72 獲物の首を刎ねる音(公爵視点)
ユグロッシュ塩湖への討伐の打ち合わせを終え、オディロンとザカリーとパトリスが何やら言い合いをしながら(言い合いというかパトリスが一方的に喋っていた)部屋を退出する。俺は会議が終了したことを知らせるため、メルフィエラについているナタリーとリリアンに伝令蜂を飛ばした。
「……それにしても、その北のご令嬢を討伐に連れて行くなど、閣下も思い切ったことをなさいますね」
ユグロッシュ砦の長ギリルが、今しがた決定したばかりの作戦内容を紙にまとめながらちらりと俺を見る。討伐作戦長として色々と準備をしなければならないうえに、気を遣わなければならない人が増えて胃が痛いのだろう。短く刈った薄茶色の髪をガリガリと掻きむしりながら、略図を眺めてうーむと唸る。
「連れて行くといっても拠点までですよ、ギリル。こちらで人手は揃えますので心配はご無用です。それにあくまでも安全な場所から遠見の魔法で討伐の様子を見てもらうだけで、メルフィエラ様の出番は討伐後ですから」
「その討伐後、百足蟹を食べたいと思う騎士がどれくらいおりますかね。まあ、ケイオス補佐はお食べになるようですが」
俺の代わりに答えたケイオスに、ギリルはなんとも言えない顔をした。
「私はメルフィエラ様の魔物料理を実際に食べ、その味を信用しておりますので。ねぇ、ミュラン隊長、アンブリー班長、ゼフ」
ケイオスの呼びかけに、共にメルフィエラの魔物料理を食べたミュランとアンブリーはもちろんというように大きく頷く。あの食わず嫌いだったゼフも、「この次はアンダーブリックを食べさせてもらえる約束なんですよ」と嬉しそうだ。
そしてケイオスは懐から取り出した何かを齧ると、もうひとつ同じものを取り出してギリルに差し出した。
「貴方も食べますか?」
「干し肉ですか。甘いものは好みませんが、こういうのは大歓迎です」
ギリルが干し肉を受け取り何の抵抗もなく齧る。咀嚼しているギリルを見ていたケイオスが、非常にいやらしい笑みをたたえていた。そして俺はその干し肉に見覚えがあった。
「ほう、こいつは辛味があって美味いですな。非常によく味が沁みている。噛めば噛むほど後から後から旨みが湧き出てくるようです。新しい携行糧食ですか?」
その感想を聞いていたアザーロ砦のヤニッシュが、ケイオスに向かって手を差し出す。
「俺にもくれ」
「仕方ないですね」
そして豪快に齧り取ったヤニッシュも、「うめぇ!」と叫んで残りを一気に口の中に突っ込んだ。二人が十分に干し肉を堪能したところで、誰に聞かせるでもなくケイオスが呟いた。
「これ、メルフィエラ様ご謹製の『スカッツビットの干し肉』なんですよ。ピリッとした辛みと肉の旨みが私のお気に入りなのです」
「ゴホッ!」
ケイオスがしたり顔で明かした事実に、ギリルが盛大に咳き込む。既に全部食べてしまっていたヤニッシュは、片目をまんまるにして口を開けて驚いている。
「ケイオス……お前、分析のために全部使ったのではなかったのか?」
俺は席を立つとケイオスに詰め寄った。干したスカッツビットとすり潰したベルベルの実などの香辛料が絶妙な味わいを作り出していて、後から後から食べたくなるあの干し肉が、何故ここにあるのか。
「きちんと成分の分析はしました。これは残りです」
「これは俺が礼としてもらったものだぞ」
「閣下が毒見もせずに食べるからですよ」
「お前な、自分がむっつり食い意地が張っていることを棚に上げるな」
半眼でケイオスを睨みつけると、ケイオスはとぼけたような顔をしてそっぽを向く。干し肉のことを知らなかったミュラン、アンブリー、ゼフも、自分ばっかりというようなジトっとした目つきでケイオスを見ていた。
「メルフィエラ様にお願いすれば、また作ってくださいますよ」
「スカッツビットはマーシャルレイドにしか棲息していないのだが」
「似たようなジェッツビットがいるじゃないですか」
「そういうものではない!」
それにこれは、メルフィエラから初めてもらった記念すべき魔物食なのだ。どうせこいつのことだ、部屋にこっそり仕舞い込んでいるに違いない。後で没収しておかなければ。
「あの、ケイオス補佐。これ、腹を壊したりしません……よね?」
ギリルが恐る恐る腹に手を当てる。ギリルも仕方なく魔物を食べたことがある騎士のひとりで、その時のことを思い出したのだろう。顔色が悪い。
「それは問題ない。メルフィエラが魔法陣で魔力をすべて吸い出しているからな。俺はもう何度となくメルフィエラが捌いた魔物を食べているが、腹を壊したり体調不良になったことは一度もないぞ。マーシャルレイドはこの魔物食で十七年前の厄災をしのいだのだ。それは揺るぎようのない事実だ」
「……なんという規格外な方なんですか。確かにガルブレイスにとって有益ですが」
ギリルが言いにくそうにデュカスとヤニッシュを見遣る。デュカスの故郷は、狂化した魔獣によって滅ぼされている。そしてヤニッシュは魔獣に目を潰された。ギリルにしても、ユグロッシュ砦で魔物に苦しめられているひとりだ。抱える思いは人それぞれ、メルフィエラも言っていたが、万人に受け入れられるにはまだまだ時間が必要であった。が。
「なるほど……あいつらはやり方次第じゃ立派な食い物になるのか」
片目のヤニッシュが青い魔眼を妙にギラギラさせて呟いた。
「ってことは、ドレアムヴァンテールも食えるってことだよな。そうか、あいつもきっと美味いんだろうなぁ……俺の目、食われちまったけど、食っちまえば俺の勝ちじゃね?」
常々戦闘狂の危ないやつだとは思っていたが、想像以上に危ないやつだった。しかしヤニッシュはこう見えて結構面倒見はいいし、実力も十分ある。
エルゼニエ大森林の遥か向こう側にあるガルバース山脈の主ドレアムヴァンテールは、ドラゴンと獅子が合体したような見るからに危険な見た目をしている。普段はガルバース山脈から降りて来ないのだが、十七年前の厄災の折にこのミッドレーグまでやって来た。まだ子供だったヤニッシュは、ドレアムヴァンテールに襲われた際に前公爵に助けられた経緯を持つ。なんとか撃退に成功して山に帰したものの、その時からずっと、ヤニッシュにとってドレアムヴァンテールは仇であり絶対狩るべき対象になっていた。
そこで、メルフィエラの元に飛ばしていた伝令蜂が返ってくる。青い蜂は俺の指先に止まると、ナタリーの声で返事を返してきた。
「閣下、メルフィエラ様はどうなされておりますか?」
「一度自室に戻った後、着替えてまた天狼のところに向かったそうだ。仔天狼に餌をやるらしい」
俺はメルフィエラの都合がよければ、晩餐の際にでも砦長たちと顔合わせをすること考えていたのだが。それを聞いたデュカスが立ち上がると、真っ直ぐに俺を見た。
「私は、ありのままのご令嬢にお会いしたいと思います」
スカッツビットの干し肉の話題も無視していたデュカスだったが、まだ諦めていなかったらしい。
「たわけが。まだ婚姻を結んでいないとはいえ、メルフィはマーシャルレイド伯爵令嬢だ。たかがお前ごときの都合や事情を押しつけるな」
案の定デュカスは今すぐ会わせろという圧力をかけてきたので、俺はにべもなく却下した。今のデュカスは冷静ではない。しかし、冷遇されていた世代の騎士であり、貴族に偏見があるのは理解している。持参金や資金援助を期待できない以上は、どんな令嬢を連れてきたにせよどうあっても反対なのだろう。ケイオスにも睨まれて「出過ぎた真似を、申し訳ありません」と謝罪したものの、デュカスの顔はまったく納得していなかった。
「とはいえ、晩餐まではまだ時間があるな」
刻標を見ると夕方五刻前であった。食堂が騎士たちでごった返すのは夜六刻から七刻で、落ち着いて食事を取れるのは七刻過ぎになる。その間砦長たちが城内をウロウロして、たまたまメルフィエラに出くわすとも限らない。俺は、このまま会わせてもいいかもしれないと思案した。
「メルフィであれば支度にそう時間はかかるまい。が、ブランシュ、お前はどう思う?」
「それは私は、姫様にはしっかりとお支度をしていただきたくは思いますが……姫様は閣下と同じようなお考えですので、めんど、時間がかかるお支度は難色を示されるかと」
メルフィエラの護衛であるブランシュは、ラフォルグ夫人らと共に身の回りの手配まで担当しているので、俺の知らないメルフィエラの色々な事情を見聞きしている。研究に打ち込むが故に生活が疎かになりがちなメルフィエラは、着飾ることに喜びを見出すどころか、いち日に何度も着替えるその時間が惜しいとまで豪語する筋金入りだ。
そこにものすごい勢いで挙手をして発言の許可を求めてきたのは、アンブリーとゼフだった。
「どうした、お前たち。ゼフはともかくアンブリーまで」
言いたいことをはっきりと言うゼフとは違い、アンブリーは思慮深く寡黙な方である。俺がまずアンブリーに促すと、アンブリーはひと呼吸置いてから話し出した。
「僭越ながら閣下、メルフィエラ様は今だろうと後だろうとお気になさる気質ではないかと。むしろこの会議の場に呼ばれていない方をお気になされると思います。ナタリーからも聞いていますが、事あるごとに閣下のお役に立ちたいと仰っておられるようで」
「そうですよ、閣下。ただでさえメルフィエラ様はひとりでガルブレイスに来たんですから、不安だらけだと思いますよ。早くここに慣れようと頑張っておられることは、俺たちがよく知っています」
アンブリーはともかく、ゼフにまで諭されるとは思ってもみなかった。メルフィエラと共にロワイヤムードラーやザナスを捌いて食べた騎士たちや、天狼騒動を見ていた騎士たちは、メルフィエラに敬意を持って接している。ミュランまでもが「嫌なことはさっさと終わらせるに限ります!」と屈託のない笑顔で進言してきたので、希望者をこのままメルフィエラのところまで連れて行くことにした……のだが。
ダンッ、ビチャッ、ダンッ、ビチャッという規則的な音が広い庭に響き渡る。親天狼はゆっくりと尾を揺らしながら寝そべっており、警戒してる様子は微塵もない。
ダンッ、ビチャッ、ダンッ、ビチャッ、ダンッ……
薄らと紫色になってきた空の下、メルフィエラは無心でモルソの下処理をしていた。ダンッという音はモルソの首を刎ねる音で、ビチャッの方はモルソの内臓を押し出す音だ。いつもの作業服に着替えて、厨房から借りた前掛けをつけている。その前掛けは、飛び散ったモルソの血と何かで赤く染まっていた。
手際よく、流れるような仕草で淡々とモルソを捌いていくメルフィエラの隣にはナタリーがいた。ナタリーは山積みになった首なしモルソの皮を、これまた手慣れた手つきでぐるっと剥いでいく。そして大きな木桶の前で待ち受けていたリリアンが、まる裸になったモルソを綺麗に水洗いしていく。その傍には、モルソに齧り付く仔天狼もいた。
「あ、あの赤い髪の娘が、マーシャルレイド伯の長子ですか?」
引き攣った顔で呟いたデュカスが、何度も瞬きを繰り返して目を擦る。
「ああ。いい腕をしているだろう? ああやって自ら魔物を捌くのだ。実に無駄のない動作だと思わんか?」
「あれは相当場数を踏んでますね……いいな、実にいい腕をしているじゃねぇの?」
デュカスとは違い、ヤニッシュはヤニッシュなりにメルフィエラを気に入ったらしい(発言が危ないので要注意だが)。
メルフィエラ、ナタリー、リリアンを経て綺麗な肉になったモルソの腹の中に、小厨房長が野菜と穀物をせっせと詰め込んでいた。どうやら晩餐の準備に取りかかっているようだ。
「なるほど、鳥の詰め物ならぬモルソの詰め物ですか。今日の食事も期待できそうですね」
食い意地が張っているケイオスは、新しい魔物料理に興味津々といった様子で見入っている。
「はぁっ⁉︎ モルソの詰め物って、本気ですか? あれも立派な魔物ですよ?」
スカッツビットの干し肉に懐疑的だったギリルは、メルフィエラが魔物を捌く様子を目の当たりにしておよび腰だ。
「俺、手伝ってきます!」
「待てよ、ゼフ。お前穀物粥くらいしかまともに作れないだろ?」
「あのな、ミュラン。最近真面目に料理の勉強してるんだよ。いつまでも食わず嫌いのままだと思うなよ」
すっかり食わず嫌いが治ったゼフが、メルフィエラの方に駆けて行く。ミュランとアンブリーもその後に続いた。
「メルフィエラ様、力仕事は我々に任せてください」
「あっ、ゼフさん、アンブリーさん、ミュランさんも」
「美味い飯にありつけるよう、俺もひと仕事しますんで」
「三人ともありがとうございます。それではゼフさんとミュランさんはモルソの骨と身を外してくれますか? アンブリーさん、この小さな皮って何かに使えますかね?」
皆の中心でわいわいと楽しそうにしていたメルフィエラが、ふと顔を上げる。俺に気づいたのか、首を刎ねたばかりのモルソをブンブンと振ってにっこりと笑顔を向けてきた。




