66 ルセーブル鍛治工房
私は、扉に刺さった大剣をまじまじと見てしまった。魔法がかかっているのか、その刃は錆びておらず、覗き込むと私の顔がぼんやりと映り込む。
この大剣に触れると開く魔法の扉なのかと思った私は、そっとその柄に手を当ててみる。
「どうやって中に入るのですか?」
しかし何の反応も見せないので、何か開閉の呪文があるのではと、アリスティード様に問いかけた。すると、アリスティード様は剣の扉の横にある小さな扉を指し示した。
「そこの扉は十年ほど使われていなくてな。入口はこっちだ」
「まあ、それではこの剣は客を呼び込むための看板のようなものなのですね!」
さすがはガルブレイス公爵家御抱えの鍛治工房。これなら目立つし、何より興味を惹かれる凄い看板だ。私が関心していると、アリスティード様が「あー」という変な声を出した。
「公しゃ……ロジェ様?」
「いや、な。それは看板ではなく、ブランシュがガレオに求婚した際の名残りというか」
「まあ素敵! まさかこの大剣に誓われたのですか? お二人の馴れ初めを是非聞いてみたいものです」
あの岩のようなガレオさんと、眉目秀麗なブランシュ隊長に剣をかけた素敵な話があったとは。そして、ブランシュ隊長の方が求婚したなんて!
がぜん興味が湧いてきた私が期待を込めてアリスティード様を見上げると、アリスティード様は「ガレオなら教えてくれるかもしれん」と気まずそうに目を逸らしてしまった。
(アリスティード様は恋愛話にご興味がおありじゃないのね)
かくいう私も、義母の言いつけで婚約者を真面目に探し始めたわけで、今の今まで恋愛にさほど興味があったわけではない。でも私は、色恋の物語を読めば素敵だと思うし、いつか自分のことを認めてくれる殿方が現れたらと考えたこともあった。
貴族同士の婚姻は政略的なものばかりではないとはいえ、純粋に愛し合って婚姻を結んだ夫婦がどれくらいいるのだろう。私のお父様とお母様は、懇意にしていたある侯爵家が仲を取り持ったことがきっかけとなって一緒になったのだと聞いている。
ある種の契約婚姻ではあるものの、アリスティード様は私には過ぎたるお方だ。そして私と婚約するために、契約の呪までその身に刻んでくださっているのだから。
(そういえば、ケイオスさんには内緒だと仰っていたけれど)
契約の呪については大切なことだから、私からケイオスさんに伝えておいた方がいいのかもしれない。無事に婚姻を結ぶことができない場合は、アリスティード様(と私のお父様)の手が吹き飛んでしまうことになるのだから。万が一のために解呪の方法を聞いておかなければ。
アリスティード様に手を引かれたまま、私は小さな扉をくぐる。店内は普通の武具屋のように、長い勘定台の後ろに店員と商品が並ぶ造りであった。しかし、その商品が普通ではない。
「いらっしゃいませ」
まるでガレオさんのように鍛え上げた筋肉を身に纏った三人の店員が、私に向かってにこりと笑いかけてくる。この人たちも鍛治師なのだろうか。
「珍しい格好でございますね」
「ああ、今日はな。ガレオはいるか?」
「はい。頭領なら朝から今か今かと待ち構えております」
どうやら、ここの店員たちとアリスティード様は顔見知りのようだ。一応変装しているけれど、しっかり把握されていた。私のことを興味深そうに見てくる視線には気づいているものの、私は店員よりもその背後にあるものに釘付けだった。
「あれはザリアン型の戦斧? こちらはマドレシュカル様式の短剣ですね! でもこの曲剣は私の知らない型です」
屈強な三人の店員が立つ勘定台の後ろには、見ただけで素晴らしい業物だとわかる武器が展示されている。
ザリアン型の戦斧は、木こりの使う斧とは違い、刃の部分が長く作られたものだ。刃の厚みがかなりあり、鉱物系の魔物や、硬い皮や鱗を持つ魔物を仕留める時に重宝されている。ただし重量がかなりあるので、残念ながら私には扱えない。
マドレシュカル様式の短剣は、マドレシュカル魔法王朝が栄えた二百年ほど前に造り出された魔剣の一種だ。刀身に魔法が施してあり、持ち主の魔力に反応して刻まれた魔法を放つことが可能な代物だった。これは短剣なので、魔法が得意な私にも扱えそうだけれど、調理には不向きである。
「驚いたな。お前は武器にも詳しいのか」
アリスティード様が感心したように唸る。
「マーシャルレイドの騎士や猟師も同じような武器を使っていたのです。でも、こんなに見事な出来ではなかったので、つい見入ってしまいました。それに、見たことのないものも多くて」
ひと際目を引く大型の弧を描く曲剣は、持ち手に柄がなく、代わりに筒状の金属と革の帯が取り付けられている。私があまりに凝視していたからだろうか。店員の一人が、その曲剣を展示棚から取り出して見せてくれた。
「これは、腕や脚にこうやって着けて使うものなんです。元々ある武術の使い手用なんですがね」
「意外ですね。折り畳み式になっているのですか」
通常時は腕や脚に沿わせるように収納する仕組みになっているようだ。これでどんな魔物を狩るのだろう。「ご婦人用のものもあるんですよ」と言って出してきてくれたものは、手袋状になっていて、拳を握ると手の甲の部分から魔獣の爪の様な刃が飛び出してくるものだった。確かにさほど重量はなさそうだ。でも、これを使う女性はどこで使うのだろうか。モルソのような小さな魔獣が畑に出た時には使えるかもしれないけれど。
まだもう少し見ていたかったけれど、ガレオさんとの約束がある。案内の人が迎えに来たので、私は後ろ髪を引かれながら店の裏口から工房へと向かう。
金属を叩く音が聞こえてきて、私がそちらに顔を向けると、そこにはガレオさんと数人の鍛治師が待ち構えていた。
「おお、閣下に奥方」
ガレオさんが、金属を鍛えるための大きな金槌を振り上げて、ニッと笑顔を見せる。奥方と呼ばれた私は、思わずアリスティード様を見上げてしまった。すると、アリスティード様も私の方を見ていて、目が合ったことが気恥ずかしくなってしまう。
「こ、こんにちは、ガレオさん。今日は、あの、お忍びなので……」
「パルーシャを着せてお忍びってことはないんじゃねぇのか? 幸せいっぱいのガルブレイスの娘っ子みてぇで、なかなか似合っている……じゃねぇ、いらっしゃるじゃねぇか」
ガレオさんの冷やかすような言葉に、私は益々恥ずかしくなった。アリスティード様から説明を受けたわけではないけれど、パルーシャを着る意味は『婚約中』で間違いないらしい。
「ガレオ、余計なことを」
「いや、だってよぅ。俺だってもうちっとマシだと思いますぜ」
「ぐっ…………わ、わかっている。わかってはいるのだ」
ガレオさんと何やらよくわからない言葉を交わしたアリスティード様が、どこか悔しそうにぐぬぬと唸る。
「ま、閣下は放っておいて大丈夫じゃないですかね。奥方、今日の本命はあんた様だ」
「は、はいっ、今日はよろしくお願いします」
「落ち着かねぇ場所かもしれませんが、ゆっくりしていってくだせぇ。おい、工房ん中に椅子をお持ちしろ。せっかくのパルーシャが汚れちまうだろ」
ガレオさんが気を遣ってくれて、私はあれよあれよという間に工房内のど真ん中に設置された椅子に腰掛けることになった。せっかく用意してもらったけれど、パルーシャは鍛治工房には少し不釣り合いな装いだったかもしれない。
火を使う場所だからやっぱり私は中に入らない方がいいのではと思い、まだ何か考え事をしながら唸っているアリスティード様を見上げる。
「ロジェ様、私は外でも構いません」
「あ、ああ。気にすることなどないぞ。ルセーブル工房には女性の鍛治師もいる」
「女性の鍛治師⁉︎」
マーシャルレイドにはいなかったので私は驚いた。しかしよく考えたら、ガルブレイスには女性の騎士がいるのだ。鍛治師がいたっておかしくはない。すると、ガレオさんが驚くことを教えてくれた。
「この工房は、俺の曾祖母さんの代から続いていてよ。少々建物にボロがきているが、鍛治師の腕は一流よ」
「まあっ、ガレオさんの曾祖母様が?」
「おう、ジョゼフィーン・ルセーブルの業物は伝説級よ。俺は、曾祖母さんを超えるために、日々鋼と向き合っているんだ」
土地柄のせいだとしても、ガルブレイスの女性たちは本当に逞しい。それに、現状に満足せず常に高みを目指すガレオさんが、とても眩しく見えた。
「私は、ガレオさんの剣を初めて見た時から、この工房の刃物がほしくてほしくて!」
「そう言って貰えると、鍛治師冥利に尽きるってもんだ。そういやぁ、奥方は閣下の『首落とし』に惚れたんだったな。よし、さっそくだが、奥方の大事な仕事道具を見せてくれや」
ガレオさんに促されて、私は鞄の中から木箱を取り出した。
中にはなめし革に包んだ包丁が三本。それをガレオさんに見せると、ガレオさんは真剣な顔をして、私が一番使う頻度が高い包丁を手に取る。
「刃と柄は別々のもんだな。だが、よく馴染んでいる」
ガレオさんの青い目が、まるで私の包丁と対話しているように見える。
「この柄は……まさか、コールルの樹じゃあるめぇな?」
ズバリと言い当てられた私は、興奮のあまり立ち上がってしまった。
「そのまさかなんです! マーシャルレイドの鍛治職人に頼んで、コールルの魔樹を切り出してもらいました。撥水性が高くて、私の魔力に合っていましたので。それから、私の手に合わせて自分で削りました」
コールルという魔樹は、生き物の血を啜る非常に厄介な魔物だ。これが生えると、半径二百フォルンの木々が全て枯れる。マーシャルレイドで最後に発見されたコールルは、半径三百フォルン以上の木々が枯れていたと聞いている。
騎士長が持ち帰ってきた木を譲り受け、きちんと下処理をした上で加工してもらったのだ。
「なんつぅか、奥方は規格外だな。北の貴族ってのは、皆あんた様のように逞しいのか?」
「どうでしょうか。私は、あまり貴族らしいことをやってこなかったので。でも、領民たちは逞しいと思います」
「キルスティルネイクの酒も底なしに呑んじまうし、魔物は捌いちまうし。あの……なんだ、ベルゲニオンの揚げたやつもな」
「ガレオさんも食べに来てくださったのですか⁉︎」
「た、たまたまな。警鐘が鳴ると俺らも待機するからよ」
ガレオさんの背後では、鍛治師たちがにやにやとした、人の悪そうな笑みを浮かべてガレオさんを見ていた。そのうちのひとりが、「頭領が率先して食べてたんすよ〜」と教えてくれたので、ガレオさんはそっぽを向いてしまったけれど。
どうやらガルブレイスでは、騎士たちだけでなく、鍛治師たちも魔物食にはあまり抵抗がないらしい。