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94 荒れ狂うラグラドラゴン2(公爵視点)

 古代魔法によって生み出された白い炎がラグラドラゴンを覆い尽くす。

 熱耐性があるドラゴンを焼き殺そうというのだ。魔力がごっそり抜けていくような悪寒がして、俺の指の先がじわじわと冷たくなっていく。身体の芯が凍りつくような感覚は、死を連想させる嫌なものだ。


(炎の魔法を操って凍死するなどとんだ笑い種だが)


 無論、おめおめと死ねるような状況ではない。

 狂化したラグラドラゴンは手強い。少しでも気を緩めたらやられてしまう。俺は魔法に巻き込まれた騎士がいないか、視線を素早く動かした。


(あの鶏冠、ベイリュー大隊長か? なるほど、ただの飾りがよく目立つ)


 曇水晶に仕込んでいた防御の魔法が間に合ったのか、王国騎士たちも無事のようだ。ベイリュー大隊長を始めとする王国騎士たちの頭の飾り羽根があちこちで揺れていた。

 一方で、我がガルブレイスの騎士たちは退避しながらも反撃の機会を狙っていたらしい。苦しげな叫び声を上げながら飛び立とうとするドラゴンを、アンブリーたちが新たな鎖を投げて阻止する。


「アンブリーッ、退がれと言ったはずだぞ! ゼフ、お前もだ!」

『まあ、慣れてますから、多少は』

『流石の俺たちも、焼け死にそう、です、けど』


 騎竜部隊の殿(しんがり)を務める防御に特化したアンブリーとゼフが、いつもの軽口を叩く。が、本当は熱いのだろう。鎖の端を戦斧と槍を杭にして地面に縫い止めると、脇目も振らずに退避した。鍛え上げられたガルブレイスの騎士だからこそできる芸当だ。援護を受けた俺はさらに集中して魔法を紡ぎ続ける。

 周りの雪や氷はすでに溶け、シュウシュウと湯気を立てている。尾を斬られたラグラドラゴンは、巨体をよじってのたうち回っているものの、なおも空を目指す。翼の皮膜が燃え尽きてしまっているというのに。


『グガガガガッ、グガガガガッ、ガガガガガガガガッ』


 どれくらいの時が経過したのか。角を煌めかせて魔法で抵抗を続けていたラグラドラゴンだったが、首をもたげると最後の力を振り絞るように大きく鳴いた。喉の奥が焼けてしまっているためか、鳴き声と呼べるか怪しい咆哮であったが。


『ガガガガ……ガ………ガ……』


 魔法による抵抗がフッと消え、白い炎の中に空を見上げたままの姿でラグラドラゴンの身体が沈んでいく。途端に肉や脂が焼け焦げる臭いが辺りに立ち込め、俺はようやく冷たくなった指先から力を抜いた。


「今です、放ちなさい!」


 魔法による炎が消えた瞬間、とどめを刺すためにケイオスの合図で騎士たちが一斉に槍を投擲する。あれだけ通らなかった刃が、鈍い音を立てて硬い鱗を貫く。既にこと切れていたのだろう。魔法による防御を失った巨体は、もはや動くことはなかった。


「……翼あるものは、やはり空が恋しいか」


 俺はラグラドラゴンが最期まで見上げていた空に目をやる。狂化していなければ、今ごろは仲間と共に南の火山地帯へと戻っていただろうに。

 久しぶりに大量の魔力を放出した身体は気怠く、気を抜くと座り込んでしまいそうだ。しかしまだ周囲への警戒を緩めるわけにはいかず、呼んでいたグレッシェルドラゴンたちを地上に下ろすためにもう一度竜笛を咥えた。

 陽が沈み、すっかり闇に覆われた空に影が射す。月明かりで鈍く光る黒鉄色のグレッシェルドラゴンに騎乗しているのは、万が一ラグラドラゴンが空に逃げた場合に追うように命じていたミュランか。


「どうやら出番はなかったようだな、ミュラ――」


 俺はミュランに向かって手を上げ、呼びかけようとしたところで言葉を切った。


『どうしました、閣下?』


 ドラゴンたちの影の間に異質な色が見える。


「ミュラン、そのまま上空へ向かえ!」

『上空?』


 俺とミュランのグレッシェルドラゴンのさらに上。闇を切り裂くような赤い警戒色の光と、不気味なほどに怪しく光る空色が、こちらを捉えていた。俺の背筋に、ぞくりと嫌なものが流れ落ちる。


「もう一頭いるっ!」

『はぁっ⁉︎ もう一頭って、ラグラドラゴンがですか⁉︎』

「行けっ、ミュランッ、そいつを叩き落とせ!」


 一頭ではなかったのか。そもそも狂化した個体なのか。俺の声に王国騎士の間に動揺が走る。ガルブレイスの騎士たちはすぐさま体勢を整えて、新たに上空に現れたラグラドラゴンを討伐するために動き始めた。


「ケイオスッ、ここはお前に任せた! 俺はミュランとアレを追う!」

『せめてあと二人は連れて行ってください! 閣下!』


 あまりに杜撰な調査だ。いや、そんなことはどうでもいい。周囲に害を及ぼす前に、殲滅せねば。

 ミュランに追いかけられていたラグラドラゴンが、器用に首を背後に向けて息吹を放つ。降りてきた騎竜の手綱を取った俺は、上空に上がると加速の呪文を唱えた。




 ◇ ◇ ◇




 冬の王都の夜は、マーシャルレイドよりも寒い。

 そう感じるのは熱があるせいだとわかっているけれど、一人ではとても心細く、重ねた毛布を被っていても寒さに震えた。


(医術師様……は?)


 目覚めるとまだ夜で、あのどこか懐かしく感じる紫色の目の医術師様は傍にはいなかった。もしかしたらブランシュ隊長やナタリーさん、リリアンさんは隣の部屋に控えているのかもしれないけれど、なんとなく一人は嫌だからといって呼ぶわけにもいかない。

 喉の渇きを覚えた私は、水差しに入っていた水を木杯に注いで一気に飲み干す。冷ました薬湯もあったので、後味の悪い苦さを我慢して少しずつ口に含んだ。まだ若干寒いものの、どうにもそわそわと落ち着かない気分だ。私は寝台から降りると分厚い外衣を羽織って窓のそばに近寄る。

 少し高い場所にあるこの屋敷からは、街の様子がよくわかった。

 夜だというのに街灯が明るく、まだお店も開いているようだ。雪に埋もれることがないガルブレイスでは冬でもお店が閉まることがなく、特に酒場は夜遅くまで客足が途絶えないと言っていたけれど、王都も同じなのだろう。流石に人通りは少ないようだけれど、ちらほらと巡回中の騎士たちの姿もある。


(アリスティード様……討伐は終わったのでしょうか)


 パライヴァン森林公園の奥深くは、雪が積もっているという。すぐに討伐対象と遭遇できるとも限らず、長い時は十日ほどかかるかもしれないとも仰っていた。

 パライヴァン森林公園へは、ここから馬車で二刻ほどの距離だ。空を行くならあっという間に着いてしまうだろう。しかも今回の相手は、渡り翼竜であるラグラドラゴンだ。グレッシェルドラゴンよりも飛ぶことに特化していると図鑑には書いてあった。


(どうか曇水晶が役に立っていますように! じゃなくて、どうか曇水晶を使わなければならない状況にはなりませんように!)


 私は欠けた月に向かって子供のように祈る。昔から、肝心な時に何もできず祈ってばかりだ。ユグロッシュ百足蟹の討伐遠征について行き、ガルブレイスの騎士たちがどのようにして魔物を狩っているのか間近で見てしまった私は、とにかく怪我をしてほしくなくて百足蟹の魔力入り曇水晶にたくさん魔法陣を描いた。ケイオスさんから『対魔竜王戦に使われた古代魔法兵器』と揶揄された、防御の結界を張るための魔法陣だ。魔法師長のオディロンさんが使いやすい現代魔法に置き換えてくれたから、魔法に明るくない人でも使いやすくなっている。


(私も一緒に行きたかった)


 どうあがいても、ガルブレイスの女性騎士のようにはなれそうにない私にも、魔法という得意分野があるのだから。私は溜め息をつくと、身体を休めるために寝台へと戻る。皆が戻ってくる前に元気になっていなければならない。アリスティード様はお気遣いの人だから、私が風邪を引いてしまったなんて知られたら、きっとご自分を責めてしまうだろう。

 再び上がり始めた熱にぼんやりと思考が沈んでいく。このまま朝まで寝ていれば、少しはマシになるかもしれない。うつらうつらしていた私のところに、突然誰かが飛び込んで来た。


「失礼します、姫様! 今すぐここから離れます。さあ、私に掴まってください」


 それは、緊迫した顔のブランシュ隊長だった。リリアンさんとナタリーさんまで入って来たけれど、三人とも武装している。


「ブランシュ隊長、な、何が」

「閣下がここにドラゴンを落とします! さあ、早く」

「えっ、アリスティード様? あ、待ってください」


 いきなりのことで頭が追いつかない私を、ブランシュ隊長が厚手の外衣ごと横抱きにする。アリスティード様ならパライヴァン森林公園にいるはずだ。ドラゴンを落とすとは、ガルブレイスの騎士たちの間で使われている隠し言葉なのだろうか。

 訳がわからないまま部屋を連れ出された私は、一階裏側の扉から外に出る。吹き付ける風が冷たくてぎゅっと身を縮めると、ナタリーさんが毛皮の外套を掛けてくれ、冬用の毛皮の靴を履かせてくれる。


「ブランシュ隊長っ、もう上に来てますぅぅぅっ!」


 リリアンさんの焦った声に全員で上を見上げると、黒鉄色のドラゴンと、空色のドラゴンがお互いの首に喰らいつこうと激しく身体をぶつけ合っていた。このお屋敷の敷地がいくら広いからとはいえ、ドラゴン同士の争いをするには少々狭い。


『ギュアアアッ』

『グギャアァァァ』


 両手をぎゅっと握りしめ、食い入るように見ていたリリアンさんが、「ミュラン隊長がんばれ!」と叫ぶ。よく見ると、黒鉄色のドラゴンの背には黒い外套を翻した騎士がいて、どうやらそれはミュランさんらしかった。ということは、空色のドラゴンが例の狂化したラグラドラゴンだということだ。

 怪しくも美しいラグラドラゴンの空色の鱗が、ミュランさんの槍撃を弾く。剥がれ落ちた鱗がキラキラと空中に散り、怒れるラグラドラゴンが尾を唸らせて、相手を叩き落とそうと必死になる。


(アリスティード様、アリスティード様はっ⁉︎)


 ブランシュ隊長は、「アリスティード様がここにドラゴンを落とす」と言っていた。だとすれば、どこかにアリスティード様がいるはずだ。私がキョロキョロと空を見回すと、ブランシュ隊長が被害が及ばない場所まで走り出す。


「ま、待ってくださいっ、アリスティード様は」

「姫様はそのままリリアンと共に逃げてください! 私は()()を」


 ブランシュ隊長の声がドンッという鈍い音にかき消された。ミュランさんを振り切ったラグラドラゴンが、今度は横から喰らいついてきた別のグレッシェルドラゴンに押されるようにして()に押し付けられている。ドラゴンの羽ばたきで舞い上がった風が土や小石、枝葉を撒き散らし、私たちは庭木の陰に隠れてやり過ごした。キィナキィナ避けの魔法陣はまったく役に立たず、崩れ落ちた塀の瓦礫から二頭の巨体が現れる。

 街灯に照らされた空色のラグラドラゴンは、濁った黄色の眼と角を赤く光らせてダラダラと血混じりの涎を垂らす。そして、堂々たる体躯のグレッシェルドラゴンの背には、黒の外套を纏った長身の騎士が一人。外套には真紅の『零』というラングディアス文字が染め抜かれていた。




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― 新着の感想 ―
風邪、遠慮、緊急時の対応、今回のメルフィは反省点多いね。
[良い点] いよっ、待ってました!前回までは、閣下のご帰還と同時に 「(ガチャッ)メルフィ!風邪と聞いたぞ、大丈夫か?」 「お帰りなさい、もう熱は下がったので大丈夫で(ギュウ)」 みたいな感じを想像し…
[一言] だ、誰?(笑) まさかもう一頭出て来るとは…
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