79 ユグロッシュ百足蟹討伐大作戦3
細かく刻んだ干しベルゲニオンと干し野菜、そして干しキノコのスープは、ピリッとした辛味でとても美味しかった。騎士の皆は平たいモニガル芋のパンをスープに浸して食べていたので、私も同じようにして熱いスープに硬く焼いたパンを砕いて浸す。
(なるほど。こうすればスープが程よく冷えて手早く食べられるものね)
パン自体に塩気があるから、スープの味が引き締まっている。さらに柔らかくなったパンは食べやすく、私はあっという間にするすると平げてしまった。香辛料のおかげか、身体もポカポカと温かくなってくる。
「ふぅ……すごく美味しかったです」
最後の一雫まで飲み干した私は、幸せの溜め息をもらす。皆が食べている様子を気にして見ていたレーニャさんが、私の言葉に照れたようなはにかみ顔になった。他の料理人たちも、心なしかホッとしたような顔になっている(レーニャさんたちミッドレーグの料理人は、簡単に調理できて、かつ美味しく栄養価の高い食事の開発を永遠の課題にしているそうだ)。
「ねえ、レーニャ小厨房長。このベルゲニオンの干し肉って、そのままかじっても美味しいのかな?」
私と同じようにスープを飲み干したミュランさんが、レーニャさんの横にあったベルゲニオンの干し肉が詰まった革袋に目をとめる。
「食べられないこともないですけど、塩が利いてますよ?」
レーニャさんが干し肉の小さな欠片を取り出し、ミュランさんに手渡した。しげしげと眺めていたミュランさんが、おもむろに干し肉を引き裂いて口の中に放り込む。しばらくもごもごと口を動かしていたかと思ったら、レーニャさんに向かってにっこりといい笑顔を見せた。
「うん、結構塩が利いてる。だけどいっぱい歩いたり魔獣と戦って汗をかいた時の塩分補給に最適だと思うよ」
ロワイヤムードラーやザナスの時も思ったけれど、ミュランさんは魔物食に抵抗がないどころか進んで食べる傾向がある。私は魔物の下処理のやり方を知っているけれど、ミュランさんは違う。スクリムウーウッドの件もあるし、これまでにも残留魔力によって酷い目に遭ってきただろうに、未知なる食物にめげずに挑むその姿勢には感服するばかりだ。
「ずるいぞミュラン」
「わ、私もそう思います! ミュラン隊長ばっかりずるい。レーニャ、私もそれが食べたいです!」
それを見ていたゼフさんとリリアンさんも、すかさずレーニャさんから干し肉をわけてもらっていた。ゼフさんはそのままかじり、リリアンさんは香草茶を飲みながらかじり始めた。騎士は身体が資本なだけあって、精がつく食べ物――つまり肉を好んで食べる傾向にある。ゼフさんなんかはそれが顕著で、食わず嫌いをしなくなってきたとはいえ、野菜の青臭さに苦手な様子をみせていた。
「そういえばメルフィエラ様。ケイオス補佐が食べているスカッツビットの干し肉も、メルフィエラ様がお作りになったとお聞きしました」
ミュランさんに質問された私は首を傾げる。スカッツビットの干し肉は、秋の遊宴会の時にアリスティード様に差し上げたものしかなかったはずだ。ということは、ミュランさんもヤニッシュさんと同じくケイオスさんから分けてもらったのかもしれない。
「ええ、私が作りました。マーシャルレイドは寒冷地ですから、塩辛いものが好まれるのです」
「ケイオス補佐はけちんぼなので、少ししかいただけなくて。もっとしっかりガッツリ食べられたらと思ってるんですよね。このベルゲニオンの干し肉もあんな風な味付けができるのですか?」
ミュランさんが残りの干し肉を火で炙り始めると、あたりに肉が焼ける香ばしい匂いが広がった。
「そうですね。ベルベルの木の実があればできなくはないかと。ただ、鳥肉と獣肉は質が違うので、ジェッツビットの肉だとうまくあの味を再現できると思います」
「ジェッツビットはそこら辺にいるから大丈夫ですが……ベルベルの木。ベルベルの木って、やっぱり魔樹ですよね?」
私はミュランさんにそうだと頷く。そうなのだ。ベルベルの木はマーシャルレイドなど北の地方でよく見かける水辺を好む魔樹なのだ。魔樹とあって、普通の樹木ではない。木なのに、水を求めて歩くという特徴があった。根は移動するためのもので、枝から生やした長細い葉から水を吸い上げるのだ。でも、歩くといっても十フォルン程度の距離をひと月くらいかけてじわじわと動くだけで、何か害があるわけではない。むしろその実は衣類の防虫剤として重宝されており、小さな黄色い実を乾燥させて粉にすると、食欲をそそる味と刺激の香辛料になるというわけだ。
「マーシャルレイドまでだと往復四日ですもんねぇ……それに向こうは冬だし。うーん」
悩みだしたミュランさんが、焼いた干し肉を咀嚼する。「こいつはこいつで美味いからしばらくは我慢するか」と言っていたけれど、そんなに気に入ってくれたのであればガルブレイス産の魔物で再現できないか調べてみなければ。私がそんなことを考えていると、早寝の者が寝る時間になっていたようだ。皆が各々片付け始めたので、私も料理人たちと一緒に食器の片付けに入る。
「姫様、ここは私たちがやっておきますから、もうおやすみになられた方が」
慌てたようなレーニャさんが止めに来たけれど、私だって後方支援部隊の一員だ。出来ることは少ないけれど、特別扱いをしてほしいわけではない。
「甘やかしては私が成長できません。びしびし指導してください」
「そ、それは無理ですよぅ……ブランシュ隊長、隊長からも何か言ってください」
レーニャさんがブランシュ隊長に助けを求めるも、ブランシュ隊長は私の味方だった。
「姫様は閣下と、我々と共に生きることを決意なされております。よって、とんでもない無茶をなされない限り、私は姫様のお考えを否定しませんよ」
「ですがっ、高貴なるご身分の姫様が、私たちが食べたものの後片付けなんてっ」
「レーニャ、わかるでしょう。閣下も洗濯から料理の下拵えまでなさいます。それと同じです。受け入れ、諦めなさい」
「えぇぇ……姫様が閣下と同じ」
脱力し、妙な声を上げるレーニャさんを放置して、私は集めた器を桶に入れて洗っていく。洗い物は慣れているから、とりあえず邪魔にはなっていないようだ。こういう時に、自分のことは自分でやっておいてよかったと感じることができた。
「それだけじゃなくてね、ケイオス補佐は姫様と閣下のことを『類友』って評してたよ」
「え? リリアン、る、るいともって何?」
「レーニャは知らないの? 類友っていうのは、とっても相性が良くてお互いなくてはならない存在で仲良しなことなんだって!」
「そうなの⁉︎ で、でもそれってとても素敵なことね!」
リリアンさんの説明に、私は思わずヒュッと息を飲んでしまい咽せた。相性が良いのはなんとなくわかるけれど、お互いなくてはならない存在はちょっと違うと思いますがっ⁉︎
抗議をしようとした私に、リリアンさんがキラキラとした笑みを向けてくる。すっかり信じ込んでいるレーニャさんもだけれど、どうやらリリアンさんもわかって言っているのではないらしい。
(訂正、すべきでしょうか)
とはいえ、ブランシュ隊長はニコニコとしているだけだし、純粋な年少組二人から根掘り葉掘り聞かれても私が困る(そもそもケイオスさんが何をもってして類友と評したのか私にはわからないので)。
「閣下って姫様と一緒にいる時はとーっても優しい顔で笑うよね」
「うんうん、わかるわかる!」
何やら別の方向へと話がズレている二人から離れるために、私は洗い終えた器と布巾を持ってそそくさとその場を立ち去ることにした。
アリスティード様とお互いなくてはならない存在になれるのならば、それは光栄なことだけれど、相当の努力が必要になることは間違いない。私はまだまだだ。まだまだ学ぶべきことが山積みで、とてもではないけれど胸を張ってアリスティード様の隣に並べるような何かを成し得ていない。でも、
(本当の仲良し……になれたらいいな)
アリスティード様といると、すごく自然体でいられる。それに何より、話していてとても楽しい。もっとアリスティード様のことを知りたいと思うし、私のことを知ってほしいと思っている。ついひと月前までそんなことを考えたことすらなかったというのに、私の欲は膨らむばかりだ。それがいいことなのか悪いことなのかよくわからないけれど、ガルブレイスでの日々を大切にしたいと思う気持ちは本物だと、今は無理矢理そう結論付けたのだった。
◇
翌朝、まだ陽が昇らないうちに天幕を片付けた私たちは、ユグロッシュ塩湖に向けて出発する。
朝食はアムシットと呼ばれる野菜やら穀物やら木の実を固めて焼いた乾燥パンだ。騎士たちは慣れた様子で、アムシットを香草茶で流し込むようにしてお腹におさめていく。私も皆を真似て食べたものの、水分がなければ食べにくく、美味しいとは言い難いものであった。軽くて小さいし栄養価が高いことだけは確かなので、遠征糧食には向いているのだろうけれど。
「よし、荷は全て積み終えたな?」
後方支援部隊の隊長さんが、荷車をひとつひとつ確認していく。シュティングルも地走り竜もグレッシェルドラゴンも、十分な休息が取れたのか調子は良さそうだ。
朝の寒さを凌ぐために毛皮付きの外套を被り、ブランシュ隊長が操るシュティングルに乗って走ること三刻。東の空が白けて夜が明けた頃に、私たちは立派な角を生やした真っ黒な魔獣に出くわした。
(牛……にしては身体が細いような。背中にコブ? でも馬に近い魔獣に見えるし、でもあの角は)
戦闘になると役に立つどころか足手まといになってしまう。私だけでもどこか迷惑にならない場所に逃げた方がいいのではないかと考えたけれど、砂埃をたてながら十頭ほどの群れで向かって来るその魔獣に対して、騎士たちは警戒する様子もない。上空のミュランさんたちも降りてこないし、ブランシュ隊長などは盛大に溜め息をついている。
「あの、あれは無害な魔獣なんですか?」
見たことのないその魔獣が気になった私は、ブランシュ隊長に聞いてみる。
「あれはガロットロックという魔獣です。背中にくっついているのは騎乗したうちの騎士たちなので、無害と言えば無害ですね」
背中のコブの正体が判別できるくらいに近くまで来たガロットロックは、普通の馬の倍はあろうかという太い脚をした曲がった角を生やした馬のような何かであった。毛並みがふさふさとしているのでかなり大きく見える。
そして背中のコブは、ブランシュ隊長が言った通り黒づくめの騎士だった。コブに見えた理由は、その騎士たちも毛並みがふさふさしたような黒い外套を羽織っていたからだ。
もふもふのコブ……いや、騎士がもぞもぞと動き、外套から顔を出す。
「よぅ、姫さん! あんまり遅いから迎えに来たぜ」
ひょっこり顔を見せたのは、なんとアザーロ砦長のヤニッシュさんだった。
「ヤニッシュ砦長、アザーロ砦の部隊の到着は今日の夕方ではありませんでしたか?」
「あー……そうだったか?」
後方支援部隊長に指摘されたヤニッシュさんは、ぽりぽりと頬を掻きながらとぼけたような顔になる。
「貴方がたが早すぎるんですよ。我々はきちんと時刻厳守で進行しておりますので。閣下たちの本隊も昼過ぎにしか来ませんが」
「細けぇこと言うなよ。この日が来るのが待ち遠しくてうっかりしてただけだっての。な、姫さん。俺の方は準備万端だ。ちゃっちゃと片付けて美味い蟹を食おうぜ!」
ヤニッシュさんの満面の笑みに、ブランシュ隊長が益々深い溜め息をつく。
「無事にユグロッシュ塩湖のほとりにたどり着いたと思ったら、朝っぱらからこれなんて……姫様、ガルブレイスの騎士はこんなのばかりではありませんからね? なんかこう、血の気が多い奴らとか食欲旺盛な奴らとか自由奔放な奴らしか見ないかもしれませんがっ!」
「お前だって血の気が多くて自由奔放じゃねーか、ブランシュ」
「うるさいっ!」
ブランシュ隊長の嘆きをよそに、やる気に満ち溢れたヤニッシュさんの豪快な笑い声が、ユグロッシュ塩湖のほとりに響き渡った。
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謹んでお礼申し上げます。
コミカライズ版は、毎週月曜日に漫画アプリPalcy様で連載中。pixivコミック様では毎週水曜日に更新されます。