68 ミッドレーグ食べ歩き
「釜茹で?」
「はい、釜茹でです。茹でると赤くなるところなど、蟹と同じでした」
「百足蟹を普通の蟹と同じに分類していいものか俺にはわからんが、お前がそこまで言うのであればきっとあれは蟹なのだろうな」
ユグロッシュ百足蟹を食べたくて必死な私に対し、アリスティード様がなんとも言えないような顔になる。百足蟹は胴の長い甲殻類だ。蟹のような爪を持ち、その名の通り足がたくさん生えている。百本あるのかどうかは、私も数えたことがないのでわからないけれど。お母様が遺してくれた素描画はだいたいのところ概ね蟹であった。
「私は、足と爪を一本ずついただいただけなのですが」
私がそう言うと、傍で話を聞いていたガレオさんが驚愕の顔になる。
「お、奥方はあれの爪と足をまるっと全部食べてしまったんですかいっ⁉︎ おひとりで?」
「あ、はい。あまりにも美味しくておかわりを強請ってしまったくらいなのです。あまり大きな魔物ではないので、おかわりできませんでしたけれど」
私は両手を目一杯広げて、このくらいの体長だったと説明する。すると、ガレオさんがホッとしたような顔になり、アリスティード様が「なるほど」と納得したような声を出した。
「それは子蟹だな、メルフィ」
「えっ、子蟹ですか?」
「ああ。百足蟹は成長するとガレオ十人分くらいの体長になるのだ。故に、討伐対象を釜茹でにできるかどうかわからんが、地面に穴を開ければ蒸し蟹にはできるだろう。あるいは子蟹を釜茹でにするか」
「ガレオさんが十人分……」
私はガレオさんをまじまじと見てしまった。ガレオさんはアリスティード様より身長が高く、だいたい二フォルンほどあるだろう。ということは、ユグロッシュ百足蟹の全長は二十フォルンもあるということだ。
「私が食べたあれが子蟹」
大きな蟹だと思っていたあれが子蟹だったことに驚いたけれど、そもそもが魔物なのだ。そういうこともあるだろう。後から図鑑の内容を訂正しなければ。
「うむ、あれの足は俺の足より太い。ひとりでたいらげるとしたら余程の大食漢くらいではないか?」
アリスティード様が自分の足を指し示す。なんて長くて素敵な足なのだろう。
(食べ応えがありそう……ではなくて)
不躾にも遠慮なくアリスティード様の足を眺めてしまった私は、咳払いをして誤魔化した。百足蟹にそれだけの大きさがあるのなら、間違いなく足の一本だけでお腹いっぱいになるというものだ。いくら食べることが大好きとはいえ、私はそんなに大食らいではない、はずである。
「それよりもだ。ユグロッシュ百足蟹はユグロッシュ塩湖の固有種だが、お前はどこで食べたのだ?」
アリスティード様の疑問はもっともである。実は、私もお母様がユグロッシュ百足蟹を手に入れてきた経緯はよくわからないのだ。だけれどそれは、南の地方出身だったお母様の生家で不幸があり、葬儀に参列するために私も一緒に着いて行った時だった。その時の私は六歳。領地から出るのはそれが初めてで、そこで食べた一番のご馳走がユグロッシュ百足蟹だったというわけだ。
「ロジェ様は、クレトーニュに行ったことはございますか?」
「ああ、ガルブレイスよりさらに南東の子爵領だな……うん? 確かお前の母親の」
「はい、私の母は前クレトーニュ子爵の娘なのです。私が母と共にクレトーニュの大叔父様のご葬儀に参列した時でした。経緯は覚えていませんが、どこかの宿で母から虹蟹より美味しい蟹だと言われて食べた味が、今も鮮明に残っているのです」
「なるほど。マーシャルレイドからクレトーニュまでの道中で、ユグロッシュ塩湖の近くを通ったのかもしれんな。だが、覚えているのが魔物食とはお前らしいな」
「ふふふ、そうですね。母との旅はそれが最初で最後だったので、母と結びつくこととして覚えているのかもしれません」
「……そうか」
旅の目的が葬儀だったのだし、あの頃はまだ大干ばつの爪痕があちこちに残っていたから、旅そのものの印象はあまりないけれど。その他のことといえば、長旅で馬車に乗るとお尻が痛くて、最後の方はうつ伏せでほとんど寝ていたことと、幼いからと葬儀そのものには参加できず、クレトーニュ家の騎士と一緒に領地を散策したことくらいである。
私は期待を込めてアリスティード様を見上げる。するとアリスティード様は何かを思案してガレオさんと相談を始めた。
「ガレオ、あれを生きたまま鋼糸網で運ぶことは可能か?」
「生きたままですか。いやぁ、難しいでしょう」
「魔獣のように気絶させてみるか」
「そもそも蟹って活け締めできましたかね。いや、あれが蟹だと仮定してですが」
「やったことがないからさっぱりわからんな。百足蟹は俺ですら水中では手も足も出せん。鋼糸網を仕掛けて陸に引きずり上げ、動きが鈍ったところを仕留めるしかないが」
どうやら生きたまま捕獲しようと考えているらしい。二十フォルンもある魔物を生捕りにするのがどれほど難しいか。それがわかるだけに、私も流石に止めに入る。
「ロジェ様、新鮮であれば大丈夫ですから。あの、私は討伐に参加できるとか思ってもいませんので。なんならもいだ足だけでもいいですし、ご迷惑にならないよう近くの町で待機します」
本音を言えば、私も討伐の現場にいたいのだけれど。でもそれは、わがまま過ぎるというものだ。
「心配するな。水際に近寄らなければあれの攻撃も届くまい」
アリスティード様がポンと私の肩に手を置く。
「俺に任せておけ、お前の本気は俺が一番知っている」
優しい目をして私見下ろしたアリスティード様が、「それに、虹蟹より美味いというのであれば黙っていられない奴がひとりいるからな」と意味ありげに片目を瞑った。
ガレオさんの見送りでルセーブル鍛治工房を後にした私たちは、小腹が空いてきたので市場に向かうことにした。
結局、扉に刺さった大剣の話を聞きそびれてしまったので、今度ブランシュ隊長に直接聞いてみようと考える。ブランシュ隊長はどんな風にしてガレオさんに求婚したのだろう。夫婦の形は千差万別だけれど、ルセーブル夫妻は、ガレオさんが「ブランちゃん」と呼んでいるくらいだ。とても仲が良さそうに見える(というか、ガレオさんがベタ惚れしているように見える)。
私は、当たり前のように手を繋いできたアリスティード様を、気付かれないように盗み見た。アリスティード様の腰には、購入したばかりの剣が二本下がっている。
(明日すぐ使うと仰っておられたけれど、そんなに毎日のようにたくさんの魔物が出没するものなの?)
私が襲われたベルゲニオンは狂化していたというし、ケイオスさんからはそうそうあることではないと聞いていた。天狼だってそうだ。基本は、アリスティード様が敷いた防衛線を越えてきそうな魔物を狩るのだと説明されたけれど、最近魔物が活性化しているという騎士たちの話も私の耳に入ってきている。
まだ魔力入り曇水晶を有効活用する方法は確立していないし、私の魔法陣がガルブレイスの魔物に効くのかすらわからない。はっきり言わなくても、足手まといでお荷物だけれど、私はアリスティード様や騎士たちがどのようにして戦っているのかきちんと見ておかなければ、と思うのだ。
「おっ! もうパウパウが売り出してあるではないか。メルフィ、後から食べよう」
「パウパウ?」
「冬の初めにアザーロの砦周辺に飛来してくる小さなふわふわした魔物だ。といっても、パウパウそのものを食べるわけじゃないが。姿形をパウパウに似せた焼き菓子でな、俺はここらの菓子の中でこれが一番好きだ」
「それは是非いただいてみないとですね!」
アリスティード様が、目をキラキラと輝かせながらのぼり旗が立つ露店を指し示す。旗には「パウパウあります」と書いてあり、店の周りには子供たちを中心に様々な人が集まっていた。
その他にも、通り沿いに軒を連ねる色々な商店が威勢の良い声で客を呼び込んでいる。私の鼻が、肉が焼けるいい匂いや甘いお菓子の匂いを嗅ぎ分けて、お腹がクゥと鳴った。特に甘辛いタレの焦げる匂いが、私の空腹な胃袋を刺激する。
「からみつやき? ロジェ様、からみつやきとはなんなのですか?」
私はの目は、「焼き立てからみつやき」と書いてある商店に引き寄せられた。
「辛蜜焼きか。辛味のある調味料に糖蜜などの甘味を入れたタレに、肉や魚を漬けて焼いたものだ。ちょうどいい、食べてみるか?」
「はいっ!」
勢いよく返事をした私に、アリスティード様が笑って辛蜜焼きの店に連れて行ってくれる。何人か並んでおり、私は順番を待つ間ずっと辛蜜焼きが出来上がっていく行程を見ていた。
最初に素焼きにしている串肉を、客の注文に合わせてタレがたっぷり入った壺に浸す。それを炭火の網にのせると、ジュッとタレが焼ける音がして、あの食欲をそそる香ばしい匂いがあたりに充満した。
「肉は鳥肉ですか? 魚は川魚のようですが、捌いてあるのとないのとでは種類が違うようですね」
「鳥肉はマーシャルレイドでも食べられている山鳥のチェチェだと思うが。魚はそうだな、キャルバース川で漁れるエペルと切り身はラッケという川魚だ」
エペルの方は手のひらより少し大きな魚で、ラッケは身が赤い。アリスティード様はエペル、私はラッケを注文して、今か今かと焼き上がりを待った。
「パルーシャのお嬢さん、ラッケお待ち! 婚姻はいつだい?」
「え、あ、はい、来年の秋に」
恰幅の良い店主に声をかけられ、私は咄嗟に本当のことを答えてしまった。
「まだ一年もあるのか? お嬢さん、そこの色男の兄ちゃんから随分と大事にされてるんだな。ほらよ、こいつは俺からのお祝いってことで持っていきな」
店主が、私が頼んでいない山鳥の辛蜜焼きを二本おまけしてくれる。受け取ってよいものかわからず、アリスティード様を見上げると、アリスティード様が大丈夫だというように頷いた。
「あ、ありがとうございます」
「すまないな、店主」
油紙の袋に入れられた辛蜜焼きを、帽子を浮かして礼を述べたアリスティード様が受け取る。すると、店主がアッという顔になった。
「へへへっ、今後もご贔屓に! 毎度あり!」
多分、店主にはアリスティード様の正体がわかってしまったのだろう。でもまるで騒がず、そして何事もなかったかのように他の客の相手を始めている。
マーシャルレイドでは、お父様はこんな風に市場で食べ歩くことはしていなかったと思う。ある程度自由を許されていた私も、人が多く行き交う場所に出向くことはしなかった。
アリスティード様はこうした場所に慣れているようで、他にも丸くふかふかとした見た目のパンのようなものと香草茶を購入すると、木陰にある石造りの椅子まで私を案内してくれた。
「こんな風にして食べるのは初めてか?」
アリスティード様がラッケの入った袋を手渡してくれる。袋を開けると、ふわりと香ばしい匂いがした。
「そうですね。護衛の騎士はあくまで護衛で、私は基本ひとりでしたし、たまに外で食べることはありましたけれど、もっと人がいない静かな場所を選んでいましたから」
「俺がいつもしていることを一緒にしてみたかったのだ。店に入ってもいいのだぞ?」
遠慮がちに聞いてくれたアリスティード様に、私は心からの笑みで答える。
「私も、ロジェ様と一緒のことをやりたいと思っています! だから今とっても楽しいんです」