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80 ユグロッシュ百足蟹討伐大作戦4

 ユグロッシュ塩湖はまるで『海』のように広大な湖だった。


「うわぁ、すごいですね、姫様! 向こう岸が見えませんよ」


 リリアンさんが歓声を上げる。私も目の前に広がる景色の美しさに、思わず口がぱかんと開きそうになる。岸辺は白っぽく小さな丸みのある石が転がっていて、水の色も白と青を混ぜたような淡い色合いだ。しかし水深が深くなっていくにつれ、段々と濃い青に変わっていく。湖面に陽の光が反射してキラキラと輝き、とても幻想的だった。


「これが塩湖なのですね。山に近い場所にあるのに海のように塩辛い水だなんて、なんとも不思議ですね」

「この塩湖は春になると山脈から流れてくる雪解け水と混じり合い、海と似たような濃度になるのです。だから様々な魚たちが棲息していて、非常に豊かな漁場になるのですよ」


 ブランシュ隊長が指し示した先には、漁師の船が幾つか浮いていた。ここからひとつ丘を越えた場所にはユグロッシュ砦があり、そこで栄えた町では漁業が盛んに行われているのだという。その豊かな漁場が、繁殖し過ぎたユグロッシュ百足蟹によって荒らされていて、今回の大規模討伐が組まれた。

 百足蟹は年に三、四回の脱皮を行い成長していく。その成長速度は恐ろしく速く、十年も経たずして十フォルン超えの百足蟹になるのだそうだ。


 塩湖の岸辺の一画では着々と準備が進んでいた。岸辺から少し離れた場所に木の杭が打たれ、松明や簡易魔法灯などの照明具がいたるところに設置されている。ユグロッシュ百足蟹は夜行性なので、明かりを使って誘導するのだそうだ。準備をしているのは、ユグロッシュ砦長のギリルさんとその部下の騎士たちだ。彼らの騎士服は黒一色のミッドレーグの騎士たちとは違い、背中に黄色の線が入っていた。


「八番の列の杭をもう少し西方向にずらしてくれ。だいたい七フォルンくらい……もう少しずらして、よし、そこだ」


 共鳴石を使って指示を出しているのはミュランさんだ。隙間なく連なるようにして打たれた木の杭は、百足蟹の進路を誘導するためのものと足止めするためのものに分かれている。


「ゼフ、そっちはどうだい?」

『概ね順調だ。でも昨年の産卵場跡が広範囲に広がっているから、もう少し東側を補強した方がいいんじゃないか?』

「わかった、西側が終わったら確認に行く」


 共鳴石とはとても便利だ。ミュランさんはゼフさんとやり取りしながら、大工たちと図面のようなものに杭の位置を書き記していく。私と一緒にその様子を見学していたブランシュ隊長が、色々なことを教えてくれた。


「百足蟹は秋の終わりの月のない夜に産卵します。水中では卵を狙う天敵もいるので、一斉に陸に上がってくるのですよ」

「そういえば今夜は月のない夜ですよね? それで今夜決行だったのですね」

「はい、そうです。陽が落ちて二、三刻を過ぎたところで、まだ卵を産めない身体の小さな百足蟹たちが()()()()()()()()上がってきます。百足蟹も魔物ですが、陸で棲息する魔物にとってはごちそうですからね。西端に向かって打たれた杭は、百足蟹をわざと逃がして魔物が捕食しやすいように誘導するものです」


 なるほど、卵を抱えている雌や産卵場を襲われては子孫を残すことができない。そこで仲間がわざと食べられに行った隙をついて、残ったものたちが安全に産卵するというわけだ。

 私が子供の頃に食べたあの百足蟹も小さかった(百足蟹が二十フォルンまで成長するとは知らなかったので、私はあれで成体だと思っていたけれど)。もしかしたら、捕食されるために陸に上がってきた個体だったのかもしれない。


「足止めした百足蟹は、大物のみを狙います。多分、夜十二刻を過ぎた頃から本番ですね。今回は七フォルン超えの百足蟹から片付ける算段です。魔物といえど塩湖の環境作りに必要ですから、共存共栄というところでしょうか」


 そういえば、ガルブレイスでは増え過ぎたり人に危害を加えた魔物を中心に討伐するのだと聞いていた。魔物によっては有益性が高いものもいるし、エルゼニエ大森林の生態系は微妙な均衡により保たれているのだろう。


「ほら、姫様見てください! あの鋼糸の網! あれで大蟹の動きを封じるんです」


 リリアンさんが興奮した様子で何かを指し示す。そこでは、ユグロッシュ砦長のギリルさんと十人くらいの騎士たちが、重そうな布のようなものを広げていた。時折り虹色に輝いて見えるそれには、私も見覚えがあった。


「ああ、なるほど! ガレオさんの鍛治工房で見ました。あの特殊な網はこの日のためのものだったのですね」

「百足蟹は体長五フォルンを超えてくると、顎やハサミがやけに頑丈になります。普通の鋼糸だと切り裂いてしまうのです。今回は先の調査により二十フォルン超えの百足蟹がかなりの数いるとわかっていましたので、ガレオが魔法師と相談して強化魔法をかけた鋼糸を編み込んだと言っていましたね」


 幾つも用意されたルセーブル鍛治工房特製の鋼糸の網は、その重さゆえに人の手では投げることができない。そこで使うのが空を飛ぶ魔物たちなのだそうだ。グレッシェルドラゴンは夜目が利くし力持ちだ(なにせロワイヤムードラーをたった二頭でマーシャルレイドまで運んできたのだし)。アリスティード様がグレッシェルドラゴンでこちらに向かっているのも、どうやらそのためだったらしい。


「さあ、私も仕事をしなくては」


 ブランシュ隊長からひと通り説明を受けた私は、自分に与えられた役割を果たすことにした。


「では姫様、私はリリアンを連れてあちらに参加してきます。護衛にはサブリナが付きますので」

「それは頼もしいですね。でも、いざという時は結界石と護符もありますから心配しないでください」


 私は首から下げた結界石を騎士服の上から押さえる。アリスティード様が私のために作ってくださった琥珀色の結界石は、ほんのり温かい魔力を放っている。

 リリアンさんは私の護衛の他に、初めての討伐遠征ということで色々なことに参加することになっていた。ブランシュ隊長とリリアンさんがピシッと騎士の礼の姿勢になる。白い騎士服が陽の光に映え、二人ともとても凛々しく頼もしい。一方の私は、


(白いと汚れが目立つから前掛けをしないと)


 アリスティード様は汚れても大丈夫だと仰ってくれたけれど気後れがする。そこで私は、なんとか汚さなくて済むように、頭からすっぽりと被れる茶色の前掛け(と呼ぶには何か違うような、手だけを出せる外套のようなもの)を借りたのだった。


 それから二刻ほど経ち。私たち後方支援担当の部隊も、塩湖を見渡せる離れた位置に天幕を張り終え、準備が整いつつあった。医療用の天幕に武器庫のような天幕、それに魔法師たちの道具が置いてある天幕と様々な天幕がある。至るところで打ち合わせが行われており、各々の役割を黙々とこなしていく。

 私も料理班の一員として昼食の支度をしていたところ、北の空に黒い大群が現れた。統率が取れた動きのそれは、明らかにこちらを目指している。


「レーニャさん、あれはもしかして」

「はい、閣下たちの騎竜部隊です。姫様、こちらはもう大丈夫ですから、お出迎えを」


 小厨房長のレーニャさんはそう言ってくれたけれど、私は根野菜を細かく刻んでいる最中で、まだまだ野菜はたっぷりとある。


「皆さんもお出迎えに行くのですか?」

「私たちは作業優先ですので、行くのは作業経過を報告する部隊長だけです。でも姫様は……」


 レーニャさんは気を遣ってくれているのか、もうすぐそこにまでやってきたドラゴンと私を交互に見る。先頭を行くのはアリスティード様のドラゴンで間違いない。けれど、


「これといって報告するようなことはないので、昼食の時でもいいかと」

「えぇっ」

「ほら、アリスティード様はお仕事がいっぱいありますし、なんといっても総指揮を執る立場ですから」


 うろうろまとわりつくと邪魔になることがわかっているので、私はレーニャさんの気遣いを断ることにした。きざみ終えた根野菜を大きな籠に移し、また別の根野菜にとりかかる。


「気にしないでください。今は美味しい昼食をお届けすることが先決です。あ、ミュランさん! 少し伝言をお願いします」


 私はキョロキョロと何かを探しているようなミュランさんを見つけ、大声で呼び止める。


「ここにおられましたか、メルフィエラ様。まもなく閣下が到着しますので、迎えに参りました」


 なんと、ミュランさんまでもそんなことを。私は首を横に振ると、根野菜と小型の刃物をミュランさんに見せる。


「今は手が離せません。ですから、アリスティード様に『美味しい昼食をふるまうために頑張ってます』とお伝えください」


 残念ながら私は伝言蜂を持っていないので、こうやって言付けるしかない。しかしそれを聞いたミュランさんが微妙な顔をした。


「えぇ……メルフィエラ様、お出迎えに行かれないのですか?」

「自分の役割を優先的に、とはアリスティード様のご指示だと聞きました。わざわざ自分を出迎えるためだけに集まるのは労力の無駄だとか」

「まあ、それはそうなんですが」

「私もガルブレイスの戦士の一員ですから! ふふふ、皆でひとつの目的を達成するまでの過程は楽しいですね。無事討伐が完了したら、アリスティード様にたくさんお話ししたいです」


 私の様子を見ていたミュランさんが、「それも閣下に伝えておきます」と言って駆けて行ってしまった。皆、私に気を遣い過ぎだと思う。


「さあ、レーニャさん。ベルゲニオンのスープもアリスティード様には初お披露目となるのですから、気合を入れないと」

「そ、そうでした! 皆さん、気に入ってくれるといいのですけど」


 途端に眉を寄せてそわそわし始めたレーニャさんだったけれど、その心配は無用だと思う。昨晩、あのスープを食べた人たちからは好評だったのだし、誰もベルゲニオンの肉だからと気にしてはいなかった。寛容なのか大雑把なのかわからないけれど、ガルブレイスの人たちの大半は、美味しければそれでよし! な雰囲気はあると思う(好奇心が強いともいう)。

 そうこうしているうちに、ドラゴンたちは騎士用の天幕の方に着陸した。ドラゴンは武器が入った木箱や騎獣用の魔物(えさ)を運んできていて、あたりは一気に活気づく。私がいる後方支援の天幕からは少し離れているので会話は聞こえてこないけれど、雰囲気が引き締まるというか、いよいよ始まるという空気になったのが感じられた。


(夜が本番だから、騎士たちは先に仮眠を取るって言っていたし、私も夜に備えて準備を始めなくては)


 私には、通常の料理を作るほかに大切な役目がある。

『ユグロッシュ百足蟹を食用化すること』

 それが、アリスティード様から特別に与えられた任務だ。そのための魔法道具は持ってきているし、小さめの百足蟹で問題なく魔力を吸い出すことができるのか試さなくてはならない。お母様との思い出の味を、皆さんと分かち合えたらどんなに素敵だろうか。もちろん、討伐は危険を伴うものなので、騎士たちが無事であることが前提になるのだけれど。

 私は初めての討伐遠征に、高揚した気持ちを少し持て余したのだった。




 ◇◇◇




「あー……、残念ながら閣下。メルフィエラ様は来られておりません」


 天幕の中で部隊長たちからの報告を受け終えた俺に、所在なげに立っていたミュランが話しかけてくる。他の部隊長たちは持ち場に戻って行ったというのに、何故残っているのかと思いきや、そういうことか。


「何か問題でもあったのか?」


 まさかデュカスのようにチクチク言う輩がいるだとか、メルフィエラが気後れするようなことがあったのだろうか。ミュランを手招きで呼び寄せた俺は、座るように促す。しかしミュランはそれを断り、意を決したような顔をした。


「僭越ながら、メルフィエラ様からの伝言をお伝えします! まず、『美味しい昼食をふるまうために頑張ってます』だそうです。すごく可愛い笑顔付きでした! あと、『無事討伐が完了したら、アリスティード様にたくさんお話ししたいです』と。これも眩しいくらいの笑顔付きでした!」


 俺の背後で聞いていたケイオスが、「ブフッ」と妙な声を漏らす。かくいう俺も、メルフィエラの声真似をしたミュランを前に脱力した。


「その変な声はやめろ。メルフィがそう言っていたのか?」

「はい。皆でひとつの目的を達成するための過程が楽しいのだそうです。昨晩の野営の際も、皆で和気あいあいと過ごしました。それに、立派に己の役割をこなしておいでです。率先してレーニャたち料理人と同じことをされていました」

「そうか……ならば、俺が邪魔をするわけにはいかんな。まったく、俺の婚約者殿は頼もしいにも程がある」


 気負い過ぎな面があるとはいえ、ガルブレイスに馴染むために努力をするメルフィエラをどうして止めることができよう。コホンと咳払いしたケイオス(どうやら笑いを堪えていたらしい)が、ミュランに質問する。


「メルフィエラ様は後方支援部隊のところですか?」

「ええ。何やら茶色の外套を頭からすっぽり被って根野菜をみじん切りにしていましたよ。白い騎士服が汚れることを気にしておられるようでした」

「まあ、白はそうなりますよね。これを機にメルフィエラ様専用の騎士服を準備した方が良さそうではありますね」

「でも、あの白さがメルフィエラ様らしいと思うのですが……あ、いや、閣下。変な意味はないですからね、魔眼、魔眼はやめてください」


 顔を背けたミュランが、慌てた声で「では自分は持ち場に戻ります!」と叫ぶと転がるようにして天幕を出て行った。伝言を受けたからとはいえ、メルフィエラの可愛い笑顔と眩しいくらいの笑顔を見たというミュランに対し、何やらもやもやとしたものを感じた俺は、無意識のうちに魔眼を発動させていたらしい。


(まだまだ俺も修業が足りないな)

「閣下……そんなに寂しそうな顔をしなくても。気になるならこっそり見に行けばいいじゃないですか。我慢はよくありませんよ」


 ケイオスを見れば、あきれたような半眼になっている。


「煩い。別に寂しいだとか、我慢しているわけではない」


 そうは言ったものの、昼食時にも一瞬しかその姿を見せてくれなかったメルフィエラに対し「寂しい」と感じたのは、口が裂けてもケイオスには言わん。




ケイオス「バレバレです」

ミュラン「バレバレですよね」

一同「閣下のへたれ」

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― 新着の感想 ―
公爵夫人の務めもあるから、ほどほどに頑張れ
[良い点] 茶色の手しか出ない前掛け…外套…と書かれていましたが想像したのは白い割烹着姿のメルフィエラさんでした(笑) 蟹、楽しみにお待ちしています。
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