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48 鳴り響く警鐘

 騎士たちがバックホーンの背中の角と脚に縄をかけ、放牧するためにどこかに引っ張っていく。バックホーンは一年に一本ずつ角が生えてくる魔獣だ。この個体は八本の角が確認できたから、八年くらい生きているらしい。秋なので脂ものっていて、ちょうど食べごろと言えるだろう。

 魔法をかけて眠らせるには、バックホーンは興奮しすぎているらしい。あまりに暴れて手に負えないのか、業を煮やした騎士のひとりが赤い布をひらひらさせて駆け出した。挑発されたバックホーンは、鼻息も荒く赤い布目掛けて突進していく。他にも騎士がいるのに、もうバックホーンには赤い布しか見えていないようだった。「頑張れ、追いつかれたら終わりだぞ!」という誰かの声が遠くなっていく。なるほど、無理矢理引いていくより効率がいい。一連の流れを見ていた私は、あの時のことを思い出す。


「公爵様、私が遊宴会でバックホーンに狙われてしまったのは……」


 あの日、遊宴会で身動きが取れなくなった老夫婦を助けようとした時、振り返ると狂化したバックホーンが私に狙いを定めていた理由はやはり。


「赤い色は興奮作用がある。あのドレスはお前によく似合っていたが、結果あのバックホーンを引き寄せることになったのかもしれんな」

「うう……多分そうだろうと思っていたのです。今度森に入る時はもっと地味な色にします」

「地味な色は森に紛れて見つかり難くなるぞ? 迷子になったら大変だ。まあ、お前が森に入る時は俺がいるから大丈夫だろう」


 どうやら公爵様は、本当に私をエルゼニエ大森林に連れて行ってくださるようだ。嬉しいし楽しみだけれど、足手まといになってしまわないか心配でもある。

 暴れていたバックホーンがいなくなり、ようやく落ち着きを取り戻した天狼が、落ち葉まみれになりながら走ってくる。私が毛に絡まった落ち葉を取ってあげようとしゃがんだところ、口に咥えていた何かをぽとりと落とした。その何かは私の手のひらよりも少し大きく、茶色の毛並みをしている。


「姫様っ、それ、捕まえておいてください!」


 リリアンさんも息を切らしながら走ってきて、私の足元の茶色のかたまりを指差した。


「この茶色の生き物をですか?」

「害獣なんです、根菜を食べ尽くす、悪いやつ!」

「まあ、それは大変!」


 私は咄嗟に茶色の毛のかたまりをむんずと掴む。それは死んだふりをしていたようで、びっくりして目が覚めてしまったのか、小さな身体に見合わない力でもがき始めた。手の爪が異様に長く、とても分厚い。


「こ、公爵様、これも魔物ですか?」

「モルソという魔物に近い害獣だ。マーシャルレイドにはいないのか?」


 公爵様が、指先に魔力を灯しながらモルソと呼んだ茶色のかたまりを私から受け取る。再びびっくりしてしまったのか、モルソは公爵様の手の中でぐったりと気絶した。公爵様は屈み込み、「よしよし、偉いぞ」と言いながら、おとなしく待っている天狼の頭をわしわしと撫でる。天狼は、「きゃう!」とひと声、誇らしげに鳴いた。


「鼠に似ていますが、どことなく違いますね」


 モルソは鼠のように丸い耳があるわけではないけれど、尻尾は鼠のように長くて毛が生えていない。


「こいつはたくさんの種類の根菜や果物が実っている今の時期、土を掘ってどこからともなく畑にやってくるのだ。こんなに小さいのに魔法の爪を持っていて、大喰らいな上にすばしっこくてな」

「魔物で害獣ですか。食べるには小さいですね。もっとたくさん獲れればあるいは……」

「ふむ、なるほどな。一斉駆除でかなり獲れるが、これを大量に捌くのはひと苦労ではないか?」

「これくらいなら、首をちょんと刎ねて血と魔力を抜いたあと、首のところを持ってこんな風に捻れば、尻から内臓が丸まま出てくるかと。皮は、首の切り口からくるっと剥がしてしまえば」

「ほう、なるほど! それならわざわざ腹を捌く手間が省けそうだな」


 私が両手で捻る動作をすると、公爵様が手の中のモルソをまじまじと見る。


「よし、要検討だ。モルソは草食性だから、これが美味ければ駆除した後の楽しみにもなるだろう」

「大型魔獣と違って私ひとりでもできますから、駆除の際は是非」

「食べるなら、野兎のように煮込みか?」

「根菜と香辛料をふんだんに使った煮込みとか良さそうですね」


 一匹だけでは食べごたえもないので、公爵様が天狼に「食べてもいいぞ」と差し出すと、天狼は嬉しそうに鳴いた。しかしまだまだ赤ちゃんなので、自分では食べられないようだ。赤い目をキラキラさせ、公爵様を期待したような目で見上げていたので、ひとまず私たちは飼育舎に急ぐことにした。


「あーっ、また転げ回る!」

「きゃう、きゃうっ」

「お前の毛は白いから、泥だらけになると手入れが大変なんだぞ!」


 どうやら天狼は、リリアンさんを遊び相手に認定してしまったようだ。満更でもなさそうなリリアンさんは、鎧をガチャガチャと鳴らしながら、天狼に根気よく付き合ってあげている。それがまるで下の子の世話を焼く姉のようで、私は思わず微笑んだ。


「あんなに懐かれると、別れは寂しくなりますね」

「そうだな。冬を越せば乳離れして野生に戻せるだろうが、絶対に情がわく自信はあるな」

「ふふっ、公爵様は、本当に小さくてふわふわな獣がお好きなのですね」

「モルソは可愛くない」


 ほんのりと目元を赤くした公爵様が、憮然とした顔でモルソを見る。私としては、茶色の毛のかたまりにしか見えないモルソも可愛いと思うのだけれど。公爵様の可愛さの基準がいまいちわからない。私と目が合い、うっと声を詰まらせた公爵様が、モルソを掴んでいる反対の手で私の手を取る。


「その、メルフィ。それは誰から聞いたのだ?」

「えっと、ケイオスさんが」

「け、獣であれば、なんでもいいというわけではないぞ! それに、別に獣だけではないのだが……」


 公爵様は、他にも何かを呟きながらズンズンと歩いていく。その声は小さくてよく聞き取れなかった。それよりも、公爵様の手の力がものすごく強くて、繋いだ手がジンジンと痺れてくる。


「公爵様」

「な、なんだ」

「モルソが窒息しています」

「あっ?!」


 公爵様が、慌ててモルソを掴んでいた手の力を緩める。本当は、私の手もぎゅうぎゅう握りしめられて痛かったのだけれど。手を離してほしくなかった私は、自分から公爵様の手を握り返した。




 ◇




 竜舎では、何人かの飼育員たちが慌ただしく働いていた。ちょうど餌の時間のようで、手慣れた様子の飼育員が、荷台に積まれた魔獣の肉を適度な大きさに斬り分けていく。餌は、先ほど非番の騎士たちが狩ってきていたバックホーンのようだ。


「これは閣下……と、ひ、姫様?!」


 こちらに気づいた飼育員が、驚いた様子で駆け寄ってくる。


「人がおらんな。どうした、何かあったのか?」

「申し訳ございません。天狼の仔が逃げ出してしまいまして。何人かで手分けをして探している最中なのです」

「やはり勝手に出歩いていたか。そいつなら、あそこにいるぞ」


 公爵様が後ろを振り返り、天狼がいる場所を指し示す。竜舎をドラゴンの縄張りという認識をしているのか、天狼は一定の距離からこちらに近寄ろうとしなかった。リリアンさんの横に並んでじっとしている。飼育員は、そんな天狼を見てほっとしたような顔になると一気に脱力した。


「こいつ、どこにいたんだ? 心配したんだぞ」


 そんな飼育員の心配もどこ吹く風。天狼はフイッとそっぽを向くと、自分の飼育舎の方へと歩き始める。


「結界を強化しても何故か出て来てしまうんです。こいつをどこで見つけたんですか?」

「西翼の三階のあたりを魔法で翔んでいたのです。逃げる素振りもなくて、寂しかったのでしょうか」

「小さくとも天狼は天狼ですから、首輪をつけるわけにもいかなくて。今は可愛いばかりですが、もう少し大きくなると、我々では手に負えなくなってしまいます」


 ガルブレイスの守り神として大切に保護されていても、天狼も魔物でさらには肉食性だ。今はモルソですら自力で食べることはできないけれど、赤ちゃんだっていつかは自立する。このまま結界をすり抜けて好き放題していたら、いつか事故が起きてしまうかもしれない。


「うーむ、あとひと月くらいの間で母親が見つからなければ、きちんと躾をしてここで飼育するしかないか……」


 公爵様が困ったように唸りながら、飼育員に「あいつが自分で狩った獲物だ。食べさせてやってくれ」と言いながらモルソを手渡した。飼育員はモルソを受け取ると、別の飼育員に天狼の餌にするように指示を出す。


「本当なら、狩りから食べ方まで母親から教わるはずなんですがね。このまま野生に還しても、こいつだけでは生きていけないかもしれません」

「そうなのですか?」

「母親から離れるのがあまりにも早すぎるんです。変に人に慣れたまま野生に戻してしまっては、こいつのためにもなりません。決断は早い方がいいかと」


 飼育員の言葉に、公爵様はしばらく考えて溜め息と共に決断した。


「わかった、なんとかしよう。砦の方からもこいつの母親が見つかったと言う連絡はない。こいつを連れて、空から捜索してみるか」

「もう一度エルゼニエ大森林を探すのですか?」

「赤ん坊だが、覚えていることもあるだろう。特に母親の匂いはな。ベルゲニオンに襲われた痕跡が見つかれば、潔くガルブレイスの一員として受け入れ――」


 その時、遠くの方から荒々しい鐘の音が響き始めた。その音はどんどん大きく激しくなっていき、ミッドレーグ城塞の城壁にこだまして響き渡る。


「警鐘だっ!」

「五刻方向か」

「でも、単体って……何が向かって来てるんだ?」

「こんな早朝から魔物が来るとは……閣下、騎竜を出しますか?!」


 さすがはミッドレーグ城塞の住人だ。こんな時でも慌てることなく、警鐘が伝えてくる意味を拾い上げていく。


「ああ、俺が出る。今日の勤務はどの班だ?」

「ミュラン班とジェラール班です。ミュラン班は既に待機しています!」

「よしっ、すぐに騎竜の準備を」


 飼育舎の中がさらに慌ただしくなった。どんな魔物がどれくらいの規模で向かって来てるのだろう。こんな時、私は役に立たない。とりあえず邪魔にだけはなりたくないので、リリアンさんのところに向かうことにした。


「公爵様、私はリリアンさんと自室に戻ります!」

「気をつけて戻るんだぞ。警鐘が鳴るくらいだ、そこら辺の魔物とはわけが違うのかもしれん」

「ご武運を」

「ああ、心配するな、メルフィ」


 公爵様はすっかり戦う者の顔になっていた。すぐに用意された武具は仮のものだろうか。普通の騎士たちが身につけているような黒鉄色の胸当てに、公爵様の身長よりも長い柄の槍が二本。それに、投擲用の短い槍を四本も装着していく。


「姫様、こちらです!」

「はいっ、今行きます!」


 天狼を抱えたリリアンさんが駆けてきたので、私は公爵様に頷いてから踵を返す。警鐘はまだ鳴り止まない。分厚い城壁には、魔法による障壁を展開するための塔がある。私が空を見上げると、虹色の薄い膜のような結界がちょうど空を覆っていくところだった。




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― 新着の感想 ―
こう考えると、メルフィの実家まで来たのは珍しかったんだなぁ
[気になる点] 牛には色は見えていないそうです、闘牛で赤い布を使うのはむしろ人間を煽る為だとか、この世界で色を認識できるのは人間と猿だけだそうですが異世界だからそこら辺の理屈も違うのでしょうか? でも…
[一言] とある方のブクマから飛んで来たのですが、予想以上に面白い! もっと閣下にはメルフェを甘やかして欲しいです(*´∇`*) 続きが楽しみです!
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