番外編 秋の遊宴会前日譚(コミカライズ連載開始記念)
『ギュオオオォォォォォォォォォッ!!』
鼓膜が破れそうなほどの魔物の鋭い咆哮に、騎士たちが耳栓の上から手で耳を塞ぐ。魔法を使っているのか、身を切り裂くような風圧により周りの樹木が激しくしなり、耐えきれなかった枝がバキバキと音を鳴らして折れ飛んだ。
『大丈夫か⁉︎』
『耳がキンキン鳴ってますが、な、なんとか』
『……危うく吹き飛ばされるところでした』
咄嗟に防御結界を張ったおかげか、どうやら騎士たちは皆無事のようだ。凶悪な鳴き声の持ち主は、蛇のような長い身体をくねらせて空に飛び上がる。
「やはり蛇と言っても魔物だな……忌々しい」
この音により耳を痛めてしまうのは人だけだ。同種族には効いていないようで、もしかしたら蛇と同じく音が聞こえていないのかもしれない。
『ギシャアァァァッ!』
鳴き声を上げた空にいる蛇よりも小ぶりな蛇が、平然とした様子で大口を開けて飛びかかってくる。俺はそれを躱すことなく、蛇の口の中に籠手を着けた手を突っ込んだ。金属に鋭い歯が当たり、ガキンという音が響いた瞬間に俺は叫ぶ。
「風よ吹き荒れよ!」
「ギュアッ⁉︎」
間髪入れず発動させた魔法が、蛇の腹を切り裂いて尾まで到達する。威力を制御することなく、勢いのまま発動した風魔法は、赤い旋風となった。
『閣下、またそんな派手な魔法を』
「文句を言うな、ミュラン! 現代魔法は細かな調整ができんのだ」
『えぇ……いつもの古代魔法とやらも似たようなものじゃないですか』
まだ何か言い足りなさそうなミュランを放置して、俺は盛大に血を撒き散らしながら絶命した亡骸を放り投げると、空を見上げた。喉袋を大きく膨らませ始めた巨大な蛇が、怒りを露わにして激しく尾を振り回す。
「全員、退避! もう一撃デカいのが来るぞ!」
俺は共鳴石の共鳴度を最大にして伝達すると、騎士たちは距離を取ってもう一度防御結界を張った。俺は咆哮による衝撃波を相殺するために、呪文を呟いて素早く魔法を練り上げる。
(ワ・ソ・シエルモ・ヤ・キーセ・ヤ・ホスェ・オ・ドナ・ガーダクラシィ・ルエ・リット……)
空からこちらを見据えるのは、群れの女王であるグレッシェルドラゴンモドキだ。全長十五フォルンほどの有翼の黒い蛇で、巨大な喉袋を膨らませて鳴き声と共に衝撃波を放つ魔物である。普通、雌一匹に対して雄十匹ほどの群れを作るが、喉袋が大きな雌ほどより魅力があるらしく、今回の群れは三十匹くらいの大きな群れをなしていた。
『グググググ……』
女王が不気味に膨らんだ喉を鳴らす。またあの迷惑な咆哮が放たれるのだ。女王の縄張りから退避することも可能であるが、俺にも引くわけにはいかない理由がある。アザーロ砦の近くに巣を作り始めたグレッシェルドラゴンモドキの群れは、俺が護るべき者たちを傷つけた。それだけで万死に値する。
巣の入り口を守っていた雄共は、ミュラン率いる騎竜部隊の騎士たちと共にほぼ駆逐し終えている。残っているのは女王とその傍に侍る数匹の王配たちのみ。その王配も、まもなく命が潰えるだろう。当然、巣に君臨する女王は怒り狂い、容赦なく攻撃を仕掛け始めたわけであるが。
パンパンに膨らんだ喉が赤く光り、女王の赤い目が俺を捉える。
『閣下っ、お下がりください!』
ミュランの焦ったような声が共鳴石から聞こえてきたが、俺はこちらに狙いを定めた女王に向かい左手を伸ばす。
『ギュオォ……』
『デュナ・デュナ・ダ・イース・ラ・パルセーヴ!』
女王が口を大きく開き、今まさに衝撃波が放たれようとするその瞬間。俺は練り上げていた魔法を左手で放った。まさか自分が衝撃波を喰らうとは思っていなかったのだろう。
『キィィィィィィィッ』
グレッシェルドラゴンモドキの女王は、衝撃波の咆哮とはまた種類の違う甲高い鳴き声を上げながら、上空をのたうち回るようにして巨体を捻った。鱗は切り裂かれ、あちこちから血が噴き出している。しかし、配下の雄を呼ぶ女王の叫び声の波紋に反応する個体はない。見れば、ミュランを始めとする騎士たちが生き残っている雄共を蹴散らし、最後の雄を仕留めにかかっていた。
「お前を崇拝する雄共はすでに肉塊だ。だが、お前は俺の騎士たちの鼓膜をぶち破り、家畜を食い荒らした。お互い生きるために相容れぬ存在たれば、俺は主君としてその命を屠るのみ」
とどめを刺すべく、俺は笛を咥えると共鳴石に向かって吹き鳴らす。
『ギュアアアァァァッ』
グレッシェルドラゴンモドキの女王は、完全に我を忘れているようだ。口からダラダラと血を滴らし、怒り狂った目で俺を見ている。魔物に悲しいという感情があるのかどうか知らないが、その鳴き声がやけにもの悲しく聞こえた。だからといって、手加減などしていてはこちらの命がない。これは生きるか死ぬかの戦いなのだ。
俺は背中に装着していた投擲用の槍の柄を左手で握る。そして、女王を挑発するために右手に魔法の炎を灯した。
「来い、直々に引導を渡してやる」
『カカカカカッ!』
俺の思惑通り、喉から威嚇音を発して俺に向かって突っ込んできた。その時――
『ギュルアアアアアアァァァァァァッ』
グレッシェルドラゴンモドキの咆哮よりも威厳溢れる本物の咆哮が、森を揺るがした。肌が、耳栓をした鼓膜が、ビリビリと震えて背中に冷や汗が流れ落ちる。
「まったく、容赦ないな、お前は!」
竜笛で呼んだ俺の騎竜が、遥か上空から一直線に降下してきて女王の喉笛に喰らい付く。ここガルブレイス公爵領において最強の竜種、グレッシェルドラゴンにかかれば、モドキなどひとたまりもなかった。
俺の騎竜が女王を咥えたまま地面に着地する。周りの木々はさらにめちゃくちゃのバキバキに折れてしまったが、そんなこと関係ないとばかりに太い尾で邪魔な木を薙ぎ払った。
しばらくの間、尾をグレッシェルドラゴンに巻き付けて抵抗していた女王だったが、その動きが小さくなり、やがて完全に活動を停止した。俺はもういいという合図を送ったが、騎竜はそのつぶらな金色の目を瞬いて、おねだりをするように首を上下に振った。
『グルルル』
「なんだ、それが食いたいのか?」
『クルル、クルル!』
「……わかった。お前がとどめを刺したやつだからな、食べていいぞ」
甘えた声を上げた騎竜は、息絶えたモドキの女王を咥えたまま嬉しそうに羽を広げる。こいつは他のグレッシェルドラゴンよりも身体が大きく大喰らいなのだ。
こうしてグレッシェルドラゴンモドキの巣を壊滅させた俺たちは、比較的綺麗な死骸を解体して売れそうな素材を取ると、残りを騎竜たちに食べさせることにした。ミュランたちも自分の騎竜を竜笛で呼び、片付けがてら好きなだけ食べさせる。
「……美味そうに食べますよねぇ」
次々とたいらげていく騎竜を眺めながら、ミュランがしみじみとした声で呟く。
「なんだ、お前も食べたいのか?」
魔物は魔力を保有しているため、多かれ少なかれ食べた後に腹を下したり発熱したりするのだ。空腹よりマシだが、人は魔物のように頑丈にできていない。
「少しだけなら耐性ができたような気がしてるんですよね」
「そう言ってお前はスクリムウーウッドの果実で散々な結果になってなかったか?」
「あれは単に食べ過ぎたんですよ! でも……討伐した魔物が食べられるなら、体を張って家畜たちを護り育てなくてもいいじゃないですか」
ミュランの言わんとすることはわかる。ガルブレイス領で家畜の飼育は、なかなかに骨が折れる仕事なのだ。人が食べることができるのは魔力を持たないものだけであるが、飼育していると餌として魔物に狙われてしまうのだ。俺も、毎日毎日討伐しても増え続ける魔物が食材になればと考えたこともある。だが、そう簡単にはいかなかった。
「神代の時代の精霊が、牛、豚、羊、山羊などの魔力がない獣や野菜などを人に与えたと言われているが、それも定かではないし、少なくとも俺はまったく信じていない……が、もし本当であれば精霊を恨みたくなるな」
「俺は精霊なんて見たこともないですから、そんなものはなっから信じてませんよ。それよりも閣下。また血みどろになって、洗浄班に叱られても知りませんからね」
ミュランたちは、せいぜい騎士服に飛沫が染み込んでいる程度の汚れ方であるが、俺はといえば頭からつま先までぐっしょりと血に塗れている。先ほど、グレッシェルドラゴンモドキの口の中に魔法を放った時に飛び散った血を浴びてしまったためであり、これは不可抗力と言えよう。
「問題ない、どうせ衣服は黒だからな」
「黒でもそれだけ吸っていれば目立ちますよ」
「じ、自分で洗う!」
騎士服の上衣を脱げば大丈夫だろうと思った俺は甘かった。
明け方、ミッドレーグに帰城した俺たちを出迎えたのは、俺の補佐官であるケイオスだ。つかつかと歩み寄ってきたケイオスは、開口一番に俺の惨状に文句をつける。
「閣下、朝帰りとはいい度胸をお持ちで。それに私は、お怪我があるのかないのかわからない状態にだけはならないようにと、いつもいつも申し上げておりましたが」
ケイオスの眉間の皺は二本。これは結構怒っている印だ(ちなみにこれが三本になると激怒している)。ケイオスの怒りを感じ取ったミュランたちは、「では閣下、お疲れ様でした!」と言うなりそそくさと後片付けに行ってしまった。薄情者め。
「怪我などない。それに、これは好きで汚したわけではないぞ。奴らが勝手に爆発四散するのが悪い」
俺は木桶に脱いだ防具と上衣を詰め込み、宣言通りに自分で洗うべく洗浄場へと向かう。ケイオスが後を付いて来ながら、一方的に喋り出す。
「髪も血でゴワゴワじゃないですか。薬湯があるからとはいえ、それ以上頭皮を痛めつけると髪が抜け落ちますよ。ただでさえ髪色が抜けてしまっているというのに。禿げても知りませんからね」
「煩い! 俺の家系には頭皮が弱い者はおらん!」
「閣下ほど頭皮を蔑ろにした人もいないでしょう。それはいいとして、明日には秋の遊宴会があるというのに、これからすぐに王都に飛ばなきゃならないことをお忘れではありませんよね? その姿では陛下に突っ込まれてしまいます。服や防具は洗浄班に預けて、今すぐ湯浴みをなさってください!」
クドクドクドクド、ケイオスが口煩くここぞとばかりに俺を虐め抜いてくる。国王陛下主催の秋の遊宴会については、正直忘れかけていたので文句は言えないが。
(毎年のことながら、パライヴァン森林公園を会場にする理由がわからん。あの森の奥はディンガルーやバックホーンの棲息地になっているというのに。よほど襲われたいらしいな)
とは思うものの、陛下の身に何かあったら困るので、俺はこの遊宴会にだけは毎年参加することにしているのだ。
「あと閣下。今年こそ公爵らしく、きちんとした装いで社交に勤しんでいただきますからあしからず」
ケイオスの言葉に、俺は足を止めて振り返る。
「俺はあくまで陛下をお護りするために出席する。いつもの騎士服でいい。まあ、そうだな……新品であれば失礼もあるまい」
「しかし、今年こそ運命の出逢いがあるかもしれないではないですか」
「嫁はいらん。そうだな、俺より強ければ考えてもいいが」
「また貴方はそういうことを」
「それよりお前だ。ラフォルグ家を存続させるために尽力せよ。これは命令だからな」
などと軽口を叩いていた俺に、本当に運命の出逢いが訪れることになったのだが。
「失礼いたしました。私はマーシャルレイド伯爵が娘、メルフィエラにございます。ガルブレイス公爵様、此度は助けていただきありがとうございました」
バックホーンの血をしこたま被ったドレスで、背筋をピンと伸ばして綺麗に礼をしてのけた彼女の笑顔は、とても美しく直視できないくらいに眩しかった。