54 カリッと揚がった包み揚げ[食材:ベルゲニオン]
『マギクス・ルエ・リット・アルニエール・オ・ドナ・バルミルエ・スティリス・ウムト・ラ・イェンブリヨール!』
魔力を含んでキラキラと赤く輝く最後の一滴が、無事に曇水晶の中へと吸い込まれた。私は魔法陣の中に横たえられた魔物の残留魔力量を計り、安全なことを確認する。魔力計測器が反応しないので成功だ。
「もう魔法陣に入っても大丈夫ですよ」
「お疲れ様でございました、メルフィエラ様」
魔力を吸い出す作業を見守っていたケイオスさんが、私に向かって一礼をすると、部屋の外に待機していた騎士や厨房の人たちを呼び入れる。空き納屋を利用して即席で造られた作業小屋の中は、あっという間に人だらけになった。
「うわぁ、これはまた立派なベルゲニオンですね!」
羽根を毟るために外に運び出されていくひときわ大きなベルゲニオンに、可愛らしい女性が歓声を上げる。彼女はミッドレーグの厨房を預かる『小厨房長』のレーニャさんだ。
「まさか快く引き受けていただけるなんて思いませんでした。ありがとうございます、レーニャさん」
私がお礼を述べると、レーニャさんが首を横に振って慌てだした。
「わ、私たちもすごく興味があって、あ、ありまして、お父さん……じゃなかった、厨房長が張り切っていますから、夕食は期待してください!」
「ええ、ここの食事はとても美味しいので、私も公爵様も楽しみにしています」
「はっ、はいぃ!」
「ところで、外からとても香ばしい匂いがするのですが……」
ベルゲニオンは鳥の魔物なので、羽根を焼いて下処理をしているのだろうと思っていたのだけれど。それにしてはとても香ばしく、食欲をそそる匂いが漂っている。
「あ、それは、先に下処理が終わったベルゲニオンの骨をじっくり焼いているんです。厨房長がスープにするって言っていました」
「ベルゲニオンのスープですか! ふふふっ、お野菜たっぷりだと嬉しいですね。私、ここの味の濃いお野菜が大好きなので」
「わ、わかりました! お父さんに言っておきます!」
勢いよくぺこりと頭を下げたレーニャさんは、はにかみながら部屋から出て行った。よく焼いた骨から取れるスープにたくさんのお野菜が入ったスープ。滋養にも良さそうだ。
(さあ、私も急がなくては)
私もベルゲニオンの下処理を手伝うために、魔法器具の後片付けに入る。
今朝の天狼迎撃戦で魔法障壁を解除した際、騎竜部隊にやられたベルゲニオンがたくさん落ちてきた。全部を肉食系の騎獣たちの餌にするのはもったいないと思っていたら、騎士たちが、「このままだとしゃくに触るから腹いせに食いたい」と盛り上がり始め、ならばとその中から上手い具合に首を切られて絶命している個体を選んで下処理することになったのだ。ちなみに、魔法障壁に触れてしまい、黒焦げになってしまった個体は肥料として使うらしい。
「ケイオスさん、ベルゲニオンの羽根は使い道はあるのですか?」
肉は私たちが食べるとして、毟った羽根の行き先が気になった。ガルブレイスでは、魔物から素材を採取して売買しているようなので、食べる以外の用途を私も知っておきたかった。
「風切り羽根は矢に使います。あとは、羽根ほうきや装飾でしょうか。こんなにたくさんのベルゲニオンを処理するのは初めてですからね。質が良ければ腹の羽毛も使えるかもしれません」
「まあ、羽毛!」
寒冷地のマーシャルレイドでは、羽毛は貴重な素材だ。羽毛を使ったふかふかの枕や上掛けは、寒い冬の必需品だった。
「メルフィエラ様、騎士たちのわがままに付き合っていただきありがとうございました。まだお手伝いになるのですか?」
「ええ、ベルゲニオンの解体はぜひ体験しておきたいですから」
「あの……閣下のところにお戻りにならなくてもよろしいのですか?」
片付けを手伝ってくれていたケイオスさんが、手を止めて私の方を窺ってくる。
「公爵様は今はぐっすりお眠りになっていますから。よほど疲れが溜まっておられたみたいですね」
「メルフィエラ様も、早朝の私の治療から始まり、大変お疲れでしょう」
「私は元気いっぱいです。ケイオスさんこそ、慣れない古代魔法を使って疲れていませんか? お休みになられた方がいいと思いますけど……」
私は、傷の手当てを受けながら、「少しだけ横になってもいいか?」と言うや否や、私の膝を枕にして本当に横になって眠ってしまった公爵様のことを思った。
◇
天狼の手当てが終わった後、魔法障壁を張り直した公爵様は、自室に戻ってケイオスさんの容赦ない治療を受けた。肩当てなどの防具を外し、上衣を脱いだ公爵様の左肩には、まるで熟れた果実が割れたような傷がついていた。ざっくりと深く入った傷が痛々しい。
「なんですか、これは。天狼の爪が入りましたか?」
ケイオスさんが公爵様の肩の傷の周りを丁寧に清めた後、傷に直接浄化水を振りかける。
「ぐはっ……いきなり振りかける奴があるか!」
公爵様は文句を言いつつも、ケイオスさんの治療を受け入れていた。見ているだけで痛そうだ。でも、私は公爵様の右手をギュッと握って目を逸らさなかった。
「アリスティード様、そんなに噛んだら唇に傷ができてしまいます」
公爵様は、痛みを我慢するために唇を噛んでいる。それに気づいた私は、公爵様の唇に指先で触れ、労わるようにそっと撫でた。くっきりと歯型がついて赤くなっている。
「痛いですよね?」
何故か公爵様が固まってしまい、「ありがとうございます、メルフィエラ様」とよくわからないお礼を述べたケイオスさんが、テキパキと傷の手当てを完了させてしまった。
随分念入りに巻かれた包帯のせいで、左肩はガッチリと固定されている。今回使用した傷の回復を早めるための軟膏には、魔法も使われているようだ。匂いは、いかにも効きそうな匂いがする。ケイオスさんが、ガルブレイスの騎士たちは生傷が絶えないので、使用する薬の研究が盛んに行われているのだと教えてくれた。
「ほら、閣下。終わりましたよ」
「ん、ああ……あ? なんだこれは、腕が動かんぞ」
ずっとぼんやりしていた公爵様が、ぱちくりと目を瞬かせる。左腕を動かそうとして、違和感に気づいたようだ。
「傷が結構深かったもので、塞がるまでの辛抱です」
「これでは仕事にならんではないか」
「右手は使えるでしょう。せっかくメルフィエラ様がお世話をしてくださるのですから、ここは甘えておいた方がいいですよ」
ケイオスさんの言うとおりだ。私はこういう治療には詳しくなくて、誰かに任せるしかないけれど、お世話をすることならできる。着替えや食事を手伝ったり、湯浴みの介助だってやればできるはず。私がやる気をみなぎらせてうなずくと、公爵様が、「ま、まあ、たまにはな」ともごもごと呟いた。
それから手足などを綺麗にしてから、清潔な服に着替えた公爵様を、ケイオスさんが無理矢理寝台に座らせた。
「寝る必要はない!」
「なら寝台に縛りつけられたいですか? 閣下が休んでくれると私も休めますので、ここは私のために休んでください」
ズバッと言い放ったケイオスさんに、公爵様も強くは言えないみたいだ。唸り声をあげながらそっぽを向いた公爵様に、ケイオスさんが満足そうに頷いてから私を見た。
「では、メルフィエラ様。後はよろしくお願いします。閣下も。私は天狼の様子を見てきますので、後のことはご心配なさらず」
「ごゆっくり」と言い残し、ケイオスさんが部屋を出ていくと、私と公爵様の二人きりになる。何を話していいのかわからなくなったけれど、嫌な雰囲気ではない。とりあえず、と私は香茶を入れようと思いたち、握っていた公爵様の手を離した。
「メルフィ、ここにいてくれ」
でも、その手を逆に掴まれる。公爵様はそっぽを向いたままだ。
「香茶を入れようと思いまして」
「いい。ここにいてくれないか」
私が寝台の側に寄ると、ふてくされたような顔でこちらを見上げる公爵様と目が合った。いつもは公爵様を見上げているから新鮮だ。
「まったく、お前たちは心配性すぎるだろう」
「領民だって、七日に一度は休みを取ります。公爵様は夜遅くまで書類仕事もなさっていて、仮眠は取るけれど、きちんとした睡眠をお取りにならないとか」
私は公爵様の肩に手を置くと、寝台に押し倒そうと力を入れる。普段なら、私の力なんかでは絶対に動かない公爵様が、なんとも簡単に寝台に倒れ込む。私は身体を起こすと、寝台の端に腰掛けた。
「今朝も、私のせいで早くにお目覚めになったのです。それからいっぱい働いて、少しくらいお昼寝をしても誰も文句は言いません」
「魔物はこちらの事情など考えてはくれないからな。外へ出れば、どうしても領主としての仕事が滞りがちになる」
「……私は騎士ではないので荒事のお手伝いはできませんけど、机の上のお仕事ならお手伝いできると思います。立派な公爵夫人になるために、これから少しずつ覚えていきますね」
すると、公爵様がごろりと横を向いてこちらを見る。「お前は今のままでも立派だ」と言った公爵様が、もぞもぞと身体を動かして、私の膝の上に頭を乗せてきた。
「少しだけ横になってもいいか。膝を借りるぞ」
私の膝の上に、公爵様の頭がある。そのことを理解すると、私の心臓が急に早鐘を打ち始めた。
「あのっ、枕はあっちです!」
「俺はこっちの方がいい。人の温もりというものは、側にあるだけで心癒されるものだ」
「そっ、そうですか。公爵様が癒されるなら、それでいいですけど」
公爵様が私の手を取り自分の頭へと導いたので、私はなんとなく公爵様の髪を撫でる。公爵様が気持ち良さそうに目を閉じたので、公爵様が時々してくれるようにその髪を優しく手櫛で梳いた。公爵夫人の一番の務めは、夫である公爵を労い、癒すことだ。公爵様が癒されているというのであれば、私の膝のひとつやふたつくらい、いくらでも貸し出す所存だ。それに、公爵様の髪はさらさらで、手触りがとてもいい。
「なあ、メルフィ」
「なんですか、公爵様」
「お前は、ガルブレイスをどう思う? 来て早々、魔物に襲われて、そしてまた魔物の襲撃だ。別にこれは特別なことではない。怖いなら怖いと、言ってもいいのだぞ」
そう言った公爵様の髪を堪能しながら、私は思っていることを素直に口にする。
「怖いです。公爵様が私の知らないところで傷つくと思うと」
「俺が?」
「ええ。公爵様や騎士たちが傷つくことが、一番怖いです」
「……ならば、無理はできんな」
「はい」
公爵様は何かを考えているようで、口を閉ざしてしまった。しばらくしたら、急に膝にかかる体重が重くなったような気がして公爵様の顔を覗き込む。
(まあ、本当に眠ってしまったのですね)
私は公爵様が寒くないように上掛けを引き寄せると、その大きな身体にかける。そして、申し訳なさそうな顔でケイオスさんが呼びに来るまで、私はずっと膝枕を続けたのだった。