64 幸せを見つけた
「だってお前ドМじゃん」
身も蓋もない…しかし本質を理解した一言が卓也から放たれると、彼の背中に背負われていた廿六木の耳に入り、そのまま脳みそを直接揺さぶった。
まるで耳から手を入れられ、脳に直接デコピンをされたような、そんな衝撃を受けた。
その後も卓也は被虐趣味だと思った理由をつらつらと述べているが、彼女には届いていない。
脳が揺れて、まだ思考を巡らせる体勢が整っていないのだ。
少しの時間を置きようやく僅かに口が開いたのだが…
「……なんっ」
「―――だから…また悪癖が出そうになったら、他人に迷惑をかける前に俺に言え…。そしたら、また…やってやるからよ」
「………え?」
「………」
卓也は自分で言っていて信じられなかった。
あれだけの事をやってきた敵に、しかも今後も絡まれないよう関係を絶ちたかった相手に、"次"を約束するなんて…。ヤキが回ったと本気で思った。
彼が"廿六木は両親の愛を知らないのかも"と、軽くシンパシーを感じていたのは無関係ではないだろう。
いや、それよりももっと酷い状況だったかも知れないと推察するのも容易い。それくらい彼女の流した涙と呟きは、卓也の脳も揺さぶった。
そしてその言葉がさらに廿六木の心を刺激した。
「………なんで泣く?」
気付けば彼女の目からは涙が大量に流れ、卓也の肩を濡らした。
体温も上昇し、背負っている卓也はそれを体で感じる。
今のくだりに号泣するようなポイントがあっただろうかと思案していた卓也に、廿六木はなんとか言葉を振り絞り返答した。
「…………何故でしょう?」
「聞かれても…」
トラウマが出ないよう、廿六木から取り除かれたのは『両親から暴力を受けた時の記憶』だった。
そして痛みは既に快感として変換されるようになっている。
これにより彼女には『よく覚えていないけど両親からは良くしてもらってた気がする』というボンヤリとした感覚だけがあった。
だがそれは錯覚であり、心は空虚なまま今日まで生きてきた。
愛された記憶はないが、きっと愛されていたのだろう。この感覚だけが彼女の支えだった。
この心の虚に銃弾と想いをねじ込んできたのが卓也である、
痛みは彼女を喜ばせ、ベクトルは違うが卓也の思いやりが銃弾で空いた穴を通って心に染み込んだ。
事実上はじめての愛情に、心が震え涙腺が崩壊した。
と同時に彼女は心で理解する。
自分が決して愛されてなどいなかったことを。
それはこのような些細な事で心が動いたのが証拠である。
心の整理と同時に、そんな自分を気遣ってくれた相手にこれまでなんてことをしてしまったのだろうと、彼女は深く猛省した。
そして丁度第2層の特公本部が見えてきたところで、彼女はある事を決意し卓也に話しかけたのだった。
「塚田さん、降ろしてもらえますか?」
「なに…?」
「大丈夫…もう逃げたりしませんから」
驚くほど穏やかな声色に、自然と背中から廿六木を降ろした卓也。背負って歩いている時点で抵抗など恐れていないため、なんの問題もなかった。
見ると、もう涙は引っ込んでいた。
いつもの優雅な笑みを携え、堂々と卓也の前に立っている。
「ここまでで結構です。色々スミマセンでした」
両手を前に組み深くお辞儀をする廿六木。
一見するといつもの廿六木だと思ったが、何か憑き物が落ちたような、そんな様子だ。
「これから汐入部長のところへ自首? …をしに行きます」
「…どういう風の吹き回しだ?」
元から廿六木を連れて行く予定なのだが、素直な反応に少し戸惑う卓也。
何よりその表情…
尾張や、西田さくらを彷彿とさせる表情だ。
『そっちはまだまだこれから大変ですよ。ガンバって!』
命を諦めた者が、目の前の相手を励ますような、そんな表情をしていた。
「どういう風の吹き回しかと聞かれると…もう満足したから…ですかね? おかげさまで」
「死ぬかもしれないぞ」
「ふふっ…おかしな事を言いますね。それをさせるためにここまでおぶってきたのでしょう? なら良かったじゃないですか。それともこうやって油断させて逃走するとお思いです?」
そんなことをしないだろうということは、卓也も分かっていた。
ただ突然の素直さに確認をしているだけである。
満足…本当に、彼女たちのように?
「納得行かないのは分かります…。でも、私はこの為に色々やってきたのだと理解しました。出来ればもっと…愛されたかったですが、流石に虫が良すぎるというものですからね。塚田さんから貰ったこの気持ちを持って、あの世で償ってきます」
「…」
「私の話が終わったら迎えを出すように言いますから、入り口のところで待っていてください。では、さようなら」
廿六木がそう言うと、卓也は位相を元に戻し彼女を見送る。
そしてしばらくすると走入という職員が卓也のところまでやって来て、汐入の待つ部屋へと向かったのであった。
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「全力で従え…ですか?」
「そうだ」
誓いのアミュレットによりそんな指令を受けているらしい廿六木。
「彼女を生かすも殺すも君の自由だ。命令は特公存続よりも君を優先させるだろう」
「………貴女は何がしたいのですか?」
「……そうだな。変化を期待している、とだけ言っておこうか」
「意味が分かりません」
「だろうね。しかし今日のところは話は終わりだ。君への借りの返済は、時間をかけて行うとしよう」
まだ話は完全には終わっていなかったが、半ば強引に退室させられてしまう。
そして出たところには廿六木が待ち構えていたのだった。
「…廿六木」
「お話は終わりましたか? 塚田さん」
「ああ。お前を好きにしていいそうだ」
「そうです。怒りが収まらないようならこの場で自死を命じくれても構いませんし、骨の髄まで利用し尽くしてもらっても、拒否権はありません。なんなら―――」
「生きろ」
「―――――――――え?」
俺の一言にフリーズする廿六木。彼女の貴重な呆け顔だ。
言葉の意味が分からず何かを考えながら言葉を探している彼女に、俺は意味を伝える。
「満足して死ぬとか、あの世で償うとか、そんな楽が許されると思うなよ? お前はこれから死んでも、死んだ後も、お前が苦しめてきた相手に罪を償わなきゃいけない。だとしたら自殺してる暇はないだろう」
「私を…恨んではいないのですか?」
「ああムカつくよ。散々利用しやがって。だが俺は俺が望んでいないことは極力やらない。だからお前は殺さない。以上だ」
この世界の住人からすれば、きっと大甘だ。
けど、怒りに任せて手を血で汚そうとした時に止めてくれる仲間がいた。
楽な道を進んだ俺の話は聞きたくないと言ってくれたヤツがいた。
だからどんなにムカついたとしても、自分の為には殺さない。
それに、もっと他に使い道がありそうだしな。
「…その命令、確かに受け取りました」
目を瞑り大事そうに命令を噛み締める廿六木。
「おい…別にお前を想ってこんな命令にしたんじゃないぞ? 勘違いするなよ」
「ふふ…そうですね」
「いや、絶対分かってないよな…」
何か大きな誤解を生じているようなので、そこだけは解消せねばと思った矢先。
廊下の少し離れた所から見知らぬ声が聞こえた。
「だったら僕が代わりに殺してやろうか?」
声のする方に目をやると、シュッとした立ち姿と整った顔に、眼鏡と黒髪が特徴的な男が立っていた。
眼光鋭くこちらを見ている。それに先ほどの鋭い言葉も気になった。
「唐生さん…」
「カライケ…?」
同時に振り返った廿六木の緊張度が跳ね上がったのが分かる。
予期せぬ来訪…そして男が脅威であることを嫌でも分からせた。
「塚田に用事があったから来てみたが…先に特公の面汚しの掃除を済ませておくか…」
「どうして…」
「部長も分からんな…。今まで好きにさせてた事もそうだが、絶好の大義名分があるのに始末しないなんて…。悪いが、塚田が"命じたことにしてくれ"よな。結果は変わらないから」
勝手に段取りを進める男。
そして…
「さよならだ。お前は良いやつでも、惜しい人材でもなかったよ」
いつも見てくださりありがとうございます。
ブラックフライデー…何買おう。ボーナスもあるし、結構買いたいものある




