悪役令嬢に海の風が吹く。
港に戻ったディアルはボタンが飛んでパックリと胸元が開いたシャツの前を、何かそこいらの紐を使って適当に閉じる。
「坊っちゃん…いや、本当は嬢ちゃんなんでしょうけど…坊っちゃんのがしっくり来ますわ。いやぁ、美人なんすけどねぇ、坊っちゃん…清々しい程ガサツっすわ。」
けなしていると言うよりは感心しているようなニュアンスの言い方をするゴローにディアルが頷く。
「うん!そうだろうそうだろう!俺は超絶美少女であり、超絶美少年!そして最強だと思う!!……とりあえず、俺が女だって事もだけど、今日、ドラゴンと会話した内容も全て内緒な?」
「分かっておりやす。…にしても、まさかドラゴンが王子だったとは……驚きやしたよ。第一王子は海賊とつるんで王様殺して国を乗っ取るつもりだったって、ヒデェ噂が流れてやしたからね。その後、行方不明になっちまって…。まさか海賊になっちまってるとは…。」
わざわざそんな事をしなくとも次期国王になれる王太子が、国王を殺して国を取るなんて。
馬鹿馬鹿しい話しだが。
誰がそんな噂を流したのか、聞くまでもないとディアルは嗤う。
「俺は一旦、学園に帰る!じゃーな、ゴロー!」
「また、いつでも来てくだせぇよ!」
ディアルは港町の裏通りで積まれた木箱の上に飛び乗り、そのまま建物の屋根に飛ぶ。
猫のように屋根の上を走り、そのまま学園の敷地へと向かった。
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「ねぇ…ジージョ…どうしてディアルは、海賊の真似事なんかしたのかしらね…」
ロザリンドは寮の自室で遠い目をし、窓の外を悲しげに眺めていた。
「さぁ?分かりませんね。ですが、私も疑問に思う事があるんです。どうしてお嬢様は私をジージョと呼ぶのが定着してるんですか?」
「……………あら…そう言えば…呼びやすくて、つい。」
「ディアル様のアホが伝染したんですよね。」
ロザリンドと侍女が顔を見合わせて笑う。
「ロザリンド様、ディアル様達はアホですがお嬢様の事を考えてくれていると思います。……この先何かが……変わりそうな気がするのです。」
「私は…多くを望まないわ…今はもう、フローラさえ無事に帰って来てくれたら…。デュラン様の事は諦めても…いいの…。」
悲しげな瞳で、ロザリンドは無理に笑顔を作る。
少しきつい顔つきをしているが、ロザリンドは美しい少女である。
今のロザリンドは、憂いを帯び儚さも感じさせるような守ってあげたくなるような美少女だ。
だが、お前は悪役令嬢だろうが。
悲しげなツラとか、好きな男を諦めるとか、そんなタマじゃやってらんねーんだよ!!悪役令嬢!!!
「ヒィィィ!!痛い!!痛い!!いきなり何ですのぉ!!」
「『諦めても…いいの…』だぁ!?マンジ!!お前、悪役令嬢を舐めてんのか!?その縱ロールに詫びろ!!マンジ!」
いきなり窓からロザリンドの部屋に現れたディアルは、いきなりロザリンドに卍固めをキめる。
「お嬢様!!ギブ?ギブですか!?」
すかさずジージョが床に伏せ、首が低い位置に押さえつけられたロザリンドを見上げるように、床を叩きながらロザリンドに尋ねる。
「ヒィィィ!!ギブ!ギブ!助けてぇ!!」
ディアルに解放され、グッタリ床に這いつくばるロザリンドと、勝者としてジージョに片腕を持って上げられるディアル。
「……な……何なのよ!!部屋に現れるなり!!何で、わたくしの部屋に来たのよ!!」
這いつくばっていたロザリンドが立ち上がり、痛む首を撫でながらも、涙目でディアルに食って掛かる姿に侍女は苦笑する。
ディアルが関わると、ロザリンドが悲しむ暇も無くなる事を知った侍女は、もうディアルを警戒しない。
「いや俺の部屋さぁ、何でか知らないけど封鎖されちまってて…ワルトも別の部屋に移動になったみたいだし。どこ行こ?って時に思い付いたのがマンジだった。」
「マンジマンジうるさいわね!!あんたねぇ!素性も隠さずに船を襲って海賊の真似事をしたんでしょ!?あんただってバレてるわよ!!バッカじゃないの!?」
「お陰で、美味しい外国の菓子を流通させたいって商人と話し盛り上がってさ!販売ルートの確保とかについて来月辺りに話をしようって事になったよ!マンジ!」
「はぁ!?海賊が外国の商人と商談を進めるとか、バッカじゃないの!!?マンジマンジうるさい!!」
ロザリンドはキィィという表現が似合いそうな程、ディアルに対して苛立ちを隠さない。
「そういう海賊が俺以外にも、この国には居るだろう?海からの国交を増やして豊かな国にしたいって言う変な海賊が。なぁ、ロザリー。」
ディアルから発された言葉を聞いた瞬間、激しく━━
それでいて優しい風が、ブワッとロザリンドの身体を撫でて抱き締めた━━かの様な衝撃が走る。
俯いた顔が上がる様に、下から上に向けて吹く風に
濃いピンクのバラ色の巻き髪がフワリと浮かんで風に遊ぶ
ロザリンドの中の澱みを洗い流すかの様に心の中に吹いた風
潮の香りがし、波の音を聞いたような気がするのは懐かしい記憶が呼び起こされたゆえか
「…ロザリーって………デュラン様の……?……見つかっ…」
ロザリンドの目からポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。
ディアルは、指を一本立てて唇の前に出す。
まだ、シーっと。
「マンジはまだ悪役令嬢。惚れた男を諦めるなんて、役柄を放棄するのは元悪役令嬢の俺が許しません事よ!」
喜びに涙を流しているロザリンドには聞こえてなかった様だが侍女はディアルの言葉を聞いていた。
━━元悪役令嬢?
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学園の男子寮の一室。
ここは、この国の第三王子であるランドルの私室。
この学園の男子寮は二人部屋なのだが、王族である彼は個室を与えられている。
ゆえに、邪魔が入らないからと
「オフィーリア、お前なぁ…いい加減、俺の部屋に入り浸るのやめろよ。」
オフィーリアが入り浸るようになっていた。
「仕方ねーだろ?フローラちゃんの部屋、何だか落ち着かないんだからよ。ランドルの部屋が何かちょーどいいんだよ。」
ランドルは溜息しか出ない。
行方不明の恋人の事を心配し、目を閉じて無事を祈る様に愛しい人の姿を心に思い描いて……
で、目を開けたら恋人そっくりのオッサンみたいなのが大股開いて座っていたり、ベッドに寝転んで足を掻きながら酒の肴になりそうな甘みの無い菓子を食っていたりする。
何だこれは……
「オフィーリア!!部屋に居ないから探したわよ!」
ランドルの部屋の窓の外に、長い髪を括った見慣れない少年がぶら下がっているのに驚いたランドルがディアルを警戒する。
「だ、誰だ!君は!!」
「お!初めて見たわ!ランドセル!!俺はディアル!よろしくー!!」
ディアルは窓から部屋に入るなり、ランドルの両手を握りブンブン振って無理矢理握手する。
が、オフィーリアのチョップにより即握手終了となった。
「俺のディアルの手を気安く握んじゃねーよ!!」
「……は?握ったのは彼の方からだろうが……」
オフィーリアのチョップをマトモに受け、ジンジン痺れる手の痛みに釈然としないものを感じつつ、ランドルはディアルと呼ばれた美しい顔付きの少年に目を向ける。
「ランドセル…茶髪にアクアブルーの瞳と日に焼けた健康的な肌…好青年スポーツマンタイプだね!ハワードは銀髪にグリーンアイでなまっちょろい白い美人系だけど!……一番オッサンが金髪に浅黒い肌、赤い目のチャラサーファー…兄弟全員似てないんだな。」
ディアルが自分を見るランドルの視線に気付いて呟けば、ランドルが驚いた様にディアルの腕を掴む。
「兄上に!!デュラン兄上に会ったのかブォッ!!!」
ランドルは後頭部にチョップを受けた。
チョップの衝撃で舌を噛みかけた。
「俺のディアルに触んなって言ってんだろうが。お前、丸めるぞ?」
「ま、丸める?な、何を!?意味が分からん!怖いんだが!!………あ、頭!?コワッ!」
オフィーリアの目線が、自分の頭に向けられている事に気付いたランドルが思わず頭を両手で庇う様に覆う。
「オフィーリア落ち着いて。話しが進まん。俺がブチキレる前に話しを進めさせてくれ。」
ランドルは傍若無人の限りを尽くすオフィーリアが逆らえない人物を、初めて見た。
オフィーリアがすんげぇ落ち込んでやんの。
「ランドセル、兄弟三人えらく似てない気がするんだけど…」
「俺達は全員母親が違うからな……全員、一応はテイラー家に縁のある者ではあるが、それぞれは遠い親戚みたいなもんだ。……それより、兄上に会っ……むぐ!!?」
ランドルはいきなりディアルに頭を引き寄せられ、ディアルの胸に顔を押し付けさせられる。
ディアルの胸の膨らみがランドルの顔面を圧迫し、息も出来ないが声も出せない。
━━胸!?膨らみがある!?こいつ女!?女か!?
「チッ!クソガキ…!」ディアルの胸に顔をうずめて赤面するランドルに舌打ちしたオフィーリアが、ランドルの部屋からドアの外に出ると、やがて一人の青年の首根っこを掴んで引き摺る様に戻って来た。
「聞き耳立ててやがったぞ。コイツ。」
ランドルは、オフィーリアに引き摺られて来た男に見覚えがある。学園の制服を着た男を見下ろし、思い出す様に考え
「……ハワード兄上の…同級生……いや……王城でも見たな……兄上の従者か…?」
「難しく考えなくていいだろ?ハワードの手下って事でいいじゃねーか。こちらの動向が気になってスパイさせられてんだろ?」
首根っこを掴んだままオフィーリアが言えば、ランドルを胸から解放したディアルが男に目を向け、思い付いた様に呟く。
「……ロザリンドが、階段から突き飛ばされたって聞いたのだけれど……」
無言のまま微動だにしない男の眼球だけが僅かに動いたのを見逃さなかったディアルが、口角を上げほくそ笑む。
「てめえか。ロザリンドがフローラを階段から突き飛ばした様に見せかける為にロザリンドの背を押し、彼女をもっと酷い犯罪者まがいの令嬢に仕立て上げようとしたのは。」
無言でいた男が弁明するように自身の胸に手を当て、声を上げた。
「そ、そんな事をして何の意味がある!?俺がそんな無意味な事をするワケ無いだろう!!」
無意味…ハワードとしては、ロザリンドが婚約者の立ち位置から消えてしまえばいいワケで……
王妃はおろか、貴族令嬢としても相応しくない振る舞いを指摘して婚約を解消、国外追放。
よくあるパターン化した悪役令嬢の顛末。
「確かに無意味かも。悪役令嬢になって貰って国外追放なんて回りくどいやり方しなくても、ロザリンド自身が居なくなれば、次の候補者が婚約者になるわね。……結局、そこに考えが及んじゃったのかしら。…人として終わってんなぁハワード……ふふふ……」
ディアルが笑う。それはもう楽しげに。
「お前、ロザリンドを狙ったな?死んでもいい、死ななくても大きな傷が出来るとか、身体が不自由になるとか、そんな理由でも王太子の婚約者ではなくなるもの。ははは、ハワードったら!」
笑うディアルとは対照的に、顔を青くしたランドルが声を張った。
「笑い事じゃないだろう!?それではロザリンドが…危ないじゃないか!!」




