96 狂血公爵の本領
アリスティード様のいつになく棘のある剣幕と言葉に、医術師様は場の雰囲気にそぐわないにこにことした笑顔で答える。
「何故って、病人や怪我人の治療を行うのは医術師として当たり前だよ」
「お前のどこが医術師だ」
「だって資格持ってるし。僕の患者が無茶しているのを止めないわけにはいかないじゃないか」
憤慨するアリスティード様に片目を瞑ってみせた医術師様が、私に視線を移すと目をスッと細めた。顔は優しいのに有無を言わせないほどの眼力があるというか、紫色の目に圧を感じてしまった私はアリスティード様にしがみつく。
「アレをここに落とした責任は俺にあるが、お前がいるとは聞いておらん!」
私を横抱きにしたままアリスティード様が医術師様に向かって言い返した。ボロボロになった外套が不自然になびき始め、アリスティード様を中心に魔力の渦が立ち昇りだす。防御結界に閉じ込めているとはいえ、ラグラドラゴンの抵抗具合によっては曇水晶の中の魔力がいつ尽きてもおかしくはない。私とラグラドラゴンの間に入って警戒してくれているブランシュ隊長たちは、アリスティード様と医術師様を焦った顔で見守っている。しかし医術師様はそんな異様な雰囲気をまったく気にする様子もないようだ。
「まあそれは確かに。でも君は緊急討伐要請に応じて出撃中で、連絡しようにもできなかったんだから仕方ない」
「違うっ、俺が言いたいのは!」
医術師様の言葉を遮り、魔獣の威嚇のようにしてアリスティード様が吼えた。
「緊急事態の現場にお前がいては護れるものも護れんということだ!」
それから背後でオロオロとしていた王国騎士を振り返ると、もう一度吼える。
「おいっ、そこの王国騎士共! 巻き込まれたくなくばソレを連れて疾く去ね!」
アリスティード様の金色に輝く魔力がチリチリパチパチと弾けるように跳ね始め、その色が金から赤へと変化していく。食いしばった歯の隙間から、「ここから動くなよ、メルフィ」という低い声が聞こえ、私は横抱きの状態から解放された。よろめきながらも自分の足で立って見上げると、魔眼を真紅に染めたアリスティード様と目が合う。
(目が、赤い?)
ふいっと視線を逸らしたアリスティード様が、無言で踵を返すとラグラドラゴンの方へと歩き出す。アリスティード様の魔力が金色から禍々しいほどに赤く変色して、狂化した魔物のように濃い魔力が辺りに広がった。アリスティード様が一歩踏み出す度にドンッと地面が揺れて私は体勢を崩しそうになる。すかさずブランシュ隊長とリリアンさんが支えてくれたけれど、私は目の前の光景に圧倒されて声すら出てこなかった。
一体何が起きているのか。アリスティード様の赤い魔力が、私が張った絶対防御の魔法結界を覆い尽くす。慣れない現代魔法とはいえ結界は三重にかけていたというのに、一番外側の結界が破られていて結界内のラグラドラゴンの影が見えていた。
「ブランシュ隊長、屋敷の者たちの避難は完了しましたが、へいか……」
「了解、ナタリー。さあ、姫様、退がりましょう」
現場から離れていたナタリーさんが戻ってきて、ブランシュ隊長が私の手を取る。
「ブランシュ隊長、ですが、アリスティード様は動くなと」
「私は実際に見たことはなかったのですが、ケイオス補佐から聞いておりました。多分あれは、閣下が『本気』を出した状態です。魔力を最大限開放するのでここに居ては巻き込まれるかと」
「大丈夫、彼はそんなヘマはしない。僕の隣においで」
退避しようとする私たちに医術師様が手招きする。医術師様は慌てて割って入って来た王国騎士たちを「邪魔」とひと言で追い払って退がらせてしまった。「そこで何故引く!」と硬い声で呟いたブランシュ隊長が王国騎士を睨みつけるも、王国騎士たちはアリスティード様と医術師様を交互に見ては戸惑うばかりだ。
「メルフィエラちゃん。君は彼が『狂血公爵』と呼ばれている理由を聞いたことがあるだろう?」
私がその場を動かなかったので、医術師様の方からゆっくりと歩み寄ってきた。
「……はい」
「魔物を狩って血を浴びるのが大好き! の方は与えられた責務のせいだからね、本人も不本意だろうけれど」
場を和ませようとしてなのか素でこうなのか知らないけれど、具合が悪い私は医術師様の妙に明るい声に少し……かなり苛々する。それにこの声は、あの美しい蝶の手紙とまったく同じだ。
「アリスティード様は高潔なお方です」
「なるほど、君は彼のことをそう思っているのか。かわいいね、君も、彼も。でもね、血に狂っているというのはあながち間違いじゃない。残虐非道も、まあ、実際に見ればさすがの君でもそう感じるかもしれないね。この状態の彼は見境がなくなるし、容赦がないから」
医術師様のアリスティード様とどこか似ている面立ちに、美しい金色の髪。恐ろしいほどに澄んだ思慮深い紫色の瞳は、賢者の再来と呼ばれているのだとか。医術師様は名乗られていないので、私からその正体を暴くわけにはいかない。本人が明かすつもりがないということならば、あくまでも知らないふりをしなければならない。
「私、アリスティード様が好きです」
お会いすることになるだろうと思っていた、私の義兄となる尊い御方。
「魔獣の首を刎ねても、血に塗れても、魔物を灼き尽くしても、アリスティード様はいつだって優しくて、あたたかくて、誰かを守るためなら自分は傷ついても構わないと真っ直ぐで、でも誰よりも繊細で傷つきやすくて」
アリスティード様の、唯一無二の偉大なお兄様。
「私はそんなアリスティード様が大好きで、だからこそお守りしたいと、並び立ちたいと思ってここにいます。ですが」
でも――
「ですが、どんな理由があれ、アリスティード様を煽ったり貶めたりするような発言をなさる貴方のことは好きになれそうにありません」
私がはっきりと宣言すると医術師様の目がハッと見開かれる。と同時に、辺りに充満していた赤い魔力が更に圧を増し、今ではすっかり見慣れてしまったアリスティード様の白い炎の柱が夜空を切り裂いた。
(いけない、私の結界が邪魔になってる)
赤く禍々しい魔力を糧に、朝陽よりも明るく、目を灼くかのごとく激しい炎。アリスティード様は魔法結界ごとラグラドラゴンを焼き尽くすおつもりなのだと理解した私は、手元に残っていた曇水晶の結界を発動させると、呪文を解除するためにブランシュ隊長の手を振り切って走った。
「姫様⁉︎」
「大丈夫、そこは安全です!」
ひとりでドラゴンと対峙するアリスティード様の背中が近くて遠い。赤い魔力がまるで拒絶しているように思えたけれど、私は構わず左手を掴んだ。
「アリスティード様」
「メルフィ⁉︎」
「私では結界を解く時機がわかりません。合図をくだされば解除します」
アリスティード様は絶対に反対するから、何か言う前に一気に喋る。
「大事な御方には防御の結界を張っています。屋敷の方々は避難されたそうです。アリスティード様、一緒に、やりましょう!」
一瞬こちらを見たアリスティード様の赤い目が揺れていた。魔力は荒れ狂っているし、目の前には狂化したラグラドラゴンがいるし、白い炎はとんでもなく熱いし。だけれど、私はこれっぽっちも怖くなかった。アリスティード様の左手に指を絡ませると、アリスティード様がグッと握り返してくる。
「メルフィエラ……お前は本当にかわいいな」
「えっ」
「かわいくてかわいくて、これでは何があろうと離してやれなくなるではないか」
「そんなっ、今さら離してもらっては困ります」
結界の中から濁った黄色いドラゴンの目がこちらを見ている。ここは気を抜いたらこちらが殺されてしまう命のやり取りの最前線で、アリスティード様はいつもこんな場所にいるのだ。
「いいか、メルフィエラ。三、二、一、だ。俺が数え終えたら結界を解いて、新たな結界を俺たちの周りに張れるか?」
アリスティード様の腰には曇水晶が残りひとつ。結界を解いてこれを使って結界を張る。魔法陣はオディロンさんの現代魔法。大丈夫、私はできる。
「はい、できます!」
「よし、ではいくぞ……三、二、一」
私が結界を解いた瞬間、ラグラドラゴンの荒れ狂った咆哮が響き渡り、ボロボロになった羽を広げてこちらに向かってきた。
『イース・ラ・ボルケニュード!』
「いかなる魔法も攻撃も、全てを通すことなかれ! 絶対防御結界発動!」
アリスティード様の赤い魔力が渦を巻き、白い炎が竜巻のように天に昇る。ラグラドラゴンは炎の勢いに体勢を崩し、そのまま白い輝きの渦にのまれていった。その火力は凄まじいなんてものではなかったけれど、私の結界が間に合ったのでなんとか火傷をせずに済んだのは幸いである。
「もうそろそろよいか」
どれくらい経ったのか。アリスティード様は呟くと、私の手を離して剣を握る。白い炎がフッと空に溶けていき、アリスティード様がまとっていた赤い魔力が不意に消えた。
白く輝く炎が消えた跡には、かろうじてラグラドラゴンの形だとわかる黒いものが残っている。それも、アリスティード様が無造作に振るった剣の前で脆くも崩れ落ちた。
「……さすがに、疲れたな」
そう言って私を振り返ったアリスティード様の目は、いつものように優しい琥珀色に戻っていて。
「討伐、お疲れ様でした」
私はアリスティード様の胸に飛び込むと、思いっきり抱きしめた(鎧が硬かった)。
◇ ◇ ◇
「この度はっ、大変っ、申し訳ありませんでしたっ!」
これでもかというくらいふかふかな長椅子の真ん中に座った私の目の前で、この国で一番高貴な御方が頭を下げている。腰を直角に曲げて一心不乱に謝り続けるその御方に対して、私の隣で脚を組んで座っているアリスティード様が冷ややかな視線を向けていた。
「謝り方が生ぬるい。やり直し」
「アリスティードォォォ……お兄ちゃん、これでも今までにないくらい反省してるんだよ」
床にペタンと座り込んでしまった御方が、泣きそうな声を出す。でもアリスティード様はまったく動じることなく首を横に振った。
「当たり前だ。医術師と偽って屋敷に入り込み、メルフィエラが俺に相応しい相手かかどうか試した? お前が承認した婚約にお前がケチをつけてどうする。十年反省してもまだ足りんわ」
「だってお前は恋愛下手だし、上手くやってるか心配になって」
「このとおり問題ない! これ以上首を突っ込むならば本当に縁を切るぞ」
「待って! ごめん、ごめんなさいっ、もうしないからっ」
膝をついたまま器用に近寄ってきた高貴な御方が、アリスティード様の脚にすがりつく。その姿に、私の対面で優雅に座っていた女性が優雅ではないため息をはいた。
「ごめんなさい、メルフィエラさん」
「い、いえ」
艶やかなアマベル茶色の髪を結い上げ、袖口が広がった橙色のドレスをお召しになった貴婦人が心底申し訳なさそうな悲痛な顔になる。
「賢者の再来が聞いて呆れるでしょう? この人って身内にはとんでもなく甘ったれなの。名乗りもしないで人を試すだなんて卑劣よね。しかも誰も意見できないような地位にいるんですもの。私もたくさん叱り飛ばしたのだけれど「生ぬる」かったわ。でも、こんなのが義兄になるからって婚姻を取り止めたりしないでね? お願いだから」
「は、はい」
狂化ラグラドラゴンを燃やし尽くしてから十日。
私の風邪も無事完治し、同じく療養していたアリスティード様も回復なされた日のよく晴れた午後。ラングディアス王国が誇る王都セラデュールの王城の一画、国王陛下とその家族がお住まいになられる離宮『エグランティエ宮』の陽当たりの良い部屋で、私は高貴な御夫妻から謝罪を受けていた。
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