49 魔物を撃退せよ!
リリアンさんについて城に戻る途中、現場に向かうたくさんの騎士とすれ違う。皆それぞれ武装していて、その騎士が所属している部隊ごとに身につけているものが違っているように見えた。
「物見塔からの詳細報告は?」
「まだです!」
「おいおいおいおい、まだ警鐘が鳴り止まねぇぞ?」
「久々に骨のある魔物のお目見えか!」
「腕が鳴るな」
「でもよ、閣下が先に出てるって言ってなかったか?」
彼らの会話を拾っていくけれど、状況はまったくわからない。呼び止めるわけにもいかないので、せめて見知った顔の騎士がいないかと思っといたところ、向こうの方が先に私を見つけてくれた。
「あの……」
「あっ、姫様じゃないですか!」
「我々がすぐに片付けますんで、ご安心を!」
「よし、お前たち、姫様にガルブレイスの騎士の力をお見せするんだ!」
「……えっと」
「俄然やる気が湧いてきた!」
「姫様は城の中でゆっくりしていてくださいね」
朝から血気盛んな騎士が、私に向かって拳を突き上げてくる。皆質問に答えられる状況ではないので、私は会釈しながら彼らに手を軽く振ってみた。こんな時に気の利いた言葉のひとつやふたつくらいかけられたらいいのだけれど、なにも思いつかないので「お怪我などなさらないでくださいね」と声をかける。すると、騎士たちが「うおおぉぉぉぉぉぉっ!」っと野太い声を上げて、元気よく駆け出して行った。
「姫様、素晴らしい激励ですね!」
「本当に激励になっているのでしょうか」
「なってますよ、あんなに士気が高まってますから!」
ガチャガチャとけたたましい音を立てながら行ってしまった騎士たちは、確かに頼もしい存在だ。私は、この人たちがいれば大丈夫と思う反面、こんな時に何もできない自分に申し訳なくなってきた。
「姫様、あそこから入りましょう!」
リリアンさんが向かう先は、壁の一部がぽっかりと穴が開いたようになっていた。そこはミッドレーグ城塞の至るところにある魔法の隠し扉のひとつのようで、私は息を切らしながら駆け込んだ。少し走っただけなのに、こんなに苦しいなんて。研究ばかりで引きこもるのではなく、もう少し運動もしておかなければ。
「姫様のお部屋が一番安全です。閣下がお戻りになられるまで、私と一緒に待ちましょう」
「ごめんなさい、リリアンさん。こんな時何もできないのは辛いですね」
「そんなことありません。適材適所です。騎士たちの役割はそれぞれです。直接魔物を討伐する者や、その補助を行う者、市街地の防衛に向かう者、もちろん通常勤務を行う者と様々なんです」
リリアンさんが振り返り、胸に手を当ててキリッと顔を引き締める。
「私の一番の任務は、姫様をお守りすることですから!」
騎士の顔をしたリリアンさんは、とても眩しかった。
南翼の部屋にたどり着く前に、また違う種類の警鐘が鳴り始める。リリアンさんが、「こんなこと初めてだ」と呟き、天狼を床に降ろすと、腰の鞄から小さな丸い玉を取り出した。私は、所在なげにしていた天狼に向かって手を広げる。すると天狼は鼻をくんくんと動かしながら、私の腕の中に収まってくれた。
「何かよくない知らせですか?」
「わかりません、とりあえず隊長に連絡してみます」
リリアンさんが、小さな丸い玉に向かって何かの魔法をかける。すると丸い玉が蜂の形になってどこかへ飛んでいってしまった。
「伝令蜂っていうんです。短い言葉しか伝えられないんですけど、便利ですよ」
私には警鐘が伝える意味はよくわからないけれど、大変なことが起こってることだけはわかった。急いで部屋まで戻り扉を解錠した私は、何もすることがなくて部屋の中をウロウロと歩き回った。部屋に入るなり自分から床に降りた天狼も、私の後をついて回る。
「一体何が起こっているのでしょうか。五刻の方向と言っていましたから、ここから見えたりしませんか?」
「そうですね、少し確認してみますか」
リリアンさんは大きな窓を開けると、露台に出てから外を確認する。そしてしばらく空を見上げていたかと思うと、「あぁっ?!」と変な声を上げた。気になった私も露台に出て、リリアンさんが見ている方向の空を見上げる。そして見たことのある黒い影を発見した。
「リリアンさん、あれって、ベルゲニオンですよね?」
「そ、そうだと思います。でも、なんで? やられた仲間の仕返し? あいつらってそんなに頭よかったかなぁ」
公爵様が集団狂化したベルゲニオンを掃討してから、それほど時間は経っていない。でも、殺された仲間の敵討ちを仕掛けてくるとは考えにくく、また別の集団が襲って来たとも考えられるけれど、リリアンさんもふに落ちないみたいだ。
「とりあえず、姫様は私と一緒にここにいて下さい。あいつらが魔法障壁を突破して来ない限り安全です」
「はい」
ベルゲニオンは、私が襲われた時とは違って、散り散りバラバラに動いている。それをドラゴンで追う騎士の姿も確認できるけれど、どうも襲って来ているというよりは、何かから逃げ惑って来たような印象だった。
「あちゃ……これは騎竜じゃ分が悪いかも」
戦況を見ていたリリアンさんが「むぅ」と唸る。
「どうしてですか?」
「ベルゲニオンが集団になっているなら騎竜で応戦できるんですけど、バラバラに動かれると、騎竜同士が邪魔になるんですよ。騎竜は狭い範囲を飛び回るには不向きなんです」
「それで城壁の迎撃部隊が呼ばれたんだ、納得」と、リリアンさんが冷静に分析する。逃げ惑うベルゲニオンは、魔法障壁に弾かれ、ドラゴンに追い回され、かなり疲弊しているようだ。時々、雷雲もないのに空に紫色の雷が走り、ドンッという大きな音が鳴り響く。それは明らかに魔法で、もしかしたら公爵様が魔法で追撃しているのかもしれなかった。
「多分、あいつらをどこか別の場所へ誘導するんだと思います。今回も魔法障壁にも被害は出ていないし、きっと大丈夫ですよ」
私は、「今回も」と言うリリアンさんの言葉に引っかかりを覚えた。やはりガルブレイス領では、こういったことが日常的に繰り広げられているようだ。広大な大地に大きく長い川、そして険しい峡谷があるおかげで、エルゼニエ大森林の魔物の被害がここだけで済んでいる。そしてそれを守ってくれているのが、ガルブレイスの人たちなのだ。この事実を、私は何故知らなかったのだろう。もっと多くの人に知られるべきであり、称賛されるべきことなのに。
「それにしてもおかしいですね。ここまで時間がかかるなんて」
「そうなのですか? 確かに、ベルゲニオンの数もそこまで減っていないような気がしますね」
「魔法も変なんですよね。雷撃の魔法は、市街地では使ったりしないのに……」
そわそわしながら待つこと半刻。まだ警戒態勢は解かれず、騎士たちは戻ってこない。さすがのリリアンさんも気になり始めたようだ。私はとりあえず香茶を入れてみたけれど、公爵様や騎士たちのことが気になって、飲まないまま香茶はすっかり冷めてしまった。
「姫様、大丈夫ですか?!」
そうこうしているうちに、ブランシュ隊長が部屋に入ってきた。リリアンさんはピシッと背筋を伸ばすと、ブランシュ隊長に向けて簡潔に報告する。
「隊長、姫様はご無事です! 警鐘が鳴り始めた時にちょうど竜舎にいましたので、閣下はそのまま騎竜で出られました」
「うん、よく自分の役目を果たしてくれたね、リリアン」
ブランシュ隊長に褒められて、リリアンさんが嬉しそうにしている。
「姫様、どうやら鳥の群れを追ってきた大きな魔物が一頭いるらしいのです。最初は群れていたからわかりませんでしたが、魔法障壁にぶつかって大混乱になってしまったようで」
露台に出て行ったブランシュ隊長が、空を舞うベルゲニオンをなんとも言えない顔で眺めている。ようやく入ってきた一報に、私とリリアンさんはホッと息をついた。
「何もこんなところで捕食しなくても。ねえ、姫様。ベルゲニオンってそこまでして食べたいくらい美味しいんですかね?」
「それが私も食べ損ねてしまって。その魔物はそんなにお腹が空いているのでしょうか?」
「そういえば、この仔はベルゲニオンを食べたんだっけ? どうだった、美味しかった?」
リリアンさんが、足元でコロコロ転げ回っている天狼の仔を抱え上げる。構ってもらえたことが嬉しかったのか、天狼は尻尾を振って「きゃう!」と元気よく吠えた。すると、ブランシュ隊長が渋い顔をして部屋の中に戻ってきた。
「リリアン、その仔の様子はどうだい?」
「えっと、とても元気でやんちゃですよ」
ブランシュ隊長の眉間の皺が深くなる。どうしたのだろう。まさか、人に慣れさせすぎて、野生に還すのは手遅れだとか……。不安が見て取れたのだろう。私の顔を見たブランシュ隊長が、言いにくそうに教えてくれた。
「実は、怒り狂った天狼が執拗にベルゲニオンを追っているのです」
「天狼……っ、まさか、この仔の母親ですか?!」
「まだ、多分としか言えませんが」
私は、リリアンさんに抱き上げられた天狼を見た。母親が生きていたことは嬉しい知らせだ。でも、どうしてベルゲニオンを追っているのだろう。ベルゲニオンが大好物というわけでもなさそうだし、まさか、この仔がベルゲニオンによって奪われてしまったと怒っているとかだったら……。
「天狼は、我々にとって特別な魔獣です。傷つけるわけにはいかないし、この仔を還したところで、見境なくなってしまった天狼がおとなしく立ち去ってくれるかわかりません。もし、この仔の母親でない場合は、食い殺されてしまう可能性もあります」
「そんな……公爵様や騎士たちは、天狼をベルゲニオンから引き離そうとなさっているのですね?」
「これほど時間がかかっているということは、それしか考えられません」
天狼を傷つけることなく、戦意を喪失させることができれば。でも、そんなことが可能なのだろうか。それに、今はベルゲニオンに向いている敵意が、いつこちらに向けられるとも限らない。眠らせる魔法は、動き回る対象に向けても効果はない。それなら痺れ薬を撒き散らせば? 万が一、ドラゴンたちにかかってしまえば大惨事だ。では、耳元で大きな音を立て続ける……絶えず音を鳴らし続けるのは無理だ。色々考えていたところ、私はあるものを思い出した。
「ブランシュ隊長、天狼は、鼻が利きますよね?」
「狼とつくくらいですから、そこそこに鼻は利くでしょう」
「あの、スクリムウーウッドの匂いで、何とかなったりしませんか?」
私が言った意味がわからなかったのか、ブランシュ隊長が首を傾げる。
「魔力と一緒にスクリムウーウッドの匂い成分まで抜き取って、その曇水晶を天狼の鼻先で爆発させたら、気を削いだりできませんか?」
「姫様、まさかそんなことがおできになるのですか?」
ブランシュ隊長の問いに、私は大きく頷いた。無謀とも言える試みだけれど、やってみる価値はあるような気がする。耐えきれないほどの悪臭は、集中力の欠如や頭痛、目まいなどを引き起こす。匂いに敏感な魔物の鼻に、ずっと不快な臭いがまとわりついたら?
「私がここに来た日、ベルゲニオンの群れに襲われた際に、魔力入り曇水晶で爆発を起こして難を逃れました。公爵様であれば、私の曇水晶をうまく使いこなしてくださいます!」
ブランシュ隊長はしばらく考えると、私をまっすぐに見てきた。
「わかりました。姫様の言う通り、やってみる価値はあるかと思います。姫様を現場にお連れすることはできませんが、その曇水晶を私に託していただけますか?」
「よろしくお願いします! 赤いスクリムウーウッドは外の納屋のところに置いてあります。早速作業に取り掛かりましょう」
私は、寝室の金庫から小さな曇水晶を三個と、染料などの器具を取り出す。それから、「緊急事態なので失礼します!」と公爵様に心の中で謝罪して、寝室から繋がる公爵様の部屋へと立ち入った。何があるかわからないので、保管庫の中からロワイヤムードラーの魔力入り曇水晶をひとつ拝借する。
(今度は、公爵様や騎士たちを守るための魔法陣を!)
私に出来ることなんてほんの少しだけれど、そのほんの少しでも役に立てるのであれば。居ても立ってもいられないのは私もブランシュ隊長も、リリアンさんも同じで。私たちは頷き合うと、スクリムウーウッドを保管している納屋へ向かうことにした。