9 お土産は生きている
「ああ、どんなお肉なのかしら? 厚切り網焼き? 煮込み? 脂がのっているなら、やっぱり炙り? 部位によって色んなお料理が楽しめそう」
「炙りか! それはかなりそそられるな」
「公爵様は炙りですね。ふふふ、腕が鳴ります」
私が公爵様と一緒にロワイヤムードラーを前にあれこれ妄想を広げていると、お父様が一等豪華な馬車で公爵様たちを迎えに来た。お父様の上衣は華美さはないけれど、とても上品な紺色のものに着替えている。男の人はドレスを着なくてもいいから、こんな時は私たち女性よりも楽そうで羨ましい。私はロワイヤムードラーから一旦離れると、お父様の背後におとなしく控えることにする。
「出迎えが遅くなり大変申し訳ありません。ガルブレイス公爵閣下、ようこそマーシャルレイド領へ。私が伯爵のジスラン・デュ=トル・マーシャルレイドです」
お父様以下、出迎えに来ていたマーシャルレイドの騎士たちが最上級の敬礼をする。それに鷹揚に頷いた公爵様が、ケイオスさんに手で合図を送る。すると、ガルブレイスの騎士たちも一列に並んで騎士の礼を取った。
「アリスティード・ロジェ・ド・ガルブレイスだ。無理は承知のうえで押し掛けてきたも同然のところをすまない。どうしても、本格的な冬が到来する前に返事が聞きたかったのだ」
堂々とした立ち振る舞いの公爵様からこんなことを言われては、お父様も何も言えない。魔獣を前にして私もついうっかり忘れていたけれど、公爵様は婚約を申し込みに来てくださったのだ。貴族の婚姻はお互いの家の話でもあるので、これからお父様と公爵様で話し合いの場が設けられる。私はその話が終わるまでただひたすら待つしかない。だけどその前に――
「お父様、騎士様の半数がお帰りになられるのですって。お願い、ドラゴンたちのために、バルトッシュ山での狩猟の許可を出してほしいの」
グレッシェルドラゴンたちをこのまま放置しておくわけにもいかず、私は小さな声でお父様にお願いした。
「あの大きな布包みは騎竜たちの餌ではないのか?」
お父様はロワイヤムードラーが包まれた布に目を向ける。普通はそう思うだろう。でもあれは、公爵様から私へのお土産なので、正確には私の餌だ。
(どうしよう……遊宴会で公爵様と魔物食談議が盛り上がってしまったことを、今話しても大丈夫かな)
お父様は手紙の追伸を読んでいたのだし、説明すればわかってくれるかもしれない。どの道黙っているわけにもいかないので、私はお父様の目を見ないようにして、さりげなく伝えることにした。
「あの、お父様。あれは『お土産』です」
「土産? 手紙にあった、お前へのか?」
「ええ。遊宴会の時に公爵様が約束してくださって、私のために、魔物……お土産を獲ってきてくださいましたの」
お父様は驚愕に目を見開き、私を見て、それから公爵様を見た。公爵様は私の趣味に対して興味がおありになるのだから、そんなに警戒しなくても大丈夫だと思う。
「そんな……公爵閣下は、お前の、その趣味のことを」
「はい、ご承知です。それに、私の『料理』をお召し上がりになりたいと、そう仰ってくださいました。だから研究棟の開放も」
「待ってくれメルフィ、少し整理したい」
お父様はだいぶ混乱しているようだ。ごめんなさい、お父様。私のせいで苦労をおかけします。私の普通ではない趣味のせいで、お父様にはずいぶんと迷惑をかけてきた自覚はある。それを黙認し、私の好きなようにさせてくれたお父様には感謝しかない。
「マーシャルレイド伯爵」
私たちの話し声が聞こえていた公爵様が、お父様に向かって意味ありげな笑みを浮かべながら会話に加わってくる。
「私はご息女の事情をある程度理解はしているつもりだ。心ない噂話の件もな。それを踏まえての申し入れだ」
「そ、そうでございましたか。閣下は娘のことをそこまで……。わかりました。では、続きは屋敷の方で」
「ああ、そのことなんだがな」
公爵様は私に向かってパチリと片目を閉じてきて、親指を立ててくいっと自分の後方を指し示す。
「ミュラン、あれにかけた魔法の効果はあとどれくらいだ?」
「はっ! 持っても後二刻ほどかと」
「というわけだ伯爵。土産が目覚める前になんとかしたい」
ミュランと呼ばれた騎士が、公爵様に敬礼の姿勢で答える。すぐさまグレッシェルドラゴンの元に踵を返した騎士を見て、お父様が慌てて呼び止めた。
「お待ち下さい公爵閣下! まさかあの、魔物……お土産は、生きているのですか⁈」
「新鮮な方がいいと思って生け捕りにしてきたのだ。魔法で眠らせているだけで、効果が切れれば暴れるぞ。ミュラン、伯爵殿にお見せしろ」
公爵様に命じられたミュランさんが、布をめくって中を見せる。惚れ惚れとするほどに立派な巻角と、見事な金毛に覆われたロワイヤムードラーが現れる。マーシャルレイドの騎士たちが、カチャリと音をさせて剣を握り、お父様は呆然とそれを見ていた。
「そ、それは……ロワイヤムードラー……」
「眠っているから安心しろ」
「はい、いや、そんな、そんな危険で、高価なものをいとも簡単に」
「遊宴会で、私が魔物を食してみたいと我儘を言ったのだ。狩って来るから食べさせろとな。伯爵とご息女には迷惑をかけるが、先に下処理とやらを見せてほしい」
「ああ……なんといいますか、公爵閣下はすっかりご存知なのでございますね」
疲れたような声を出したお父様に、私は心から申し訳なくなる。それに、公爵様にも。公爵様には、私が抱えている事情を何も話してはいない。でも聡い公爵様は、私とお父様の様子を見て、すべて自分の我儘のせいだということにしてくださったのだ。
「では先に、閣下のお望みを叶えることにいたしましょう。それに、あちらの騎士様方はお帰りになられるということでございますが、ここの寒さを甘く見てはなりません。どうか騎士様方と騎竜たちに十分な休息を。ここから少し離れた場所に、メルフィエラの研究棟がございます。そこであればロワイヤムードラーも、騎竜たちの受け入れも可能でしょう」
お父様は私が言いたかったことをきちんと汲んでくれ、研究棟の使用まで許可をしてくれた。この牧場の厩舎には今は家畜がいない。でも、捕食者であるドラゴンたちを入れて匂いがついてしまえば、春に戻って来た家畜たちが怖がって入ってくれなくなってしまう恐れがあるのだ。これでもうドラゴンたちの受け入れは大丈夫だ。それにロワイヤムードラーも運び込むことができる。
「お父様、私……」
「メルフィエラ、後から詳しい話を聞かせておくれ」
「はい」
「お前はこれから、公爵閣下と騎士様方を研究棟へ案内しなさい」
「ありがとうございます、お父様」
私は公爵様に向き直ると、深々と一礼をした。
「それでは公爵様。私が軍馬で先導しますので、ついて来てくださいませ」
「それには及ばん。私の騎竜に乗せてやる……空から案内してくれ」
「まあ! よろしいのですか?」
「ああ、お前ならば構わん。ケイオス、今から騎竜たちを移動させるぞ。私は先にメルフィエラを連れて行く。土産と共について来い」
公爵様が背後を振り返る。いきなり名指しされたケイオスさんだったけれど、少し大げさに胸を張り、ドンと自分の胸を拳で叩いた。
「ケイオスさん、よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ。ですが、本当に十頭ものドラゴンを受け入れてくださるのですか?」
「私の研究棟は十分な広さがありますから。普段はそこで魔物を捌いたり、保存したりしているのです」
「なるほど……それは興味深い場所ですね」
「ご期待に添えることができればいいのですが」
ケイオスさんが他の騎士たちに指示を出し始めたので、私は公爵様と一緒に一番大きくて立派なグレッシェルドラゴンの元に行く。公爵様がその手綱を引くと、ドラゴンは身をかがめてクルルと甘えた声を上げた。
「なんて可愛らしい声なの」
「ははっ、ドラゴンの声を可愛らしいというか。メルフィエラ、これは食べては駄目だぞ?」
「公爵様のドラゴンを食べたりしません!」
「なに、冗談だ」
「もう、酷いです!」
笑いながら高い位置にある鞍に難なく跨った公爵様が、私に向かって手を伸ばしてくる。どうやって乗ればいいのか見当もつかないけれど、公爵様が手伝ってくださるのであれば大丈夫だろう。
「あの、私、ドラゴンは初めてなんです」
「心配ない。私に身を委ねていろ」
公爵様の大きな手を取った瞬間、私は鞍の上に引き上げられた。そしてあっという間に公爵様の前に座らされる。ドラゴンは身をかがめているというのに、軍馬よりも高くて、私は咄嗟に公爵様の腕にしがみついた。
「怖いか?」
「つ、掴まっていれば、なんとか」
「横乗りでいい。そのまま、体重を預けて私の腕を掴んでいろ」
公爵様の腕の中にすっぽりと包まれる形になった私は、言われた通りに公爵様の腕をぎゅっと抱え込む。横乗りの態勢なので、跨るよりも不安定だ。
ケイオスさんたちを乗せたグレッシェルドラゴンが先に上空へと舞い上がり、くるくると旋回し始めた。こうして近くで見ると圧巻だ。マーシャルレイドの騎士たちもドラゴンの様子が気になっているらしく、何度も見上げて確認している。そこに、お父様が進み出て来た。
「申し訳ありません、公爵閣下。私は屋敷での準備がありまして。代わりにメルフィエラと、こちらの騎士を寄越します」
「よい、私の我儘だ」
「メルフィエラ、くれぐれも粗相のないように。公爵様のお望みの通りになさい」
お父様が私の軍馬の手綱を握り、こちらを見て頭を下げた。その姿を見た私は、公爵様を見上げて決心する。公爵様が私を受け入れてくださるのであれば、お父様もきっと安心してくれるに違いない。それにはまず、研究棟で私がどんなことをしているのか、全部全部、公爵様に見ていただかなければ。
(私が何故、魔物食にこだわるのか……すべてお話ししたら、貴方は私をどう思われますか?)