男の顔を確認した。
「確かにリッチンソンです。……部下が我々に捕らえられてから行方をくらませておりましたが、よく見付け出せましたね。」
「意外と簡単だったわよ?
私がリッちんちんの事を探してると、まず下っぱが「何を探ってんだ?お嬢ちゃんよぉ」って絡んで来るでしょ?
そうしたらキャメルクラッチするでしょ?
解放されたかったらテメェのボスの居場所を言えって言えば次の小さいボスの所の居場所を言うから小さいボスにキャメルクラッチかけるでしょ?
次の中ボスにキャメルクラッチかけるでしょ?
大ボスの居場所を聞いてキャメルクラッチかけるでしょ?
次は本ボスでしょ?
わらわら現れる手下をぶっ倒したら、ついでにキャメルクラッチ……」
「待ってくれ、ディアル……何度も口にしていたが、そのキャメルクラッチってのは何だ?」
皆が心に思いつつも、あえて聞かなかった疑問をデュランが口にしてしまった。
当然の様に、デュランが椅子から立ち上がらせられ床にうつ伏せに倒され、デュランの背中に跨がったディアーナがデュランの顎を両手で持ち、仰け反らせる勢いで顎を上に思い切り引き上げる。
「ギャアア!!顎イテェ!背骨っ!背骨が折れる!」
「説明が足りなくてごめんなさいね、これがキャメルクラッチよ。」
デュランを見詰める側近の三人が、こうなると分かっていて何で聞いちゃったのかな、この人はと言う顔をした。
ディアーナによって身柄を拘束されたリッチンソンは、そのままデュラン達に引き渡された。
よほど怖い思いをしたのか、厳しい尋問をするまでもなくリッチンソンはベラベラと全て吐き出した。
陸路を使い輸入した商品を高額販売していたリッチンソンにとって、港を拡張して海からの貿易が増える事は避けたかった。
そこで国王陛下の命により港の管理を任されていたシール侯爵を、部下に命じて殺して海に投げ捨てた。
シール侯爵は、デュランの意見に対立する見返りに、リッチンソンから金を強請り受け取っていた。
リッチンソンからすれば、シール侯爵が消える事は都合が良かった。
この日、ハワードの側近をしていた騎士がハワードの言い付けによりシール侯爵の護衛をしていた。
「何があっても、見なかった事にして?手を出すのも駄目だよ?」
騎士はハワードの言い付け通り、シール侯爵が殺されて海に投げ捨てられるのを黙って見ていた。
そして玉座の前にてハワードの芝居が始まった時、言葉を交わさずともハワードの望みを悟った彼は、ハワードの望み通りに証言をした。
王太子となったハワードの側近から外された彼は、時間を掛け少しずつ魅了から解き放たれて行く。
彼はデュラン王太子を陥れる事に加担してしまった自身の罪の重さと、いまだ完全に解放されないハワードに対する恋慕の情にも似た忠誠心との狭間で苦しみ、人の見ている前で自刃した。
「殿下に命じられてシール侯爵を殺した海賊など、最初から居なかったのだな……だから、あの騎士の青年は早々に処刑した事にしたのか。」
ツーが重く溜息をつきながら言った。
「シール侯爵って俺、大キライでしたよ?臣下のクセにデュラン殿下に対して態度悪いのに、ハワード殿下にはペコペコして。ハワード殿下がデュラン殿下を陥れて王太子になる事、知ってたんじゃないですかぁ?」
「そうかも知れんが、まさかその罠の発端になるのが自分の死だとは思いもよらずだろうな。」
スリーとワンの会話を聞きながらデュランが首を振る。
「……もういい……真相が分かっただけでも。何だか疲れたな…島に戻って休みたい…。島に帰ろう。」
「ナニ寝惚けた事を言ってるんです?今からテオドール王国に向かいますよ。」
ツーが呆れた顔をしてデュランに言った。
ワンとスリーも頷いており、船の乗組員によって船の進路は既にテオドール王国方面に向いている。
「何だって!?今、テオドール王国に戻ったら俺は犯罪者として捕まってしまう!真犯人を知っているのはまだ、俺達だけなんだぞ!!」
「えー?殿下を捕らえようと掛かってくる兵士なんてザコです、俺達の敵になりませんよ?」
「そうですな、そんな輩にはキャメルクラッチをお見舞いすればよろしいのです。」
頭の後ろに手を組んで、あっけらかんと言ったスリーと、真面目で冗談など余り口にしないワンのキャメルクラッチ発言に、デュランが「おいおい」と疲れた顔をする。
ツーがハラリと手紙を開き、デュランに言った。
「えーと……舞台監督からデュラン殿下に出演依頼が来てまして……役柄が、陰謀を企てられ陥れられた、悲劇のチャラ男王子。」
チャラ男!?意味が分からないけど、悲劇とは目茶苦茶相反してる気がするんだけど!!
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二日目の深夜。
その日は大きな月が煌々と美しく輝いていた。
その月を背にして寮の屋根に立つディアーナとオフィーリアは天使と女神のようだ。
その美少女二人により、その日の寮は悲鳴が絶えなかった。
数人、窓から吊るされて落とされかけ、お漏らし状態で回収。
「わはははは!楽しませて貰ったぜ!!」
ゴロツキのような捨て台詞を吐き去って行く。
その後二人は王城に向かい、同じ事をしでかした。
建国記念日の前夜に王城にて悲鳴があがる。
なんと不吉な!!と騒ぐ城の者達を宥める国王。
「騒ぎ立てるでない!あれは、我が国に神が与えた試練!騒いではならぬ!!」
「しかし陛下!あの悲鳴は…あまりにも!」
「死ぬ、殺される、漏れる!とか言っておりますが!何が漏れるのでしょう!」
「あれは、我々も与えられる試練なのですか!」
実際に何が行われているかは国王も知らない。
その行為を受けている者が誰かも。
ただ、漏れるが何かは何となく分かる気がした国王が言った。
「皆のもの!替えの下履きを用意しておくのだ!!」
「ディアーナ、学園の寮と城の中のお花畑は全て摘み取った。どす黒いのは、まぁ……ディアーナが楽しそうにキャメルクラッチ掛けたから良いとして…。」
「明日の朝にはスティーヴン殿下とウィリアが来るんでしょ?殿下も勘がいいから、何か悪どい事を考えそうな輩が居たら何とかしてくれるでしょ。」
そうは言ってみたものの、オフィーリアとディアーナから見れば、この国の悪党なんてたかが知れた程度で、国全体を脅かす様なレオンハルトの討伐対象になる程の瘴気や魔に関わる者は居なかった。
「親父が、別にほっといても良かったって言うの、何か分かるよな…神が関わる様なレベルじゃない。」
「親父?おとん?ナニよ、師匠に会ったの?どこで?」
オフィーリアは自身の口を慌てて押さえた。
いらん事を言ってしまったと。
ガン見して来るディアーナに隠し事は出来ない。
「が、学園の医務室に居た……白衣着て。」
「白衣!?あの師匠が!おとんが!白衣を!!ちょっと!今すぐ見に行くわよ!!」
興奮気味のディアーナが城の窓枠に足を掛け、今にも飛び出しそうだ。
「学園に行くなら転移するから早まるな!つか、今、夜中だからな!?親父が居るか分からんだろ!!」
「駄目、もう見たい!鮮度が落ちる前に!!」
「鮮魚じゃねーから!!」
ディアーナにせがまれて深夜の医務室に転移した二人だったが、そこにはジャンセンの姿は無かった。
デスクの上にピースしながら写る自身のブロマイドとメモを残して姿を消していた。
『あの、毒使いねーちゃんのアフターケアに行く。』
「しーしょおぉぉ!!は、白衣に眼鏡!!生!生見たかった!舐めたかった!!」
ジャンセンのブロマイドを持って興奮するディアーナを見て拗ねるオフィーリアは、それでも本人が居なかった事にホッとする。
「ディアーナの萌えポイントを知ってんのが、スゲーむかつくわ、親父。」




