82 ユグロッシュ百足蟹討伐大作戦6(公爵視点)
俺は、ガシャガシャと音を鳴らして蠢く小型のユグロッシュ百足蟹を足で蹴散らした。狙うは長い身体を持ち上げようとしている七フォルン超えの百足蟹。完全に身体が持ち上がり、その鋭い爪を振り下ろしてくる寸前に、素早く懐に入り込んで心臓部目掛けて槍で突く。
「はぁっ!」
刺さった槍を押し込むと、百足蟹は口から泡を吹きながら身体をくねらせて沈んでいった。
「閣下、接近し過ぎです!」
そう小言を言いながら矢を連射したケイオスにより、俺の左側にいた百足蟹の目が射抜かれる。痛みを感じているのかわからないが、百足蟹が青い血を撒き散らしながら身体を反らせて腹を見せた。
「いくら狙いを外さないようにとはいえ!」
ケイオスが再び矢を射り、目を失った百足蟹は心臓部を射抜かれて倒れた。外側の甲羅は硬いが、脚が生えている内側には比較的柔らかい部分と隙間がある。万能型のケイオスは弓士でもあるため、俺のように接近せずとも遠くから攻撃することが可能なのだ。しかも右目に展開させた風人特有の魔法により、その命中精度は恐ろしく正確だった。
「お前と違って弓は不得手でな!」
「何が不得手ですか。フドゥルの豪弓と呼ばれているくせに」
「俺のはただの力技だ。お前は正真正銘ヴァンの称号持ちだろうが。俺は接近戦の方が性に合っているのだ、仕方あるまいっ!」
仕留めた百足蟹から槍を引き抜いた俺は、いきなり足元からせり上がってきた百足蟹の首の付け根を、左手で抜いた大剣で力任せにぶった斬った。
「またそんな雑な……美味しそうな個体は生捕りにしてくださいよ」
ケイオスの文句を無視し、俺は水中で不気味に光る青白い百足蟹の目の数を数える。小さな目に混じり、ひと際大きな目がゆっくりと横切っていく。目で見える範囲では騎士たちが苦戦している様子は窺えない。そこで俺は状況を把握することにした。
「各班長は順に状況を報告せよ!」
共鳴石で報告を仰ぐと、本隊のそれぞれの班長から続々と戦況が入ってくる。
「一番、セイレル班、人員異常なし! 現在三匹の百足蟹と交戦中」
「二番、アンブリー班、人員異常なし! 今からセイレル班と合流します」
「三番、ガノア班、一名軽傷、その他人員異常なし! こちらはすでに五フォルン超えの百足蟹は見当たりません」
「四番……」
どうやら本隊にはまだまだ余力があるようだ。大きく崩れた班もなく、あらかた報告を聞き終えた俺はもう一度水面を見やった。
(ここらでは十五フォルン越えはだいたい十匹くらいか? やはり今回は育ちがいいが……思ったより数が少ないな)
五フォルン超えの百足蟹が上陸し始めてから二刻は経過しただろうか。ある程度間引きながら百足蟹を屠ってきたが、そろそろ今回の討伐対象が姿を見せる頃合いなのだが。
「水中においては我々は不利ですね」
ケイオスが水中を悠々と泳ぐ百足蟹に何本か矢を射った。しかし、水の抵抗により百足蟹には届かなかったようだ。何事もなかったように通り過ぎていく光る目に向かい、ケイオスは忌々しそうに舌打ちをする。
「確かにな。だが潜るわけにもいくまい」
「しかし何故でしょう。私にはこいつらが何か別のものに警戒しているように思えるんですよね……あくまで私の勘ですが」
ケイオスが感じている違和感に、俺も同じように感じるものがあった。いつもであれば大物たちが産卵を始める頃だ。だが、今回は二十フォルン超えの百足蟹たちの様子がおかしく、なかなか上がって来ない。
(俺たちを警戒している風ではない……何だ、お前らは何を警戒している?)
考えている最中にも、百足蟹たちは顎で、爪で、毒の尾で攻撃を仕掛けてくる。雑魚ばかり相手にしていても埒があかないので、騎士たちに休息を与えることにした。
「現時点で二十フォルン超えの百足蟹は確認できていない。本隊は交代で一旦引き上げる。一番から四番は各自必要な補給を行え。怪我人は治療を優先。ユグロッシュ砦、アザーロ砦、東エルゼニエ砦の者は各砦長の指示に従え」
照明灯が打ち上がり、昼間のように明るくなった岸辺に、討伐班と入れ替わりで荷車を引いた処理班が入ってきた。仕留めた百足蟹たちの遺骸を、ユグロッシュ塩湖に集まってきた魔物たちが食べやすいように離れた場所に持っていくのだ。それでも全ての遺骸を処理できないので、残りは陽が昇ってから燃やさなければならない。
「ケイオス、俺の騎竜を連れて来てくれ」
「騎竜ですか?」
騎士たちに指令を出した俺は、後方支援部隊が待機する天幕まで戻るために引き上げていく騎士たちを見届けてから、ケイオスに騎竜を連れてくるように頼む。
「ああ、上から水面の様子を見て来ようと思ってな。ギリル、そちらの様子はどうだ?」
俺は共鳴石で産卵場の西端にいるユグロッシュ砦長のギリルを呼び出す。すぐに応えたギリルも、いつもと違う何かを感じてる様子であった。
『ギリルです。大物と呼べる個体が予想より少な過ぎます』
「やはりか。それでどうだ、原因はわかりそうか?」
『まだ憶測の範囲ですが、他の産卵場を見つけたのではないかと思い、これから塩湖の南側の岸辺に調査隊を出そうかと』
「なるほどな。では俺が水面を見て来よう」
俺たちの話を聞いていたケイオスが、一礼をしてから踵を返す。
木の杭に沿って移動していた小さな百足蟹たちは待ち構えていた魔物に捕食され、その魔物の数も満足したのか減ってきているようだ。魔物に関しては東エルゼニエ砦のデュカスたちに任せているが、鉄壁の防御陣は乱れていない。
しかし、このまま夜明けまで何もないということは考え難い。濡れた身体に夜風が当たれば体力も奪われる一方で、俺は暖を取りがてら、浅い場所を泳いでいる百足蟹たちを茹で上げてしまいたい衝動に駆られる。
(うむ、我慢だ。俺にも塩湖を沸騰させる火力はない、はずだ……いや、あるのか? やったことはないが、ここから見える範囲であれば……やってみるか?)
などと不毛なことを考えていると、ギリルの慌てた声が聞こえてきた。
『至急伝令! 至急伝令! 西端から少し南、ユグロッシュ砦部隊、大百足蟹と会敵! 二十フォルン超えの数六匹、うち一匹は目測五十フォルン! 至急、応援を求む! 応援を求む!』
その報告を聞いた瞬間、俺の全身の毛がぶわりと逆立った。
(五十フォルンだと? 上等だ!)
ギリルの読みが当たったらしい。百足蟹にもある程度の知性があるのか、産卵場を大幅に変更してくるとは。
「本隊、転進せよ! 五番、六番、七番、余力はあるか? このままお前たちにこの場を任せる! 俺は今からユグロッシュ砦部隊と共闘! 補給中の一番から四番、至急準備を整え騎獣で西端へ向かえ! 八番と九番は補給をしながら待機、状況に応じて任務を与える!」
走って行くには遠く、また余計な体力を奪われる。俺はケイオスを呼びつける。
「ケイオス、騎竜で俺を拾え!」
『この間に引き続きまたですか⁉︎』
「着地させるとそれだけ遅くなるだろうが!」
ぶつぶつと文句を言いながらも、ケイオスは絶妙な角度で俺の騎竜を滑空させてきた。竜笛を使っているのか、自分の騎竜も背後から連れて来ている。前回のように炎鷲から鷲掴みにされるわけではなく、今回は俺が騎竜の脚にしがみつくのだ。落ちたら怪我をするかもしれないが、落ちなければいい話なので問題はない。
『閣下、いきますよ!』
ケイオスが騎竜の角に付けた明かりを灯す。低い位置を俺目掛けて飛んできた騎竜の脚に手を伸ばした俺は、そのまま両手両脚でしがみつく。
「閣下、落ちてませんか⁉︎」
「落ちるか。このまま西端まで連れて行け。見えるぞ、あそこだ!」
暗い地上から上がる照明灯に照らされ、大百足蟹の不気味な姿が浮かび上がる。異様なほどに成長した五十フォルン超えの大百足蟹は、竜巻のように魔法で水を巻き上げながら応戦する騎士たち目掛けて爪を振り下ろしていた。
「な、なんですか、あの大きさは」
「わからんが、あれは逃げられる前にやらねばならん。心臓が二個以上ありそうだな……どうする、ケイオス?」
「どうするって、やるしかないじゃないですか!」
百足蟹の一個目の心臓は首のすぐ下にある。二個目は上から十八番目の脚が生えている部分だ。三個目、四個目ともなると見当がつかない。
俺は下を見回し、大百足蟹を相手にできるくらいの余力が残っていそうな騎士を探す。ユグロッシュ砦の騎士は無理だ。俺が呼んだ本隊もまだ到着していない。騎竜隊長のミュランはそもそもここにはいない。疲弊しているわけではないが、それぞれの獲物にかかりきりだった。が、
(あれはガロットロックか? 識別光が紫色ということは、アザーロ砦の奴らか)
大型の凶馬ガロットロックに跨り岸辺を駆け回っていたのは、ヤニッシュ率いるアザーロ砦の遊撃部隊だ。俺は共鳴石を使ってヤニッシュを呼ぶ。
「ヤニッシュ、下の方の心臓は任せたぞ!」
『お! 閣下は空からですか……ってぇ閣下、そもそもこいつ心臓何個持ってるんですか?』
「わからん、お前の勘でなんとかやれ!」
『了解了解ぃ! おら、野郎どもっ、閣下の命令だ、殺るぞ!』
血の気が多いアザーロ砦の連中が、ガロットロックを一斉に大百足蟹に向かって走らせる。殺る気があるのはいいが、いざ戦闘になると我を忘れる輩ばかりだ。不安が残るが仕方ない。
「では、閣下。我々はどこら辺に降りますか?」
ケイオスの声に、俺は我に返った。
「そうだな……俺は一個目の心臓を取りに行きたいのだが。お前はあの目をどうにかしてくれ」
鋼糸の網が大百足蟹に向かって打ち込まれていたが、水魔法に邪魔をされて届いていない。しかし、ヤニッシュたちとユグロッシュ砦の騎士たちは共に上手いこと大百足蟹の注意を引きつけてくれており、俺たちの動きには気付いていないようだ。
「よし、このまま奴の顎下ギリギリを突っ切れ」
「ちょっと、それでどうやって私があの蟹の目を潰すんですかっ!」
「なんだお前、あの蟹を食いたくないのか?」
「ええ、ええ……食べたいですよっ、今すぐにでも!」
「無茶苦茶だっ、補佐官なんて辞めてやる!」と嘆いたケイオスは、騎竜の背に張り付くような姿勢になって飛空速度を上げる。そのまま行けば確実に勘づかれ、その顎と爪の餌食になるところを、一緒に連れて来ていた自分の騎竜を大百足蟹の頭上で旋回させて気を散らさせる。
無茶な指示を出している自覚はあるが、ケイオスはできる男だ。俺の信頼を裏切ったことがないこの類い稀なる親友は、今回も上手くやってくれた。
「その心臓、もらったぁぁぁっ‼︎」
騎竜が百足蟹の顎下を通過する直前。俺は大剣を抜き放って騎竜から手を離すと、顎下の真ん中目掛けてそのままの勢いで飛び込む。殺るか殺られるかの瀬戸際であり、素早く呪文を唱えて大剣に白炎を纏わせた。
(手応えあった‼︎)
五十フォルン超えであっても、内側は他よりも柔らかくできているようだ。剣から硬い殻を貫く感覚が伝わってきて、俺は剣ごと腕を突っ込んで更に魔法の火力を上げる。蟹肉が焼ける香ばしい匂いがして、俺はごくりと喉を鳴らす。
衝撃からか、痛さからか、熱さからか。大百足蟹が俺をぶら下げたまま暴れ出す。爪で喉下を掻きむしるような動きをしたため、俺は一撃を喰らう前に撤収することにした。
(秋の夜の水は冷たいが……仕方ない)
大剣は刺したままにしておき、剣の柄から手を離した俺はあっけなく水中に落下した。その途中で目の端に映ったのは、大百足蟹の目に食らいつくケイオスの姿だ。
(それにしても美味そうな匂いだったな)
どうやら蟹が焼ける匂いが鼻腔に染み付いてしまったらしい。冷たい塩湖の底に沈みながら、俺は空腹を覚えたのだった。
1フォルンは1メートル
1フィムは1センチ