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69 ミッドレーグ食べ歩き2

「そうか。お前の、その、笑顔を見られてよかった」


 アリスティード様も照れたような顔で笑って、懐から白い手巾を取り出す。何をするのかと思っていたら、アリスティード様は私の膝の上にそれを広げてくれた。


「ありがとうございます」

「ん」


 私のパルーシャが汚れないように気を遣ってくださるなんて、やっぱりアリスティード様は紳士の中の紳士だ。私の礼に頷いたアリスティード様が、まだ熱々の辛蜜焼きの袋を開ける。私も自分のラッケを袋から取り出すと、タレがこぼれないようにしながら串を持った。食欲をそそる匂いに誘われて、私は皆がしているようにそのままぱくりとかじってみる。


「ん!」


 少しピリッとする辛さと何かの蜜の甘さが絶妙だ。ラッケの身はしっかりとした固さがある。中に味を染み込ませるというよりは、こうして濃い味のタレを付けて焼くのもなるほどだと思える。


(皮も香ばしい!)


 私はもうひと口、もうひと口と一気に半分くらい食べてしまった。切り身なので食べやすく、皮と身の間から滲み出てくるラッケの脂がこれまたたまらなく癖になりそうだ。


(これはパンに挟むと美味しそう。ガルブレイスでは甘辛い味を好んで食べるのね)


 私は、アリスティード様が買ってきてくださったパンをちぎって口にしてみる。ふかふかとした軽い焼き上がりで、ラッケを挟んでもいけそうな感じだった。

 私はパンを半分に分けると、残り半分になったラッケを挟んで大きく口を開けて噛み付いた。今はお忍びだし、あれこれ気にしながら上品に食べなくても大丈夫そうだ。いつものようにして、唇に付いたタレも素早くぺろっと舐めて綺麗にする。

 そんな私の一連の所作を、アリスティード様がジィッと見ていた。


「メルフィならば多分そうやって食べるのではないかと思っていた」


 アリスティード様にそう言われた私は少し恥ずかしくなって、口の中のラッケのパン挟みをひたすら咀嚼して飲み込んだ。


「は、はしたなかったでしょうか」


 今まで気にもしたことがなかったというのに、アリスティード様から見た自分がどんな風に映っているのか、非常に気になってきた。私はちらりとアリスティード様を見上げる。


「いや、ここではそれが普通だ。今はただのメルフィとロジェなのだからな」


 器用に頭と背骨を残してエペルを食べ終えたアリスティード様が、チェチェ鳥の串焼きを袋から取り出す。そして私のラッケと同じようにして、チェチェ鳥の肉をパンで挟んで串を引き抜く。パンの端から垂れた辛蜜焼きのタレが指に付き、アリスティード様はそのままペロリと舐め取った。


「どうだ、美味いか?」

「はいっ! タレと焼き加減が絶妙です」

「ならばよかった。あの店主とは昔からの顔馴染みでな」


 アリスティード様が、昔を懐かしむような顔になる。


「子供の頃は、城にいるよりも街にいる方が長かったのだ」

「まあ。お忍び……ではなくて、抜け出していたのですか?」

「城には居場所がなかったのだ。俺は、十歳でここに来た。だがまあ、正式に爵位を継ぐまではただの子供で、その、な」


 そういえば、アリスティード様は十歳の頃にガルブレイス公爵となるため臣下に降ったと仰っておられた。十歳といえば、まだまだ子供だ。私は既にその歳の頃には研究に没頭していたけれど、お父様が付けてくれた講師との勉強が退屈で、さぼったり逃げ出したりと比較的自由にしていた覚えがある。

 しかしアリスティード様は、ガルブレイスでの過酷な責務を全うするために家族の元から離れてここにやって来たのだ。並々ならぬ決意と共にやってきた子供のアリスティード様は、どれだけ心細かったことだろうか。


「まさかおひとりで……」

「ひとりの予定だったが、ありがたいことにケイオスの家族も一緒に来てくれた。一応、王城の騎士も連れて来てはいたのだが、ここの騎士たちと反りが合わなくてな。味方はケイオスだけしかおらず、どんなに口が達者でも所詮は子供。悩んだ俺は、とりあえず自分の味方を作ることから始めたのだ」


 アリスティード様が、がぶりとチェチェ鳥のパン挟みにかぶりつく。私もラッケのパン挟みを最後まで食べると、香草茶で喉を潤した。香草茶にはガルブレイスの秋の味覚であるナムの実も入っているようで、ほんのりと甘酸っぱい味がした。


「生意気ないいところの子息のフリをしては、ここいらを()()()()()()という商人や武闘派連中に喧嘩を売りに行ったりだな」


 味方を作るのに何故喧嘩をしなければならないのか。私にはよく理解できなかったけれど、アリスティード様が続けて「昔は怪しげな商売をする者が多かったが、俺が勝ってからは真っ当な奴らが増えたのだぞ?」と説明してくれたことで、ようやくその意味がわかったような気がした。わかったような気がしたけれど、子供だったアリスティード様がやるべきことではないと思う。


「ロジェ様はまだ十歳でしたのに。ガルブレイスには悪しきを取り締まる大人はいなかったのですか?」


 ガルブレイスは、騎士と共に栄えた領地だ。騎士とは、弱き者を助け、悪しき者を挫くというラングディアス王国の騎士の理念に則るものではないだろうか。

 するとアリスティード様が、私の嫌いな、あの諦めたような曖昧な笑みを浮かべた。


「いたにはいたのだろうが、当時のガルブレイスは厄災のせいで多くの騎士を失い、半ば無法地帯と化していたのだ」

「それでも。いくらロジェ様自身が望まれたこととはいえ、ロジェ様の()()()も、よくもまあ、可愛い弟をそのような場所に送り出したものですね」


 私は心の中にわいてきたモヤモヤとした気持ちのまま、チェチェ鳥にかぶりついて串から引き抜く。そして、なんだかよくわからないモヤモヤと共に噛み砕いた。野山を駆け巡った野生のチェチェ鳥なのか、弾力があって噛みごたえがある。チェチェ鳥には失礼かもしれないけれど、今は顎の体操になりそうな固さが美味しかった。


「あ、あのな、今思えば、俺も無謀だったと反省するところはある。別に陛下が悪いわけではなく、まだご存命だった前公爵の庇護のもと療養するという名目があってだな。それにまあ、ミュランにゼフ、アンブリーとナタリーの兄妹もその時に知り合った仲だ。悪いことばかりではなかったというか、むしろ良いことづくめだったと思うぞ」


 私のモヤモヤした気持ちが伝わったのか、アリスティード様が焦り気味に説明を付け加える。私は最後の肉を十分に咀嚼して飲み込むと、香草茶をぐっと飲み干して、手の甲で口を拭った。


「ロジェ様」

「な、なんだ、メルフィ?」

「もしロジェ様のお兄様にお会いできる機会があれば、ひと言もの申しても大丈夫でしょうか」


 私は、いつか遠くから見たことがある国王陛下の姿を思い浮かべる(その時は物々しい警備体制の中、煌びやかな王冠しか見えなかったけれど)。そしてなんだかよくわからない気持ちのまま、アリスティード様を見据えた。


「まったく、ロジェ様は昔からご自分のことは二の次だったのですね。私、すごくモヤモヤします。胸がとても苦しいです。できることならば、その時私も一緒にいたかったと、悔しくなります」


 私がうまくまとまらない心情を吐露すると、アリスティード様がぽかんとした気の抜けたような顔をする。そうかと思ったら、辛蜜焼きの袋をくしゃくしゃと握りしめて俯いてしまった。


(えっ、ど、どうして?)


 アリスティード様は、時々私を見てこのような反応を見せることがある。私は、感情に任せて何か気に障ることを言ってしまったのではないかとひやりとした。アリスティード様とこうして二人きりで話をすると、高頻度で今まで知らなかった新しい自分の側面が出てくるのだ。


「ロジェ様。私、変なことを言ってしまって」


 楽しい雰囲気を壊してしまってごめんなさい、と、そう謝罪しようと思っていた私は、アリスティード様の顔を見た瞬間惚けてしまった。


「ありがとう、メルフィエラ」


 帽子の影になっていたけれど、その時のアリスティード様の笑顔は、今まで見てきた笑顔の中で一番綺麗で。でもとても哀しそうで。私はこの強く優しい人のことを、もっとずっと深いところまで知りたいと思った。


「ロジェ様」


 何故そのような顔をするのか。聞いてみたら何かが変わってしまうような気がして、私はその後の言葉を続けられずにただアリスティード様を見る。その琥珀色の目を、アリスティード様が優しげに細めた。


「行こう、メルフィ」


 そう言ってアリスティード様が差し出してきた手を、私は躊躇うことなく取る。今日は街に下りてからずっと手を繋いでいるけれど、なんだかそれが当たり前のように感じられる。不思議なことに、モヤモヤしていた胸のつかえがスッと取れていった。


「まだお腹は大丈夫か?」


 次の瞬間には、もういつものアリスティード様に戻っていた。


「は、はい。もう少し入ります、けど」

「ならば、先ほどのパウパウを食べに行こう。十歳の俺が夢中になって食べた菓子なのだ。その時の感動を、今なら味わえそうな気がする」


 アリスティード様は私の辛蜜焼きの袋を取ると、自分の袋と一緒に一瞬にして燃やしてしまった。




 パウパウを売っている露店には、大きな壺が置いてあった。

『火傷に注意』という注意喚起の立札が設置してあるけれど、壺の周りに皆が集まっている。よく見れば、パウパウをそのまま袋に入れてもらっている客と、長い串の先に刺してもらっている客がいて、串に刺してそれを壺に向かってかざしていた。


「ロジェ様、あれは何をしているのですか?」

「ん、あれか。パウパウはそのまま食べるとサクサクとしているのだが、焼くと食感が変わる面白い菓子なのだ」

「あの壺はパウパウを炙るためのものなのですね」

「俺は炙った方が好きだな」


 なるほど、そしてあの独特の長い串は、壺で火傷をしないようにするためであったようだ。


「焦げないように上手く焼ければ……ほら、ああやって伸びる」


 アリスティード様が視線を向けた先では、子供たちが炙ったパウパウを食べていた。子供の手は短いので、長い串では食べにくいみたいだ。しかも串まで焼いてしまったのか、熱くて握れないらしい。串の端を持った少年たちが、お互い「あーん」の状態で食べさせ合いをしている。


「んへ、ふーふんふふ!」

「垂らすなよ、上手いことすすれ!」

「ふーっ!」

「ばっか、下手だなぁ、お前」


 かなり熱かったようで、少年が少しかじったところから、白い糸のようなものが伸びていた。周りにいた少年の仲間たちが、楽しそうな笑い声をあげる。


「食べるのにコツが必要みたいですね」


 私は大人だからひとりでも食べることはできるだろうけれど、熱々であれだけ伸びるものを垂らさずに口にできるのかは疑問である。


「やってみるか?」

「えっ、と、ロジェ様」


 私の返事を待たずに、アリスティード様が長い串のパウパウを購入する。お手本とばかりに長い串を壺の上にかざして見せてくれたのだけれど。


「……ロジェ様、私の背はロジェ様ほど高くはないので届きません」


 壺の周りに群がる子供たちの上から、ひょいと手を伸ばしてパウパウを焼くのは、背がいちフォルン半くらいしかない私には無理だった。




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