月の無い暗い夜に。
ロザリンドの私室に、約束も無く突然の夜間の来訪者。
侍女のジージョは警戒心を露にして、ドアを開けずにドアの向こう側に立つ人物に声を掛ける。
「どなたか存じませんが、こんな夜分にどの様なご用でしょうか?お嬢様はお休みになられました。」
ジージョがドアの向こう側の気配を窺う。
ロザリンドはドアから離れた場所で身体を強張らせ、ジージョの様子を心配そうに見守っていた。
「寮母のエティロールです。行方不明になった生徒について、伝えたい事がございます。」
「!!フローラの!?」
寮母の出した大きめの声が耳に入ったロザリンドが、ガウンを羽織りドアの前に立ち、ジージョを押し退ける様にしてドアを開ける。
ドアの前に立っていたのは確かに、この学園の女子寮を管理する寮母のエティロールで、見知った顔だ。
「行方不明の生徒について、これは貴女にも伝えるべきだと思いましたので。」
寮母のエティロールは50歳程の、寮の規則等には厳しい女性である。
とても真面目で、悪く言えば融通が利かない。
そんな女性が、こんな時間に人目を忍んで来るなんて……余程大事な話があるのか……それとも……
ジージョはその不自然さから警戒心を解かなかった。
ジージョの表情を見たロザリンドもまた、咄嗟にドアを開けた自身の軽率な行動を後悔した。
「行方不明の生徒…」
ジージョが呟いてロザリンドの顔を見る。
そしてジージョは思考を巡らせる。
━━━ロザリンド様は先程、エティロールの言った行方不明の生徒をフローラ様の事だと思い、ドアを開けた。
だが、この学園にはもう一人行方不明の生徒が居る。
ど変態のディアル様。
しかし表向きは只のクラスメートであるディアル様の事を、わざわざロザリンド様に話しに来る理由が無い。
だとしたら、やはりフローラ様の事を言っている…?━━━
「その生徒の部屋に、貴女に対して書かれたと思えるメッセージがあったのです。……案内するので、共に来て確認して下さい。」
暗い廊下を、灯したランタンを下げて先導するようにエティロールが歩き出す。
ジージョはロザリンドを自室から出すのを躊躇ったが、フローラの身を案ずるロザリンドはフローラが自分に対して何らかのメッセージを残したのだとしたら、それを見たいとエティロールの後を追う様に部屋を出た。
「お嬢様!いけません!」
ジージョはロザリンドを一人にはさせられないと後を追う。
何かが胸の奥につかえた様な嫌な感じがする。
気持ちが悪くなりジージョは胸の辺りを押さえた。
エティロールは速足で寮の中を歩いて行く。
公爵令嬢であり現在王太子妃殿下候補であるロザリンドの部屋は、一般の生徒とは違う棟にある。
エティロールはロザリンドの私室がある建物から出て、別棟の女子寮へと続く暗い中庭を歩いて行く。
女子寮の敷地を出る様子は無い。
━━━それはそうか、寮母が女子生徒を男子寮の敷地に案内するなんて有り得ない話だ……だったら、寮母の言う行方不明の生徒とはフローラ様の事………━━━━
「お嬢様!お部屋に戻りましょう!!」
ジージョがロザリンドの腕を強く掴んで歩くのを制止させる。
「ど、どうしたのよ、ジージョ!早く行かないと、フローラの情報が……」
急に腕を掴まれてバランスを崩してよろけたロザリンドがジージョにしがみつく様な態勢になる。
行方不明のフローラの情報を手に入れたいロザリンドはジージョの顔を見上げながら、焦る様に言った。
エティロールの手にしたランタンの灯りが遠ざかり見えなくなると、中庭の暗がりで二人は身動きが取れなくなった。
「お嬢様…フローラ様は行方不明にはなっておりません。偽フローラ様がおりますから。……この学園で、今のフローラ様が偽者で、本物のフローラ様が行方不明になっていると知っている人物は、我々とランドル殿下、偽フローラさんと変態ディアル様、そして…ハワード殿下の関係者だけです。」
月が陰り、互いの顔も見えにくい暗がりの中でジージョはロザリンドを庇う様に抱き締める。
戻る事も、進む事も出来なくなった二人は息を殺して辺りを窺う。
やがて暗闇で何かが動く気配を感じたが、抵抗する間も無くジージョは両腕を掴まれた。
「!!!やっ…!!離して!」「お嬢様!!なっ…!離せ!!」
ジージョと同じ様に、ロザリンドも何者かに身体を拘束されつつあるようだ。
抱き締め合う二人を引き剥がす様に、二人の身体がそれぞれ別の何者かに後方に引っ張られる。
見えないが二人か三人の男が居る様子で、羽交い締めされたジージョから引き離されたロザリンドの声だけが聞こえる。
「やめて!イヤ…!やめて!イヤぁ!」
「お嬢様!!お嬢様!!この痴れ者が!!お嬢様を離せ!!だ、誰か!お嬢様を…!」
ジージョは、ロザリンドが命を失う以外での最悪の結果を想像してしまった。
ロザリンドを王太子妃殿下候補から除外させる為に、男に襲わせてロザリンドの純血を奪うつもりなのだと。
それが、ハワードの望みなのだと。
「イヤァあぁぁ!!」「お嬢様ぁぁぁぁ!!」
ロザリンドの悲鳴が聞こえた瞬間、男に羽交い締めされたジージョも大きな声で泣き叫んだ。
━━━誰か!誰かお嬢様を助けて!!━━━
「もう、大丈夫っすよ。ロザリンド様の侍女さん。」
真っ暗な闇に急に明るい光が射し込んで、ジージョは涙に濡れた瞳を眩しそうに細める。
不意に現れた強い光と、見知らぬ男の声。
目が光に慣れて来て、ようやく状況が飲み込めた。
魔法の一つなのか光球が宙に2つ程浮いており、これがランプより明るい光を放っている。
そして明るくなった中庭に学園の制服を着た男子学生が五人程おり、およそ学生とは思えないチンピラのような男を三人、地面に押さえ付けていた。
「お、お嬢様!お嬢様!ご無事ですか!」
ハッと気付いたようにジージョがロザリンドに駆け寄る。
ロザリンドはガウンを脱がされ掛けている所を救われた様で放心状態になっていたが、ジージョの顔を見て安堵したのかジージョに抱きついた。
「ジージョ!!ジージョ!!怖かった…!怖かったわ!!ワルト達が来てくれなかったら…わたくし…」
ジージョは、ロザリンドが嫌な令嬢を演じる中で何人かの男子学生に「わたくしに逆らうと後が怖いわよ!」と、言う事を聞かせる様になったとの話を聞かされていた。
その中で、ワルトという名も聞いた記憶があった。
だが、何というタイミングの良さで現れたのだろうか…しかも、女子寮の敷地内に。
それはそれで……この学生達もとても怪しいのではないだろうか。
そんな考えが顔に出てしまい、ジージョは訝しげな態度を見せてしまう。
「……それはどうも、ありがとうございました……。」
「あー…俺達、姉御に頼まれて交代でロザリンド様の周辺を見張ってたんで。まぁ、見張るって言っても、ロザリンド様のお部屋に近付くとかまではしてないんで…気にしないでください。」
姉御?姉御って…偽フローラさんの事?かしら……。
男子学生達は捕らえたチンピラのような男達を後ろ手に縛り、学園内の警備室の方に引っ張って行った。
部外者が学園の、しかも女子寮に入り込むだけでも充分に罪となる。
「寮母のエティロール……彼女が寮の中にあいつらを手引きして招き入れたのですよね?……彼女は何処へ……?」
ワルトに付き添われるようにしてロザリンドの私室のある寮に案内されながら、ジージョがワルトに訊ねた。
「さぁ…ですが、親分が黙ってないでしょうし…どちらにしろ、寮母に戻る事は出来ないでしょうね。」
「親分……ディアルの事ね?彼はまだ学園に居るの?」
ロザリンドがワルトに訊ねると、ワルトは苦笑して首を傾げる。
「海賊騒ぎがあってから姿は見えませんが、居ると思いますよ?あの人、好きでしょ?こういうゴタゴタ。解決してない内は居なくならないんじゃないですか?」
確かに……
それに偽フローラがまだ学園に居るのだから、変態コンビのディアルだけが居なくなる訳が無い。
ロザリンドとジージョはそう、納得した。
「姉御にキツく言われてますんで、俺達でロザリンド様の警護はしているつもりですが…ロザリンド様自身にも気を付けていて貰わないと。」
ロザリンドとジージョが、気恥ずかしそうに頬を染めて頷く。
「そ、そうね…警戒心が足りなかったわ。気を付けますわ。」
ロザリンドの言葉に頷いたワルトは、寮に到着した後に光球を消して頭を下げてその場を去って行った。
ワルトが去った後にジージョがロザリンドに向け小声で呟く。
「ロザリンド様…ハワード殿下がロザリンド様との婚約破棄を大々的に公言するとしたら、近日行われる建国記念日の学祭での舞踏会だと思われます。それには国王陛下も招かれますし……。」
「そうね……あと少しの辛抱だわ……。わたくしが、ハワードから解放されるのも。……でも……フローラはどうなるの……。ハワードはフローラが妃殿下候補になり得る事を知っているわ。」
二人は答えを出せぬまま、無言になり寮に入る。
ロザリンドが婚約破棄をされる為の舞台を設定したのはフローラだ。
フローラが、王太子妃殿下になりたいからハワードを受け入れると言うのであれば良いが、フローラにはランドルという恋人が居る。
「フローラ様は…どうなさりたいのでしょう…。」
月の見えない暗い空を見上げ、ジージョが独り言の様に呟いた。
▼
▼
▼
▼
▼
ロザリンドとジージョが寮に戻った頃、ランタンを手にしたエティロールが学園を囲う壁にある使用人用の小さな扉の前に着いた。
走って来た為に息が上がる。
「はぁはぁ…くそぉ…!失敗したわ!上手くロザリンドを傷ものにしたら、学園の重役の地位を与えてくれると殿下が約束してくれたのに…!捕まる前に一旦学園から出ないと…!」
暗がりの中で頼りないランタンの灯りの下で、焦る様に勝手口の鍵を取り出し鍵穴に挿そうとする。
「あら、寮母のエティロールさん。こんな夜中にお出かけですの?」
不意に声を掛けられたエティロールが大袈裟な位にビクッと身体を強張らせて声の方を向く。
そこには暗がりの中にランタンのおぼろげな灯りさえ反射させて金髪を輝かせる、偽フローラであるオフィーリアが微笑んで立っていた。
「こんばんは、エティロールさん。」




