47 騎士たちも魔物が食べたい
公爵様が着替えている間に、私も一度自室に戻ることにした。天狼が腕の中から降りようとしなかったので、私は歩きながら小さなふわふわの毛並みを堪能する。
「あなたはすごく綺麗ね」
「くぅ」
「ふふふ、干し草の香りがする」
天狼が自分から擦り寄ってくるので、私はされるがままにしておいた。人に慣らしてはいけないといっても、既に手遅れな気がする。
「では、部屋で待っていてくれ」
「はい」
その時、ガチャっという金属が擦れる音がした。私が顔を自室の方に向けると、扉の前にリリアンさんがいるではないか。
「おはようございます、リリアンさん」
「あーっ、姫様……と天狼の仔?」
キョロキョロしていたリリアンさんが、私を見つけて駆け寄ってくる。ガチャガチャと鳴っていたのは、リリアンさんの鎧だったようだ。音に警戒したのか、天狼がもがいて私の腕から飛び降りると足元に隠れてしまった。私の姿にサッと目を通したリリアンさんは、ホッとしたような顔になる。
「閣下、ケイオス補佐、おはようございます!」
「うむ。朝からご苦労」
「リリアン、今日は貴女が担当でしたか」
「はい。巡回班から聞きつけて馳せ参じました!」
リリアンさんは、元気よく公爵様とケイオスさんに挨拶をすると、私の方を向いて腰に手を当てる。
「姫様っ、いくら書き置きしても駄目ですからね! 次は私たちの誰かを連れて行ってください」
プクリと頬を膨らませたリリアンさんから、ひとりで研究室まで行ったことを咎められてしまった。
「城塞の中だから大丈夫かと思って」
「まだここに来られたばかりなんですから、皆が姫様の姿を覚えるまでは護衛付きです。それと、いくらなんでも早起きすぎます!」
「ごめんなさい。マーシャルレイドでは普通だったからつい。ガルブレイスでは、いつが起床なのですか?」
「普通の貴族のご令嬢だったら、十刻くらいのお目覚めでしょうか? それから朝の身支度に、朝食、昼の身支度、昼の軽食、お昼寝、夜の身支度、晩餐、就寝前の身支度……」
リリアンさんが指を折って数えながら、私の一日の予定を告げていく。なんと、朝から晩まで一日中身支度三昧だ。そういえば義母のシーリア様の朝は遅かった。そしてリリアンさんの説明のように、一日中着替えをしていたことを思い出す。公爵夫人ともなれば、身嗜みに時間をかけなくてはならないのだろうか。でも私の身体はひとつしかないのだから、時間はもっと有効利用したい。
「汚れてもいない服をそんなに着替えなくても大丈夫です。せめて朝と晩餐だけでお願いしたいです」
特に就寝前の身支度なんて、自分でやればいいのだから。私が妥協案を出すと、リリアンさんがジトッとした目になる。
「もう、姫様も閣下と同じようなことを仰るんですから」
「ええ、本当に」
リリアンさんの言葉に同意したケイオスさんが、とどめとばかりに釘をさしてくる。
「まさかお二人がこんなところまで類友だったとは。閣下もメルフィエラ様も、日頃はそれでいいとしても、来客がある時はきちんとしていただきますからね!」
私と公爵様は顔を見合わせる。公爵様は「俺はいいんだ俺は」と不満そうにしていたけれど、私はとりあえず「努力します」とだけ返事をした。貴族としては、このガルブレイス領の生活様式はかなり特殊な部類に入る。担うものの違いもあるけど、私のドレスより騎士たちの装備品にお金をかけてほしいところだ。
ケイオスさんから「というわけで、メルフィエラ様も朝のお支度をしてきてください」と言われた私は、部屋で待機していた三婦人の一人と新たに加わった侍女たちから、朝の装いに相応しいドレスを着せられてしまった。着心地がいい白地に赤と緑の小花柄のドレスはとても可愛いのだけれど、汚れがすごく目立ちそうだ。
「姫様のお召しものに爪が引っかかるから、お前はちゃんと後ろからついて行くんだよ?」
「きゃう!」
「よしよし、お前はなかなかお利口そうだね」
「きゃう、きゃう」
私の身支度の間、天狼の相手をしてくれていたリリアンさんが、言い聞かせるようにして話しかけている。わかったのかわかっていないのか、可愛らしく鳴き声をあげる天狼は、こうしていると仔犬のようだ。
「お待たせしました」
朝の散策ということで、ドレスに合わせたような白くてつばの広い帽子まで被せられた私は、侍女から肘まである手袋と日傘まで受け取るはめになってしまった。あまり着飾ることに興味がない私に対して、リリアンさんはパッと顔を輝かせて駆け寄ってくる。
「うん、やっぱり姫様は華やかな装いでなくちゃ! 姫様、とてもお似合いです」
「ありがとうございます。どちらかというと、私はリリアンさんのような装いの方が好きなのですが」
「駄目ですよ。姫様は、閣下と共にガルブレイスの象徴となるお方なんですから。それに、うちの姫様はこんなに可愛らしいんだぞ! って自慢したいじゃないですか」
リリアンさんの言い分は、私にもよくわかる。私が可愛らしいかどうかはさておき、確かに公爵様はとても格好いいので、「うちのご領主様は強くて美丈夫で優しくて領民思いなんだぞ!」と自慢したくなる。
私の支度に結構時間がかかってしまい、時刻は七刻半を過ぎてしまっている。公爵様が一刻早く針を進めてしまったということなので、正確には六刻半過ぎなのだろう。
「待たせたな、メルフィ」
寝室の扉ではなく、きちんと部屋の扉から入ってきた公爵様が、私の姿を見て立ち止まる。公爵様はいつもの黒い服装ではなく、金糸で縁取りされた濃く深い緑色の裾長い上衣だ。
「……白のドレスか。清楚だな」
公爵様が、スッと目を細める。まるで眩しいものでも見ているかのようだ。
「公爵様がご用意してくださったものだとお聞きしました。ありがとうございます。とても軽くて、意外と動きやすいです」
「うむ、よく似合っているぞ」
「公爵様もとても素敵です。緑の上衣に白いズボンだから、私たちなんだかお揃いみたいですね!」
「そ、そうか。ただの散歩だというのに、仰々しくてすまないな」
「白は汚れが目立ちますから、汚さないように気をつけます」
白いドレスと濃い緑の上衣では、天狼を抱っこすると汚れや毛がついてしまう。天狼の方はリリアンさんと遊ぶことに夢中になっているので、そのまま連れて来てもらうことにする。ケイオスさんは散策には付いてこないようだ。扉の前で見送られ、
「さて、行くか」
「はい、よろしくお願いします」
公爵様が差し出してくれた腕に手を添えた私は、ウキウキと散策に出かけた。
秋真っ盛りとはいえ、少し肌寒い風が肌を撫でる。私と公爵様は、竜舎までの道のりをゆっくりと歩く。竜舎は、私がここに着いた当初に公爵様がグレッシェルドラゴンを降ろした場所のことだ。
城塞の裏側までの道沿いには、いたるところに様々な植物が植えられていた。それはよく見ると、花ではなく瑞々しい野菜が実っている。
「花壇かと思ったら、あれは畑だったのですね!」
「土地は限られているからな。ここらの畑は、厨房の奴らが担当しているのだ」
「では昨日のお野菜たちも、ここから収穫されたのですか?」
「市場から仕入れるものと半々だな。自給自足には程遠いが、お前のおかげで活路が見出せそうだ」
不意打ちで公爵様に褒められ、私は照れ臭くなった。でも、心はほっこりと温かい。昨日は食堂で魔物料理をさりげなく出してくれたりと、すべては公爵様の口添えのおかげなのだ。聞いたところによれば、厨房の人たちも魔物食に興味深々らしい。特に小厨房長と呼ばれていたあの女性は、ブランシュ隊長経由でスクリムウーウッドの果実を食べていたみたいだ。あらゆる魔樹の果実に可能性があるということで、もし他の果実を手に入れたら分けてほしいとのことだった。
「まずは食べられそうな魔樹や魔草の選別ですね。それと、安定した供給ができそうかも調べてみないといけません」
「安定した供給か。魔獣の討伐は毎日のように行われているからな。ついでに収穫できるものがあれば、さほど騎士の負担にもなるまい」
ガルブレイス領は広大な土地ではあるけれど、魔力を含む土壌のせいであらゆる場所が魔物の棲み家となっている。城塞を広げるにも限度があるので、足りないものはガルバース川とラース峡谷の向こう側にある王領の街から仕入れていた。
リリアンさんと天狼が、楽しそうに遊びながら駆けていく。野菜畑が途切れると、そこは何もない広場になっていた。ちょうど夜勤明けの騎士たちが帰って来たのか、たくさんの騎士たちでわいわいと賑わっている。見知った顔がちらほらと見え、ザナスの皮を剥いでくれたアンブリーさんが進み出てきた。
「これは閣下にメルフィエラ様。お早い朝ですな」
「アンブリーさん、おはようございます。清々しくて気持ちの良い朝ですね。皆さんもお勤めご苦労様でした」
アンブリーさんの鎧があちこち汚れている。少し離れた場所には狩ってきた魔物がいるのか、騎士たちが運びやすいように解体しているようだった。
「アンブリーさん、あれは魔獣ですよね?」
そのうちの一頭は生きたまま捕獲してきているようだ。暴れているのか、鋭い鳴き声が聞こえてくる。それに加えて、天狼の唸り声とリリアンさんの止める声がした。
「あの鳴き声は……まさかお前たち、バックホーンを生捕りにしてきたのか?」
さすがは公爵様。魔獣の鳴き声でその種類がわかったらしい。バックホーンといえば、遊宴会で遭遇した思い出深い魔獣だ。四つ脚の蹄魔獣なので、狂化していなければ味に期待できる。公爵様の問いに、アンブリーさんが後頭部を掻きながら、悪戯が見つかった子供のような顔をした。
「いやぁ、昨晩のロワイヤムードラーの煮込みがですね、とても美味かったってミュランが言ったんですよ。残念ながら私は食べ損ねてしまいまして。バックホーンもうまいらしいという話なので、姫様に下処理をしていただけないかと」
すると、魔獣の鳴き声が聞こえる方から、ひとりの騎士が駆け寄ってきた。それは食わず嫌いだったゼフさんで、夜勤明けだというのに興奮したような顔で、とても生き生きとしている。
「閣下、メルフィエラ様! 俺たち、このバックホーンの解体を責任持って手伝いますんで、俺たちにも美味い飯食わせてください!」
「ええ、私も腕を振るわせていただきます」
「アンブリーもか。まったくお前たちは……まさかあれは狂化している個体ではあるまいな?」
「狂化する一歩手前って感じですね。まだ大丈夫です。今ならいけます。ついでに魔草とか色々採ってきたんで、それも見てもらえたらと」
自信満々に答えるゼフさんに、私は思わず吹き出してしまった。あんなにロワイヤムードラーを食べることを躊躇していたのに、すっかり食わず嫌いが改善されてしまったらしい。
「公爵様、あのバックホーンを私が解体してもいいですか?」
「そうだな……こいつの肉は熟成させたほうが美味いのか?」
「新鮮な肉もおいしいですけれど、少し熟成させると味が深くなり、それはそれは美味しい肉に仕上がります」
騎士たちに頼まれては私も断る理由はないし、公爵様が許可をくださったのであれば大丈夫だ。それにバックホーンは牛に似た肉質だ。アンブリーさんやゼフさんの後ろでは、いつのまにか集まってきていた騎士たちが、わくわくしながら公爵様の返事を待っていた。うん、皆さんにもこの機会にぜひ食べてもらいたい。
「メルフィ、解体はアンブリーたちだけで大丈夫か?」
「私、頑張ります! 公爵様の『首落とし』が見られないのは残念ですけれど」
アンブリーさんやゼフさんは、首落としはできないと言っていた。でも、普通に解体しても大丈夫だ。要は私の魔法陣にかかっている。
「待て待て、魔法陣を描けるのはお前しかいないのだぞ? 西翼の研究室ではなく、きちんと屋外に場所を造ってやる。それまで、あれはしばらくお預けだ」
そうだった。魔物を捌くたびに魔法陣を描くのはひと苦労だ。さらに染料には、私しか使えないように自分の血液も混ぜている。これは公爵様が場所を準備してくださるまで待つしかなさそうだ。
「メルフィ、時間はたっぷりある。ひとつひとつ、やっていけばいい」
「はい、公爵様」
「アンブリー、あれはしばらく放牧しておいてくれ。まるまる太らせてやる」
公爵様からポンポンと軽く背中を叩かれた私は、知らず気負い込んでいたことに気づく。そう、焦りは禁物だ。私の研究から出る副産物の件もあるのだし、きちんと準備を整えてからでも遅くはない。
騎士たちは少しがっかりしていたけれど、魔樹や魔草の類いであれば西翼の研究室でも処理ができるので、私は後から運んでもらうことにした。