70 堅物砦長からの伝令
アリスティード様に食べ方を教わりながらパウパウを楽しんだ後は、魔法道具屋に向かうことになった。再び迷路のような細い路地を抜けていくと、今度は静かな通りに出る。人の往来はそこそこあるものの、立ち並ぶ店はひっそりとしていて、呼び込みの店員などはいなかった。
(すごい、こんなにたくさんの魔法関係のお店があるなんて)
その通りには魔法道具屋だけではなく、専門書店や魔法薬屋、魔法武具屋などのありとあらゆる『魔法』の店が揃っていた。中には魔法の素材屋なるものもあり、店先には様々な種類の素材が並べてある。
色々と目移りしてしまい、どの店から見ていけばいいのか迷っていると、アリスティード様が助け船を出してくれた。
「さすがに一日では見て回れないからな。とりあえず懇意にしている店が幾つかあるが、何がほしいのだ?」
「そうですね。魔法陣に特化したお店を紹介していただけますか? 染料の在庫が切れてしまって」
先の天狼の治療で、マーシャルレイドから持参した染料などが足りなくなってしまっていた(ちなみに曇水晶の器はさすがにここにはないので、マーシャルレイドから取り寄せることにしている)。
私は期待を込めてアリスティード様を見上げる。城の魔法師から借りた染料はとても伸びが良く、私に合わせて調合したわけではないというのに、魔力の馴染み具合もかなり良かったからだ。城壁の防御で使用している魔法陣の染料だと聞いていたけれど、私は是非とも自分用にほしいと思っていた。
「魔法陣か。ならば、オシマ婆様の店がいいか」
ぐねぐねと曲がる通りを降りていくと、『オシマ』と書いてあるぼろぼろの木板が下げられた店にたどり着いた。窓のギリギリまで魔法道具が積み上げてあり、店の中が見えないくらいになっている。
「オディロン……城の魔法師長に所縁がある魔法道具屋でな。俺もたまに魔法書などをあさりにくるが。まあ、見ての通り、整理整頓がなってなくて探すのに苦労するかもしれん」
たしかに、どの魔法道具屋よりもごちゃごちゃと物が置いてある。でもその中に掘り出しものがあるかもしれないと、私はわくわくしながら魔法道具屋の扉に手をかけた。
「ッ、メルフィ!」
と、アリスティード様が突然上を向き、私を背中に庇うようにして左手に魔力を込めた。右手にはいつ抜いたのか短剣が握られていて、私は何かに警戒するアリスティード様の背後で身を強張らせる。
「ロジェ様、魔物ですか⁉︎」
ガルブレイスでは魔物の襲撃はよくあることらしいので、私はどこかで警鐘が鳴っていないかと耳を澄ませた。足手まといにはなりたくないので、いつでも走り出せるように少しだけ腰を落とす。
「いや、すまない。斥候かと思ったが、ただの伝令蜂だった」
アリスティード様が、金色の光と共にバチバチと鳴る左手を握り、紡いでいた魔法を霧散させる。それから右腰の帯革に短剣を収め、「心配ない」と私の背中をポンポンと軽く叩いた。
(というか、斥候とは物騒な。ガルブレイスはどこかと領地争いでもしているのでしょうか?)
気にはなったけれど、なんだか尋ねるのも憚かられる。空を見上げれば、アリスティード様の言う通りに赤く光る何かが一直線に向かってきていた。それはよく見ると、この間のベルゲニオン襲撃の際にリリアンさんが使っていた『伝令蜂』と呼ばれる魔法道具の一種だった。ガルブレイスの騎士たちは、この伝令蜂を使って遠くの人とやり取りをしている。赤い色は緊急の要件だと聞いていたので、私は何かよくないことがあったのでは、とドキリとする。
アリスティード様が左手を空に向かって伸ばすと、赤い伝令蜂は迷うことなくその長い指先にとまった。
「……やれやれ、夜まで待てんのか」
伝令を聞いたアリスティード様は、「いつものことだ。気にするな」と仰って、伝令蜂を青色に変えて飛ばしてしまった。
「そのまま帰してしまってよろしかったのですか?」
「構わない。何故緊急伝令を飛ばす必要があるのだ? 無粋にもほどがある」
飛び去る蜂に向かいぶつぶつと文句を言い放っていたアリスティード様が、気を取り直して扉に手をかける。
「次の大規模討伐の打ち合わせを兼ねて砦長が来ているのだ。そもそも明日の予定だったのだから、本当に気にする必要はないからな」
そうして私たちはそのまま魔法道具屋に入ったのだけれど。
カランカランという乾いた呼び鈴が鳴る音がして、店の人の「いらっしゃい」という声がした。でも、店の中は棚やら何やらでいっぱいで姿が見えない。それに通路も狭くて、うっかり衣服が引っかかると大変なことになりそうだ。
「こんなにたくさん……本当にどこから見ていいのか迷ってしまいそうです」
「うむ、いつ見てもどこに何があるのかさっぱりわからん」
棚という棚には魔法道具が隙間なく置かれ、そこから溢れ返ったものは木箱いっぱいに詰められて積み上げられている。一応、分類はされているようだけれど、何かをひとつ手に取れば他のものが落ちてしまいそうで、私は店の人を探して奥に進んだ(背が高く手足が長いアリスティード様は、棚と棚の隙間を縫って進むのに難義なされていた)。
(ふふふ、この魔法道具独特の匂い、なんだか落ち着きます)
古びた紙や薬草などの匂いは、マーシャルレイドの研究棟で毎日のように嗅いでいたものと同じだ。二階に上がる階段の端に書物が積み上っているので、どうやら一階に道具類、二階に魔法書を置いてあるらしい。
商品を倒さないように避けながらようやく店の奥までたどり着いた私は、こちらをじっと見ている眼鏡の女性と目が合った。
「おやまあ、可愛らしいお方だ」
「こんにちは」
「魔力の質ですぐにわかったよ。いらっしゃい、北のお姫様。孫から話は聞いているよ」
長い白髪を編み込んだ女性が、読んでいた本を置いて立ち上がる。古代魔法語とは違う種類の魔法文字が縫い取られた灰色の肩掛けが、とても良く似合っていた。すらりと背が高く、年は六十歳くらいだろうか。
「こんにちは。あの、お孫さんとはどなたのことでしょうか」
私は魔法道具を股越しながらこちらに向かってくるアリスティード様を思わず振り返る。孫と聞いて「まさかアリスティード様のお祖母様では⁉︎」と焦る私に、女性はにんまりとした笑みをたたえた。
「安心おし、ご領主じゃないよ。オディロンって言えばわかるかい?」
「まあ、オディロンさんのお祖母様だったのですね。はじめまして、その節はオディロンさんに大変お世話になりました」
「世話になったのは私たちの方さ。あのやる気のない孫が久々に目を輝かせてやって来てね。新しい研究を始めるんだと張り切っているよ」
「新しい研究?」
それは一体なんなのだろうか。すると、ようやくこちらに抜け出してきたアリスティード様が、話を遮るようにして咳払いをした。
「オシマ婆様、勝手に話すとオディロンが拗ねますよ」
「ご機嫌よう、ご領主。相変わらずえげつない魔力だね。あの子に言うのはやめておくれよ。ただでさえ要件がなければ寄り付きもしないんだから。それよりもご領主。さっきからあんたのところの蜂が煩くてかなわない。さっさとなんとかしておくれよ」
「蜂? まさか、また飛ばして来たのか⁉︎ すまない、オシマ婆様」
店主に断ってアリスティード様が近くの窓に向かう。手が当たったのか魔法道具が幾つか転がってしまい、私はそれを拾い上げる。
(こ、壊れてる⁉︎)
真っ黒な球体に金と銀の輪が幾重にも巻き付いている魔法道具は、その真ん中にひびが入っていた。
「大丈夫だよ、北のお姫様。それは元から壊れていたんだ。ここにある古い魔法道具はほとんどみんな壊れていてね。古代魔法なんて誰も見向きもしないだろう?」
黒い球体を何に使うのかさっぱりわからないけれど、古代魔法語で『空の地図』と書いてある。他にも古代魔法語を使った魔法道具を見つけたけれど、そのどれもが埃を被っていた。
「ここでも古代魔法はそのような認識なのですね。私はずっと古代魔法を学んできましたけれど、マーシャル……故郷の魔法道具屋でも同じような扱いでした」
「そうだね。今の魔法の方がずっと洗練されているからね。でも、私ら森人の祖先の中には古代魔法語を使って精霊と会話をしていたなんて言い伝えも残されているよ。お姫様は何をお望みだい? ここいらの店の中じゃあ、品揃えは私の店が一番さ」
「えっ、は、はい。魔法陣を描くための染料を」
アリスティード様が窓を開けたので、店の中に風が入ってきて埃がぶわりと舞い上がる。思わず袖で鼻と口を覆った私は、アリスティード様のところに駆け寄って窓を閉めた。品揃えは一番かもしれないけれど、掃除ができないくらいに物が溢れてしまっているのはいただけない。
そのまま埃が落ちるのを待っていると、先ほどと同じような赤い伝令蜂がアリスティード様の周りをぶんぶんと飛び回っていた。
「まったく、しつこい! 俺は不在だと言っているだろう!」
伝令を聞いたアリスティード様が苛々とした声を上げる。きっとどうしても連絡を取りたいことがあるのだろう。お忍びはここで終わりにした方がいい。少し残念だけれど、私はアリスティード様の袖を引いて「戻りましょう」という意味を込めて小さく頷きかける。
美しいパルーシャの衣装も着せてもらえたし、ガレオさんの鍛治工房にも連れて行ってもらえた。それに、美味しいものも一緒に食べられた。魔法道具は次の機会にもう一度行けばいいのだから、これ以上アリスティード様を独り占めするのはよくない。
「残念ですが、今日は『ロジェ様』は終わりですね。アリスティード様」
「あれ、姫様?」
城に帰ってきたのは昼三刻前。
私の姿を見つけた門番を務める騎士が、喇叭を吹いた。すると、正門の傍にある騎士たちの詰所から、今日の護衛担当のリリアンさんが飛び出してくる。リリアンさんと一緒にいたナタリーさんも不思議そうな顔で出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、姫様。ケイオス補佐から夕食を外で済ませてくると伺っておりましたが……おひとりでございますか?」
ナタリーさんが私の背後をしきりと気にしている。
「ロジェさ……アリスティード様は、階段下で他の方と話し込んでおられまして」
私はちらりと後ろを振り返る。ナタリーさんも私の視線の先を確認して、それから盛大な溜め息をついた。
「申し訳ありません、姫様。伝令蜂が届いてしまったのですね」
「はい」
あれから三回目の伝令蜂が飛んできたところで、私たちは切り上げることにした。アリスティード様は不満そうな顔をなされていたけれど、無視する度に伝令蜂が飛び回るとなれば、オシマさんのお店の営業妨害になってしまう。
「何度も届くので、流石に無視できるものではないと急ぎ戻ってきました」
もっとも気にしていたのは私の方で、アリスティード様は蜂が飛んでくる度に渋い顔をするだけだった。気にするなとは言われたけれど、気持ち的に買い物どころではなくなってしまった私は、アリスティード様と「また次の機会に」と約束して帰城することにしたというわけだ。
「あの伝令蜂を送ったのはデュカス砦長です。次の大規模討伐の打ち合わせに来ているのですが、閣下がご不在の際にはいつもああして催促をするせっかちな性でして」
なるほど。アリスティード様の姿を見るなり突進してきた男性はデュカスさんという騎士らしい。まるで敵でも見つけたかのような気迫に気圧されて、私は先に階段を昇ってきたけれど。多分、あの騎士の視界には私は入っていなかったと思う。
階段の下では、ひとりの騎士がすごい勢いでまくし立てている。うんざりとした様子のアリスティード様が上を見上げ、私に向かって肩をすくめると、騎士の「聞いておられるのですか、閣下‼︎」という金切り声があたりに響いた。