55 カリッと揚がった包み揚げ2[食材:ベルゲニオン]
「メルフィエラ様、こちらは片付け終りました」
ケイオスさんの声に、物思いにふけっていた私は現実に引き戻された。
「ありがとうございます。では、ベルゲニオンの解体にいきましょう……あっ、でも、ケイオスさんもきちんと休まれた方が」
私は、ケイオスさんが今朝まで二日酔いだったことを今更ながら思い出す。いくら魔法陣でお酒の成分を抜いて何とかしたからといって、それからすぐに魔物を迎撃したのだ。その疲労度は、私とはきっと比べものにならないくらいで、公爵様がお休みになっている今、少しでも休んでいた方がいいと思えた。でも、ケイオスさんは首を横に振った。
「私は閣下から『魔法障壁の下で待機していろ』と言われて、ずっと待機だったもので。メルフィエラ様が思われているほど疲れてはいませんよ。それより、閣下を休ませていただきありがとうございます」
「お礼を言われることなんてできていません……その、あの、私の魔法陣も、負担だったでしょう?」
私は実際に、ケイオスさんが魔法陣を展開させて、苦しそうにしていたところを目撃している。慣れない魔法陣で魔力を一気に消費して、倦怠感があるに違いないのに。でも、ケイオスさんは、私を安心させるように微笑んだ。
「そんなことはありません。私もガルブレイスの騎士ですから。しかし、閣下に頼りすぎだったということを、今さらながらに痛感いたしました。閣下は常に動いている人ですから、いつしか私たちはそのことに慣れてしまったのかもしれません」
ケイオスさんは、「メルフィエラ様を公爵夫人としてお迎えするのですから、私ももっともっと頑張らなくてはいけませんね!」と、拳をグッと握って見せた。私からしてみれば、ケイオスさんも公爵様に負けず劣らず頑張りすぎだと思う。そして私は、『公爵夫人』という言葉に、自分はこのままではいけないのでは、とソワソワしてしまった。
「ケイオスさん……」
「どうしましたか、メルフィエラ様?」
「その……公爵夫人としての教育は、いつから始まるのですか?」
春になるまでの間、私は立派なガルブレイス公爵夫人になるために、教育を受けに来ているのだ。いくら公爵様が、私が思うままに研究をしていいと仰ってくださっていても、領民にしてみれば得体の知れない北からやってきた貴族の娘でしかない。すると、ケイオスさんはうーん、と唸り始めた。
「ケイオスさん、な、何か、由々しき事があるのでしょうか?」
既に、公爵夫人に相応しくないと言われているのかと、私は冷や汗をかく。
「教育といわれましても、ガルブレイス公爵が夫人を迎えるのは、本当の本当に久方ぶりなのです。これからも末長く仲睦まじく、閣下をお支えしてください、とは思いますが、教育……教育……」
本気で悩み始めたらしいケイオスさんに、私も一緒になって考える。優雅に社交にかまけられるような領地事情でもなく、私もその手のことは苦手だ。それに、「外に出ることが多いので領主としての仕事が滞りがちになる」と、先ほど公爵様がおやすみになる前に少しだけ話していた。私は日頃から研究をまとめたりしているので、書類を書くのは苦にならない。集まってくる書類を、公爵様が確認しやすいようにまとめるのも、立派な仕事になるだろうか。
「私は戦ったりする力はありませんが、滞りがちだという公爵様の書類のお仕事なら、手伝うことができるかもしれません。まとめるのは得意なので……」
「本当ですかっ?!」
すると、ケイオスさんが食い気味に話に飛びついてきた。
「私も補佐という立場上、日々溜まっていく書類をなんとかしたいと思っておりました。一応、文官もいるのですが、閣下が外に出るとどうしようもなかったのですよ……閣下の代理として、公爵夫人たるメルフィエラ様が手伝ってくだされば、我々が大変助かります!」
珍しく生き生きとした顔になったケイオスさんが、私の両手を握って懇願してくる。
「閣下には私から強く申し上げておきます。私個人としては、どうか、どうか、よろしくお願いしたい案件です」
「はっ、はい。公爵様がお許しくだされば、すぐにでも」
「いやあ、よかった。メルフィエラ様が手伝ってくださるなら、閣下ももう少し真面目に机に向かってくださることでしょう」
満面の笑みを浮かべたケイオスさんが、使用した魔法器具と、ベルゲニオンの魔力を吸い出したばかりの曇水晶を、テキパキと箱に詰め込んでいく。私はその箱に封印を施して、ケイオスさんに預けた。
(よかった……少しだけでも、役に立てそうなことが見つかって)
私とケイオスさんは連れだって、わいわいと楽しそうな声が聞こえてきていた小屋の外に出る。
「それでは、メルフィエラ様。また後ほど」
「はい、私も作業が終わりましたら、公爵様のところに戻ります」
ケイオスさんは箱を保管庫まで持って行ってくれる手筈になっているので、一旦ここで別行動だ。
小屋から少しだけ離れた場所には、簡易の解体所が設営されていた。厨房で働く人と騎士が、レーニャさんの指示を受けて走り回っている。先ほど運ばれていったベルゲニオンだろうか。レーニャさんは、大きな個体の羽根を毟っているところだった。私も革手袋を付け、羽根を毟る作業に参加することにする。
「本当に立派な風切り羽根ですね」
「メッ、ルフィエラ様っ?!」
私に驚いたレーニャさんが、ピョンっと飛び上がった。レーニャさんの三つ編みにした髪も、動きに合わせてピョンと跳ねる。一部の騎士から『小厨房長』と呼ばれるレーニャさんは、私よりも小柄だけれど、なんというか堂々としていて威厳がある。
「私も手伝わせてください。魔物の下処理は慣れているので」
「でで、ですが」
「きちんとケイオスさんの許可を得ています。厨房まではお邪魔しませんので、この下処理が終わるまでは大目に見てくださいね?」
私は、ベルゲニオンの羽根をむんずと掴むと、容赦なく力を込めて引き抜いた。さすがは新鮮なだけあって、羽根がしっかりと肉についている。それでも、順調に羽根を毟っていく私に、レーニャさんはそれ以上止めることはしなかった。
「この風切り羽根は、羽根筆として利用できそうですね」
ベルゲニオンの風切り羽根は、芯が太くて黒い羽根の艶も味がある。羽根筆として加工をすれば、渋いものが出来上がりそうだった。
「そ、そうですね。私も、この鳥がここまで立派な風切り羽根を持っているなんて、思いませんでした」
レーニャさんが私の隣に陣取り、手際良く羽根を毟り始める。
「羽毛も結構ふわふわですし、この量でいくつ枕が作れるのかしら」
羽毛の質は一級品というわけではないけれど、取れる量は大量だ。私がうきうきしながら作業をしていると、レーニャさんが、「メルフィエラ様はとても楽しそうに見えますけど、単調作業はきつくないですか?」と聞いてきた。私は顔を上げて、レーニャさんを見る。他の個体の羽根を毟っている騎士や厨房の皆さんもなんだか楽しそうだし、私はもちろん、レーニャさんの言うとおりに楽しいと感じていた。
「私は今まで、たくさんの人と一緒に作業をすることがほとんどなくて、こうやってわいわいしながら同じことをやるのが、とても新鮮で楽しく思えるのです」
マーシャルレイドでは、魔物料理を作る人なんて私以外に誰もいなかったし、作業はほぼずっと一人で行っていた。たまに大物がかかると、騎士や猟師に手伝ってもらっていたけれど、会話なんかなくて、下処理は黙々と行うものだったのだ。
レーニャさんを中心とした厨房の人たちの指示のもと、ベルゲニオンを食べやすいように捌くという単純な過程だけれど、私にとっては楽しい作業だ。ある程度羽根を毟り終えた後は、火で炙って残った細かな羽根を焼いていく。それから内臓を丁寧に取り除くと、流水で綺麗に洗ったまではよかったのだけれど。
「まあ……ここまで真っ黒だなんて」
ベルゲニオンの皮は、まるで炭のように真っ黒だったのだ。羽根を毟り取った後、残った羽根の処理をするために火で炙ったけれど、焦げるまでは至ってないはずだった。よく見ると焦げ目ではなく、皮そのものが黒いらしい。
「レーニャさん、この鳥皮はどうやっていただくのですか?」
私は、ベルゲニオンの関節に刃物を入れて部位ごとにバラしていきながら、レーニャさんに問いかけた。厨房の刃物は、ルセーブル鍛治工房のものではないけれど、とても使いやすいものばかりだ。レーニャさんも骨から肉を剥がしながら、独特な触感の皮を摘んで眉を寄せる。その皮は、冬に備えて皮下脂肪が分厚くついており、とても美味しそうだった。色以外は。
「真っ黒だし、少し色が微妙ですよね。実は私もちょっと考えていたんですけど、鳥皮って好き嫌いが分かれるので、この色そのままを出すのも皆さんお嫌かなと思って」
やはり、レーニャさんも私と同じようなことを考えていたようだ。鳥皮は、その見た目や食感が苦手だという人も少なからずいる食材だ。ましてや肉食魔鳥の真っ黒な鳥皮。好んで食べる人は限られてくる。
「そうですね……私は鳥皮は大好きですけれど、何かいい食べ方は無いのでしょうか」
私とレーニャさんは、作業の手を止めて、剥いだばかりのベルゲニオンの皮をつまんで考える。プルンとした弾力があるところは、普通の鳥皮のように思えた。ただし、色は普通とは言いがたいけれど。
「私は、塩を振ってカリカリに焼いて食べるのも美味しいと思うのです」
鳥皮をカリカリに焼いたものは、マーシャルレイドでも王都の屋台街でも食べられている。庶民に広く普及している料理なので、ベルゲニオンもきっと美味しいに違いない。そう考えていた私に、レーニャさんが全面的に賛同する。
「あー、カリカリ鳥皮ですね! 私も大好きです。後はさっと茹でた後細く切って、野菜と混ぜて食べたりとか」
「まあ、レーニャさん。それわかります! ちょっと酸っぱかったり、辛かったりする調味料をかけても美味しいですよね!」
「でもやっぱり、真っ黒のままと言うのは……」
困ったような顔をしたレーニャさんを見て、私はピンとひらめいた。色が問題なら、この鳥皮に肉団子を入れてから、穀物粉で薄く衣をつけて揚げたらどうだろうか。それなら、黒い皮が衣に隠れて見た目もいける気がする。それに、カラッと揚がった皮の中に肉団子が入っていれば、食感もそう気にならないかもしれない。
「レーニャさん、ベルゲニオンのお肉を細かく叩き切って、皮に詰めたらどうでしょう? それを揚げたら」
私の提案に、すぐさまレーニャさんが反応する。
「肉団子ですか! お父さん、じゃなかった……厨房長が準備を進めているベルゲニオンの骨のスープに肉を入れようと考えていたんですけど、でもこの量はさすがに多すぎですよね。肉団子にして別の料理にすれば、ひと品増えます!」
騎士たちが張り切りすぎて、下処理した数は十羽を超えていた。ベルゲニオンは身体が大きく、肉の量もかなり多く取れる。
「マーシャルレイドでは、肉団子に野菜やつなぎをたくさん入れるのです。それをこの鳥皮で包んでから揚げたら、食べ応えもありそうですよね」
レーニャさんが、胸の前でポンと手を打ち合わせる。
「それはいい考えです、メルフィエラ様。野菜はたくさん入れましょう! ええ、むしろ野菜団子くらいの勢いで。薄い衣をつけることによって、このちょっと食べるのに抵抗がある黒色が隠れるのなら、ちょうどいいかもしれません」
よかった、レーニャさんは賛成してくれた。私たちは頷き合うと、肉団子の分のベルゲニオンの肉を確保するために、切り分けた部位を物色することにした。