83 百足蟹の蒸し焼き[食材:ユグロッシュ百足蟹]
アリスティード様とケイオスさんから、活きの良い百足蟹がたくさん届いた。届けてくれたのはすっかり魔物食に馴染んだアンブリーさんとゼフさんだ。
「閣下たちが吟味した百足蟹っすからね。味は期待できそうですよ」
とゼフさんが説明したとおり、どの百足蟹も身体に厚みがあり、爪や脚も太くて栄養が行き渡っていることがよくわかる。魔法灯の明かりに照らされた百足蟹の甲羅は、暗緑色でゴツゴツとしていた。目は蜘蛛のように無数についていて、青白く光っている。
「それにしても大きいというか、長いというか。これは準備していたお鍋に入りそうにないですね」
頭から爪までのところで、既に鍋からはみ出しそうだ。蟹の調理は旨味を閉じ込めるために丸ごと茹でるのが基本だ。百足蟹も同じ甲羅を持っているので、半分に切るのは駄目だろう。私が調理方法に悩んでいると、アンブリーさんが「それなら蒸し焼きにしたらいいですよ」と教えてくれた。
「蒸し焼き、ですか?」
「ええ。地面に穴を掘ってカジュロの葉を敷き詰めた上に獲物を置いて、真っ赤に焼けた石を入れるんです。石の熱でカジュロの葉から蒸気を出してまるっと蒸し焼き。これで調理した肉は旨味が凝縮されていて柔らかくて美味いですよ」
「それいいっすね、アンブリー班長。カジュロの葉ならそこら辺に生えてますんで、必要であれば後から持ってきますよ」
なるほど、百足蟹の蒸し焼き。それなら鍋がなくてもできそうだ。それに旨味が凝縮されるなんて最高でしかない。
「それではお願いします、ゼフさん。石の方は私が準備しますので」
「あ、そっちも大丈夫ですよ。石なら閣下が幾らでも灼いてくれますんで」
「まあ、アリスティード様が。それなら安心ですね!」
とは言ったものの、アリスティード様をあてにしすぎているのでは、と私は自問する。『首落とし』もそうだけれど、アリスティード様の高火力は本当に素晴らしい。あの白い炎で廃棄物を燃やし尽くしてくださるのもそうだ。
(私も練習すれば白い炎を使えるようになるのかしら?)
剣技は無理だけれど、魔法ならなんとかなるかもしれない。炎の魔法を自由自在に使えるようになれば、アリスティード様に頼りっきりにならずにすむ。
(今度教わってみよう)
そう考えた私は、自分に与えられた役割の合間を縫って百足蟹の下処理を始めることにした。手伝ってくれるのは、リリアンさんと小厨房長のレーニャさんだ。ゼフさんたちを見送った私は、早速二人を呼び寄せる。
「活きがよく身が引き締まってそうですね!」
やってきたレーニャさんが、百足蟹を見て歓声を上げた。
どの百足蟹も鋭い毒の尾は切り落としてあるけれど、顎と爪はついたままだ。私はまず、挟まれないように爪をぐるぐると縄で縛ると、百足蟹を頭の後ろから掴んだ。百足蟹は内側に丸くなることはできても、背中側には丸まれない。しかも、顎はあっても毒の尾はないので、爪を封じれば安全に持つことができるのだ。
抵抗して長い身体をくねらせた百足蟹が、顎をカチカチと鳴らして威嚇する。ずしりと重く、身が詰まっていそうな予感に思わず笑顔になってしまう。私が幼い頃に食べた百足蟹よりも大きく、とても食べ応えがありそうだ。
「姫様、こいつらまだ生きてますけど、このまま魔力を抜き出すんですか?」
「あー! リリアン、これ卵じゃない?」
「本当だ! 百足蟹の卵ってこんな感じなのかぁ。初めて見た」
「卵も薄ら光ってるよ? 卵の時からやっぱり魔物なんだね。私が知ってる蟹とはちょっと違うみたいだけど、どんな味がするんだろう」
リリアンさんが持ち上げた方の百足蟹は、なんと卵を抱えていた。産卵直前の個体だったらしい。レーニャさん曰く、「蟹の卵とはちょっと違う」ようだ。腹に抱えた涙型のたくさんの卵は房になっていて、その房は薄い膜に覆われている。そのどれもが半透明で真ん中が仄かに光っていた。蟹の卵は珍味だけれど、百足蟹の卵も美味しいのだろうか。
(殻は硬くないけれどこれも立派な卵よね? どうしよう)
リリアンさんとレーニャさんの期待が篭った眼差しに、私は言葉が詰まる。食べたいのは山々だ。しかし、卵は駄目なのだ。好き嫌いではなく、もっと根本的な問題なのでどうしようもないのだけれど……。
「あの、リリアンさん、レーニャさん。その、卵は、もしかしたら無理かもしれません」
「姫様は卵が苦手なんですか?」
リリアンさんが意外だというような声を上げる。
「いいえ、私もすごく食べてみたいんです。でも、卵に内包された魔力を、殻を破らずに取り出す技術がなくて、申し訳ないのですが……」
そうなのだ。私は『卵』に関しては、まだきちんと攻略できていない。今の私では、殻に覆われている卵は殻を割らないと中の魔力を吸い出すことが難しい。卵という食材は、私が唯一下処理に失敗し続けているものだった。
「何か問題でもあるんですか? 魚卵よりも弾力がありますけど、この通り柔らかいみたいです」
レーニャさんが、ギチギチと動く百足蟹の腹から卵の房を引きちぎる。柔らかそうな見た目の卵は、見た目通り柔らかいようだ。卵を指先で摘んだレーニャさんがプニプニと卵を押し潰してみせた。
「それが……硬い殻も柔らかい殻も関係なく、卵の殻は生命を育むための最強の鎧なんです。外部からの魔法を受け付けないようでして」
私は油紙に描いた魔法陣を取り出すと、レーニャさんに卵を置くように指示する。それから曇水晶を手に集中して、いつにも増して気合を込めて呪文を唱えた。
『ルエ・リット・アルニエール・オ・ドナ・バルミルエ・スティリス……』
私の魔力に反応した魔法陣が光を放ち始めるけれど、やはり殻が邪魔をしているのかいつものような手ごたえはない。
『イード・デルニア・オ・ドナ・バルミルエ・スティリス』
私はこれでもかというくらいに卵に集中した。しかし内包された魔力は一向に殻から滲み出てくることはなく、魔力を吸い出すことはできそうにない。命を守るための卵の殻は、私の魔法程度ではびくともしないということなのだろう。
これまでも、卵に関してはさまざまな試行錯誤を凝らして魔力を吸い出そうと努力はしてきた。でもそれはことごとく失敗していて、卵を割って中身を出さなければ下処理ができないという結論が導き出されたのだ(ベルゲニオンも卵を抱えていた個体がいたけれど、そのせいで廃棄しなければならなかった、悔しい)。
「やっぱり駄目なようです」
何も変化のない卵を前に、私はガクッと膝をついた。
「悔しいですが……非常に、悔しいですが、私の負けです」
詠唱を止めた私は、百足蟹の卵を前に今回も自分の敗北を認めるしかなかった。私の魔法もまだまだ研鑽が必要ということなのだろう。
「私の未熟さ故に目の前にあるのに食べることができないなんて……」
「だ、大丈夫ですよ、姫様。今は駄目でも、姫様ならきっとやり遂げてくださると私は信じてますから!」
「私もレーニャの言う通りだと思います! こいつらは毎年産卵しますから、楽しみは来年に取っておくということで! それにほら、今回は姫様の思い出の味を堪能するための遠征ですし」
そう、今はまだ無理でも次がある。何も諦めることはないのだから。レーニャさんとリリアンさんに慰められた私は、気を取り直すことにして、百足蟹本体の下処理をすることにした。
蟹類は生きたまま茹でると脚がもげるので、真水で締めてから調理するのが一般的だ。締めてすぐに魔力を抜き出せば問題はないので、調理用の真水を拝借してレーニャさんと一緒に百足蟹の頭を真水に沈めていく。
「決して命を粗末にしたりはいたしません。その尊い命を最後まで大切にいただきます」
食べるために殺めるのだから、責任を持って美味しくいただかねばならない。そうして十匹の百足蟹(そのどれもが二フォルンほどもある)を締めた私は、曇水晶を手に呪文を唱えた。
下処理を終えた百足蟹を籠に入れて戻ると、騎士たちも続々と戻って来ていた。騎士たちでごった返す中で、後方支援部隊の者たちが忙しく動き回っている。
「うへぇ……塩でベタベタする」
「いくら錆止めをしてるといっても万能じゃないからなぁ」
「真水はたっぷり用意してありますのでこちらへ」
交代で休憩を取りに来た騎士たちは、まずは装備の手入れをするようだ。鍛治師たちが待ち構えている天幕には、真水が入った大きな木桶が幾つも置いてあった。塩水を被ってしまったまま放置すると肌がヒリヒリしてくるし、何より鎧や剣が錆びてしまうので放置は禁物らしい。
医療部隊の方は幾分落ち着いていた。重傷者用の天幕に旗は立っていない。それでも、軽傷者の数は一定数いるようで、あちこちで治療が行われている。
「おいっ、通してくれ! 医療師さん、解毒薬を頼む!」
うつ伏せのまま木の板に乗せられて運び込まれた騎士のところに、医療部隊の人が駆け寄って行く。
「これは結構腫れてますね。百足蟹の毒ですか?」
「おう、こいつがうっかり尻をついた時に刺さっちまったんだよ」
「……おま、それ言うな……よ」
どうやらその不運な騎士は、百足蟹の毒の尾が刺さってしまったらしい。すぐさま治療が開始され、すごく効きそうな色をした解毒薬入りの小瓶を口の中に突っ込まれていた。
そして、私がいる料理部隊の天幕は。
大きな天幕に入りきれないくらいの騎士で賑わっていた。食べやすいようにスープを中心にした料理を提供しているけれど、腹が減ってはなんとやら、と皆食欲旺盛だ。
レーニャさんはもちろん、リリアンさんも皆を手伝って走り回る。私は裏方に撤して表に出ない予定だったけれど、段々とそうは言っていられない状況になってきた。遠征慣れした騎士や体力がある騎士たちは、自分で並んで糧食や飲み物を受け取りに来る。でも、今回が初任務の新任騎士やまだ大規模な遠征に慣れていない騎士たちは、長丁場の討伐でどっと疲れが押し寄せてきているようだ。座り込んで動けそうにない若い騎士たちの姿が散見される。そんな騎士たちには、こちらから糧食の配布に行かなければならないのだけれど、人手が足りなくて皆に行き渡ってなさそうだ。
「私も配って来ます! どこに運べばいいですか?」
「おう、頼んだぜ……って姫様⁉︎」
私は居ても立っても居られなくなり、自らすすんで動くことにした。飲み物やスープが入った鍋やベルゲニオンの塩漬け肉を挟んだパンを荷車に積み込むと、疲れ切った騎士たちのところに向かう。
「ほら、新任。食わんとへばるぞ。なんでもいいから食べておけ」
「すみません先輩……食べるのは、ちょっと無理かも」
先輩騎士が差し出したパンを断り、顔色が悪い若い騎士が長い溜め息をはいて木に寄りかかった。せめて飲み物だけでも摂取しておかないと、水分不足で本当に動けなくなってしまう。私は彼らの前で荷車を止めた。
「固形物が駄目なら飲み物を。これは蔓甘露とキャボの果肉入りです」
私が声をかけると、若い騎士はノロノロと顔を上げてそのまま固まってしまった。その手に空の木杯を持たせた私は、爽やかな香りの特製果実水をなみなみと注ぐ。
「ゆっくり飲んでくださいね」
「は、はい」
「はい、先輩さんもどうぞ」
「自分にまで、あ、ありがたくいただきます」
先輩騎士が一気に飲み干して、背中を丸めて座っていた若い騎士はそろそろと木杯に口を付ける。それから、急に喉の渇きを思い出したかのように、ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。
「あ、あの、もう一杯いただいてもよろしいですか?」
空になった木杯をおずおずと差し出してきた若い騎士に、私はおかわりを半分注ぐ。そして温かいスープも一緒に手渡そうとして――
『閣下が落ちた⁉︎ ヤニーッシュ‼︎ 至急回収!』
誰かの共鳴石から聞こえてきたケイオスさんの慌てた声に、騒ついていた後方支援部隊の拠点が一瞬しんとなる。アリスティード様はつい先ほど、五十フォルンもある百足蟹が出たという応援要請に向かわれたばかりだというのに。
百足蟹と交戦していたアリスティード様が落ちた。
(落ちた? まさかドラゴンから? どこに?)
私は思わず手を止めてしまった。スープが入った器を取り落としはしなかったけれど、小刻みに手が震えて中身が少し溢れてしまう。スープが地面にポタポタと落ち、それに気づいた若い騎士の一人が私の手を支えてくれる。
「姫様」
「ご、ごめんなさい! すぐに拭きますね」
「いえ、俺にはかかってませんので」
先輩騎士が私から器を受け取ると、若い騎士が私を気遣うように聞いてくる。
「……あ、の……姫様、今の聞いてしまわれました?」
今の、とは、先ほどのケイオスさんの声のことだろう。聞いていないと嘘はつけず、私は無言で頷く。ぎこちない笑みを浮かべた若い騎士に、私の方も気まずくなってしまう。
しかし先輩騎士の方はスープも豪快に飲み干すと、口元をグイッと手で拭って私の目を真っ直ぐに見てきた。
「心配いりませんよ、姫様。我らの閣下は無茶ばかりしますが、大切なことを放り出して逝くような薄情な男ではありません」
コミカライズ版もパルシィ様とpixiv様で連載中です。




