63 傷
初恋はピースの講師だった。私は当時8歳。
相手は40代半ばで中肉中背。顔はごく普通の既婚男性。
惹かれるような要素は…あまり無い。
若い女性は大人の男性に憧れるとか、そんな甘酸っぱい理由ではない。
私が惹かれたのは、彼が私を痛めつけてくれたから…言葉で、ムチで。
勿論これはピースのプログラムに沿った教育であり、彼の嗜好とは関係ない。
でも私にとってはどうでもよくて、自分を痛めつけてくれる存在に惹かれてしまった。
『上級カリキュラムってのがあって、もっと厳しいらしいよ』
『えー…最悪じゃん』
そんな恋心を自覚してからしばらく経ったある日、同期がそんな会話をしているのを聞いた。今よりももっと厳しい教育があるらしい、と。
だから私はもっと厳しい痛みを求めて、より一層訓練に励んだ。早く上級に上がれるように。
いつの間にか目の前の講師より、まだ見ぬ痛みに焦がれるようになった。
いつの日か、訓練が辛くなくなってしまった…。鍛えすぎてしまったのだ。
好きこそものの上手なれ…あるいは、才能があったのかもしれない。
もっと痛めつけてほしいのに、そうされない…不満な日々がしばらく続いた。
そして私は能力を買われ、かなり早い段階で特公にスカウトされた。
しかし、だからと言って状況が変わるわけではなかったのだが…
『てめェ…覚えておけよ小娘がッ…俺の仲間が絶対にお前と! お前の家族もろとも…! 死んだ方が楽だって思えるくらいの目に合わせてやるからな…!!』
『はて…家族? いませんよ、そんなもの』
ある仕事で、まさにこれから始末しようとした男がそんな捨て台詞を吐いた。
はじめに特公に矢を放ったのは男の方なので、逆ギレもいいとこだ。
しかしこの男の捨て台詞に、私は閃いたのだった。
恨みなら、作ればいい。
それがさらなる痛みを生むのだと…。
自らの加虐を乗り越える程の相手が現れれば、満たしてくれる可能性が高い。
むしろ私程度の痛みに屈するようでは、私を満足させることなど到底できない。
以降、私は私を満足させられる相手を探すため、加虐趣味の人物を演じ始めた…。
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「今回の任務、ご苦労だったね、塚田くん」
「…いえ」
「聞いていると思うが、今朝方、後鳥羽くんが私の所に来てね。これまでの不正を全て認め謝罪してきたよ」
「そうですか」
「改めて、私は君の働きを非常に高く評価しているよ」
デスクを挟んで反対側に座る汐入部長が、僅かに微笑みながら俺に労いの言葉をかけてくる。
相変わらずシンプルにまとまっている応接間兼用の部長室には、現在俺と部長しかいない。
先ほどは廿六木、そして今朝方には後鳥羽が訪問したここに、"この一件"で最後と思われるキーパーソンの俺が一人で訪問してきたというわけだ。
俺は労いの言葉に対し、少し離れたところに立ち何の感情も含めずに、ただ『ありがとうございます』と返したのだった。
「礼を言うのはこちらの方だ。君の働きのおかげで、我々特公は優秀な職員を"二人"失わずに済んだのだからね。君には感謝しかない」
「…廿六木のやってたことも分かっていたんですね」
ヤツはここに来る道すがら改心し、謝罪をすると先に汐入部長の元へと向かった。勿論俺への謝罪も十分した上で。
しかも、処分される覚悟で…だ。
だから汐入部長的には廿六木の告白と謝罪は突然のこと…と思われたがどうやらそうではなかったらしい。
失わずに済んだ職員に後鳥羽だけでなく廿六木が入っていたということは、廿六木の暗躍は最初から把握済みで、かつ何処かのタイミングで始末するつもりであったと取れる。
「当然把握している。そして再三の忠告もしたが、とうとう心変わりすることはなかった。後鳥羽くん討伐の依頼を彼女に持ちかけた当初の私のシナリオでは、彼らは"相打ち"となって終わる予定だったのだよ」
「…生き残った方を特公で始末しようと」
「そうだ。だが廿六木くんは突如君を推薦してきた…。特公とは無関係の君をね」
汐入部長のシナリオからすれば俺は異端もいいところだろう。
と同時に厄介な存在だったろうな。民間人が入り込んできて。
「また勝手なことを…と思ったが、下手に動いてこちらのシナリオに勘付かれても事なので、行く末を見守ることにした。結果はご覧の通りだ」
どちらも心変わりし、処分せずに済んだ。だから感謝しているってか。
そこまで細かに把握していたのなら、もう少し早く何とかならなかったんだろうか…俺とか他の人に被害が行く前に。
ていうかそもそも…
「俺がいなくても絶対なんとかなったでしょう。様子見なんてしていないでさっさと助けてほしかったんですケド」
思わずそうボヤかずにはいられなかった。
しかし汐入部長はそれを否定した。
「そんなことはない。言っただろう、君のおかげで『失わずに済んだ』と。君がやらなかったら、これを使うしかなかった」
そう言うと、汐入部長は机の引き出しから何かを2つ取り出し、俺に見えるように置いた。
「瓶…ですか?」
それはファンタジーゲームに出てくる回復薬が入っているような、お洒落な小瓶。
ギザギザとしたフラスコのような形の、やや厚いガラスでできた青色の瓶を2つ俺に見せてきた。
非常に見えづらいが、中には液体が入っているようだ。
しかし量はそんなに残って無いように見える。
これが一体なんだというのだ。
「これは毒薬だ」
「…」
「それぞれが後鳥羽くんと廿六木くんの専用になっている。そしてこの瓶の中身が、致死量までの残りだ」
いとも簡単にとんでもないことを言う汐入部長。
残りはほんの僅かしかない。
味は分からないが、たかがコップ1杯のジュースに混ぜてしまえば気付かれずに二人を葬れてしまうだろう。
「経口摂取でなくてもいい。皮膚にでもかけてやれば、能力も"霊獣"も失われ、やがて死ぬ。人間では抗うことは出来ない」
「…随分と物騒なものをお持ちで…」
暗に『殺すだけなら容易い』と言っている。
更に後鳥羽の霊獣込みで対処していたというのであれば、もう間違いないだろう。
「どんな神様の毒ですか?」
「……」
特対部長であるあの女の子にも憑いているのだ。特公にいるのは何ら不思議ではない。
むしろいなければパワーバランスが崩れてしまう。
霊獣程度では抗うことのできない毒を作るほどの存在…。それはもう天使や神以外ありえないだろう。
「ふっ…君は面白い男だ。しかも連れてきたのが霊獣の事など知らない廿六木くんだというのが特に面白い」
「二人を失わずに済んだだけでなく、それにくっ付いて優秀な駒が沢山得られてご機嫌ですね」
「そうだね。特対みたく大っぴらに人員補強ができないからね、ウチは。かといって加入条件を緩めても仕方がない。であれば、秘密裏に"協力者"を得る方向で進むのが早道だ」
最初からこの人は後鳥羽や廿六木の動きを分かった上で泳がせていたんだ。
そして彼らが程よく悪事を重ねた段階で、隷属か逮捕かの二択を突き詰める。
そこで全員とはいかないまでも、手駒を大量ゲットする算段だったのだろう。
理想はアタマである後鳥羽と廿六木が組織に従順であることだが、それが敵わないから両方始末し、残った部下たちを引き込もうとした。
が、俺の介入により二人が降伏し、アタマも部下も全員が特公の手中に収まった…と。
「…こんなところまでが、汐入部長のシナリオですかね?」
「素晴らしい読みだね。君も特公に入る気はないかね?」
「毒殺されたくないので遠慮しておきます」
「残念だ」
大して残念そうでもないのは表情を見ればわかる。先ほどから満足そうにしているからな。
しかし、結局いいように踊らされていた感じが気に食わない…。
とばっちりもいいとこだし、非常に貢献してしまったのも腹が立つ。
だが目の前の相手に怒りをぶちまけても仕方がない。
これは汐入部長個人の話ではないのだ。
古くから続く特公という"仕組み"が相手なんだからな。
この仕組みの前には後鳥羽や廿六木の"計画"など児戯にも等しいだろう。
今はまだ我慢だ。
…まだ? いつかどうにかするのか?
大変だったけど、とりあえずあの特公のトップに評価されたことが大大大成功だ。
…とりあえず?
俺のハラワタの中で、西田から貰った呪いと祈りが煮えたぎるのを感じる。
思うようにやる。ただし命を無駄にしない。
それ以外にも成果は沢山あった。プラスの面を大事にしよう。
その感情が俺に冷静な仮面を着けさせ、汐入部長の話を静かに受け止めた。
「さて、それでは褒美の話をしよう」
俺が大体の話を知っていると思った汐入部長は、詰めである報酬の話に移った。
しかし俺はそれよりも気になることがあったので、少し質問をすることに。
「褒美は特対にいる四十万さんって職員に全部あげてください。それよりも一つ聞いていいですか?」
「…?」
「廿六木の過去の事なんですけど…」
俺はここにヤツを運ぶ道すがらに聞いた"ある言葉"について確認がしたかった。
すると、やはりと言うかなんと言うか、予想通りの答えが返ってきた。
「…ああ、君も気付いたかね」
「気付く…?」
「本人の記憶は消しているから、直接聞くことは不可能だ。つまり何かを察したのだろう?」
「……教えてください」
「彼女はピースに入る前、実の両親から虐待を受けていたのだよ。物心ついた時から、ずっとね」
「…」
「彼女が歳を重ねる度にそれはエスカレートし、とうとう殺されるという時に能力が覚醒した。そして、助かった」
「助かった…?」
汐入部長は一呼吸おいて、答えた。
「彼女の最初の被害者は実の両親というわけだ」
俺は廿六木を背負って歩いている時に聞いた。
涙を流しながら『お父さんお母さん、もうやめて』と懇願するのを。
行き過ぎた教育とか、そんな生易しいものじゃなかった。彼女は死にかけたのだ。
そして今や一般人も知る『命の危機に瀕した時に能力が覚醒する時がある』という説に則り、生命を操る能力を得た。
「両親が殺されたと通報したのは彼女自身だった。幼い彼女の記憶は曖昧で、超能力なんてものの存在も知る由がない。だから第三者に両親が殺されたと訴えた…。しかし状況が全てを物語っている、犯人が彼女自身であるとね」
防衛本能。
手に入れた能力で最も身近な脅威を排除したに過ぎない。
誰が彼女を責めることが出来たのだろう。
「異常なまでの被虐嗜好は、日々の辛い折檻から心を守るための変化だろう…と専門家は分析していた。そしてピースに入る際にトラウマが再発しないよう記憶をスクリーニングした結果…被虐嗜好だけが残ったというワケだ」
廿六木のルーツが淡々と語られる。敵に悲しき過去アリってやつか?
だが、じゃあ…酷いことをされた奴は、人に酷いことをしても良いのか?
そんなハズはない。
ならどうして聞く? ヤツをここに送り出すときに、判断は汐入部長に任せると言った。
始末すると思ったからか。でもそうならなくて、納得したいために『納得する材料』を調達しているのか?
俺はどうしたい?
「腑に落ちないという顔をしているな」
「…そんな顔をしていますか?」
「ああ。元を辿れば私の監督不行き届きで君には辛い思いをさせた。そんな相手が組織の、ある種の茶番によってこれからものうのうと生き続けるのは辛かろう。だから彼女にはこう命じた」
そう言うと、今度は別の引き出しからある物を取り出す。
そっちは、俺も見覚えのあるあのアイテムだった。
「誓いの…アミュレット……」
「そうだ。廿六木くんには先ほど特公への絶対服従と同時に、別の誓いを立てさせた」
それは、俺への選択でもある。
「塚田卓也に全力で従えと」
いつも見てくださりありがとうございます。
寒くなってきたぁ




