65 城下町へ行こう!2
城に近い場所の建物は、どれも三階から五階建てくらいの高さがあった。マーシャルレイドにはない造りの街並みに、私は胸を高鳴らせる。
建物と建物の間の細い路地を通り抜けること数回。ガレオさんの工房までの道を知らない私は、公爵様に手を引かれたままついて行くしかない。
(まるで迷路みたい)
万が一はぐれてしまったことを考えて、私は道順を覚えようとしてみたけれど、規模が大き過ぎて難しそうだ。
「こんなに入り組んだ道だと迷ってしまいそうです」
「ここは城塞都市だからな。わざと迷いやすいように造ってあるのだ」
「わざとしているのですか?」
もちろん、荷車が通過するための大きな道もきちんと整備されているのだけれど。公爵様は、こちらの方が近道だからと、ずんずん進んで行く。
「攻めてくるのは魔物に限らない……と、歴代公爵が考えたのだろう。だが、迷いやすいということは死角がたくさんあるということにもなる。よからぬことを考える輩は山ほどいるからな。秩序を保つのは大変なのだ」
確かに、私はすでにあちこちで巡回中の騎士とすれ違っていた。細い道をすれ違う時、彼らは決まって立ち止まり、私たちのために道を開けてくれる。それは誰に対しても同じのようで、騎士たちは変装した公爵様には気づかないのか、呼び止められることはなかった。
でも、住人たちはそうではない。私の服を見ては「おめでとう」という言葉や、ひやかすような口笛を吹いてくるので、私はなんとなくこの『パルーシャ』の装いの意味を悟ってしまった。
(確かに婚約中だから、間違いではないのだけれど……)
すれ違う人と顔を合わせるのも恥ずかしくなってきた私は、人を見ないようにするために建物に目を移す。ここに来た際は空から入ってきたのでよくわからなかったけれど、灰色の石造りの建物には、至るところに魔法陣らしきものが描いてあった。
(あっ、あそこにも。魔法陣と、魔物の絵?)
子供の落書きのような絵に見えて、気になった私はその絵と魔法陣を読み解こうと壁に目を凝らす。思わず足が止まってしまいそうになった私の様子に、公爵様がすぐに気づいた。
「あれが気になるのか?」
「はい、絵の魔法陣なんて初めて見ます」
「そうなのか?」
すると公爵様がわざわざ立ち止まってくれた。三つある魔法陣のうち、ひとつは私もよく知っているものだ。
「こちらの魔法文字のものはネルズ除けですね」
「ああ、やつらはどこにでもいるからな。ちなみにその隣の魔法陣もネルズ対策のためのものだ。ここの住人はよほどネルズが嫌いらしい」
ネルズは穀物を主食とする胴の長い害獣だ。マーシャルレイドでも、調理場や穀物倉庫などにネルズ除けの魔法陣を描いていた。でも、少しだけ魔法陣の中身が違うような気がする。
「公爵様。それなら、この可愛らしい魔物の絵もネルズ除けの魔法陣なのですか?」
丸い頭に大きな目がひとつ、そして頭から生えた長細い尻尾が一本。見たことのないそれに、私は自分が知っている魔物の中に近い種類がいないか、記憶を探してみる。ひとつ目の魔物はいるにはいるが、どれも違うような気がする。
「そいつは、『バルドリュース』という魔物だ。エルゼニエ大森林の奥深くに棲んでいたらしい。今はもう絶滅してしまった古のドラゴンでな、その目で全てを見通すことができたという伝承から、盗っ人除けとして描いてあるのだ」
「バルドリュース。ドラゴンというよりは、丸い身体の蛇のように見えますね。ふふふ、愛嬌があって可愛らしい」
すると、公爵様が「可愛いのか、あれが」と唸るような声を出した。
「ええ、とても可愛らしいお目目だと思います。味は、どうなのかわかりませんけれど」
「バルドリュースの味を気にするのはお前だけだぞ? だが、確認しようにも相手はもう伝承の中にしかいない魔物だ。食べさせてあげられずすまないな」
「ふふふ、エルゼニエ大森林には他にもたくさん美味しそうな魔物がいますから。でも、お気遣いありがとうございます、公爵様」
こんな些細なことにも気を遣ってくれる公爵様に、私は笑顔でお礼を述べる。精霊信仰が盛んではないとはいえ、十分に一般的ではない私の趣味を尊重してくれる人なんて他にはいない。
すると、公爵様が何かを考えるような、なんとも言い表すことができない微妙な顔になった。
「それなんだがな、メルフィ」
「なんですか?」
「一応、俺たちはお忍び中というか、領主とその婚約者ということを伏せている」
それを聞いて、私はしまったと思った。そういえば、私は先ほどから無意識に「公爵様」と呼んでしまっている。いくら自領の城下町とはいえ、護衛もつけていないお忍び中に迂闊なことをしてしまった。
ハッとして思わず謝りかけた私の唇に、公爵様が示指を当ててくる。
「謝罪の必要はない。ただ、その、な。今から俺のことは『アリスティード』か『ロジェ』と呼んでくれ」
「ア、アリスティード様、か、ロジェ様?」
「うむ。ロジェは滅多に使わない方の名だが、お忍びにはうってつけの呼び名だろう」
照れ隠しのように軽く咳払いをした公爵様に、私はもう一度小さく「ロジェ様」と呟く。アリスティード・ロジェだから『ロジェ』。名前を呼び慣れていない私にとって、アリスティードもロジェも呼びかけるのは気恥ずかしい。
そんな私に追い討ちをかけるように、
「いつまでも婚約者から公爵様としか呼ばれないのは哀しいものがある……」
と言われてしまえば、努力するしかない。いずれ夫婦になれば名前で呼び合うことなど普通になるのだし、予行練習と思えば容易いはずだ。それにこれまでだって、意識しなければ普通に名前を呼べていた(と、自分では思っているのだけれど)のだから。
何故かウキウキとした様子で待ち構える公爵様……アリスティード様に対し、私は息を吸い込んで口を開く。アリスティードという名前は珍しいので、ここはお忍び用に「ロジェ」がいいだろう。
「が、頑張ります…………ロジェ様」
「うむ、うむ、そちらの名はもう誰も呼んでくれないからな。新鮮でいいな!」
本当に嬉しそうに笑うアリスティード様に、私も嬉しくなる。
再び手を繋いで歩き出した私たちに、通りすがりの住人たちがまたもや口笛で囃し立ててきた。アリスティード様は住人に向かって軽く手を挙げて笑っているけれど、婚約初心者の私には無理ですからね!
それからしばらく歩くと、かなり大きな通りに出た。人の往来も盛んで、道の両側にはずらりと店が建ち並んでいる。露店もたくさん出ていて、まるで王都の賑わいのようだ。
それに、ここの通りの建物はどれも立派だった。
(あら? あの方たちは……)
私は一番強固な造りの建物に目をとめた。五階建ての建物には『ガルブレイス狩猟協会』という看板がかけられている。その出入口には、騎士たちとはまた雰囲気の違う、物々しい装いの人たちが群がっていた。
「ロジェ様、あの方々は猟師なのですか?」
マーシャルレイドの猟師に比べて、立派な体躯の人ばかりだ。それに、手にしている武器が明らかに猟師のそれではない。そう、彼らからは、猟師というよりは『傭兵』に近いものが感じられる。
「一応、な。彼らはエルゼニエ大森林に立ち入りを許可された『魔物狩り』の者たちだ」
「まあ、大森林に入るのは許可が必要だったのですか?」
それは初めて聞いた。確かに広大なエルゼニエ大森林はその全てがガルブレイス領の領地なので、許可制にしていてもおかしくはない。しかし、危険な魔物が跋扈する森に許可を得てまで立ち入ろうとする人がいるのには驚きだ。
私の顔にそう書いてあったのだろう。アリスティード様が説明してくれる。
「以前は誰でも立ち入りできたのだが、十七年前から魔物が活発化して負傷者と死者が多発してな。それに、魔物によっては希少な素材を手に入れることが可能なのだ。そういった素材はガルブレイスの貴重な収入源になる。だから規制して、狩人たちをまとめる組織を立ち上げたというわけだ」
「収入源……そういえばそうですね。ベルゲニオンの羽根も素晴らしい素材でしたし、お土産にいただいたロワイヤムードラーの毛はとても貴重なものですよね」
魔物には、王都の貴族たちや大商人たちがこぞって欲しがる角や牙、それに皮革を持つ個体がいる。それらは、誰かが危険をおかして狩らねば手に入らない。ガルブレイス狩猟協会には、そういった素材を売買して生計を立てる者たちが所属しているらしい。
「悔しいが、ガルブレイスの騎士だけでは討伐が追いつかないからな。それに、魔物狩りの者たちは戦力になる。持ちつ持たれつというやつだ。弊害として、治安が悪化しないように騎士たちが目を光らせなければいけないが、世の中はそんなものだ」
なるほど、利害が一致して組織されたもののようだ。人の流入が盛んになれば、物流も増えて街も発展する。だけれど、いいこともあれば悪いこともある。きっと先ほどの『バルドリュース』の盗っ人除けは、そんな経緯で施されているのだろう。
「それでだ。俺はいずれ『魔物食協会』を組織せねばならんと考えているのだ」
「それは大掛かりですね」
「何をのんきなことを言っている? 協会長はもちろんお前だぞ、メルフィ」
そんなことを真面目に言われて、私は思わずアリスティード様の手を引っ張ってしまった。魔物食協会? 協会長?
「お前の研究を、きちんとした手順で正しく使えるようにせねばな。魔物食が軌道に乗れば忙しくなるぞ」
「私の研究を」
「ああ。だが、考えようによっては少々危険な技術だからな。しばらくの間は規制と監視を行っていかねばなるまい」
そんな夢のようなことがあるのだろうか。いつか、領民のためになればと思って続けていたお母様と私の研究が、陽の目を見る時が来るのかもしれない。
過度な期待は駄目だとわかっていながらも、私はそこまで考えてくれているアリスティード様の気持ちが嬉しくて、繋いだ手に力を込める。するとアリスティード様も、私の手をしっかりと握り返してくれた。
「今日は、まずはそのための第一歩ということだ。メルフィ、着いたぞ。あれがガレオの工房だ」
いつの間にか金物や武具の店が立ち並ぶ通りまでやってきていた私たちは、一際立派な門構えの建物の前で立ち止まった。大きく分厚い木の扉には、剣と戦斧が交差した絵が描かれている。
金属の板の看板には『ルセーブル工房』とあり、分厚い扉のど真ん中に、何故か私の身長くらいはあるだろう長さの大剣が突き刺さっていた。