73 野菜と穀物を詰めた肉をこんがりと窯焼きにして[食材:モルソ]
モルソが山積みになっている。
天狼の監視をしていた騎士からそんな話を聞いた私は、親天狼の観察を終えてから、問題のモルソの山を見に行くことにした。
「姫様。畑に行くのでしたらパルーシャの衣装では汚れてしまいます。お召し替えをなされた方が」
本日の護衛であるナタリーさんの提案に私は頷き返す。
「そうですね。いつもの服に着替えてきます。アリスティード様も会議に出向かれていますし」
城の入口でアリスティード様と話し込んでいた騎士は、東エルゼニエ砦の砦長を務めている人だとナタリーさんから説明を受けた。デュカスさんというそうで、前ガルブレイス公爵様がご存命であった頃からガルブレイスで騎士をしている重鎮らしい。
(不自然なくらいに私の方を見なかったのは、そういうことだものね)
アリスティード様と並んで歩いていた私を無視して、いきなり自分の要件を話し始めたのだ。私を主君の奥方として認めない、という意思表示だったのだと後から気づいたけれど、だからといって今の私にできることなどない(噂に聞く「お前など主人様に相応しくない、我らが◯◯様こそ真に並び立つお方だ!」的な展開になりそうな予感に別の意味でわくわ……どきどきしているけれど)。
侍女からパルーシャを脱がしてもらい、いつもの服に着替えた私は、アリスティード様たちの会議がまだ終わりそうにないことを確認してからもう一度庭に出た。
ミッドレーグの裏にある庭には、レーニャさんたちが世話をしている畑がある。天狼の仔が狩の練習がてらモルソを獲ってくるようになり、今日はよく獲れたのかてんこ盛りになっているらしい。あわよくば味見をしてみようと思い、包丁やその他の器具も一緒に持ってきた。
モルソは微量の魔力を持つ害獣だ。畑の作物を齧るため見つけたら駆除しているものの、穴を掘って暮らす生態のせいで捕獲もなかなか難しいとリリアンさんが言っていた。
「姫様、どうなされたのですか?」
畑にはレーニャさんと厨房の料理人たちがいた。私に気づいたレーニャさんが駆け寄ってくる。ちょうど野菜を収穫していたらしく、籠には瑞々しい葉野菜がたくさん入っていた。
「天狼の仔がモルソを山積みにしていると聞きまして」
「あっ、そうなんです。今日は天気も良くて暖かかったからか、モルソがいっぱい出たんですよ。仔天狼ちゃんがすっかり退治してくれて助かりました」
レーニャさんが振り返った先には、木箱の中にモルソを放り込む使用人の姿があった。きちんと仕留めているものと、そうでないものがあるらしい。使用人の手の中でもぞもぞと動き出すモルソもいる。
「それにしてもまるまる太っていますね」
「ええ。私たちが育てた最高の野菜を食い荒らしてますからね。このまま廃棄するのは癪に触ります」
ここの畑を餌場にしているのであれば栄養状態はいいだろう。私もレーニャさんの言いたいことがわかる。丹精込めて育てた野菜を食べたモルソを、このまま肥料にしてしまうのは非常にもったいない。
「レーニャさん、このモルソを使って新しい料理を試してみたいのですけれど、お野菜を少し分けてもらえますか?」
私は、この間アリスティード様と話していたことを思い出す。あの時は仔天狼が仕留めたモルソは一匹だけで、食材になるかは要検討だったけれど、これだけあれば煮込みや詰め物にしても十分にいけそうだ。
レーニャさんが、好奇心で目をキラキラとさせて私を見た。料理への探究心が私に負けないくらい強いレーニャさんは、箱に入れられたモルソを掴むと思案し始める。
「姫様は、このモルソをどう調理しようとお考えですか?」
「そうですね。この小ささですから、ぶつ切りにして煮込むか、少し手間がかかりそうですが、腹に穀物を詰めて蒸し焼きにしてはどうかな、と」
「詰め物……なるほど。一匹では物足りないモルソも、詰め物をすれば食べ応えがある一品になりそうですね」
何かを閃いたレーニャさんが、「野菜と穀物を詰め込んで窯焼きにします! 山羊のラーズもたっぷり使いましょう」と決めたので、私も一緒に手伝うことにした。
モルソも一応魔獣の部類なので、内包している魔力を抜き出さなければならない。私はナタリーさんとリリアンさんに断りを入れてから、モルソを詰めた木箱にモルソの血を使って魔法陣を描く。そこで私は、曇水晶を忘れてきたことにきづいた。
(モルソの魔力は微量だから、曇水晶を使わなくても大丈夫そうね)
まだ私の古代魔法は人前でむやみに使用できないので、木箱の陰にしゃがんでこっそりと呪文を唱える。
『ルエ・リット・アルニエール・オ・ドナ・バルミルエ・スティリス……』
魔法陣が反応して、私の手の中にモルソの魔力と血が集まってきた。いつもであれば曇水晶の中に溜める魔力も、ここでは捨てるしかない。手のひらにいっぱいになったところで、リリアンさんが掘ってくれた穴に捨てていく。
「姫様、素手で大丈夫なんですか?」
リリアンさんが心配顔で、穴に廃棄されていく血と私を交互に見た。
「微量ですし、魔毒ではありませんから大丈夫ですよ。こうやって廃棄すれば、モルソの魔力の影響も受けません」
お母様は曇水晶を使うことなく、この血の塊を宝石のような結晶にしていたのだけれど、それはあまりにも危険な魔法だ。失敗をすれば、自分の身体に魔物の魔力を蓄積することになる。
そうこうしているうちに血から魔力を感じられなくなったので、私は呪文をやめると魔力測定器を一番上のモルソに突き刺した。数があるので大変だけれど、一匹一匹調べておかなければ万が一のことがあってからでは遅い。魔物を安全に食べられることを証明するためには、失敗は許されないのだ。
「レーニャさん、こちらは大丈夫なので、詰め物の準備を進めてください」
「ありがとうございます、姫様。さっそく野菜たっぷりの中身を下ごしらえしてきますね!」
レーニャさんが野菜の籠を手に厨房に駆けて行く。ナタリーさんや料理人の手を借りてモルソの魔力がないことを確認した私は、大量のモルソを捌くために前掛けを借りることにした。
それから一刻ほど過ぎた頃。私たちは順調にモルソの下処理を進めていた。
私が内臓を取り頭を刎ねたモルソを、ナタリーさんが手際よく皮を剥ぐ。ナタリーさんは騎竜部隊のアンブリーさんの妹で、アンブリーさんと同様に手先がとても器用だ。皮を剥いだモルソは、リリアンさんが水で洗ってくれた。血が残っていると臭みに繋がるので、丁寧に丁寧に取り除いていく。
ナタリーさんもリリアンさんも護衛なので手伝わなくてもいいのに、当然のように作業を受け持ってくれた。レーニャさんも恐縮していたけれど、ナタリーさんの「リリアンの訓練も兼ねておりますので」というひと声で納得していた。どうやら、遠征に参加する騎士には料理の技術も必須らしい。
途中で定期的に伝令蜂が飛んできて、ナタリーさんが何事かを呟いてまた蜂を飛ばす。どうやら、アリスティード様から私の居場所を把握するための連絡があっているようだ。心配性なアリスティード様らしい、と私は心がほっこりする。ガルブレイス公爵としてやることがいっぱいあるというのに、ことあるごとに心を砕いてくださる姿勢に、私は誠意だけではない何かを感じていた。
「メルフィエラ様、力仕事は我々に任せてください」
そこに、ゼフさんがやってきた。確か会議に参加していたはずで、ここにいるということは会議は終わったのだろうか。
「あっ、ゼフさん、アンブリーさん、ミュランさんも」
ゼフさんの後ろからは、アンブリーさんとミュランさんが駆けて来る。
「美味い飯にありつけるよう、俺もひと仕事しますんで」
ミュランさんがにかっと明るい笑みを見せてくれる。アンブリーさんはナタリーさんの作業を見て、うんうんと頷いていた(ナタリーさんは嫌そうな顔をしていたけれど、兄妹仲は良さそうだ)。
「三人ともありがとうございます。それではゼフさんとミュランさんはモルソの骨と身を外してもらえますか? アンブリーさん、この小さな皮って何かに使えますかね?」
わいわいと一気に賑やかになったところに、アリスティード様たちがやってきた。
「アリスティード様! 会議は無事終わったのですか?」
私がモルソを持った手を振ると、アリスティード様も片手を上げて応えてくれた。その背後には、東エルゼニエ砦のデュカスさんや、まだ見たことのない騎士の方々がいる。遠巻きにしてこちらを見ている騎士たちを置き去りにして、アリスティード様と黒い眼帯をつけた騎士がこちらに向かって来た。
その間にも夕食の下ごしらえはどんどんと進んでいく。詰め物にしないモルソは、骨と肉を切り分けて煮込みに使う予定だ。
「あれ? メルフィエラ様、こいつの内臓は首から出すのではないんですか?」
私の作業を見ていたゼフさんが、モルソを手に首を傾げる。
「ええ、頭を刎ねる前にお尻から押し出すと、内臓が破れずに綺麗に取り出せるんです。えっと、こうやってしごいてから、一気にぐっと押せば……」
頭がついたままのモルソを丸い石の上に置いて力を込めてみせると、内臓が一気に押し出される。ゼフさんとミュランさんが「おおっ!」と驚きの声を上げた。マーシャルレイドの猟師から教えてもらったやり方で、ネルズやビット系の魔獣のように小さな獣を捌く時にはこれが一番効率がいいのだ。
(あら、リリアンさん?)
私が視線に気づいて顔を上げると、ミュランさんやゼフさんが作業をしている姿をリリアンさんがじっと見ていた。一緒にやりたいのかと思ったけれど、どうも違う様子だ。その視線は、ミュランさんに注がれている。
(そういえば、リリアンさんはミュランさんに憧れていると言っていたような)
少し迷った私は、隣でモルソの皮を剥がしているナタリーさんに話しかける。
「ナタリーさん、騎士も遠征で料理をするのですよね?」
「はい、遠征の討伐隊には料理人も組み込まれますが、人手はいくらあっても足りませんから」
「肉を捌くのも仕事のうちですか?」
「その通りです。食べるためだけではありませんが、素材を取るために解体もしますので。獲物の構造を知ることは、弱点を知ることにもなります」
私はもう一度リリアンさんを見る。リリアンさんは、遠征に参加したことはないと言っていた。それに先ほど、ナタリーさんはリリアンさんの訓練を兼ねているとも言っていた。
私がナタリーさんに目配せをすると、ナタリーさんもそれに気づいてにっこりと笑みを浮かべる。
「リリアン、そっちの作業は兄さん……アンブリー班長に任せて、ミュラン隊長の作業をしっかりと見ておいで」
「えっ、あの、いいんですか?」
リリアンさんは戸惑いながらも、ちらちらとミュランさんの方を見る。その顔は少し赤くなっていて、見ていてとても微笑ましい。
「ミュラン隊長はそういう作業もお手のものだからね。参考になるよ」
「は、はい! ミュラン隊長、よ、よろしくお願いします!」
ゼフさんは私たちの意図に気づいたようで、ミュランさんの隣をリリアンさんのために空けてあげる。
「そんな風に言われると緊張するなぁ。リリアン、君も自分の刃物を使ってみようか」
「はい!」
ミュランさんに話しかけられてとても初々しく頬を染めるリリアンさんを見ていると、背後からぽんと肩を叩かれた。後ろを振り返ると、アリスティード様が私に覆い被さるように立っていた。
「メルフィ、さっそくモルソの試食か?」
「はい、仔天狼がモルソをたくさん獲ってきていたので、使わない手はないと思いまして」
「ちょうどよかった。お前の魔物食をどうしても食べたいと言う騎士が来ていてな」
目の前に立った人影に私は前を向く。そこには、黒い眼帯が特徴的な、深い青色の目をしたひとりの騎士がいた。
「俺はアザーロ砦の砦長をやっているヤニッシュだ。さっき、あんたの作ったっていう干し肉を食ったんだが、あれ、美味かったぜ」
「あ、ありがとうございます」
干し肉は、最近はスカッツビットかロワイヤムードラーでしか作っていない。スカッツビットは確かケイオスさんが食べてしまったと言っていたし、ロワイヤムードラーは私たちで全部食べてしまったからもうないはずなのに。ヤニッシュさんは何を食べたのだろうか。
アリスティード様を振り返ると、アリスティード様が離れたところに立っているケイオスさんの方をジト目で見た。どうやら、スカッツビットの干し肉をケイオスさんが隠し持っていたらしい。
「あの、召し上がったのはスカッツビットの干し肉ですか?」
私がヤニッシュさんに聞くと、ヤニッシュさんがとてもいい笑顔になった。
「それそれ、スカッツビットな。俺はもう少し辛くてもいいぜ。んでよ。このモルソも当然食べるとして、まあ、あんたにお願いがあるんだが、聞いちゃあくれないか?」
ヤニッシュさんの片方だけの目が輝いて、私は思わずこくりと頷いた。




