美しい第二妃の残したもの
海に面した国土が拡がるテオドール国の陸続きになった部分には深い森があり、その森の奥は切り立った崖が連なり国境となっている。
国境の手前に拡がる深い森の中の一部は王族の私有地であり、その中の一角に外界から隔離されたように人の目に付きにくい広大な土地がある。
そこは霧が深く霞がかった様な場所で、人が本能的に立ち入る事を拒む様な森。
そこはテオドール国の国王が病に臥して身体を弱らせた第二妃の為に、静かに療養出来る場所を探し求めた末に人が来にくい静かなこの土地を見つけて邸を建て、愛妃であるハワードの母親に与えた恩賜の土地である。
鬱蒼とした木々と霧が立ち込める森を抜ければ美しい湖があり、その畔に邸があるのだが、その存在は国王と、既に他界した第二妃、そして二人の息子のハワードと、彼らに仕えていた少数の者しか知らない。
「フローラ、いきなりこんな所に連れて来てごめんね…?どうしても君と二人で過ごしたかったんだ…。」
ハワードは湖に面したバルコニーで、椅子に深く腰掛けたフローラの肩に手を置きながらフローラの耳元に唇を寄せ、甘い声音で囁いた。
「謝らないで下さい…ハワード殿下……このお屋敷にわたくしを連れて来て下さったという事は…わたくしを特別に思って下さっているという事でしょう?光栄ですわ…。」
「特別だよ……君は僕の妻になるのだから……。」
ハワードの指先がフローラの髪に触れ、金色の髪を指に絡ませる。
「まぁ…わたくしが殿下の奥方に…?…王太子妃殿下に…?…夢のようですわ…」
ハワードに寄り掛かるフローラの身体は、時折意識を失ったかのようにカクンと力が抜ける。
「フローラ…どうしたの?大丈夫?ふふふ…眠いのかな?……ああ、いっそ今、この場で君を奪ってしまいたいよ……王太子妃殿下が純血の乙女でなくてはならないなんて面倒な決まりさえなかったら良かったのにね…。」
「……眠…くはない…のですけれど……でも…ああ…申し訳ございません…少しぼんやりしますの………何だか甘い………………」
ハワードは言葉を発しながら、眠りについたように意識を失ったフローラの頭を撫でるとベルを鳴らし、部屋の外に控えていた二人の侍女を呼ぶ。
「ベッドに運んで寝かせておいて。香は絶やさないでね?意識がぼんやりと微睡んでいる方が、僕の言葉を受け入れてくれるから。」
頷く侍女にフローラを任せ、ハワードはバルコニーのある部屋を出た。
自室に向かい邸の廊下を歩きながら、廊下に飾られた母の肖像画を眺める。
美しく、優しく、そして儚く微笑む母の肖像画は、ハワード自身にとても良く似ている。
テオドール現国王の三人の妃の中で、国王に一番愛されていた彼女だが、欲の無い彼女は王城に居て多くの人にかしずかれるより、人里離れたこの邸で亡くなるその日まで穏やかに、静かに過ごす事を望んだ。
「母上…僕は嫌だよ…我慢なんてしない。欲しい物は絶対に手に入れる。気に入った人も、この国も、僕の物にする。僕にはそんな力があるもの。」
ハワードは、自身が魔力を使っている事や、それが魅了魔法に近い物である事をハッキリとは分かっていない。
ただ、自身に備わった何らかの不思議な力により、人の心を操るに近い事が出来る事を分かっている。
昔から人に甘えるのが得意だった彼は「こうだったらいいな」「ああだったらいいな」と、独り言の様にして自身の欲求を回りに聞かせる癖があった。
いつ頃からか、ハワードの回りに居た者たちで、ハワードの欲求に応える者が現れるようになっていた。
最初の頃は子供がねだるような悪意の無い小さな欲求だった。
ハワードが10歳の頃に
「欲しいなぁ…あの人の持つあれが、僕の物だったら良かったのに」と呟いた。
家宝であるという美しい短剣を所有していた貴族邸に、短剣を奪おうとした男が押し入った事件が起こった時、捕らわれたのはハワードの家庭教師をしていた貴族の青年だった。
「ハワード様に、盗って来いとは言われてません。自分が勝手にした事です。……ただ、そうした方が…良い気がして……。褒めて貰いたくて……。」
ハワードはこの時に自身が、何らかの不思議な力を持つ事を把握した。
それが魔力をも使う魔法に近い物であるのかもと思いはしたが、彼はその能力を持つ事を隠した。
魔法を学べば、もっと強い力を使える様になるかも知れないが、学ぶ為には師が必要で、そうなればこの能力の事も話さなければならない。
ハワードと共に過ごす時間を長くすれば、布に水が染み込む様にジワジワとハワードに好意を抱く様になる。
ひどい時には隷属化させてしまう。
彼は、自身がこの力を持つ事を誰にも知られたく無かった。
「ロザリンドを僕の傍に居させ続けたら、僕の物になっていたかも知れないのに……近寄って来ないんだもんな……どうせ僕の妃にならないんだったら、純血の乙女である必要もないし、彼女の純血を奪ってしまえば良かった。」
ポツリと呟いた自身の言葉に首を傾げる。
今まで、そこに考えが及ばなかったワケではない。
だが、避けていた。
それだけの良心があったハズだった。
「王族に相応しくない、王太子妃として非ずと言うならば、性格の良し悪しよりも手っ取り早いよね。その女はキズ物だから王太子との婚約等あり得ないって方が。」
障害になりそうな物は早々に取り除くに限る。
ハワードにとってロザリンドはもはやただの邪魔者でしかなく、公の場で王太子の妻として相応しくないと婚約破棄を言い渡すつもりではいるが、急く気持ちからか、手っ取り早い方法を手段のひとつとして考え始めてしまった。
壁に掛かる母親の肖像画が嘆く様に見えた気がした。
ハワードは母親の肖像画から目を逸らし、その場を去った。
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ディアルが海賊を名乗って客船ではしゃいでから3日。
学園から行方知れずとなったディアルは、本人不在のまま強制的に退学処分となった。
フローラの従兄弟と名乗ってはいたが、フローラ(オフィーリア)は操られていたかの様にディアルに関する記憶が抜け落ちており、謎の美少年ディアルは皆の胸に美しくミステリアスな存在だったとの記憶だけを残して、泡沫の夢のごとく学園から姿を消した。
「……いや、何なんだよ。泡沫の夢だとか………で、その、学園から姿を消したミステリアスな美少年が、俺の部屋で干し肉をギィギィ噛んでいるのは何なんだ。」
ランドルは、ベッドの上に座ってジャーキーらしき物を必死で噛みちぎろうとしているディアルの姿を見て冷めた声で訊ねた。
学園から姿を消したディアルは今、ランドルの部屋にオフィーリアと共に入り浸っている。
王族であるランドルの部屋には誰も簡単に入っては来れないので、潜伏するにはうってつけだったのだ。
「行く所が無くて。」
「……ディアルは……女性なんだろ?ロザリンドの部屋に行けばいいじゃないか。仲がいいんだろう?」
干し肉をギィギィ噛みながら、ディアルは首を傾げる。
「つまんなくなったの。私を見るとデュランの話を聞きたがって熱い眼差し向けて来んの。これじゃあ、卍固めがやりにくい。」
ランドルは意味が分からず「はぁ?」と訊ね返すが、ディアルは噛みちぎった干し肉をモッチャモッチャと噛みまくっていて返事が出来ない。
そんな干し肉を頬張るハムスターの様なディアルを、うっとりと眺めるオフィーリアに、ランドルがため息をこぼす。
「オフィーリアとディアルは、フローラを今すぐ救い出す必要は無いと感じているんだな?で、その根拠が…親父とやらで…その人物が出て来ないのだから多分、大丈夫だと。……何がどう大丈夫なんだ。意味が分からん。」
ベッドの上であぐらをかくオフィーリアはパンっと自身の膝を叩き、オッサンが自慢話を始める様なティストでランドルに説明を始める。
「ハワードがフローラを拐ったんなら、まず命が危うい事は無いだろ?で、貞操の危機ってのか?それもハワードが拐ったんなら、まず無いだろ?王太子の嫁さんは処女じゃなきゃならないっつーならな。暴力をふるわれる事も無いだろうし、まぁ無事っちゃぁ無事だな。」
ランドルはフローラの身の安全を聞いた所で、安心する事が出来ない。
身は安全かも知れない。だが心は?
先日、この部屋の様子を見に来ていたハワードの従者の様に、あるいはハワードにかしずき最期は自害した若い騎士の様に、オフィーリアの言う『魅了』とかいう不思議な力で、フローラがハワードに傾倒してしまったら?
俺の恋人の心が…俺から離れていくかも知れない…
ランドルは、そんな不安を拭えない。
「……戦いにおいて敵を撹乱するのに使える、魅了の魔法が存在するのは聞いた事がある。だがハワード兄上の魅了は魔法の様に呪文を唱えて短い時間にだけ効果のあるようなモノじゃ無いのだろう?しかも掛かったら長い……そんなもの、本当にあるのか?」
「まぁ魔法じゃねーからな。ある意味体質?自覚ねーけど、ディアルもそれに近い力を持っているぞ?」
オフィーリアの言葉に、ランドルが驚いた様にディアルを見る。
ランドルが見たディアルは
美しくミステリアスな眼差しで、何処か遠くを見つめながら
第一陣の干し肉を飲み込めてないのに、第二陣干し肉を口に含め過ぎて両頬を膨らませたまま、無言で干し肉を噛み続けていた。
もう、どうしたら良いか分からないが、飲み込めない干し肉を口から出したら敗けだと思っている様だ。
「………魅了…?これが……?」
確かに美しい少年……いや、少女ではあるが……これが?この変なヒトが使えちゃうの?
魅了を?
「すぐ解けるんだがな。つか、すぐ解いてしまうつか……こないだのハワードの手下のアンちゃん、窓から落としたら正気に戻ったろ?魅了ってな、夢か幻か夢うつつってか…頭がお花畑みてーになってんのな。目を覚ますには、そのお花畑から崖の下に突き落とすようなモンかな。」
「……ディアルが……それをしていると……?」
「綺麗な花にはトゲがあるって言うが、ディアルの場合はトゲで済まないからな。彼女の魅力に惹かれたら最後、楽しく怖い遊びに無理矢理付き合わされて、現実に引き戻される。だが、その現実にハマる奴もいる。夢の中の美しい花より、ぶっ飛んだ非日常な現実に。」
話を聞きつつも、ランドルは理解しがたいと感じた。
そして、どこからこんな話をしたんだっけ?とふと思う。
そして、なにげなくディアルの方に目を向けた。
「ディア………」
オフィーリアが切ない声で呟く。
ディアルは、金色の瞳に涙を溜めて小さく震えていた。
「………オフィーリア………私……私……敗けたくない……敗けたくないの…!でも!私…!」
「うん、よく頑張った……仕方ないわ……自ら敵を迎え入れ過ぎたんだもの……はい、ゴミ箱。そのガムみたいになったジャーキーを口から出しなさい。」
ゴミ箱を抱き締めながら敗けた悔しさに嗚咽を漏らすディアルと、そんなディアルの肩を優しく撫でさすり慰めるオフィーリアの姿を
ランドルは汚物を見るような目で見ていた。
「アホくさっ!!!!」




