78 ユグロッシュ百足蟹討伐大作戦2
城塞都市ミッドレーグの城門を潜り抜けると、畑や牧場が広がっていた。どこの領地にもある風景だけれど、鳥避けの案山子が重装騎士の甲冑を模しているところがいかにもガルブレイスらしい。
(それにしても本物のような精巧さね)
と思っていたら、甲冑がこちらに向けて大きく手を振ってきた。魔法か何かで自動的に動いているのだろうか。ブランシュ隊長やリリアンさんが手を振り返していたので、私も皆を真似して手を振ってみる。すると、数体の甲冑が慌てたようにガチャガチャと音を鳴らしながら横一列になり、剣を捧げて騎士の礼をしてくれた。
なるほど、本物の騎士だった。よく見ると、農作業をする領民に交じってかなりの数の騎士たちがいるようだ。
「ブランシュ隊長、あちらの畑にいる騎士たちは魔物の襲撃を警戒して、ですか?」
私は前に座るブランシュ隊長に問いかけた。
「はい。作物や家畜を狙ってやってくる魔物がいますので、一日中ああして警戒警らをしています」
「そういえば、ミッドレーグは人口が過密状態でしたね。食料の調達も大変でしょう」
「そうなんです。厄災の後、元々あった城壁内の牧場や畑を逃げ込んできた領民の居住地として開放しました。それでやむなく外壁地に畑を。城壁を広げるという案も出ているのですが、莫大な費用がかかりますから」
ガルブレイスの食料事情は深刻だ。ガルバース山脈からの水の恵みもあり、主食となる穀物類はほぼ賄うことができている。一方で野菜や肉類などはといえば、自給率は半分で、残りは王領などで生産加工されたものを購入していると聞いていた。特に家畜は餌の調達もしなければならず成長も遅い。育ち上がるまでに、肉食性の魔獣の格好の餌として狙われているのだろう。
(私の魔物食研究が成功すれば、領地内で賄うことも可能になる……って、焦りは禁物ね。まだまだ始まったばかりだもの)
今はもう少し実績を積んで、認めてもらうことが先決だ。
ガルブレイスには魔物食を禁忌とする精霊信教の修道院はないのだという。ここの領民たちは、マーシャルレイドほど精霊を信仰しているわけではなさそうだ(というか精霊信教の祈りの言葉を口にする人には会っていない)。日々魔物と接している騎士に至っては、魔物食にさほど抵抗がある雰囲気ではない。
でも――ガルブレイスの領民たちは、十七年前の厄災により、狂化した魔物に村や町を襲われて甚大な被害を受けた人も少なくないことを私は知ってしまった。魔物に傷つけられた人や家族や友人を襲われた人たちが、私のやっていることをどう思うのか。今回のユグロッシュ百足蟹討伐にはミッドレーグ以外の騎士たちも集まるから、その時になれば何かわかるかもしれない。
「姫様、かなりの速度を出しておりますが、お辛くはないですか?」
黙り込んでしまった私を心配してか、ブランシュ隊長が半分振り向いて私を気遣ってくる。四本脚の魔鳥シュティングルは馬よりも足が速く、景色が飛ぶように通り過ぎていく。あっという間に畑を通り抜けて、丸太を地面に刺して造られた木杭の塀を越えてしまった。後ろからついて来ている地走り竜たちも、地面を滑るように走ってついて来る。
「いいえ、快適です! マーシャルレイドでは軍馬にも乗っていましたから、私のことは気にしないでください」
「たくましいですね。ユグロッシュ砦までの道程はほぼ平坦ですが、いくつか丘を越えなければなりませんので何回か休憩を挟みます」
「えっと、だいじょう……」
「いいですか、姫様。我慢は駄目ですからね?」
「……はぁい」
すかさず念を押されてしまった。手のかかる子供ではないのだけれど、ブランシュ隊長からすれば子供と同じように思えるのかもしれない。既に天狼の治療の際に、没頭すると寝食を忘れてしまう姿を見られているので、言い逃れはできない(手を離せない時もあるのだから我慢するのは慣れているのに)。育ち盛りの二児の母、侮れない。
ブランシュ隊長の言う通り、しばらくは平坦な道だった。舗装されている街道が終わると少し左右に揺れたけれど、それにより酔うこともなく進んで行く。
一回目の休憩時には、レーニャさんたちミッドレーグの厨房の料理人が事前に準備をしてくれていた昼食を食べた。丸いパンの中に蔓甘露を煮詰めたものが入っていて、すごく甘くて美味しい一品だった。甘味は貴重だから、討伐という過酷な任務に向かう人にだけ振る舞われるものらしく、いかつい部隊長や騎士たちも笑顔になっていた。
その際、リリアンさんがついうっかりスクリムウーウッドの果実を食べたことを話してしまい、甘味に目がない騎士たちに詰め寄られたけれど。以前、スクリムウーウッドを食べて体調不良になったミュランさんの、
「真っ黒に熟れたやつですよね? 採って来るので下処理してください!」
という懇願を皮切りに、他の騎士や料理人たちから食べてみたい魔物の注文が殺到した。
「自分はムードラーを食べ損ねてしまったので、是非」
「あっ、俺も俺も! ミュラン隊長たちはいいよな、ロワイヤムードラーをたらふく食べたんですから」
「剣盾弓で文句なしって言ったじゃないか。でも新鮮なロワイヤムードラーは絶品だったなぁ」
「やっぱりずりぃ!」
「外壁地の畑にもモルソや縦縞ガーロイなどの害獣がやって来ますから、駆除がてら新しい料理を開発したいですね」
「もう、みんなお肉ばっかり。姫様、私は魔樹や魔草を中心にですね……」
皆それぞれ、試してみたい魔物がいるようだ。こんな風におおっぴらに話したことがない私は、嬉しいやら困ったやら。こういう時はどうすればいいのか話し合っていなかったので、一旦保留するかたちで皆のお願いをまとめることにした。
「私は一向に構いませんので、後はアリスティード様がよいと仰ってくだされば」
と私が言えば、すかさずゼフさんが、
「閣下はメルフィエラ様に弱いから大丈夫ですよ。天狼が食ってしまったせいでバックホーンは無理だったけど、これでようやくアンダーブリックが食べられそうでよかったです」
と、こともなげに言ってのけた。
「弱い、でしょうか?」
「ガルブレイスで一番強いのはメルフィエラ様なんで。閣下なんてメルフィエラ様の『お願い』でイチコロですね」
果たしてそうなのだろうか。ゼフさんの言っていることがいまいちピンとこず私が首を捻ると、周りの騎士たちや厨房の人たち、それから鍛治師に大工まで、皆が皆、うんうんと納得したように頷く。
「閣下、必死ですもんね」
「必死だよな」
「でも笑顔が増えて眉間の皺は減りましたよね」
「毎日楽しそうにしておられるよね。最近なんか鼻歌交じりで魔獣を屠ってるし」
「ようやくご自分のことを考えられるようになられたんだなぁと思うと、感慨深いものがありますな」
アリスティード様との付き合いが長いミュランさん、ゼフさん、アンブリーさんが、私に視線を向けてしみじみとし始める。
「そういえば毎日部屋で寝るようになりましたよね、閣下」
「毎日きちんと髭を剃るようにもなりましたよね」
「毎日野菜も残さず食べるようになられました!」
ブランシュ隊長、リリアンさん、レーニャさんも、私を見つめてくる。皆から注目された私はどう返事をしていいのか戸惑った。
(毎日部屋で寝るって、まさかアリスティード様も床で寝落ち派だったのでしょうか)
アリスティード様は表情豊かで笑顔だって見せてくれるし、毎朝の挨拶の時からだいたい楽しそうにされているから、しみじみするようなことではないような。残念ながら鼻歌交じりで魔獣を相手にする姿を見ることはできないけれど、魔物のことになるとのめり込んでしまうとはアリスティード様自身が仰っていた。
それに、リッテルド砦では、アリスティード様はどこででも寝落ちする私のことを「普通ではない」と仰っていたような。それにそれに、お髭については私はまだ生えているところを見たことはない。野菜についても、私の前では好き嫌いなく召し上がっておられたような(唯一の苦手なものは、酸っぱい『キャボ』の果実だったし)。
「えっと、それは全て、アリスティード様のことでしょうか?」
私の疑問に、話を聞いていた全員が「その通りです」と声をそろえた。どうやら、まだまだ私の知らないアリスティード様の姿があるらしい。むむむ、これはもう少し打ち解ける努力をしなければ。公爵夫人の道のりは険しいようだ。
◇◇◇
時折、上空のミュランさんたちが周りに潜む魔物などを追い払ってくれたおかげか、二回の休憩を挟んだ部隊は順調に野営地へとたどり着いた。
ミッドレーグから南東方向にある丘陵地が今夜の寝床だ。
騎士たちが警戒する中、まず魔法師が防御の結界を張る。使われている魔法陣は現代魔法で、主に魔物避けを重ねがけしていた。それから地走り竜たちが引いて来た荷車から、大工が荷を降ろして天幕を張っていく。手際よく建っていく天幕は、秋の遊宴会で見た狩猟用のものだった。
私はレーニャさんたち料理人に交じって簡易のかまどを作り、野営糧食の準備を手伝った。
今夜の夕飯は、香辛料をたっぷりまぶした干し肉を使ったスープと、モニガル芋の粉を練って焼いた薄いパンだ。大きな鍋に水と細かく刻んだ干し肉と干した野菜を豪快に入れ、グツグツと煮込むだけの簡単なスープ。
「姫様、姫様。この干し肉、なんの肉だと思いますか?」
レーニャさんが見せてきた香辛料たっぷりの干し肉は、肉の繊維が縦に長くて鳥肉のように見える。思い当たる節がひとつしかなく、私はごくりと喉を鳴らす。
「まさか」
「そのまさかです。ベルゲニオンがたくさん獲れましたから、その一部を使ってお父さん……厨房長と一緒に開発したんです。その名も『特製ベルゲニオンの香辛料スープの素』と言いまして、お湯で戻すだけで身体が温まるスープができる優れものなんです!」
ミッドレーグの庭に大量に墜落してきたベルゲニオンを、食べきれないほど捌いたのはつい最近のことだ。
「あの、家畜のお肉は、その、やっぱり高くて、新しい料理を開発するぐらいなら、騎士の皆さんに食べてもらわなくちゃならなくて……そんな時に姫様が大量のベルゲニオンの肉を準備してくださって、これを使って新しい料理を作れるぞってお父さんも私も張り切ってしまって……その」
モジモジとして「美味しくできていればいいのですが」と不安そうにするレーニャさんを前に、私は少し呆けてしまった。この研究は、ひとりでやるしかないのだと、ずっとそうだったから。
「ひ、姫様?」
心配そうに私の顔を覗き込んで来たレーニャさんの手を、私は両手でギュッと握る。
「レーニャさん……私、その、すごく嬉しくて。魔物食は異端ですから。作る人がいて、食べてくれる人がいて、皆で美味しくいただけるって、今までなかったものですから」
レーニャさんは料理人だ。いわば、私と同じ『作る側』の人。初めて得た同志に、私の心は興奮に震えていた。