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59 天狼と狂化と古代魔法語2

 公爵様と天狼の間には不思議な繋がりがあるらしい。

 古代魔法語を利用して根気強く説得を続ける公爵様に、天狼の方も明らかに警戒を解いていくのがわかった。


「メルフィ、具体的にはどうするのだ?」


 固唾を飲みながら見守っていると、公爵様が私を振り返った。


「どこか別の場所に移動できませんか? できれば、マーシャルレイドの研究棟のように、石畳に直接魔法陣を描きたいのです」


 公爵様は少し考えてから再び天狼に話しかける。とても流暢な古代魔法語なので、ところどころ意味がわからなかったけれど、天狼は唸ることをやめて公爵様の方へ耳だけ傾けていた。


「動かすのは難しいか。だが、迷っている時間はない。メルフィエラ、夜通しになるだろうが、今から治療を頼めるか?」

「はい、もちろんです! 調整は最初だけで、あとはベルゲニオンから吸い出した魔力を使って、研究室に置いていた装置を利用するつもりです」

「なるほど、今朝のアレか」


 公爵様は、西翼の三階にある魔法陣と装置を思い出してくれたようだ。今はベルゲニオンの死骸から魔毒を抜き出している真っ最中だけれど、新たに組み立てるよりも転用する方が時間の短縮になる。


「ケイオス、采配はお前に任せる」

「はい」


 公爵様が、万が一の場合のために防護の魔法陣を展開してくれていたケイオスさんを呼び、私の準備を手伝うように指示を出す。


「俺は天狼の側につく。お前はメルフィエラが欲する物を欲するだけ準備せよ」

「了解致しました。ではメルフィエラ様、私になんなりとご指示を」


 ケイオスさんが、私に向かって腰を折る。非常事態とはいえ、自分が指揮をとることになるとは思いもしなかった。だけれど、公爵様が力強く頷いてくれたので、私は心の中でよしっと気合いを入れる。


「ケイオスさん。さっそくですが、できれば石畳か薄い木の板をここに敷きつめたりできませんか?」

「石畳ですか……城の補修用の煉瓦(れんが)ならば、倉庫にあるかと思いますが」

「天狼の身体をすっぽりと包み込む魔法陣を描きたいのです。簡易的なものではなくて、本格的なものを」

「ああ! マーシャルレイドの研究棟にあった魔法陣ですね。わかりました、至急準備いたしましょう」


 魔法陣に使用する染料は、マーシャルレイドから持参したもので足りるだろうか。曇水晶は、一番出来のいいものを使用しなければ。

 色々と考えながら、私は頭の中で魔法陣を構築する。生きた魔獣から魔力を抜き出すのは初めての試みだ。先ほど少し魔力を抜き出しただけで、かなりの抵抗があった。自分の今の技量で、どこまでできるのか。

 私は手のひらの上に載せたままの魔毒入りの血に目を落とす。


「ケイオスさん」

「はい」


 私は、丸い形状を保ったままの魔毒を、ケイオスさんに見せる。黒っぽい魔力の塊は、見るからに禍々しい。


「あの、まずはこれを捨てたいので、桶とか布とかはありませんか?」


 魔毒に長時間触れたことはないけれど、身体に悪影響が出ないか心配でもある。目をぱちくりと瞬かせたケイオスさんが、慌てて清潔な布と浄化水を持って来てくれた。



 ◇



「えっと、これとこれとこれをあそこに、これは公爵様のところに、それから――」

「皆、中身が割れないように気をつけて置くように。それと、姫様の指示があるまで中身は開けてはならない。手が吹き飛んでしまうぞ」


 西翼の研究室から運び出した資器材を、天狼から少し離れた場所に置いていく。騒ぎを聞き駆けつけてきたブランシュ隊長が、騎士に指示を出してくれた。一応、箱に封印を施したので、勝手に開けると手が吹き飛んでしまう仕様は健在だ。

 ちなみに、天狼の仔はお腹を膨らませて眠っている。畑を荒らす小さな害獣モルソを、飼育員たちに捌いてもらったようだ。柔らかくした藁束の中に潜り込んで、くぅくぅと小さな鼻息をたてていた。

 母親の方には食欲がないけれど、これも飼育員たちが流し込みやすいように細かく叩き切ったバックホーンの肉を準備している。機を見ながら、体力を消耗させないよう無理矢理にでも与えるようだ。


 身体を動かすことすらきつそうな天狼のために、広大な庭の真ん中に石畳の床が作られることになった。召集された騎士たちが、大きな石の車輪を転がして地面を平らにならし、職人と思しき人たちが手慣れた様子で煉瓦よりも平たい石を敷き詰めていく。人海戦術によりあっという間に進んでいく作業に、私は圧倒されてしまった。石は隙間なくピタリと敷いてあるため、マーシャルレイドの研究棟よりも描きやすそうだ。


「メルフィエラ様、染料はこれくらいの濃度でしょうか?」


 ガルブレイスの魔法師たちに頼み、浄化水で染料を溶いてもらっていたものが出来上がったようだ。大きな壺が三個。そのどれも中身は染料だ。私は指で触って確かめる。濃すぎず薄すぎず、ちょうどいい具合に仕上がっていた。


「ありがとうございます。これだけあれば、多分大丈夫です」

「予備として似たような染料を探しておきます。足りなくなった時はすぐにお申し付けください」


 さすがはガルブレイスお抱えの魔法師だけあり、私が伝えていなかったことまで察してくれる。それに、魔法師たちは私の研究に興味を抱いたのか、装置の設置に積極的に関わってくれた。

 私は染料が入った壺の中に、少しだけ自分の血液を混ぜることにする。いつものようにして、細くて鋭い針がついた器具に左の耳たぶを挟むと、僅かな痛みをやり過ごす。耳たぶは痛みも少ないので、血を搾り取るのに最適なのだ。耳たぶを挟んだままギュッと力を入れると、器具に血が溜まっていった。

 それを見ていた魔法師が、どこかから傷薬を持ってきてくれる。


「どうぞお使いください」

「まあ、お気遣いありがとうございます」


 私がお礼を言うと、側に控えていたブランシュ隊長が傷薬を受け取ってくれた。


「姫様、私が手当てをいたします」


 少し冷んやりとした塗り薬が、ブランシュ隊長によって丁寧に耳たぶに塗り込まれていく。既に血は止まっているようなので、そこまで念入りにする必要はなさそうだけれど。

 治療を受けた私は、血を染料が入った壺に垂らしてよくかき混ぜる。すると、別の若い魔法師がおずおずとした様子で質問をしてきた。


「あの……血を混ぜると魔法の精度が上がるのはわかりますが、それでは、メルフィエラ様だけしか魔法陣を発動させられなくなってしまうのでは?」

「ええ、その通りです。でも、私の魔法陣は古代魔法語で構築するので、元々あまり使い手がいないのです」

「そうだったのですね。道理で聴き慣れない呪文だと思ったわけです。僕はてっきり、どこか国外の言葉とばかり」


 若い魔法師は、「まだまだ勉強不足でした」と呟いて苦笑する。古代魔法は、今の洗練された魔法とは違って使い勝手が悪く廃れてしまったものだ。私はお母様から教わり、お母様が他界してからは独学で学んできた。マーシャルレイドの魔法師たちは、誰も古代魔法語を学んでいなかったからだ。

 だから私は、公爵様が私の魔法陣を簡単に読み解いたことに驚いたし、公爵様も自分と同じように古代魔法語の魔法陣を発動することができると知って嬉しかった。


「さあ、始めましょうか。天狼の様子が心配です。下書きを渡しますので、手伝ってくださいますか?」

「は、はいっ!」

「床の中央に杭を立ててください。それから、色違いの縄紐を五本準備して。えっと、この中に魔法陣を描いたことがある人はいますか?」


 私が問いかけると、集まった魔法師の中から四人が進み出てくれた。彼らも未知なる魔法に興味があるのだろう。私の研究資器材を前に、目をキラキラと輝かせている。


「この下書きの通りに描いてください。大きさは最大で半径三フォルン。古代魔法語は私が担当しますので、その他の場所からお願いします」


 左右が対象になる魔法陣とは違い、様々な大きさの丸や線が特徴的な私の魔法陣は、さぞかし描きにくいに違いない。でも、最初だけ指示を出すと、魔法師たちはきちんと理解してくれたうえに、すぐにコツをつかんで描き始める。


(持ってきた資器材のほとんどを使いきってしまいそう。無事に天狼の治療が終わったら、マーシャルレイドから送ってもらわなきゃ)


 私は染料が入った大きな壺を抱えると、魔法師たちが描き終えた場所から仕上げに入ることにした。筆を持って気合いを入れると、僅かに魔力を流しながら古代魔法語を書いていく。染料に混じっている私の血が魔力に反応して、文字がぼんやりと輝いてみえる。


(それにしても、この石の床は魔力が馴染みやすくて素晴らしいわ。このままいけば、夜明け前には治療を開始できそうね)


 ケイオスさんは煉瓦ではなく、何かとてつもなく高価な石材を惜しみなく用意してくれたらしい。マーシャルレイドが曇水晶の産地であるように、ガルブレイスでも様々な素材が産出されているようだ。私は俄然、ガルブレイスの魔法道具屋に行ってみたくなってきた。




 ◇




「すごい。僕、魔法陣なんて手間がかかって嫌いでしたけど、こんなに早く描けるなんて」

「しかも全部古代魔法語なんだぞ? あれは書くだけで魔力を消費するって本当だったのか……」

「閣下も大概底無しだと思ってましたけど、姫君も同類なんですかね」


 若い魔法師たちは、メルフィエラ様の描く魔法陣に見惚れているようだ。髪を赤く輝かせ、集中して作業をしているメルフィエラ様の姿は、それはそれは鮮烈に映ることだろう。ましてや、使い手がいなくなって久しい古代魔法だ。

 ガルブレイスの魔法師には、古代魔法を学んだ者はいない。閣下はまだ王子だった頃に、城の魔法師から学んでいたと言っていた。精霊が人に与えたという言い伝えの古代魔法語を使うと、魔法の威力が格段に上がるらしい。最も、手間がかかるうえに、難解な古代魔法語の意味をきちんと理解していないと使えないというのだから、廃れた理由もわかるというものだ。


「貴方たちもメルフィエラ様に師事したらどうでしょう。メルフィエラ様はご自身の研究を皆に広めたいとのお考えですからね。それに、閣下も古代魔法の使い手です。お二方なら喜んで教えてくださると思いますよ?」


 私ももう少し落ち着いたら、閣下やメルフィエラ様から習おうと考えていたところだ。ガルブレイスに魔物食を定着させるにも、その方法をメルフィエラ様しか知らないのでは負担になる。どうも『魔物の魔力を抜き出す』という前例のない魔法陣は、現在の魔法ではうまくいかないようなのだから仕方がない。学ぶ仲間は多い方がいいではないか。

 そう思って誘ってみたというのに、


「いえいえ! ケイオス補佐、私たちにはとても無理です」

「そんなに魔力ありませんから!」

「……ケイオス補佐も十分に人外っぽいですし」


 速攻で断られたのですが、何故でしょうね?




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― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがたき!です。 公爵様の無茶を止められるメルフィも間違いなく普通の人ではありませんw ...まぁ公爵様はその上を突っ走ってますけどね。古代魔法語すらすら喋れるってこっちの世界だときっ…
[良い点] 人外認定される伯爵令嬢と補佐官。 公爵の強さは人外で間違いないので(笑)
[一言] ケイオスさんも人外認定なんすね(笑)
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