91 王都セラデュール2
「さて、君たち。言わなければならないことはわかっているだろう?」
いつもキリッとしているけれど優しいブランシュ隊長が、少し怖い雰囲気で腕を組む。騎士服の効果もあるけれど、二児の母でもあるブランシュ隊長を前にして三人の子供たちがシュンとなる。
「あの……勝手に入って、ご、ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「もうしません」
ブランシュ隊長に促された子供たちが口々に謝罪した。庭木に隠れていたキィナキィナ――街の子供たちは、無人と思われていたお屋敷に人の気配があったものだから、気になって確かめに来たのだという(ちなみにキィナキィナとは、王都近辺の森に住む体長四十フィムほどの木登り大鼠のことである)。
ここはガルブレイス公爵家が所有するお屋敷だ。いくら子供といえど侵入者である。木から降りて来た子供たちは、そのまま地面に座らされてブランシュ隊長からこってり絞られたというわけだ。
「もう少し近づいていたらキィナキィナ避けの魔法陣が発動してしまうところでしたよ?」
私がそう言うと、木から落ちてきた男の子がブルッと身震いをした。ブランシュ隊長がこの子を抱き止めなければ、地面に叩きつけられて大怪我をしていたかもしれない。
「これからは正門からきちんと訪ねて来てくださいね」
消えかかっていた魔法陣を補修する前で本当によかった。私は三人の子供たちの目を見てしっかりと付け加える。元々施されていた魔法陣は、侵入者を気絶させるほどの威力がある雷撃が発動するようになっていたから、危ないところだったのだ。
「あ、あの、僕たち、きょ、狂血公爵、様から、罰を与えられるのですか?」
利発そうな男の子が私と目を合わせてきた。他の二人は目を逸らして震えているのに、両手をしっかり握りしめながらも質問できるなんてしっかりした子供だ。
「こら、誰が姫様に向かって質問をしていいと言ったか?」
ブランシュ隊長が男の子に向かって低い声で咎める。
「ふふふ、構いません」
ブランシュ隊長を制した私は、子供たちの目線に合わせてしゃがむ。
「貴方はエミル君でしたね。ここはアリスティード・ロジェ・ド・ガルブレイス公爵閣下のお屋敷で、『狂血公爵』ではありません。そう呼ばれては、公爵閣下は心を痛めてしまいます」
エミル君は目を泳がせて、震える声で「ごめんなさい」と呟いた。王都の街人の中にまで尾ひれが何枚も付いた噂話が浸透してしまっているらしい。アリスティード様は気にしていないと仰っておられたけれど、会う人会う人からこんな風に怯えられるなんて、私が嫌だ。
間違った印象をすぐにどうにかできるものではないけれど、せめて未来を担う子供たちの誤解を解いておきたい。私は既に公示されている事実を噛み砕いて説明する。
「狂化した魔物たちのせいでパライヴァン森林公園が封鎖されていることは聞いているでしょう? ガルブレイス公爵閣下はその魔物たちが王都に来ないように、討伐に向かわれました」
身体の大きな子が、勢いよく顔を上げる。
「と、父ちゃんが言ってたのは本当だったんだ……ですか? 狂化したラグラドラゴンが王都を狙っているって!」
「その通りです、テオ君。ラグラドラゴンには翼がありますから、放っておけばここに飛んでくる可能性はあります。そうなる前に、公爵閣下や王国騎士たちが身体を張って食い止めようとしているのです」
「そ、そんなの、無理だよ……ドラゴンに食べられちゃうよ……」
一番身体が小さなマルタン君(木から落ちた子)が、泣きそうな声を上げる。
「大丈夫ですよ、マルタン君。公爵閣下は魔物退治に関しては、国王陛下の信頼が厚いお方です。それに、公爵閣下は私が狂化したバックホーンに襲われた時も助けてくださいました。ガルブレイスの騎士たちは、毎日エルゼニエ大森林の魔物を退治していますから。きっと、きっと無事にお戻りになられます」
私は、子供たちだけではなく自分にも言い聞かせる。狂化したラグラドラゴンがどれだけ凶暴なのか、私には想像することしかできない。戦えない身としては、怪我がないよう祈ることしかできずもどかしさすらあった。
「お、お姫様も、ガルブレイス……公爵様に助けてもらった、の、ですか?」
エミル君が、信じられないような顔をして目をパチパチと瞬かせた。
「ええ、とても格好よく、颯爽と! 私の目の前で、こう、スパッと、それはもう見事にバックホーンの首を斬り落としてしまわれたので、思わず見惚れてしまったほどです。私も魔獣の血飛沫を浴びてしまいましたけれど、アリスティード様も同じように血塗れでそれがまた格好よくて……」
アリスティード様の『首落とし』を真似て私が手で空を切ると、子供たちは三人とも引いたような顔をして青ざめていた。ブランシュ隊長も、「姫様それは少し……」と微妙な顔で私を見る。
「魔物を退治する時は血で汚れてしまいますから、心ない噂が立ってしまったのでしょう。ですが、それはすべて王国民の安寧を願う公爵閣下が責務を果たされた結果です。公爵という地位にこそあれ、その心はどこまでも気高き騎士である、と私はそう感じています」
「……気高き、騎士」
「そうですよ、エミル君。公爵閣下は筆頭王国騎士と言っても過言ではないお方です。エミル君、テオ君、マルタン君。公爵閣下がお戻りになったら、屋敷の屋根に旗が立ちます。その時は、是非正門から労いに訪ねて来てくださいね?」
テオ君が「えっ、俺たち来なきゃならねぇの?」と絶望した顔になり泣きそうな雰囲気で、マルタン君はすでに泣いていた。でもエミル君は、
「あの、僕……公爵様に、会いに来ます」
と、少し緊張した顔で私を真っ直ぐに見てきた。
◇ ◇ ◇
グレッシェルドラゴンでパライヴァン森林公園まで向かうアリスティード様たちに同行させてもらった私たちは、途中からラフォルグ夫人が操る炎鷲に乗り換えて王都までやってきた。冬の王都には初めて来たけれど、空から見下ろす街並みの至るところに市が立ち、人通りも多くて賑わっている。
王都の東地区に位置するアリスティード様のお屋敷には炎鷲を置いておけないので、王国騎士団に預けて馬車に乗り換えること一刻。ようやくたどり着いたアリスティード様のお屋敷は、外観はすごく立派だけれど中身はほとんど空の状態だった。
ケイオスさんが手配していたらしい荷物が次々と運び込まれてはいるものの、使用人たちは荷を開けて整理することで手一杯で、私はただその様子を見ているしかなかった。
皆の邪魔にならないように四阿に腰を落ち着けた私は、使用人たちにテキパキと指示を飛ばすラフォルグ夫人をぼんやりと眺める(その姿はケイオスさんに似ていて、親子だなぁ……としみじみとしてしまった)。
「まったく、寝具すらないとは思いませんでしたよ」
「閣下が王都に行く際はほぼ日帰りだったはずですので仕方ないですよ、ラフォルグ夫人」
「そうは言ってもですね、ナタリー副隊長。姫様をこんなお外で待たせるなんてありえません。行儀見習いのために王城に放っておいた代官の娘たちや奉公にあげていた使用人たちもまだまだ及第点とは言えませんし、ここはやはり国王陛下のお気遣いにあやかるべきだと思います」
「まあ、何かと口出ししてくる兄というものが煩わしい気持ちもわかるので、私はなんとも……」
「えぇっ、アンブリー班長って見かけによらず口うるさい系兄だったんですか? 私の兄たちも過保護でうっとうしいんですよねぇ。私もう一人前なのに」
騎竜部隊のアンブリーさんを兄に持つナタリーさんと、どうやら複数の兄がいるらしいリリアンさんが口々に反論する。長らくひとりっ子で、年の離れた三歳の異母弟ともそこまで密な関係ではない私は、少し羨ましくなった。
(国王陛下もアリスティード様が心配でならないようだけれど、弟からしてみればいつまでも子供扱いして! という感じなのでしょうか)
いずれ異母弟が成長したら、口うるさい姉にはなるまい。密かにそう決意した私は、毛皮の外套の前を閉じる。
続々と届く荷物の搬入はまだ終わりそうにない。手伝おうとしたらラフォルグ夫人とブランシュ隊長に止められてしまったので、私は手持ち無沙汰になってしまった。四阿の四隅には空気を暖めるための魔法陣があるけれど、長時間炎鷲に乗っていたので座っていると微妙にお尻が痛い。
(歩いたら身体も温まるかも)
屋敷も大きければ庭も広い。じっとしていると寒いので、ブランシュ隊長を連れてぐるっと一周回ってみることにした私は、その途中で敷地に施された綻びかけた魔法陣を発見した。どうやら盗っ人避けの魔法陣らしいそれに、これなら私でも再構築できると意気込んでいたところで子供たちが侵入してきたというわけだ。
「とんだ騒動に巻き込んでしまい申し訳ありません。子供だったからよかったものの、よからぬことを考える輩であれば」
「目に見える形で盗っ人避けの魔法陣を展開した方がいいのかもしれませんね。好奇心の塊のような子供たちに悪意はないのですから、いきなり雷撃はきつい気がします」
「まあ、そう……ですね」
子供たちを解放して使用人に預けた私は、去り際のエミル君の眼差しを思い出す。
(あの子は騎士に憧れているのかしら? もし本当に訪ねて来たら聞いてみましょう)
散策から戻ると、どうにか私の部屋の準備が整ったとリリアンさんが駆け寄ってきた。
「姫様、お待たせしました。お部屋に入っていいそうですよ!」
「ありがとうございます。正直手足が冷えてしまったので助かります」
「えっ、今日はポカポカいい天気ですが、まさか姫様は冷え性なのですか?」
「冷え性ではありませんが、ポカポカいい天気?」
マーシャルレイドのように雪は積もっていなくても、冬だから寒いのは当たり前だ。陽射しも弱い。リリアンさんが言う「ポカポカいい天気」というのは、どういう意味なのだろう。私は空を見上げて、リリアンさんを見る。
「姫様、失礼します」
すると、ブランシュ隊長が自分と私の手袋(厚手)を抜き取って手を握ってきた。ブランシュ隊長の手はとても温かく、その熱が冷えた指先に染み渡る気がする。さらに今度は、ブランシュ隊長が私の額に手を当ててきた。
「姫様」
「はい、何か」
スッと目を細めたブランシュ隊長が固い声を出す。
「お風邪ですね?」
「い、いえ、気味なので、まだ風邪では」
「本日は、冬にしては大変暖かくまさにポカポカいい天気なのですが。マーシャルレイドの冬に比べれば春のような気候だと言えるでしょう」
そう言うなり、ブランシュ隊長が私を容赦なく横抱きにする。そしてキョロキョロと辺りを見回すと、ラフォルグ夫人を見つけて声をかけた。
「ラフォルグ夫人! 姫様が風邪を引いておられます‼︎」
「ブランシュ隊長、大丈夫ですから」
「今は大丈夫でも今夜あたり高熱が出ます。ガルブレイスの冬の山風に当てられてしまうとそうなるのです。気付かず申し訳ありません」
整えたばかりの部屋に慌ただしく運ばれてしまった私は、どんなにお願いしても寝台から降ろしてもらえず、しかもブランシュ隊長の言う通りに高熱を出してしまったのだった。