5 干し肉は約束の証[食材:スカッツビット]
伸びていたタルボット夫人の意識が戻り、汚れてしまったドレスを着替えさせた後、私は王都の街屋敷まで戻ることになった。王都まで送ると言ってくださったガルブレイス公爵様は、国王陛下に呼ばれてしまったらしい。それでも、パライヴァン森林公園の出入口まで見送りに来てくれた。
「まったく、なんだって陛下は。間が悪過ぎる」
「魔獣を討伐したのは閣下なのですから、ご報告も閣下がなさるのは道理かと」
「いつものことではないか!」
何故かご立腹の公爵様が、ケイオスさんにたしなめられて悪態をつく。そうだった、狂化した魔獣を仕留めたのは公爵様だった。国中の貴族たちが集まる遊宴会の場で、何故そのような事態になったのかを陛下に説明しなければならないのだろう。私は申し訳なくなり、隣を歩く公爵様を見上げた。
「公爵様、私は大丈夫ですから」
「問題ない」
「あの……でも、ケイオスさんのお顔が」
「あいつの眉間の皺はいつものことだ」
「そ、そうですか」
私は、後ろからついてくる難しい顔のケイオスさんをチラリと振り返る。するとケイオスさんは、公爵様を親指の先で指し示して、グイッと下唇を突き出した。なんだか子供のけんかみたいで、ちょっぴり微笑ましく、そして羨ましい。きっと公爵様とケイオスさんの間には、確かな信頼関係があるのだろう。
森の出入口に設けられた馬車留まりまで歩いてきた私は、すぐにマーシャルレイド家の馬車を見つけた。待機していた御者と短く話して、王都に戻ることを伝える。一応四頭だての馬車なので、王都へは二刻ほどで辿りつくだろう。タルボット夫人がとても疲れ切った様子だったので、先に馬車に乗ってもらうことにした。
「タルボット夫人、お先にどうぞ」
「は、はい、申し訳ありませんが、遠慮なく」
タルボット夫人はずっと公爵様を見ないようにしていて、そそくさと馬車に乗り込んでしまった。バックホーンの首を抱えた公爵様の姿が、よほど怖かったようだ。私は自分も馬車に乗り込む前に振り返ると、ドレスの裾を摘んで淑女の礼をする。
「公爵様、この度は本当にありがとうございました」
「礼を言う必要はない。むしろ私に謝罪をさせてくれ。お前の惨状は私の失態だ」
「命を救われたのですもの。少し汚れたくらい、なんともありませんわ」
私は公爵様に向かって微笑む。当初の目的である婚約者は見つからなかったけれど、公爵様とこうしてお話しできただけでも遊宴会に出席してよかったと思えた。これでお別れになるのは名残惜しいけれど、公爵様にも責務がある。これ以上引き留めてはならないと、私は馬車に乗り込んだ。すぐに御者が扉を閉めたので、馬車の窓を開けた私は、公爵様の方を見る。
「ここまでしか見送れずすまないな」
「いいえ、公爵様に見送っていただけるなんて光栄です」
「ではな、メルフィエラ。次は土産を持って伺おう」
「その機会がありましたら。公爵様、くれぐれもお怪我をなされませんよう、お気をつけくださいませ」
魔物を討伐するのには危険が伴う。公爵様にとって、いくらエルゼニエ大森林が庭のようなものだとしても、そこには国から超危険指定された魔物たちがゴロゴロ棲息しているのだ。公爵様が危険な目に遭うくらいなら、私は希少種や珍種の魔物なんて食べなくてもいい。
「楽しみに待っていろ。アンダーブリックより大物を仕留めてきてやる」
「あの、そういえば公爵様。魔物をより美味しくいただくには、生け捕りの方がいいのです。大物よりも、もう少しおとなしめの小型の魔物でも大丈夫です」
「ほう、生け捕りか……これは腕が鳴るな」
公爵様がにやりと笑い、公爵様の背後で待機していたケイオスさんが目を丸くしてあんぐりと口を開いた。生け捕りは確かに難しいけれど、罠を仕掛ける方法であればいけなくもない。何故か天を仰いだケイオスさんが、額に手を当てて、「ああ、これだから類友は!」と嘆いた。私はまた何か変なことを言ってしまったのだろうか。魔物をいただく上で、美味しいということは一番大切なことなのに。生け捕りにして、血抜きと共に魔力も取り除く方が効率が良くて、肉の新鮮さも抜群なのだ。
「ああ……精霊様、彼らはなんたる罪深いことを。どうかお許しください」
私の向かいに座るタルボット夫人が、何か必死に祈りを捧げている。そしてついうっかり、公爵様の方を見てしまったようだ。「ひぃぃぃ……」という怯えたような声を出して顔を背けた夫人は、絶対公爵様のことを誤解していると思う。噂だけで人を判断するとか、そういう偏見はよくない。「狂血公爵は血を好む残虐非道な悪鬼」だなんて噂はただの噂でしかなく、実際の公爵様は立派なお方だ。夫人も怖がってないで、公爵様の本当の姿に気づけばいいのに。
その時私は、馬車に置いていた籠の中に、あるものを見つけて閃いた。
「あの、公爵様、これを」
私は籠ごと窓から差し出して、ケイオスさんを見る。察しの良いケイオスさんは、その籠を受け取ってくれた。
「マーシャルレイド領の魔獣『スカッツビット』の干し肉です。香辛料で味をつけているので、口寂しい時のお供に最適かと」
「スカッツビットといえば、寒冷地の小型魔獣だったな」
「はい、さすがは公爵様。耳で飛ぶ、刺々しい針を全身に纏った魔獣です」
トゲトゲした身体においそれと触れられないのだけれど、これは私が罠を仕掛け、うまく仕留めることができたものだ。干し肉にすると旨味が凝縮し、噛めば噛むほど癖になる味が口の中に広がる。ついつい穀物の発泡酒が飲みたくなる味で、領地の猟師の間でもこっそり食べられていた。
「しっかり下処理をしておりますし、食べてもお腹を壊すことはありません。それは保証します」
「ありがたくいただくぞ、メルフィエラ」
「あっ、駄目です、か、閣下!」
公爵様は、ケイオスさんが持つ籠の中に無造作に手を突っ込み、ケイオスさんが止める間もなく口の中に放り込んだ。公爵様くらいの御身分の方は、普通は毒見とかそういうしかるべき過程を経て食べるものだろうに。公爵様はそこら辺のことには無頓着なようだ。
「これは」
「閣下、ぺっ、ぺっしなさい!」
ケイオスさんが慌てて公爵様の口をこじ開けようとしたけれど、公爵様は逆にケイオスさんの口の中にも干し肉を突っ込んだ。両手で口を押さえたケイオスさんが、顔を真っ赤にしてうーうーと唸る。
「この辛味、口の奥に広がる旨味……これが、スカッツビットか……たまらんな、酒が欲しくなる」
どうやら、干し肉の味は公爵様のお口にあったようだ。公爵様は再び籠の中から取り出した干し肉をかじり、私を見て破顔した。目を白黒させていたケイオスさんも、吐き出すことはせず、恐る恐るではあるけれどモゴモゴと口を動かしている。私特製の香辛料はとても香り豊かで、食欲をそそる刺激があるのだ。これには、植物の魔物『ベルベルの木』の実をすり潰したものが入っていたりする。
「お前が味付けしたのか?」
「はい。南の地方の香辛料の料理を参考にしました」
「美味いな。これは他の魔物料理も期待したくなる味だ」
公爵様が少し大きめの干し肉をかじり、指についた香辛料をペロリと舐めた。私に気を遣ってくださっているだけなのか、それとも本心なのかわからない。でも、「美味い」と言われて、私は泣きたいような気持ちになってしまった。気味悪がられたり、怖がられたり、悪意を持った噂を流されたり。私は別に悪いことをしているわけじゃないから、気にしない、気にしてはいけないと思っていたはずなのに。
(会ったばかりのただの娘なんかに、公爵様は優しすぎます)
目の端に浮かびそうになった涙をこっそりと拭いた私は、顔に笑顔を貼り付ける。
「どうした」
「いいえ、名残惜しいと思ってしまっただけです」
「そうか、私ももっとお前と話をしたかったのだがな。どうやら時間切れのようだ」
公爵様が目を向けた方向には、貴族騎士たちが焦れた様子で待ち構えている。彼らは、公爵様を呼びに来たのだろう。
「またな、メルフィエラ」
「はい、公爵様」
公爵様が馬車から距離を取ると、御者が手綱を引いて馬を歩かせた。ガラガラと車輪が回る音がして、公爵様の姿が遠ざかっていく。すると、公爵様は干し肉が入った籠を掲げて、「約束だからな!」と言ってくださった。
(遊宴会に来てよかった)
乗り気ではなかったけれど楽しかった。きっと公爵様の言うことは社交辞令なのだと思う。魔物を食べる『悪食令嬢』がどんな娘なのか、知りたかっただけなのかもしれない。でも……と私は自分に反論する。でも、もしかしたら、訪ねて来てくださるかもしれない。そんな淡い期待を、私はどうしても捨て去ることができなかった。
◇
約十日間かけ、私は王都からマーシャルレイド領まで帰ってきた。王都に出発する前は青々としていた山脈が、すっかり雪を被っている。冬はもうすぐそこまでやって来ていた。
(あら? あれは……)
小高い丘を登り、尖った屋根が連なるマーシャルレイドの屋敷が見えてきた時だった。私は、屋敷の門の前でウロウロと行ったり来たりしている人影を見つけた。遠目でもわかる、ひょろりとした長身のあの人は……。
「お父様!」
馬車の窓から身を乗り出した私は、お父様に向かって大きく手を振った。お父様は毛皮の外套を羽織っていて、すっかり冬支度を済ませている。
「メルフィ、ようやく戻ったか!」
馬車が門の前まで着くのが待ちきれないのか、お父様が外套をはためかせながらこちらに向かって走ってきた。なんだかとても慌てているみたい。私がいない間に何かあったのだろうか。
「早く、いや、ええい、止まれ、止まれ!」
お父様が手に持った杖をブンブンと振り回し、馬車を止める。これはどうも由々しき事態らしい。心配になった私は、お父様に向かってあらん限りの大声で叫んだ。
「お父様、一体何かあったのですか⁈」
「メルフィエラ、お前は一体何をしてきたんだ!」
私とお父様の声が被る。んん? 今お父様は、私が何をしてきたと、そうおっしゃったの? やがて、馬車の扉をこじ開けるようにして飛び乗ってきたお父様は、ゼイゼイと荒い息をはきながら聞いてきた。
「お、お前は、遊宴会に出席していた、はずだ」
どうやら何かあったのではなく、私が何かしてしまったらしい。何だろう……街屋敷にあった塩漬けした魔物の肉は出発前に配ってしまったし、お父様の後妻が嫌がるので、留守の間は領地にも魔物の肉を保存はしていない。まさか私の他にも、魔物食に目覚めた領民がいるのだろうか。それを見てしまった後妻が、ついに強硬手段に出てしまったのだろうか。領民の間に少しずつ魔物食が浸透していっていただけに、私がいない間に何かあったのであれば申し訳ない。
「お父様、私は確かに遊宴会に出席して、婚約者になってくださる殿方を探しておりましたわ。タルボット夫人も一緒でした」
「そうだ、婚約者だ。メルフィ、お前は、遊宴会で、何という人を捕まえてきてしまったんだ……あぁ、私はどうすれば」
まったく要領を得ないお父様の言葉に、私の頭の中は疑問でいっぱいになる。そもそも、私の婚約者探しは失敗に終わっている。惨敗も惨敗、一般騎士と出会うどころか、狂化した魔獣と出会ってしまった始末だ。まさか、後妻が私の修道院行きを早めたとか? それなら慌てるのもわかる。だって、あと半年以上は猶予があったはずなのに!
「お父様ごめんなさい。私、婚約者探しは」
「お前はマーシャルレイド伯爵家の娘なんだぞ! こ、公爵様と伯爵家では、身分が釣り合わん‼︎ 何故だ、何がどうなって、お前が、ガ、ガルブレイス公爵様から求婚されるような事態になるのだっ‼︎」