8 求婚は空からお土産を持って2
ドラゴンが羽ばたく度に風が舞い、開けた窓が壁に打ち付けられてガンガンと鳴る。私の髪もすごい勢いで煽られているから、きっとボサボサの大惨事になっているだろう。それでも公爵様が来てくださったことが嬉しくて、私は淑女のなんたるかを放り投げて大声を出した。
「公爵様! ドラゴンたちは、屋敷の北側に見える牧場に、降ろしてください!」
「そちらの家畜たちは大丈夫なのか⁈」
「冬場は、別の牧場に移していますから!」
「わかった!」
「私もすぐに行きます!」
手を軽く上げ、合図をした公爵様とドラゴンが、上空の群れの中へ戻っていく。凄く、かっこいい。ドラゴンの色は黒鉄色で渋いから、公爵様の真紅の外套がよく映える。ドラゴンに騎乗する騎士を何度か見たことはあるけれど、公爵様はその誰よりも堂々としていて、そして凛々しかった。
それにしてもグレッシェルドラゴンなんて、私は実物を見るのは初めてだ。お父様が見たという炎鷲も見たかったけど、あれは寒冷地に弱いから乗っては来れなかったのかもしれない。
(あら、あのドラゴンたちは、何をぶら下げているの?)
北の牧場に移動していくドラゴンのうち、二頭が何か重そうなものを提げていた。布のようなものでぐるぐる巻きにされているからか、何なのかよくわからない。まさか、あれが例の『お土産』なのだろうか。
「さあ、急がなくちゃ!」
「メ、メル、メルフィエラさん、どこへ行くのですかっ⁈」
窓を閉めた私は、公爵様たちを出迎えるため部屋から出ようと振り返る。しかしそこで、まだ腰を抜かしたままのシーリア様が私を呼び止めた。侍女たちもしきりと外を気にしている。
「公爵様をお出迎えしませんと。シーリア様も、さあ早く」
私は手を差し伸べ、シーリア様を誘う。ここの女主人はシーリア様なのだから、お父様の隣に立ってもらわなければ。
「い、嫌ですわ! わ、私は具合がよろしくありません。旦那様にはそうお伝えして。いいですわね、メルフィエラさん。私は今から、療養いたします!」
「でも、公爵様は私との婚約を申し込みに」
「そんなもの、旦那様がお認めなされば成立するでしょう!」
シーリア様は、癇癪を起こしたように高い声で喚いた。確かにお父様が家長だからシーリア様の言うことは正しい。でも、マーシャルレイド伯爵夫人として、それはあまり褒められたものではない。
「いきなりドラゴンで乗入れて来るなんて、やはりガルブレイス公爵家の者は非常識極まりなく、野蛮で、恐ろしい者たちばかりですのね! 世間から『狂血公爵』と蔑まれる意味がわかりましたわ」
シーリア様のあまりの言い草に、私はお腹の底から怒りの感情がぐらぐらと沸き出してきた。それは確かに、手紙にはドラゴンで来るとは書いていなかったけれど、野蛮だとか恐ろしいとか、公爵様に会ったこともないのによく言えるものだ。ここで反論しても時間が無駄になるだけなので、私は言いたいことをグッと堪えて、一言だけ告げた。
「マーシャルレイド伯爵夫人。私は、公爵様の申し入れを喜んでお受けするつもりです」
公爵様は私に妻問いをしに来てくださったのだから、私はそれに誠意を込めてお応えしよう。公爵様は優しくて、私を軽蔑したりしないから、きちんと私の事情を話せばきっと受け入れてくださるはず。
◇
「お父様、公爵様が来られました!」
「やはりあのドラゴンは公爵家のドラゴンだったのだな」
「はい。上空からですが、公爵様にはもうお会いしました。北の牧場にドラゴンを降ろしていただきます。私は先にお出迎えに参りますので、お父様の軍馬をお貸しください」
屋敷を走り回って準備をするお父様を捕まえた私は、公爵様の到着を報告する。ちょうどマーシャルレイド家の騎士長も来ていて、あのドラゴンが敵ではないとわかるとホッとしたような顔になった。
「軍馬か。相手がドラゴンではな。わかった、私も準備ができたらすぐに迎えに行く。シーリアは」
「お父様、あの……シーリア様は具合が悪いと……」
私がそう言うと、お父様はピンときたようだ。仕方ないというように溜め息をつく。
「そうか……公爵様には療養中だと説明しよう。私も直ぐに馬車で向かう。それまで頼んだよ」
「はい、お父様!」
私は馬房に向かうと、馬丁にお父様の軍馬に鞍をつけるように命じる。ドラゴンの近くに行くには訓練された軍馬でないと、普通の馬だったらおびえてしまうのだ。私にはかなり大きい軍馬だけど、よく訓練されているから大丈夫だろう。馬丁が引いてきた軍馬の首を撫で挨拶をすると、私は鞍に飛び乗り、そのまま北の牧場へ向かって駆けた。
丘を下り小さな雑木林を抜けると、そこに広がる牧場の中にグレッシェルドラゴンたちがいた。全部で十頭。どのドラゴンも立派で、長い首をもたげて私を見ている。警戒しているのではなく、見ているというところが、実に魔物の頂点に位置するドラゴン種らしい。
「公爵様!」
「やるな、メルフィエラ。軍馬で来るとは」
「準備不足で申し訳ありません。私が一番身軽でしたの」
私は少し離れたところに軍馬を繋ぎ、公爵様の方へと早足で歩く。旅装を解いてなくてよかった。着飾ったドレスでは、馬を駆るなんて無理だもの。公爵様も駆けて来てくださって、私は後五歩の距離で立ち止まると淑女の礼をした。
「その装い……まさか、お前は帰ってきたばかりなのか⁈」
「はい。でも大丈夫です」
私は、しまったという顔をした公爵様に、大丈夫だと微笑みかける。私のドレスより、公爵様たちを放置する方がよっぽど駄目な対応だもの。公爵様の隣にはケイオスさんの姿もあった。私と目が合うとケイオスさんは笑みを浮かべ、恭しく腰を折って一礼する。
「マーシャルレイド伯爵令嬢、先日は失礼いたしました」
「ケイオスさん。あの、お腹は大丈夫でしたか?」
「すこぶる元気です。干し肉はたいそう美味でございました」
「食べてくださいましたのですね!」
私は素直に嬉しく思った。手紙に書いてあった部下とは、まさかケイオスさんのことだろうか。
「この度は突然の訪問で申し訳ありません。堪え性のない閣下がとんだ暴挙を」
「おい」
「お手紙はきちんと父が確認しましたし、私も目を通させていただきました」
「普通は、伯爵様からの返事を待つものでしょう。それなのにうちの暴君は」
「おい」
「暴君だなんて。公爵様はこちらの季節事情をご心配してくださったのです。心温まる追伸にそうしたためてありました」
「あの追伸にはそんなことが書いてあったのですね。こちらに確認させてくれなかったので、何を書いたのかヒヤヒヤしておりました」
「おい、ケイオス!」
公爵様はケイオスさんを威嚇するかのように名前を呼んだ。その顔は真っ赤になっていて、怒っているのか照れているのか判別がつかない。
「すまない、メルフィエラ。お前はもう少し早く戻っているかと思ったのだ」
「それが、途中で狂化魔獣に足止めされてしまったのです」
「狂化魔獣だと⁈ 大丈夫だったのか」
「コルツ村の猟師たちが総出で仕留めました」
「ならばよかった」
公爵様がホッとしたような顔をして、私の髪に手を伸ばしてきた。
「ふわふわだな」
「何がですか?」
「い、いや……お前の髪は、ふわふわしているのだなと」
私の髪は癖っ毛なので、丁寧に梳かないとすぐに爆発してしまうのだ。少し恥ずかしかったけれど、公爵様はお気に召してくださっているようなのでよしとする。例えその手つきが、何か愛玩用の小動物を撫でているかのようであったとしても。気にしない、気にしちゃいけない。
「公爵様、まもなく父が迎えを寄越します。ですが、マーシャルレイド家にはドラゴンを扱える者がおりませんので……」
ひとしきり髪を撫でて満足したらしい公爵様に、私は困っていることを正直に告げた。そう、大問題なのだ。冬が長いマーシャルレイド領では、ドラゴンを移動手段として使うことはない。だから、ここには世話ができる者がいないのだ。総じて、ドラゴン種は寒さに弱い魔物で、マーシャルレイド領ではあまりドラゴンを見かけることはない。しかし、数ある種類の中でもグレッシェルドラゴンは変わり種で、多少の寒さであっても大丈夫ではあるものの……。
「心配ない。ここにいる半数の者はこのまま帰還する。残るのは、私とケイオス、ドラゴンの世話役の騎士三名だけだ」
「まあ、長い距離を遥々来てくださいましたのに、もうお戻りに? せめて一日だけでも……父に狩猟の許可も取りますから、バルトッシュ山の裾野でドラゴンの羽を休めさせてくださいませ」
「いいのか?」
「もちろんです」
私が女主人であれば、わざわざ父の許可を待たずともよかったのに。それぞれの主人のいうことを聞いて大人しく待っているグレッシェルドラゴンたちも、さぞやお腹が空いていることだろう。
「ああそうだ。土産をどこに運べばいい?」
公爵様が、布でぐるぐる巻きにされた巨大な何かを指し示す。やっぱりあれがお土産だったのね。それにしても、なんて大きさなのかしら。
「まさか、魔物……ですか?」
私の問いに、公爵様が得意げな顔をする。
遊宴会で言っていたアンダーブリック? それともグレッシェルドラゴンモドキ? 何にせよ、エルゼニエ大森林に棲息する魔物に違いない。私はワクワクを抑えきれず、公爵様に詰め寄った。
「公爵様、ありがとうございます! 少しだけ、見てもいいですか?」
「ああ、あれはお前のものだからな。いいぞ」
「動きませんけれど、既に下処理済みだったりしますか?」
「それは……確かめたらわかる」
公爵様の後について私はグレッシェルドラゴンの間を進む。同じ制服を着た騎士たちが、私に向かって騎士の礼をしてくれた。騎士たちはドラゴンに騎乗する者特有の軽装だ。グレッシェルドラゴンの鱗の色に合わせた黒鉄の胸当てには、公爵家の紋章が彫り込んである。公爵様と違い外套の色は黒で、それはそれでとてもかっこよかった。
「ほら、メルフィエラ」
「あ、はい、ただいま」
余所見をしているうちに、公爵様がお土産の布の端をめくり上げてくれていた。私はいそいそと近づくと、布の中身を確認する。何の魔物だろう。ガルブレイス領はまだまだ秋の真っ盛りだから、きっと魔物も栄養満点で……えっ、まさか、この角、この毛、この色は――
「……ロワイヤムードラー」
「流石だな、メルフィエラ。しかもこれは金毛だぞ。秋の味覚をたんまり食べて、脂もしっかりのっている」
「公爵様、このロワイヤムードラーを、私がいただいてもよろしいのですか?」
ロワイヤムードラーは、二本の巻角と額の上にある鋭い角を持つ白い魔獣だ。その大きさは食用牛よりも大きく、毛の量もかなり多い。縄張り意識が強く気性の荒い魔獣ではあるが、その美しい毛皮は珍重されていて、特に『金毛』と呼ばれる金色の毛は高値で取り引きされていた。普通は毛皮だけを取り、肉は捨てられてしまうけれど、キノコや木の実しか食べない草食魔獣なので味はかなり期待できる。
「ああ、本当はアンダーブリックを狩りに行ったのだが、ひょっこりコイツが現れてな。生け捕りにするのは結構苦労したぞ?」
生け捕りと聞いて、私はもう少しだけ布をめくり上げると、迷わずロワイヤムードラーの首に手を当てた。温かく、そして確かな脈を感じる。
「本当、生きてる! 魔法で眠らせていたのですね……公爵様、ありがとうございます! 私、すごくすごく嬉しいです。ああ、まさかロワイヤムードラーだなんて。血抜きと一緒に魔力を抜けば、きっときっと、美味しくいただけます!」