75 ついて行きます、どこまでも(ケイオス視点)
「そうなんです、デュカス砦長。私は公爵夫人としての役割を勉強しなければならないのですが、前公爵夫人も前々公爵夫人も……えっと、四代ほど公爵夫人がおられないもので、しきたりなどがまったくわからなくて。どこの貴婦人と交友関係を築けばいいか教えていただけませんか? 貴族の女性には殿方とはまた違った闘いがありますから、詳しい情報があればあるだけこちらが優位に立てるのです。私も公爵閣下のお役に立ちたいと心の底から思っておりますもの」
デュカスの意地悪な発言に、メルフィエラ様がにこにことした笑顔で返す。マーシャルレイドで自由にしていたと仰るわりには、しっかりと貴族の子女としての教育を受けておられたようだ。無邪気さの中に、売られた喧嘩は買いましたからね? という含みのある言葉が幾つもちりばめられていた。
「そ、そこは、門外漢の私がかかわるところの話では」
まさかメルフィエラ様から直接言い返されると思っていなかったデュカスは、たじたじになりながらやっとのことで返事をする。モルソを齧りながらヤニッシュがニヤニヤと笑い、ミュランとゼフが目配せを交わして親指を立てている。
一方で、リエベール砦長のザカリーやガルバース砦長のパトリスは静観していた。公爵夫人としてのメルフィエラ様が閣下にどのような影響をもたらすのか、まだはかりかねているのだろう。残るユグロッシュ砦長のギリルは、ひたすらモルソのスープをおかわりしていた。
「そうなのですか……。実は社交界が苦手で、格式高い貴族の振る舞いを教わろうにも知り合いがいないもので。それに私は贅沢は好みませんし、身につけるものは相手に失礼にならない程度のものでいいと思っているのですが、公爵夫人ともあれば一流の仕立てのドレスや宝飾品が必要になるのではと心苦しく思っているのです。公爵閣下はお務めで社交界にはほとんど出ることはないとお聞きしていますが、普通の貴族の夫人方は夜会を催したりお茶会を開いたりと情報戦を仕掛けるものですから、頑張ってくださいと言われれば頑張ってみようと思ってはいるのですが」
メルフィエラ様が、普通の貴族たちがごく普通に行っていることをつらつらとあげていく。とてもではないが、今のガルブレイスでは到底無理な話である。デュカスもそこまでは考えていなかったのか、笑顔のメルフィエラ様とは対照的に気まずそうな顔をしていた。
私は貴族ではないものの、王都で華やかな社交界の裏側にあるドロドロしたものを知っていた。話題の中心であった貴族が没落していく様ほど惨めに見えるものはない。破産するくらいなら慎ましく生きていけばいいというのに、社交界を重視する貴族たちは見栄を張るのも仕事とばかりに湯水のごとく財産を使っていく。
閣下を見れば、黙ってメルフィエラ様の話を聞いていた。左隣りに座っているメルフィエラ様を直接見ているわけではないが、右手に酒盃を持ち、左手は食卓の下に潜っている。メルフィエラ様の右手も食卓からおりているので、まあ、そういうことなのだろう。
ガルブレイス公爵家には、普通の貴族なら当たり前のことをできるだけの財力はない。魔物の討伐依頼や魔物の素材などで得た収入は、騎士たちの給金や装備資機材、そして砦の強化に使われている。領地経営に重きを置き、領民のために身を削り、領民と共に生きることを選んだ閣下に、普通の貴族のような妻など不要なのだ。
(でも、デュカスは前公爵を屈辱の思いで見送った騎士ですからね。変わり始めたガルブレイスに『普通の貴族』としての主君を求める気持ちは人一倍強いのでしょう)
そう、デュカスには、ガルブレイスの騎士が世に認められるようになってほしいという願望が昔からあった。
私が十二歳、閣下が十歳の頃にやってきたガルブレイスで、最初につけられたお目付役が若かりし頃のデュカスだ。お目付役というだけあって、厳格で真面目で、閣下はそれはそれは厳しい『公爵教育』を受けてこられた。
(ああ、そうか。既視感があると思えば……デュカスのメルフィエラ様への対応、私たちが出会った頃にもされましたっけ)
私の脳裏に、あの頃の思い出が鮮明に蘇ってきた。まだ王子だった頃の閣下と私、そして、厄災直後のガルブレイス領の記憶。それは、閣下の決断から始まった――
◇
「今までありがとな、ケイオス」
アリスティード王子が、右手を差し出しながら私を真っ直ぐに見る。王子の琥珀色の目はどこまでも凪いでいて、私はその手を握り返すことができなかった。
「兄上……マクシム王子と話し合って、俺はガルブレイス公の養子になることにしたんだ。だから、お別れだ」
ガルブレイス公と言えば、魔物蔓延るエルゼニエ大森林一帯を領地とする名誉貴族だ。魔物を討伐することを生涯の役目とするため、代々短命だと聞いている。現ガルブレイス公も、『厄災』のさなか狂化した魔物の猛攻から領民を庇い、命に関わる重傷を負って療養しているという話だったはずだ。
ガルブレイスの領地は、常に魔物の脅威に晒されている。そんなところに何故、身体の弱い王子が養子に入らなければならないのか。
「……王子、私には仰る意味がわかりません」
私がやっとのことで口にした疑問に、王子は困ったような笑みを浮かべた。
「あそこなら、俺の魔法も役に立つだろう?」
確かに、王子の魔法はどんな魔法師よりも威力が高く、その破壊力たるや強固な王城を吹き飛ばすほどである。それには理由があった。王子は生まれつき魔力量が多いのだ。しかし、体内で作られる魔力量が多いということは、定期的に魔力を発散させないといずれ死に至るということだ。
事実、王子は内包魔力が多くなると死にそうな目に遭ってきている。小さな身体には負担がかかるからだろうか。出会った頃の王子はガリガリに痩せていて、手足が細く見るからに生気がない状態であった。
あれから三年。年齢と共に体力がついたとはいえ、まだまだ魔力過多による高熱で寝込むことだってあるというのに。
「誰に何を言われたのですか? 確かに貴方の魔法が王城の魔法師たちが束になっても敵わないくらいに威力も精度も高いことを、私は身をもって知っています。ですが、貴方はラングディアス王国の第二王子です」
現国王陛下の実子は、マクシム王子とアリスティード王子の二人だけだ。それなのに、何故。
養子になればラングディアス王家から除籍されてしまうのだ。まるで体良く追い払おうとしているように思えた私は、心底立腹した。
「体質のせいですか? それはどうしようもないことで、貴方の責任ではないじゃないですかっ!」
思わず大きな声を出してしまった私に、王子は曖昧な笑みになる。
「ガルブレイス公にも会ったんだ。余命幾ばくもないとは思えないくらいに凛とした方だった。俺の剣の腕と魔法を見て、持ち得る限りのことを俺に叩き込むと約束してくださったんだぞ?」
「それなら、東方騎士団でも同じじゃないですか。父はもう……いませんが、ここにいたっていいじゃないですか!」
東方騎士団長であった私の父が、『厄災』の爪痕が深く残る領地のいざこざで他界したのは半年前だ。悲しみに暮れる間もなく、騎士団は大干ばつと飢餓、そして争いによって疲弊した国を陰から支え続けている。
まだ十二歳である私も、遺された母と一緒に身を寄せている東方騎士団の手伝いをしていた。
(最初は離宮、次は東方騎士団、そして今度はガルブレイス領だなんて、王子はまだ十歳なのに!)
魔力の暴走で王城を破壊してしまうからと、王子は七歳の頃から東方騎士団に居を移していた。王子でありながらあちこちに追いやられて、実の親兄弟からも引き離されて。
それでも、なんだかんだありながら私たちは絆を深めてきた。喧嘩もするけれど、王子と私はかけがえのない親友だと思っていたのに。
そう感じていたのは私だけだったのだろうか。子供にはどうにもならない事情があるのだろうけれど、王子からこんなにも簡単に切られるとは。
それがどうにも悔しくて、私の目に涙が滲んでくる。
「このバカ王子!」
私は王子を睨みつける。
「私はずっと貴方を支え、立派な騎士になって、貴方と一緒に国を護ると決めたのに」
王子がここに来たばかりの頃。王子ばかりに構う父と母に不満がつのり、私は嫉妬して王子と喧嘩ばかりしていた。
危ないからと私もまだ連れて行ってもらったことがない魔獣駆除の任務に、王子だからと連れて行ってもらえる。母は私ではなく王子に付きっきりで王子ばかりを見ている。具合が悪くなれば特別な部屋で看病を受け、皆に心配される。ただ王子だというだけで。
そんな王子のことが、私は大大大嫌いだった。
でも、王子は一人になりたがった。高濃度の魔力による魔法が暴発すると危険だからと。皆を傷つけてしまうからと。
魔力過多によって体調を崩すと、あの特別な部屋に一人で篭るのだ。そして、高熱でふらふらだというのに、文字通り血反吐を吐きながら魔法を放ち続ける。まだ七歳の、幼ない王子が。
私が特別だと思っていた部屋は、分厚い鋼鉄の壁で出来た監獄だった。
父が王子を魔獣駆除に連れ出していたのは、威力が高い魔法を効率よく放たせるためだった。
そして私は、母は王子にただ構っているのではなく、王子が魔力の暴走によって命を落とすことがないように監視していることを知った。
命を守るためだとはいえ、まだ親の庇護下にあるはずの子供が、見知らぬ大人たちの中でたった一人で耐えている。真実を知った私は、ただひとつの泣き言も言わず、ひたすらに見えない敵と闘う王子に畏敬の念を抱き、そして自分の卑小さを恥じた。
そして父に無理を言って、初めて王子の看病をした日。
拙い氷の魔法で水枕を作った私に、王子はやつれた顔に笑みを浮かべ「ありがとう」と言ってくれた。それから「君からお父上とお母上との時間を奪ってごめん」と。
王子は、自分のことより他人のことを優先させる優しい人だった。誰よりも人を気遣える人だった。だから、
何があってもこの優しい方を支え、お護りする。
それが、私なりの誓いだ。
アリスティード王子が、王族だから誓ったのではない。ただのケイオスが、ただのアリスティードに人として誓ったことだから。決して違えることのないその誓いを、あの頃の王子は「こんな僕にじゃなくて、君の忠誠はもっと他の人に捧げるべきだよ」と一蹴したけれど。
私から怒鳴られた王子が、ムッとした顔で私を睨み付ける。魔眼が発動していて目が金色に染まっているけれど、そんなもの気合でなんとかなる。
「アリスティード王子……」
いや、もう王子であることをお辞めになるのだから、王子と呼ぶわけにはいかない。私はきちんと言い換える。
「いえ、アリスティード様。私はまだ騎士ではありませんが、私の忠誠は貴方に捧げているのですから、貴方が行くところに私も行きます」
「あのな、ケイオス。母親はどうする。ガルブレイスは過酷な領地だぞ? 悔しいが俺もお前もまだ子供だし、仕事もないんじゃ親を養っていくのは難しくないか?」
「アリスティード様が私を従僕として雇ってくださればすべて解決ですね。東方騎士団でお世話になり続けるのも限度がありますし、丁度よかったです」
我ながらいい考えだ。アリスティード様をお護りすると決めたのは私の勝手なので、断られたら勝手について行けばいい。さっそく母にも相談しなければ。
「ケイオス、本当に無理をしないでくれ。頼む、お前たちには散々迷惑をかけてしまったんだ。もうこれ以上俺に振り回されなくていい」
アリスティード様が年相応の顔になる。私たちに負い目を感じていることはわかっていたけれど、私も母も、そして亡き父も、陛下から頼まれたからやっていたわけじゃない。
「私たちの間には確かな絆があると思っていたのに……私の独りよがりだったなんて」
「いや、別にそれを否定しているんじゃないからな」
「亡き父が聞いたらさぞ落ち込むことでしょう。貴方のことを息子のように可愛がっていましたから」
「だ、だからな。お前たちの献身が嘘だとは思ってないぞ?」
アリスティード様が焦ったような声を出す。東方騎士団での生活で騎士たちに影響されたのか、可愛らしかった頃の面影はなくなってしまったけれど。根が優しくお人好しな性格は変わらずだ。
「では、母から陛下に上奏申し上げさせましょう。父の功績に対する褒賞はまだ賜わっておりませんので」
「アリスティード様に仕えることを褒美としていただければ問題ないですよね」と言った私に、アリスティード様が呆れたような溜め息をもらす。そっぽを向いているけれど、その耳は赤くなっていた。
「ガルブレイスの魔物は手強いんだぞ」
「では、これまで以上に真剣に訓練を受けなければなりませんね」
「……死ぬことだって、あるんだぞ」
「では、私がしっかりとアリスティード様を看取りますね」
「おい」
「大丈夫です。アリスティード様を看取るまで私は死にませんので」
辛い、寂しい、悲しい、きつい。そういった感情を圧し殺すことに慣れてしまったアリスティード様。
「今までありがとな、ケイオス」と言って差し出してきた手が震えていたことに、私は気づいていましたからね。
今の私には、ガルブレイスでの生活を共にすることくらいしかできませんが。この優しい方の未来が幸多きものであるよう、全力を尽くさせていただきます。
とまあ、意気込んでガルブレイスの土地に足を踏み入れたのはよかったものの――
「指南役を仕りました、デュカス・フルニエです」
にこりとも笑わない渋顔のデュカスのうんざりするほどの指導に、流石の私も音をあげて逃げ出すことになったのは、あまり褒められたことではない思い出だ。